358.直し作業
2024/4/19 修正しました。
「――はっ!?」
クノンは目を覚ました。
目の前に女性がいた。
仮面をつけていた。
「……夢か」
再び目を閉じた――そして飛び起きた。
「状況は!? ……あれ!?」
「鏡眼」が使えない。
――そうだ、思い出してきた。
初めての中級魔術。
限界まで振り絞った結果、魔力を使い切ったのだ。
あれから少しは回復したのか。
なんとか魔力視だけはできるようで、仮面の女性はわかった。
意識を失うのは久しぶりだった。
それから……そう。
「なんとかなったのか……」
色々と変化はあるようだが。
ここは、なんの変わりもない、地下の実験室である。
ずっと見てきたのだ。
もう見えなくてもわかる。
魔法陣は機能しているらしい。
引力はないので、夜空の対処はできたのだ。
「みたいですね」
と、床に倒れていたクノンの傍らにいた女性。
使用人一号が立ち上がる。
「怪我を治癒しました。
ついでにカーマ剤も飲ませたので、すぐに魔力も回復しますよ」
そういえば。
骨を痛めたはず肩が、痛くない。
口に残る少々わざとらしい甘みは、魔力回復薬「カーマ剤」の味である。
光属性持ちの彼女が治してくれたようだ。
「ありがとう素敵なレディ。お礼に食事をご馳走させてください」
「お食事より金一封が欲しいですね。この通り顔を晒すことは避けたいので」
「あ、はい……先生に渡しておきますので、後日受け取ってください」
残念だが仕方ない。
使用人一号は地下室を出て行った。
仕事は終わったとばかりに、さっさと。
どうやら、治療はクノンが最後だったらしい。
「ふう……」
クノンは椅子に座り、深く息を吐いた。
ひとまずは休憩だ。
魔力が回復するまでは、クノンは何もできない。
――三人とも忙しそうだ。
ロジー、シロト、アイオン。
三人とも無事である。
意識を失った後、何があったかはわからないが。
どうも三人がかりで、床の線を直しているようだ。
魔法陣を構成するものを。
かなり乱されたらしい。
クノンが目を覚ましても、気にする余裕がないほどに。
今クノンができることは。
彼らの邪魔をせず、魔力の回復を待つことだ。
魔法陣中央には、水槽がある。
そして、宙を漂う神花も。
「水球」は爆発したはずなので、今はシロトの風をまとっているのだと思う。
今は初級魔術一回も使えないほど消耗しているが。
魔力の動きは、しっかりと感じる。
「……はあ」
もう一度息を吐く。
今度は、安堵の溜息だ。
――なんとか、大きな山は越えられたようだ。
「様子はどうですか?」
少し休んだクノンは、ようやく忙しそうな三人に声を掛けてみた。
魔力回復薬が効いた。
今なら、多少魔術も使える――
「クノン君、手伝うんだ。早く」
「え?」
いつになく余裕のないロジーの声に、驚く。
「線の八割くらいが焼けたんだ。
瞬間火力の波に耐えられなかったらしい。
盲点だった。
焼こうが高温であろうが耐えらえる代物なのに、そこに衝撃や爆風といったものが加わり、更に何度も重なると、さすがに影響が出てしまったようだ」
そんなことが。
「そもそも君、何をどうやって爆弾を増やしたんだ?」
夜空は爆破した。
それはクノンの策で、狙い通りに事が動いたらしい。
そこまではわかるが。
「爆弾……あ」
何のことかわからなかったが、すぐに理解した。
「爆弾じゃなくて『水球』です」
「水球……ああ、そういうことか」
さすがロジー、すぐに理解したようだ。
そう、あれはただの小細工……いや、ほんの小さな工夫だ。
激流の中に「水球」を混ぜた。
もっと詳しく言えば、水を小分けにしたのだ。
これは狂炎王子の「火種」の原理だ。
「火種」の中に「火種」を込めることで、二つ目の「火種」が狂ったように燃え上がる。
