生きることに疲れた人は、真面目な人である。
努力をしてきた人である。
努力している時に、まさか自分がそのようになってしまうとは、
予想もしなかった。
自分の努力はいつか報われると思っていた。
皆から賞賛されると思っていた。
まさか自分の人生が、こんな形で行き詰まるとは予想していなかった。
でも、いま、生きることに疲れて、
何もする気にならない。 「心の休ませ方 」
幼児の頃から献身を求められた人が、どうして大人になっても
エネルギッシュでいられようか。
そんなことは無理に決まっている。 「自分の受け入れ方」
せっかく生まれてきたのに、屈辱感を
味わうだけで一生を終える人は多い。
周囲にとって都合のよいときのみ、
「良い子」として受け入れられた。
人生の初期において
周囲の自分に対する期待をかなえることばかりに
エネルギーをつかい、
生きることに消耗してしまった。 「愛されなかった時どう生きるか」
高齢者と若者とが
男と女とが
文化の違う国に属している人が、
相互に理解しあうのは難しい。
しかしそれよりもはるかに難しいのが、
心理的に成長した人と、それができなかった人とが、
相互に理解しあうことである。 「言いたいことが言えない人」
よくいじめられた子供に「言い返せばいいじゃないか」
と言う人がいるが、
それは言い返したときの恐怖を
体験していない人が言う戯言である。
そもそも権威主義的家庭に育てば
「言い返す」などという文化はない。
いつも気持ちは萎縮している。
いつも怯えている。 「言いたいことが言えない人」
「丸太小屋から大統領へ」という
サクセスストーリーが好んで語られる。
外側だけ見る人には感動的であろうが、
それは奇跡でも驚嘆でもない。
丸太小屋に生まれても
「母なるもの」を与えられていれば
生きることは楽しいことだからである。
愛されない子供として宮殿に
生まれるよりもはるかに幸せである。
いや、これは比較できない。
あまりにも違いが大きすぎる。
「丸太小屋」が天国とすれば、
「宮殿」は地獄である。
しかし人々は「丸太小屋」を誉める。
こちらのタイプを賞賛する。
目に見えるからである。
人生の不公平とは、
この不公平である。 「自分の受け入れ方」
無視されて育ったり、感謝を要求されて
育った人が、真の自分を発展させ、
素直に成長していくことは、
至難のわざである。 「愛されなかった時どう生きるか」
人生に疲れた人は、自分が生まれ育った
環境を考えれば、「自分はすごい」
と思っていいのである。
事実すごい。誰にも助けてもらえないで、
独りでここまで生きてきた。
だれがここまでできるか。 「言いたいことが言えない人」
不幸を受け入れる気になると
何をしたら最も良いか突然見えてくる。
「私の人生は辛い」と認めることである。
「なんで私だけ」と不満になれば、
より辛い人生になる。 「自分の受け入れ方」
人生が一度しかないと思ったら、
自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。
もし本気でそう思ったら生き方が変わってくる。
人生は一度しかない。
本当に一回なんだよ。 「心の休ませ方」
加藤諦三先生のありがたいお言葉だ。
先日、タンゴを踊る友人とミロンガの帰り道、なんと趣味でマラソンをしていると言うので驚いた。
随分大人になってから走り始めたんだそうだ。出来るものなのか?
