暇つぶしという言葉

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暇つぶしという言葉がある。おそらく、われわれはなにかに熱中するのが好きであり、その一方で有意義性を求めている。それが両立しないときに、暇つぶしと呼んでいるのである。ゲームで暇つぶしという場合、それに没頭できれば、熱中というひとつの目標は達成しているが、有意義性は失っている。「有意義」なことに「熱中」できればいいが、そううまくはいかない。熱中という言葉は、夢中とか、集中という言葉に言い換えてもいいが、集中と夢中は微妙に異なるのかもしれない。集中というのは「勉強に集中している」とか「練習に集中している」という有意義な文脈で用いられて、夢中というのは「ゲームに夢中」という具合である。われわれは集中力を欠いて練習・勉強をするのが嫌であるらしい。「ダラダラした練習では意味がない」みたいな言い回しもある。だから、われわれは手っ取り早く集中するために、その集中の対象をゲームなどに擦り替えてしまう。そしてその虚しさを感じているため、暇つぶしと呼んでいるのである。とりあえず時間を有意義に使うという観点から言うと、集中力にこだわりすぎると、逆に、ゲームに夢中になるとか、変な擦り替えに走りがちである。上の空でも一応は勉強したほうがいいのではないか、ということである。集中しなければ勉強や練習の意味がないと教師が言ったりするのでそれに惑わされているのではないか。人間は本質的に熱中するのが好きであり、有意義なことに身が入らないなら、別のことで熱中しようとするのかもしれないが、ダラダラと勉強・練習するのを肯定的に考えないと、ゲームを頑張るとか、変な擦り替えが発生してしまうこともある。
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