この原理を利用したものだ。
「水球」の膜が壊れると同時に、中の水が爆発する。
それが何度も起こったのだろう。
爆発の威力については、ロジーのせいだ。
とんでもなく強力な液体火薬にしたのだろう。
「先生、こっちの指示お願いします」
「ああ、うん。――クノン君、アイオンと線を直してくれ。君ならもうできるだろう」
「えっ」
できるだろうか。
この高度な魔法陣に、触れられるほどの実力があるだろうか。
「クノン、そっちの足元から直すから」
アイオンの指示に、クノンは即座に「あ、はい」と返す。
できるできないではなく。
いいからやれ、ということらしい。
迷う余地さえなさそうだ。
理屈で言うと。
焦げた線の表面を薄く削り、新たな線で魔法陣を再構成する。
考え方はこれでいいらしい。
色々と細かい調整もあるが、それはアイオンに任せる。
「水槽、無事だったんですね。あと神花も」
修正作業をしながら、クノンはアイオンに話を振る。
正直、夜空の対処のことを聞きたいのだが。
メモしながら聞きたいので、後回しだ。
水槽は、ある。
神花も、ある。
つまりこの二つは、爆発の中を耐えたわけだ。
特に神花。
あの花弁は、爆発の中心。
ど真ん中にあったはずなのに。
あれを破壊することも、クノンの作戦の一つだったのだが。
「そうだね。私も意外だと思う……」
たった一枚の小さな花弁なのに。
想像以上に頑丈らしい。
というより、魔術耐性が異常に高いのだろう。
存在そのものが奇跡みたいな花だ。
そんな不思議があってもおかしくない。
魔術絡みであるなら、特に。
だが、そうなると、だ。
「水槽、頑丈すぎませんか?」
神花はまだいい。
まだ納得できる。
だが、水槽はどうなっているんだ。
あれは完全に人工的に造られたもの。
神話に出てくるような花とは、別物である。
聞けば、相当派手な爆発が起こったらしいが……。
「あれは私が守ってた」
――シロトの雷が「水球」に着火するかしないか、というタイミングだった。
呪いの鎖の対象を変えて。
水槽を守るように、移動させた。
あれは鎖の周辺が弱体化する。
更には、囲んだ対象には相乗効果を生み、強烈な弱体効果が発生する。
内側への効果を最小限にし。
外側への弱体化を最大にした。
弱体化で層、あるいは盾を作り、水槽への影響を防ぐ。
単純に言えばそんな感じで凌いだのだ。
しかし、まあ、なんだ。
「……何にしても、危なかったですね」
クノンの言葉に、アイオンは頷いた。
「危なかったね」
うまく切り抜けられたが。
あれは、間違いなく、全滅が見える状況だった。
実験の継続より。
全員の生還が叶ったことに、誰もがほっとしていた。
「疲れたね」
しみじみ呟くロジーの言葉が、静かに意識に染み込んでいく。
その通りだ。
疲れた。
魔法陣の修正は、どれくらいやっていただろう。
かなり長いこと作業をしていた気がする。
それも、夜空の対処をした直後から、だ。
クノンが意識を失っていた時間は、そう長くなかったらしい。
異変を感じて、使用人一号がすぐに治療に当たったのも大きい。
それからずっと修正に追われた。
正直、疲れた。
今日は七日目。
予定では、実験の最終日になる。
最後の最後に、とても疲れた。
「さすがにもう何も来ないだろう」
夜空は強敵だった。
間違いなく大物だった。
でも、なんとか無事、切り抜けられた。
残り時間を考えれば、さすがにもう異界からは来ない――
ゴト
何かが落ちる音がして。
四人は、反射的に身構えた。
内心「もう勘弁してくれ」と願いながら。
そして――
「あ、『悪夢の書』だ」
クノンは見た。
床に落ちている、赤い本を。
これは見たことがある。
見えないが。
これは――これなら、安心である。
こうして魔人の腕開発実験は、なんとか終了したのだった。