320.探している人
ノックの音に返答すると。
「はいどうぞ――あ、シロト先輩。お久しぶりです」
ドアを開けた先にいたのは、シロト・ロクソンだった。
「久しぶりだな。遠征は問題なく終わったか?」
――クノンたちがディラシックに帰ってきたのは、昨日である。
一晩ゆっくり過ごして、今日。
クノンは約一ヵ月ぶりに、学校へやってきた。
出発時と変わらず、散らかったままの研究室に来て。
遠征中に書き散らした書類を広げ。
清書していた。
クノンが誘った同期たちも含め。
進級のための単位に拘わる、大事な研究成果だ。
速やかにまとめて提出するべきものである。
朝からずっとそんなことをしていると。
「調和」代表シロトがやってきた。
クノンが帰ってきたことを、誰かに聞いたのだろう。
彼女と同じ派閥のハンクから、だろうか。
「ええ、中へどうぞレディ……あ、あの」
入室の許可を出すと。
シロトは迷うことなく、足元に散らかる本や紙を拾い出した。
「すまん、散らかっていると気になるんだ。頼むから放っておいてくれ」
「はあ……あの、僕も手伝った方がいいですか?」
「本当に構わないでくれ。私の気が済まないだけだから。
それと、作業をしながら話をしたい。おまえも書類仕事を片付けるといい」
「えぇ? ちょっと悪いなぁ……」
いくらシロトの気が済まない、と言われても。
客に、それも女性一人に任せて。
片付けをさせている、という状況。
実に紳士的じゃない。
だったらクノンも手伝えばいいじゃないか、という話だが。
――嫌だ。片付けだけはしたくないと、クノンは心に決めている。
手伝った方がいいか、と聞きはしたが。
絶対に片付けなんてしたくない。
絶対にだ。
もしシロトが「一緒に片付けよう」なんて言い出したら。
クノンはきっと、シロトを連れて教室を出る、という選択をしている。
それくらい、したくない。
「もうすぐお昼ですよね? ぜひお礼にご馳走させてください」
この言葉に関しては、いつもの薄っぺらいナンパなものではなく。
クノンの心から出たものである。
朝からずっと書類に追われていて。
気が付けば、もうこんな時間だった。
「わかった。クノンがそうしたいなら、それでいい」
その気持ちを汲んだシロトは、片付けの手を止めず頷いた。
「――遠征はうまくいったようだな」
お互い作業をしながら、近況報告を交わす。
クノンは、遠征中のことを話した。
話せないことも多いが、話せることもたくさんある。
特に、シロトには話せるのだ。
造魔学のこと。
そして、造魔学の兄弟子カイユのことを。
「まあ、概ねは。……心残りも結構あるんですけどね」
色々あるが、特に多機能豊穣装置だ。
ぜひとも完成させたかった。
自分が不在になる代わりに、開拓地に置いてきたかったのだが。
残念ながら失敗した。
また開発するのは、いつになるだろうか。
今年度は難しいかもしれない。
「シロト先輩は? 僕のいない一ヵ月間、どんな寂しい日々を過ごしていました? 僕なしで平気でいられました? 眠れない夜もあったり?」
「大丈夫だ。徹夜する理由がない時は、毎日快眠していた」
なら安心だな、とクノンは思った。
「――例の件、準備を進めてある」
例の件。
シロトがやりたいと言っていた、造魔の開発だ。
「おまえの単位は大丈夫か?」
「はい」
今手元にある書類。
遠征中のあれこれを、今まとめているところだ。
これらを提出することで、だいぶ貰えるはず。
「私も単位取得から、素材等のものまで揃えた。
準備はあと少しで完了する。あと五日くらいだろうか」
「では、五日後から始めますか?」
「そうだな。それを目途にスケジュールを組もうか」
「ついに始めるんですね! 楽しみだなぁ!」
いったいどんなものを造るつもりなのか。
いや、右腕を造る、とは聞いているが。
シロトの意気込みからして、ただの腕とは思えない。
実に楽しみである。
「そこでだ」
と、シロトは片付けの手を止め、クノンの向かいの椅子に座った。
「――クノン。アイオンという人に心当たりはあるか?」
なぜその名前が。
クノンはペンを握る手を止め、顔を上げる。
「アイオンさん?」
「ああ。探している」
アイオン。
アイオン、と言えば。
「『自由の派閥』の麗しきレディですか?」
「知ってるのか?」
「はい」
シロトが探している人と同一人物、かどうかは知らないが。
アイオンという魔術師は知っている。
「図書館で何度か会ったことがある、背が高い女性ですね。
高いところにある本に手が届かなかった時、取ってもらったことがありまして」
それから、会うたびに世間話くらいはするようになった。
「自由の派閥」の生徒は珍しい。
結構変わった実験を行っているらしいので、いずれ一緒に何かしたいな、と思っていた。
「会えるか?」
「すみません、プライベートなことは何も知らなくて。
奥ゆかしいレディでしたよ。僕が紳士的に昼食やパフェに誘ってもあまり乗ってこないし」
――女性と見るとしっかり誘っている辺りクノンだな、とシロトは思った。
「そうか……どうするかな。ここ数日、学校内を走り回る勢いで探しているんだが」
「僕も探してみましょうか?」
「頼む。私はまだ他の準備もあるんだ」
――そんな話をしながら、二人は教室を出た。
約束の昼食である。
という予定ではあったのだが。
「あ、クノン君。よかった。まだ学校にいたのね」
研究室を出て廊下を歩いていたところ、クノンを訪ねてきた女性がいた。
「ジェニエ先生だ」
クノンにとっては第一の師である、準教師ジェニエだ。
「今日も素敵なメガネ美人ですね。メガネの神が放っておかないほどお似合いですよ。僕もあなたのメガネになりたいな。あなたに掛けられたい」
「ああ、はい。……まあ、会えてよかったわ」
――相変わらずよくわからないことを言うなぁ、とジェニエは呆れた。
「ちょっと時間ある? サトリ先生が呼んでいるんだけど」
「……このタイミングで違う女性に誘われるなんて。これも僕が紳士過ぎるせいか……」
「私は全然構わない。昼食はまた今度な。それでは」
シロトはジェニエに一礼し、颯爽と歩き去った。
止める間もなく、颯爽と。
「…………」
一泊間を置いて、クノンは言った。
「ジェニエ先生に誘われたんだ。何よりもあなたを優先しますよ、僕は」
「消去法で?」
「ははは、面白い冗談ですね。さあ行きましょう」