参加するつもりは毛頭なかった、されど参加する事となった奉心祭。思いの外、楽しむ事が出来た奉心祭は終わり、秀知院学園の生徒達はまた、普段通りの日常へと戻っていく。
俺、四宮総司もまた、四宮家当主としての仕事を親父と分けながらではあるが熟しつつ、残り少なくなった学校生活を送っている。
そしてもう一人─────生徒会室の会長席に座するこの男もまた、俺と同じように他生徒と比べて残り少ない学校生活を送っているのだが─────
「うぐっ…うぁっ…えぇぐっ…」
デスクに突っ伏しながら二百年の歴史を誇る秀知院学園生徒会長こと、白銀御行は泣いて─────もとい、えずいていた。
どうしてこうなったのかというと─────誠に不本意ではあるが、理由の根本は俺であった。
この男、先日の奉心祭二日目の後夜祭にて、俺の妹である四宮かぐやに告白をした。
といっても、かぐやに直接好きだと伝えた訳ではないのだが、あんなのは告白以外の何物でもない。
そして告白と同時にこの男は、かぐやに一緒にアメリカへ行こうと誘いを掛けたのだ。
少し話が逸れるが、白銀は俺達が知らない間にスタンフォード大学を受験し、つい先日合格通知を受け取っている。
先程、俺と同じように
アメリカの大学の入学時期は十月。つまり、白銀は来年の十月、一足早く秀知院学園を離れる。
そこで、白銀はかぐやに手を差し出したのだ。一緒にアメリカへ来て欲しい、と。
なお、気になる結果の方は…今の白銀の状態を見れば一目瞭然である。
「何というか…すまんな。俺が至らないばかりに」
「…いや。総司の所為じゃない。お前が謝る必要はないし、俺もお前を責めるつもりはない。…ないが、少し泣かせてくれ」
「あぁ。いくらでも泣け。俺が言うのもあれだが、今のお前は泣いていい」
さて、ここで話を戻す。
ここまで来れば、白銀がえずいている理由は分かるだろう。…かぐやにフラれたからだ。
といっても、告白そのものを断られた訳ではない。かぐやは、白銀へ自分も同じ気持ちだと伝えたらしいし、奉心祭終了後の夜も白銀とのキスの件を興奮気味に話していた。
しかし、白銀と一緒にアメリカへ行くという話は、かぐやは断った。
『アイさんとの事。子供の事。四宮の事。これから総司は息つく暇もない程に忙しくなると思います。…会長と一緒にアメリカへ─────素敵なお話だと思います。けれど…、私は、総司を置いて行けない』
あの時は詳しく聞けなかったが、白銀曰く、かぐやはそう言っていたという。
それを聞かされた時、俺はどれだけ情けなかったか。今すぐかぐやを呼び出し、考えを変えるよう説得しようともした。
だがそれは、白銀に止められてしまった。
『四宮に言われるまで全く思い至らなかったが、その通りなんだよ総司。お前には、近くで支えてくれる人がもっと必要だ。…アイだけじゃなくて、もっと。お前には、四宮かぐやが必要な筈だ』
白銀にもそう言われてしまったよ。
確かにその通りで、かぐやが近くで俺をサポートしてくれると考えるだけで、これも情けない話だが、今の段階ですら気が軽くなる。
自覚していなかったが、それ程までに俺は追い詰められていたのだ。
今の状況だけでなく、これから降ってくると思われる様々なものに、気付かぬ間に追い詰められていた。
とまあ、ここまで色々と話したが、結論として白銀がフラれたのと、その理由が俺である事の二点さえ押さえておけばこの状況の理解としては充分だろう。
「…あぁそうだ、白銀。話は変わるが、馬鹿な真似をした愚妹に代わって謝るよ。悪かった」
「?何のはなs─────お、お前…っ、まさか知って…っ!?」
「もうすぐクリスマスだし、その時にはちゃんとしたというか、もっと爽やかなのが出来るといいな」
「総司っ、おま─────」
ソファから立ち上がり、扉の前で立ち止まる。
振り返って最後に白銀へ一言掛けてから、俺は返事を待たずに生徒会室から脱出する。
