343.赤い雨、再び
「まずいな。早く対処しないと」
そうぼやくロジーに、シロトが言った。
「でも先生、これは前回あったんじゃないですか?」
――後に聞くが、シロトは事前準備として、ちゃんと調べてきたらしい。
この実験に関するレポート等を読み漁ったのだとか。
経験豊富なロジーが指揮を執っているが。
この実験、リーダーはシロトである。
責任感の強い彼女だけに、全部ロジーに任せるつもりなど、ないのだろう。
「ああ、うん、そうなんだけど……」
走り回るカラフルなネズミたち。
よく見たらネズミではないようだが……。
まあ、ネズミっぽい生物たちだ。
「でもあの時は土属性がいたからね」
土属性。
クノンはピンと来た。
「沼ですか?」
素早く走る小動物。
それに対処する土魔術と言えば。
泥沼の構築だろう。
やはり、足を止めさせること。
それさえできれば、あとはどうとでもなる。
地面がぬかるめば、自由に走り回ることはできない。
――自分も苦労したなぁ、とクノンは思い出す。
師ゼオンリーと訓練で勝負する時。
足を取られる、動きを封じられる、という現象には、大いに困らされた。
見えないクノンである。
足を使っての移動は厳しい、が。
それでも、動きを封じられるのは、対処に困った。
思い返せば思い返すほど、土は厄介だ。
「いや、砂だね」
砂。
それもピンと来た。
「ああ、じゃあ、僕が代わりをできるかも」
砂も大いに体験してきた。
吹き荒れる砂。
水分を含んだそれは、付着していくと、段々固まっていくのだ。
「水で、かね?」
「――懐かしいな。『赤い雨』だな?」
そう、シロトは知っている。
クノンが三派閥に属するテストで見せた、あの「赤い雨」だ。
「本体は一つで、六つの実体がある分身を作り出す。そういう生き物らしい」
本体は一つ。
六つの分身を出す。
つまり同時に七体存在し、走り回っていたわけだ。
動きが素早いので、何匹いるかもちゃんと把握できなかった。
本体じゃないのを仕留めても無意味。
きっと、減ったらまた増えるのだろう。
もし対処法がなければ。
最悪、ずっとくじ引きをさせられるわけだ。
「しかしまあ、一度に全部捕まえてしまえば同じことだね」
霧のような「赤い雨」。
それは少しずつネズミたちに付着していく。
水気から水滴へ。
水滴同士がくっついて、塊へ。
その後、動けなくなった。
まるでスライムに絡めとられた、哀れな獲物のように。
あとは簡単である。
「土も便利だけど、水も多才だね……あまりそういうイメージはなかったんだけど」
アイオンの言葉に、クノンは「たまに言われます」と返す。
「僕の師匠が多彩な人でしたからね。模倣もかなりしましたよ」
「それってどんな師匠? どんな師匠?」
なんか急に食いついたが。
「メガネが素敵なレディでしたよ。もちろんあなたも素敵で魅力的で背が高いチャームポイントも素敵ですが」
「あ、うん。もういいよ」
なんか急にアイオンから壁を感じた。
あと次の師匠が……と続けたかったのだが。
まあ、とにかく。
クノンの水魔術の使い方は、細かい。
「それなんの役に立つの?」と。
魔術学校の先輩たちから、時々そう言われた。
優秀な特級クラスの生徒からしても、だいぶ細かいらしい。
初級魔術の細分化。
言ってしまえば、クノンの技術はそれに尽きる。
だが、普通の魔術師からすると、目指す方向が違うのだ。
それよりは実験するべきこと、新技術の開発が解明など。
やるべきことはたくさんあるから。
それこそ、クノンのように「目玉を作る」くらいの目標がなければ。
ここまで細かく扱う必要はないだろう。
――まあ、その辺はいいのだが。
「それじゃシロト、始めようか」
「はい」
異界のネズミは退治し、消えた。
これから、壊された魔法陣の修復作業である。
魔法陣は、特殊な塗料で描かれている。
擦ったりしたくらいでは、消えない。
これをいじるには、魔力を使う必要がある。
異界からのものは、すべてが魔力を帯びている。
少し当たったくらいなら大丈夫だが。
さすがに上を走り回られると、所々乱れてしまう。
ネズミのような小動物でも、だ。
魔法陣を描く塗料は、実際は粉である。
それを特殊な素材で固めている。
「――これで大体直せたかな?」
「――そうですね」
まず、ロジーの魔術で塗料を融解させ。
シロトの風で塗料を伸ばして、欠けた線や文字を埋めていく。
これで元通りだ。
ちゃんと魔力が通るようになり、正常に作動し始めた。
「……うーん」
クノンは唸った。
魔法陣の修正作業が、思ったより難しそうだったからだ。
まず使う魔力が多い。
次に、繊細な力加減だ。
この作業は、今の自分にはできそうにない。
いや――
「……」
クノンはアイオンに意識を向ける。
同じく、関心して作業を見ている彼女。
彼女の協力があれば。
クノンもできるかもしれない。
――まあ、その機会があるかどうか、という感じだが。