357.やりすぎ
「――あまり時間はなさそうだ」
ロジーの言葉は、全員が理解している。
誰も言わないが。
この引力、やはり時間が経つにつれ、少しずつ強くなっていると思う。
はっきり聞こえる、魔法陣が軋む音。
心なしか、この地下室自体が歪んでいるようにさえ見える。
そして、何より。
身体が痛い。
あまりの圧に、気を抜いたら意識が飛びそうだ。
「クノン君、君の望む結果は得られたかな?」
――クノンの策を話し、まず行われたのは、実験だ。
皆の手札を解し、クノンは一つの打開策を考案した。
次にやることは、当然実験になる。
この引力の中。
それぞれの手札が、ちゃんと機能するかどうか。
夜空は、恐らく、生物と魔術を吸い込んでいる。
あるいは本人の意思で、吸い込む対象を決めている。
知能があるようには見えないが。
そもそも生物であるかどうかも謎なので、そこはもう考えない。
「やりましょう、先生。うまく行けば――」
「ああ。倒せないまでも、神花は破壊できるかもしれない」
神花。
あれは、この魔法陣を成立させている要素の一つだ。
あれが失われれば、魔法陣は壊れる。
壊れれば異界との繋がりが断たれ、実験は失敗。
でも、生還はできる。
現段階では、クノンらが魔法陣を壊す方法が、ないのだ。
魔術を吸われるので、床の線を消すことができない。
障壁に張り付けられているので、干渉領域から出られない。
もし抜け出す方法があるとすれば。
誰かが死んだ時、だろうか。
死者が出たら、魔法陣が成立しなくなるかもしれない。
考えたくもないが。
「よし――作戦開始だ」
恐らく、最初で最後になるだろう。
四人の生還を掛けた作戦が動き出す。
神花は残っている。
クノンの「水球」をまとったまま。
夜空の奥底に、ある。
つまり――神花が核にあれば、魔術は残せる。
クノンはここに、打開の道を見出した。
「行きます――『大波寄』!」
目の前に、巨大な魔法陣が生まれる。
中級魔術「大波寄」。
大量の水を呼ぶ、津波の魔術。
クノンが初めて使った中級魔術だった。
初級では、力も、水の量も足りない。
だからこれを使った。
呪文は知っていた。
二級クラスに行った時、どんな魔術か見たこともある。
あとは唱えるだけ。
そんな状態で、ずっと停滞していた。
実験の結果、夜空は吸い込みながら、魔術を弱体化させることがわかった。
だから初級では届かないと判断した。
今使うべきは、初級の弱い水ではない。
この、大量の強い水だ。
「っ……!」
かつてない魔力の消耗度に驚き。
発生する水は、発生するなり、夜空に吸い込まれていく。
まるで激流が空を駆けているかのようだ。
ぐんぐん魔力が減っていくのがわかる。
たった一回の中級魔術なのに。
初級なら持続力も、使用回数も、何倍も保つのに。
――いや、これでいい。
力強い大量の水は、神花まで届いている。
神花の「水球」にぶつかり、同化し、どんどん大きくなっていくのがわかる。
多少掻き消されているが、充分だ。
「く……ロジー先生! そろそろ限界です!」
久しく忘れていた魔力切れを察知し、クノンは合図を出す。
「わかった!」
「大波寄」に、ロジーの魔術が混じる。
魔属性。
一時的に対象の特性を変える、特殊な属性。
はっきりと感じた。
ロジーの魔術は、クノンの「水」を、変えた。
水が帯びたクノンの魔力を辿り。
先の先の先にある、夜空の中にある「水球」に到達し。
その性質を変えた。
「あと、たの、み……」
そこで、クノンの意識は途絶えた。
――一時的な意識の混濁、失神。
まだ魔力視を覚える前。
幼少の頃に何度かやった、魔力切れである。
ここまでは順調、予定通り。
クノンが気を失った。
つまり、計画通りに事が進んでいる、ということだ。
今、アレの中には、「巨大な水球」がある。
たとえ見えなくても。
確かにあるのだ。
クノンが途中でやめなかったのだから、間違いなく。
「先生、もういいですか!?」
アイオンが声を張り上げる。
この作戦を繋がねばならない。
必ず。
――ゼオンリーの弟子を、こんなところで死なせるわけにはいかない。
それも、自分の目の前で死なせるなど。
そんなの断じて許されない。
そんなことになったら、もう、顔を合わせる資格がなくなる。
「ああ、大丈夫だ! やってくれ!」
ロジーもやり遂げたようだ。
「巨大な水球」は、今、一時的に違うものになっている。
見えなくても、そうなっている。
そういう作戦だから。
――アイオンの目が据わる。
目の奥が痛くなる。
左目が発光し、呪紋が騒ぎ出すのがわかる。
相変わらず、不快な感覚だ。
「この世の全てを怨み呪え、黒怪の貴婦人――『呪重殺』」
ジャラララララ
アイオンの前に生まれた魔法陣から、棘の生えた鎖が伸びる。
黒く重く絡みつく、茨のような鎖。
それは引力を無視するように伸びてゆき、中央に浮かぶ、夜空の周りを取り囲んでいく。
魔法陣内を浸食していく「呪術」。
それは、確かに、夜空の引力を上回り。
この場を制した。
今なら届くはず。
遠い遠い異界まで。
「……」
アイオンが視線を送ると――その先にいるシロトが頷いた。
引力が弱まっている。
シロトは身を起こし、指を突きつける。
夜空に向かって。
「――迅雷電」
カッ ドン!
放たれる閃光。
目にも止まらぬ巨大な稲光は、薄暗い地下室を、一瞬だけ明るく染めた。
雷は、射程が短い。
速い代わりに、遠くまでは伸びない。
自然現象とは違う。
魔術で生み出す雷は、それが成立する環境が伴っていないのだ。
夜空は、魔術を掻き消すようだ。
だから奥までは届かない。
そう、思っていた。
――だが、「呪術」が満ちた今なら。
風魔術だけ阻害しないよう調整された、この場なら。
きっと。
いや。
必ず到達させてみせる。
力の限り、シロトが放った渾身の雷は。
黒鎖をすり抜け。
夜空に当たり。
吸い込まれるように、消えた。
一瞬の間を置いて。
夜空が爆発した。
魔法陣内を埋め尽くす火。
猛る爆炎。
狂ったように何度も何度も爆発している。
火は通らないが、熱は通る。
肌を焼くような熱波が、何度も何度も室内に炸裂する。
「――先生やりすぎです!」
慌てて伏せたシロトが、爆発音に負けないよう大声を上げる。
ロジーは、水を液体火薬に変えた。
この感じだと、かなり強力なやつにしたようだ。
「――すまない! だが私は一回だけのつもりだった!」
シロト同様に伏せているロジーも、これは想定外だ。
連鎖爆発。
これは――クノンの仕込みだろう。
初めて使うと言っていた中級魔術だが。
器用にも、それに初級の技術を組み込んだのだろう。
やりすぎというくらい基礎を修めているクノンだからこそ、できたのだと思うが。
こうなることを予想していたのか。
それとも、ここまでは考えていなかったのか。
どちらにせよ、殺意が高い仕込みだ。
「……」
――やっぱりあのゼオン君の弟子だな。
同じく伏せるアイオンは、そう思っていた。