白銀が何やら狼狽えていたが知った事じゃない。そろそろかぐやが来る時間になるし、今の内に退散させて貰う。
─────白銀にも言ったがもうすぐクリスマスだ。
先程までの白銀との話は頭から一旦切り離し、あと二週間もしない内にやってくる聖夜へと思考を馳せる。
クリスマス─────一般的には家族や恋人等、大切な人と過ごす一日だ。
勿論、例外はある。その例外の中にはこれまた勿論、四宮家御一行も含まれている。
これまで、一般的なクリスマスの過ごし方とは縁遠い生活を、俺もかぐやも送っていた。縁遠いどころか、この先一生、縁がないとすら思っていた。それは俺だけじゃなく、かぐやも同じだろう。
だが、俺もかぐやも、今年のクリスマスはこれまでのクリスマスとは違う過ごし方をする事となる。…過ごさなくてはならない、とすら言える。
ただ、まあかぐやはともかく俺の場合はそうもいかないやんごとなき事情というものがある。
その事情とはそう、
そう思っていたのだが─────
「今年のクリスマスイブと当日、お前ぇに休みを入れといてやる」
「What's?」
脳出血で倒れてから約二ヶ月、信じられない早さで日常生活に復帰できるまでに回復した
あまりに信じられなくて、現実感がなさすぎて、思わず英語で返してしまった。
休みを与えられた事に驚いた訳じゃない。これまでも定期的に、最低限ではあるが休日は与えられてきた。
俺が驚いたのは、クリスマスというイベントについて、親父が考慮してくれたという事実にだった。
「…何の真似だ?」
「いや、熱でもあるのかと」
気付けば俺は、親父の額に掌を当てていた。
数秒後、俺の返答を聞いた直後に親父は俺の手を振り払いながら、殺気が籠もった視線を向けてくる。
普通に怖い。怖いが…仕方ないだろ。熱でもあるのか、或いは認知症が一気に進んだのかと普通に心配になったわ。
「俺が息子に気を遣うのがそんなに意外か」
「意外だよ」
親父に問われ、即答すると、親父は驚き目を丸くしながら何やら考える素振りを見せてから、「それもそうか」と呟いた。
納得しちゃったよ、この親父。
「お前ぇは今までろくなクリスマスを過ごせなかっただろうからな。今年くらいはあの嬢ちゃんとデートの一つでもしたらどうだ」
「気遣いはありがたいが、一言だけ言わせてくれ。
今言ったように、アイと過ごす時間を作ろうとする心遣いはありがたい。
だが、今までろくなクリスマスを過ごせなかったのは一体どこのどいつの所為だと、この親父は思ってるんだろうか。
一仕事を終えてほぉっ、と息を吐く、ここ最近で一気に老け込んだように見えるそこの親父の所為だとこの男は果たして気付いているのか。
…気付いた上で言ってるんだろうな。質が悪すぎる。
「話は終わりだ。とっとと帰るなりあの嬢ちゃんの所へ行くなり、好きにしろ」
そして俺が言ってやりたい事、言い返したい事を聞こうともせず、自分だけ言いたい放題言って俺を追い出そうとしやがる。
こいつ、覚えていやがれ。俺がアンタから家督を継いだ暁には、これまでの鬱憤をかぐやや兄貴達(青龍を除く)の分まで晴らしてやるからな。
…出来るかな?この親父を相手にそんな事。自信がなくなって来た。
「…さむ」
親父に追い出された俺はすっかり冬の冷え込みに包まれた寒空の下で、コートの襟に口元を隠しながら呟く。
確か天気予報で、今日は例年と比べてかなり冷え込むと言っていた気がする。俺は歩くペースを早め、待たせてある車へと急ぐ。
運転席には赤木が乗っており、俺が車内へ乗り込むと「今日はどちらへ?」と、ある時を境に仕事を終えてから聞くようになった問いを掛けてくる。
本当は、今日は真っ直ぐ家へと帰るつもりだった。アイにも今日は寄っていくなんて伝えてないし、アイの所へ寄るつもりもなかった。
家へ帰って、久しぶりに早めに眠るつもりだったというのに。
