325.クノン、教える
その話は、一気に広まった。
――クノンがあの水ベッドを教えてくれる。
出所は、教師から。
水属性の教師サトリ・グルッケから、である。
ならばこの話は嘘ではない。
信頼のおける教師からの話である。
ならば本当だ――ゆえに特級クラス界隈で一気に広まった。
いつ教えるのか。
明日だ。
急すぎないか。
だが、行く価値はある。
実はあの水ベッド、需要ありと判断した者は多かった。
というか、だ。
更に需要があったのだ。
クノンが「需要がありすぎた」と認識した以上に。
特級クラスの水魔術師なら、誰もが一度は試すほどに。
それは周り意見や圧。
「おまえあれ憶えてよ、開発してよ」という友人知人の声に応えて、再現を試みた者たち。
あるいは、実際に一度寝てみて。
その素晴らしい睡眠効果に魅了された者たち。
もしくは――挑戦だ。
特級クラスなら誰もが使える基礎、初歩の初級魔術。
そんなものであれを構築したという、新入生の才覚を見極めるため。
いかほどのものか。
あのゼオンリーの弟子だ、と鳴り物入りでやってきた新入生は、どれほどの実力があるのか。
そんな気持ちから、遊び半分で試して……ちょっとプライドが傷ついた者たち。
――結論から言うと。
あの水ベッドを完全に再現できた者は、いなかった。
時間を掛ければなんとかなるとは思う。
だが、そればかりに構ってはいられないのだ。
あくまでも「使えたらすごく便利」止まりの魔術だ。
習得に一ヵ月も二ヵ月も掛けるのは、さすがに勿体ない。
ひとまず「似たようなもの」が作れるようになったので、そこで一旦満足していた者が多かった。
そこに、この話が回ってきたのだ。
クノン自らが教えてくれる、という話が。
――当人が知らぬ間に生まれていた因縁が、プライドが、集束する。
「あれ? 結構多いな」
その日も、クノンは昼まで己の作業をしていた。
そして、呼びに来たジェニエに連れられて、第十一校舎の多目的教室に移動する。
ここは実戦用の実験室である。
二級クラスで実戦訓練をした、何もない白くて広い部屋とほぼ同じだ。
教室には、四十人くらいの人がいた。
クノンは驚いた。
本当に驚いた。
多くて十人くらいだと思っていたから。
なのに、予想に反してこの数である。
「――あ、クノンだ」
「――クノン君だ」
やってきたクノンを見て、彼らは静まり返った。
「えっと……レディたちとその他の人たちには、今日の主旨は伝わってますか?」
クノンが教室に踏み込みつつ問うと。
言葉は違うが、多くの肯定の返事が返ってきた。
教室にいるのは、特級クラスの生徒ばかりだ。
女性は全員知っている。
その他の人たちも、面識くらいはある。
準教師ジェニエも学びたいということで、少し離れたところに佇んでいる。
まあとにかく、主旨は伝わっているようだ。
「あの、じゃあなんで水以外の人もいるんでしょうか?」
まず、「実力」代表ベイル・カークントン。
一緒に開発実験を行ったこともある彼は、土属性だ。
次に「合理」のカシス。
今日も挑発的なミニスカートを穿いている彼は、風属性だ。
しれっと同期たちもいる。
火属性のハンク・ビートと、風属性のリーヤホースだ。
他にもいるが。
いちいち上げるにはちょっと多すぎるくらい、他属性も混じっている。
「土でも再現できねぇかと思って」
「空気ベッドとかできないかと思って」
ベイル、カシスがそんな言葉を返した。リーヤも頷いている。
「なんか得るものがあるかと思って」
と、ハンクが言う。
さすがに火属性の参加は少ない。
というか、彼だけだろうか。
――そんな彼らに、クノンは笑った。
「いいですね! 僕もすごく興味があります! 他の属性でどこまでできるんでしょうね!」
今ここで再現できなくてもいいのだ。
ここで教わったことが、いつか完成に繋がればいい。
そしてそれは、水属性だけに限らない。
クノンの水ベッドじゃなくてもいいのだ。
それに比類する、あるいは超える何かが生まれたら、それはそれで素晴らしいことだと思うから。
特にハンクだ。
火属性でベッドが作れるのか。
それとも、まるで違う何かができたりするのか。
非常に興味がある。
さて。
集まった人数に面食らったりもしたが、一応意思確認はできた。
あの水ベッドを教えてほしいと言っている。
これだけの数の人が。
そして、きっと。
そこから先。
クノンが考えつかなったことを考え、独自に発展させる人も出てくるだろう。
特級クラスは、クノンより実力も才能もある人が、たくさんいるのだから。
だから、楽しみである。
「それじゃ始めます。
皆さんは特級クラスですから、基礎は全部できていることでしょう。だから余計な前置きはせず、一気に本題に入りますね」
特級クラスの生徒は、一人前の魔術師である。
だから、わかり切っている初歩の話なんて、しない。
その証拠に、皆自信満々の顔である。
それでいい、とばかりに。
――さあ言ってみろ、全部再現してやる。
そんな内なる声が聞こえてきそうだ。
ちなみに、基礎ができていないのは、むしろクノンの方である。
まだ基礎、初歩となる水魔術を。
全部覚えていないから。
そして、クノンは言った。
「――重層三十六段」
その言葉に、何人かの顔が凍りついた。
「使うのは柔化紋様と三度傾斜魔法陣、虚回路、流動砂漠紋様、香化温紋様」
何人かが、うめいた。
「ここからは細かい調整になります。まず『温度で溶ける』、『厚みで留まる』、『表面を乾燥させる』――」
クノンは諳んじる。
生徒たちの顔から、どんどん自信がなくなっていく。
初級魔術である。
どんなに特殊に見えても、水の魔術師が初期に覚えるような、簡単な魔術である。
なのに。
なぜ。
なぜクノンは、ただの初級魔術を、こんなにも複雑にしたのか。
その理由はわからないが――しかし。
クノンの水ベッドが特別な理由は、よくわかった。