平和憲法は神風?記載途中
平和憲法とは負けて吹いた神風です
(「人類の最大犯罪は戦争」K氏著書より)
(要約)
負けることが明らかだった戦時中に、
神風が吹いて日本は勝つと予言する人がいた。
まともな者は信じなかったが、
心の片隅ではそんなことでもなければ勝てないと思った。
予言は見事に外れ、日本は負けた。
しかしわたしに言わせれば神風は吹いたのだ。
ただし戦争に負けてしまってから吹いた風、
それが平和憲法である。
前の記事の流れで、まだ書くつもりの無かったこの記事を書くことになってしまいました。
ぶっ飛んだお話をすることになりますが、こんなことを言った人がいた、ということだけでも知っていただこうかなと思います。
敗戦後にGHQ支配下でマッカーサーが草案をつくるのに関わったとされる日本国憲法。
日本国憲法が平和憲法であるとされる根拠は、前文と第9条にあるといわれます。
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
- 憲法と防衛政策の基本
- わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきた。恒久の平和は、日本国民の念願である。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いている。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解している。
- このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきている[9]。
K氏の先の文の続きです(要約)
あの憲法は、幣原首相が天皇制を残したい一念から、これと引き替えに、日本の戦争放棄・軍隊廃棄をマッカーサーに提案したところ、ひどく感激して幣原首相の手を握り、これに同意したと聞く。これがマッカーサーノートとなり、それが下敷きとなって日本国憲法が成立した。
あれはマッカーサーが作ったのではない。マッカーサーを通じて、日本人が受け取った天来の声である。
永井隆博士が色紙に書いた「真理は一つ、世界は一つ」、まさにその真理が簡単に書き変えられることの出来ない憲法となって書かれたのである。
わたしには奇跡としか思えない。まさしく神風は敗戦後の日本の焦土の上に吹いていたのである。
以上緑字は、詩人であるK氏が昭和57年(1982)~59年(1984)に全国各地を巡って「不戦のための自作詩朗読と講演会」をした、その講演記録が上記著書であり、要約文はその一部です。
氏は戦時中海軍特攻隊の基地におり、沖縄に出ていく特攻兵士を送り出す任務についていました。
気象士官だったので、氏が午前7時に「本日の天気、良し」と報告すると、特攻隊は出発する。天気が悪いと言えば飛ばないのに、嘘はつけない。
そして次々飛び立っては消えていく、という体験をしました。
そして戦後。
故郷の宮崎県都城に引っ込んだ時、突然霊体験をするようになります。
霊など信じてなかったのに、龍神を見たり天狗に遭遇したり生霊の訪問を目撃したり。
何でも見えて将来がわかるようになったので、一時は近隣で有名になって個人の相談に乗ったりしたと。
(ただしその2,3年以後は無駄な霊能ははく奪されたとのことですが)
田舎の霊能者時代に、自分が見送った特攻兵士の友人たちの怨念の言葉をキャッチするようになり、それをそのまま詩の形で記録することになります。
そして彼らが死後、どれほどの怨念を抱えるようになったかを知り、慄然とします。
国のために命を捨てたのに、その国は彼らの死をムダなイヌ死に呼ばわりしはじめたのですから。
彼らはこんな国は亡びるよ、と悲哭の想いを伝えています。
彼らは死後に、時間を超えて未来を俯瞰してしまったのです。
そして日本亡国の阿鼻叫喚の大悲劇が起きる前に、自分が最後の一人まで殺す、とまで宣言します。
彼らの魂魄はビルの間にひそみ、飛び降り自殺させたり、動機不明な無差別殺人をさせたり・・・
これをK氏は怨霊と化した彼らの、「歪んだ愛」といっています。
その詩のひとつより。詩句は抜粋
戦い終わらず
~ 故 孫尾徳次郎のうたえる
・・・・
一九六一年
誰もかれもが戦争は終わったといい
レジャーやゴルフに出かけた後
俺たちの行き場はもうなくなった
死と生はたかがカードの裏と表にすぎない
・・・・
俺たちは宴席に行き
レジャーを楽しみ
駅のコインロッカーにひそみ
ビルの谷間に一緒に飛び降りた
・・・・
俺たちはどんな取引の自由もないから
祖国がさいあいの形で亡びるのを願う
・・・・
おお、 俺たちまだ二十二の青春をかけて
愛する者よ 父よ母よ妻となるべき女(ひと)よ
君たちが二度とあざむかれない死のために
俺たちは甘んじて一枚のカードとなりきろう
祖国がさいあいの形で亡びるのを願う、とはどういう意味でしょうか?
著書にはこうあります。
「これは亡国の願いです。それは当然戦死者の怨念です。
ところが、この裏にはもうひとつ、祖国や肉親に対する愛があるのですね。彼はこう言っています。
〈おお、俺たちまだ二十二の・・・・二度とあざむかれない死・・・〉
そのために亡国を願っているのだ、というわけです。なぜ愛のために亡国を願うのか?
・・・戦死者たちはどうやら、近未来に祖国の滅亡、人類の滅亡を、即ち地球の大洪水を予感しているようなのです。だから悲惨な滅亡のときが来る前に、安らかに死んでくれよ、と。それが愛する者たちへの愛、そしてこれが亡国の願いらしいのです。だから彼らの怨念には、怨みと、愛と、人類滅亡の予感と、三つがコンプレックスとなって渦を巻いています。
私はこれを確かめるため、千鳥ヶ淵の無名戦士者の墓苑に行きました。そこで多くの戦死者の声を聞き、それが事実であることを知りました。知っただけでなく、実は彼らが、その怨念の実行のために、つまり亡国の実行のために、今さかんに動いていることを知りました。その戦死者の一人がこう言っています。
私の詩、「軍靴のうた」の中で、
・・・・
明後日、おれは人ひとりを突き刺す、
街できれいに
・・・・
これは実は戦死者の生の言葉です。そこで私は訊きました「いったい君は何人殺すつもりだ」と。すると、〈すべての人を殺したとき、波が静かになるのだ〉と答えが返ってきました。
いま戦死者の怨念が世界に渦巻いています。それがわけのわからない通り魔殺人となり、青少年の麻薬流行、退廃の原因となったり、日航機事故のような事故の背景となり、はては国際的な摩擦対立をあおり・・・以下略・・・」
(その数十年後、彼らの霊魂は熱誠の祈りにおいて集団昇華を果たしていきますが・・・これは別の機会に)
K氏は、「戦争を語るにふさわしいのは、反戦運動をする人達ではない、彼らは戦争を知らない」
「戦死者こそが戦争を知る人達であり、戦争を語るにふさわしい人達である」と言っています。
そして、K氏は上掲の本の中で、反戦ではなく、不戦の言葉を掲げています。
戦いを挑まれても、受けて立たない。
つまり戦わないのだと。
「戦争反対」は、その言葉を武器として戦うことです。
武器を捨てよ、と言い切っています。
それは全ての地球人が、こころの武器を捨てることからしか始まらないと。
そんな不可能なことを…空想上の理想論、という人が大半でしょう。
しかし、苫米地さんの理路整然と展開される動画をよく検証すれば、理論的な見地からも日本が平和憲法に守られてきたことが理解できるのではないでしょうか?
K氏の本に第9条とともに引かれてあるユネスコ憲章の前文です。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かねばならない」
記載途中