『今年のクリスマスイブと当日、お前ぇに休みを入れといてやる』
親父に言われた言葉が脳裏を過る。
現在の時刻は午後の七時を回った所。こんな良心的な時間に仕事が終わるのは、まあ珍しい。
今日はアイの方もオフだし、今あいつは自宅にいる筈だ。クリスマスについて話し合うには、絶好の日と言える。
話し合うのは俺が休みの日にすればいいと思われるかもしれないが、俺が休みだったとしてもアイがそうとは限らないのだ。何しろあいつも、ここ最近はあちこちに引っ張りだこだし、かなり忙しくしている。
だからこそこの機会を逃せば、二人でゆっくり話せる時間がいつとれるのか分からない。
「…アイの所へ寄る」
「畏まりました」
少し考えた後、俺は結論を出す。
赤木は何一つ異を唱える事なく、車を走らせる。
ここからアイの所まで大体十分くらいか。
その間に、これから向かう旨を載せたメールをアイへと送り、すぐにOKの返信が来た。
…さてと。
これからアイの所に行ってクリスマスについて話すのは良いとして、何と切り出そうか。
いや、何とも何も、普通にクリスマスイブと当日に休みが取れたからどこか行かないか、とか俺から話せば良いんだろうが─────違う、そうじゃないだろ。
気恥ずかしいとか、そういう問題じゃない。
俺は今までずっと、アイに振り回され─────もとい、引っ張られてきた。
色々なものをアイに見せてもらい、色々な事をアイに変えられた。
今回は、俺の番だ。
あれこれと考えている内にアイの自宅近辺まで来ていた車を赤木が止め、俺は何も言わずに車から降りる。アイの自宅へはここから更に数分歩いた所にある。
何故すぐ近くまで車で行かないのかというと、まあ、マスコミ対策というやつだ。念のためにアイの自宅の近くまでは車で行かず、その周辺で降りて、尾行が居ないか気配を確認してからアイの自宅へ向かうようにしている。
今日も例に漏れず、前回とは違う所で降りてから、周囲の気配を探りつつアイの自宅へと向かう。
現在、アイが住んでいるのは俺が手配したとあるマンションの一室だ。
まだ兄貴達に俺とアイの関係、そしてアクアとルビーの存在について知られる前に用意した、彼らを警戒した上で準備をしたものだ。
しかし今、俺は兄貴達に次期後継者として認められ、アイ達の存在も周知されている。兄貴達を警戒する理由がなくなった以上、アイが今住んでいる所よりもセキュリティーがしっかりしている場所は多くある。
近い内に、四宮に近い、信用のおける不動産会社が管理しているアパートの部屋を用意するつもりでいる。
…話が逸れたな。そうこうしている内にアイが住むマンションの前まで来た。
ここまでの道中、俺を尾ける何者かの気配はなかった。このまま真っ直ぐ、建物中に入っても問題ないだろう。
そう判断し、建物へと続く数段の階段を上る。
どこか出掛けるのだろうか、建物から出て来た女性とすれ違ってから、自動扉を潜って建物の中へと入る。
このマンションはエントランスが自動ロックとなっており、鍵を持った者以外は、マンションの住人或いは管理人が扉を開けない限り奥へは入れない。
俺は鍵を持っているから関係ないが。鍵穴に鍵を差し込み、回すと正面の扉が開く。
開いた扉を潜ってすぐの所にあるエレベーターへと乗り込み、11階のボタンを押す。
…今更だが、緊張してきたな。思えば、俺の方から誘うというのは久し振り─────いや、初めてじゃなかろうか。
こうして考えると、男として色々とダメすぎるだろ、俺。
だがそれも今日までだ。
アイをクリスマスイブに誘い、アクアとルビーには悪いが二人のデートへ行かせて貰う。
は?もし誘いを断られたら?
そんなの考えてねぇよ。その時は泣いて土下座するわ。
「みつけた」
殺意と狂気に蕩けた微笑みは、誰にも見られず、気付かれず、夜の闇へと消えていった。