近代に台頭したマルクス主義は資本主義の崩壊という終末思想を含んでいるが、終末のあとに千年王国としての共産主義を想定しているのだから成長と発展の歴史観である。それは彼らが自らを進歩主義陣営とか進歩的文化人としていたことに示されている。だから、高度成長期には、技術進歩によるバラ色の未来を描く体制的な未来学と反体制的なマルクス主義が同居しえたのである。
≪せり上がってきた終末思想≫
確かに成長・発展史観のもとでは、未来は今よりももっとよくなるという希望によって生きられた。反復・円環史観に生きた人々は自分が享受したものと同じものを子孫に残すことを支えにしたが、成長・発展史観に生きた人々は自分が生きた時代よりも自分の家や社会をよくしてこの世を去るという実感を得ることができた。
しかし、その希望は環境問題の悪化にはじまる成長のつけに目をつぶったもの、近未来の希望のために遠い未来を犠牲にしたものだった。だから経済の高度成長に陰りが見えるあたりから、公害問題や資源の枯渇の兆しなどで未来からの復讐(ふくしゅう)が見えてきた。成長・発展史観が揺らぎだす。