単純に触発されてしまった俺は、その翌日ランニングシューズを購入した。
今日から俺は生まれ変わる。とりあえず、一ヶ月以内に5KMを30分で楽に走ることを目標に決めた。
バレエを始めた時から走ることは止めたので、信号を渡る距離ですら走らず長い年月を過ごした。
もっと力強い生活をこの手に。ってことでやってやろーか、となった。
実際に走ってみたら、20分で腿が軽く痙攣してたけど、心臓と肺は苦しくなかった。
このクソ暑い季節に俺が走るとはな、人生何が起こるか分からん。
一週間後に「やっぱ諦めました」と報告するかもしれないけど。
それで誰かに迷惑かけるわけじゃないしな。
努力をしてきた人である。
努力している時に、まさか自分がそのようになってしまうとは、
予想もしなかった。
自分の努力はいつか報われると思っていた。
皆から賞賛されると思っていた。
まさか自分の人生が、こんな形で行き詰まるとは予想していなかった。
でも、いま、生きることに疲れて、
何もする気にならない。 「心の休ませ方 」
幼児の頃から献身を求められた人が、どうして大人になっても
エネルギッシュでいられようか。
そんなことは無理に決まっている。 「自分の受け入れ方」
せっかく生まれてきたのに、屈辱感を
味わうだけで一生を終える人は多い。
周囲にとって都合のよいときのみ、
「良い子」として受け入れられた。
人生の初期において
周囲の自分に対する期待をかなえることばかりに
エネルギーをつかい、
生きることに消耗してしまった。 「愛されなかった時どう生きるか」
高齢者と若者とが
男と女とが
文化の違う国に属している人が、
相互に理解しあうのは難しい。
しかしそれよりもはるかに難しいのが、
心理的に成長した人と、それができなかった人とが、
相互に理解しあうことである。 「言いたいことが言えない人」
よくいじめられた子供に「言い返せばいいじゃないか」
と言う人がいるが、
それは言い返したときの恐怖を
体験していない人が言う戯言である。
そもそも権威主義的家庭に育てば
「言い返す」などという文化はない。
いつも気持ちは萎縮している。
いつも怯えている。 「言いたいことが言えない人」
「丸太小屋から大統領へ」という
サクセスストーリーが好んで語られる。
外側だけ見る人には感動的であろうが、
それは奇跡でも驚嘆でもない。
丸太小屋に生まれても
「母なるもの」を与えられていれば
生きることは楽しいことだからである。
愛されない子供として宮殿に
生まれるよりもはるかに幸せである。
いや、これは比較できない。
あまりにも違いが大きすぎる。
「丸太小屋」が天国とすれば、
「宮殿」は地獄である。
しかし人々は「丸太小屋」を誉める。
こちらのタイプを賞賛する。
目に見えるからである。
人生の不公平とは、
この不公平である。 「自分の受け入れ方」
無視されて育ったり、感謝を要求されて
育った人が、真の自分を発展させ、
素直に成長していくことは、
至難のわざである。 「愛されなかった時どう生きるか」
人生に疲れた人は、自分が生まれ育った
環境を考えれば、「自分はすごい」
と思っていいのである。
事実すごい。誰にも助けてもらえないで、
独りでここまで生きてきた。
だれがここまでできるか。 「言いたいことが言えない人」
不幸を受け入れる気になると
何をしたら最も良いか突然見えてくる。
「私の人生は辛い」と認めることである。
「なんで私だけ」と不満になれば、
より辛い人生になる。 「自分の受け入れ方」
人生が一度しかないと思ったら、
自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。
もし本気でそう思ったら生き方が変わってくる。
人生は一度しかない。
本当に一回なんだよ。 「心の休ませ方」
加藤諦三先生のありがたいお言葉だ。
先日、タンゴを踊る友人とミロンガの帰り道、なんと趣味でマラソンをしていると言うので驚いた。
随分大人になってから走り始めたんだそうだ。出来るものなのか?
単純に触発されてしまった俺は、その翌日ランニングシューズを購入した。
今日から俺は生まれ変わる。とりあえず、一ヶ月以内に5KMを30分で楽に走ることを目標に決めた。
バレエを始めた時から走ることは止めたので、信号を渡る距離ですら走らず長い年月を過ごした。
もっと力強い生活をこの手に。ってことでやってやろーか、となった。
実際に走ってみたら、20分で腿が軽く痙攣してたけど、心臓と肺は苦しくなかった。
このクソ暑い季節に俺が走るとはな、人生何が起こるか分からん。
一週間後に「やっぱ諦めました」と報告するかもしれないけど。
それで誰かに迷惑かけるわけじゃないしな。
2013.06.17.(月)
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