316.前夜
来た時以来ではなかろうか。
「――皆、帰り支度は済んだかな?」
夕食のテーブルには、全員が揃っていた。
クノンと、同期であるレイエス、ハンク、リーヤ。
準教師セイフィ、造魔学の兄弟子カイユ。
それからレイエスの侍女兼護衛フィレアとジルニ。
そして、開拓地の者たち。
領主代行を務めるミリカ。
王宮魔術師レーシャ。
文官ワーナーと、騎士ダリオとラヴィエルト。
今日は、開拓地で過ごす最後の夜だ。
明日の朝、ディラシックへ帰る予定となっている。
「行く先が違う人もいるから、この場で言わせてもらうね。
約一ヵ月、僕の用事に付き合ってくれてありがとう。とても助かったよ」
クノンは言った。
いつもの、主に女性に対する軽薄さが嘘のように。
実に誠実な声だった。
「ありがとうございました」
と、ミリカも続ける。
「皆さんのおかげで、この地は住みやすくなりました。細かい雑事から大きな仕事まで、皆さんの尽力に感謝します。
この先、近くに来られた時などはぜひお立ち寄りください。歓迎いたします」
この地の責任者として、そんな発言もあったが。
それ以外は、特に何もなく。
非常に穏やかに、最後の夕食の時間は過ぎていった。
「ミリカ様」
デザートが終わり席を立つレイエスは、皆と談笑するミリカに歩み寄る。
「はい?」
「何か?」とミリカが促すと、彼女は言った。
「私は社交辞令が判断できないので、はっきり教えてください。
先の言葉を信じて、本当にまた来てもいいですか?」
先の言葉。
一瞬どれのことか、と迷ったミリカは――社交辞令という言葉で察した。
――近くに来られた時などはぜひお立ち寄りください、のことだろう。
「ぜひ来てください。私はレイエス様を待っていますよ」
ならば答えは一つだ。
社交辞令どころか。
むしろレイエスには絶対また来てほしいと思っている。
ここに来た当初。
歓迎して抱きしめたあの時。
あの時は間違ったが、今では間違いではなくなったと思っている。
聖女レイエス。
彼女は抱いて歓迎したい人となった。本気で。
「本当に来ても構いませんか?」
「あなたのために温室のスペースを空けておきましょう。それが答えです」
――温室のスペースを空けておく。
レイエスにとっては、これ以上ない誘い文句だった。
「承知しました。いずれまた会いましょう」
温室と実利。
うまい野菜、光る種。
感情が乏しいレイエスと、この地を育てる義務を負うミリカ。
――これほど情以外で成り立つ関係も、珍しいかもしれない。
表向きは、一見仲が良さそうにも見えるのだが。
「クノン。事前に話していた通り、私たちは明日から別行動です」
「あ、うん。また魔術学校で会おうね」
「はい。失礼します」
レイエスは一礼し、侍女たちを連れて食堂を後にした。
彼女らは、聖教国セントランスに数日滞在する予定である。
まっすぐディラシックに帰るクノンらとは別行動だ。
「俺ももう休むかな」
同じく別行動となるカイユが立ち上がる。
そんなレイエス、カイユを筆頭に。
一つずつ椅子が空いてゆき。
最後には、クノンとミリカだけが残った。
食器も片付けられて、使用人もいない。
二人きりとなり。
クノンが立ち上がることで、静寂は破られた。
「――星空を見に行きませんか? 僕のお姫様」
「――はい」
差し出されたクノンの手を、ミリカは躊躇うことなく取る。
「まあ僕は見えませんけどね。でもまあ仮に見るなら星空よりミリカ様を見ていたいし、見るべきでしょうね。いやむしろ自然と目が離せない状態になってしまうかもしれない。僕を惑わせる美しいお姫様、もっと僕を惑わせてほしいな。見えないけど」
「ええ、はい、とりあえず私か星空を見に行きましょうね」
残りの時間を惜しむようにして、連れ立って屋敷を出た。
夜の開拓地を歩く。
誰もいない、まだまだ造りかけの集落。
この一ヵ月。
時々こうして歩いていた。
手を繋いで歩くだけ。
だが、それでも立派なデートだった。
吹く風は冷たい。
でも、繋いだ手が温かい。
それだけでクノンもミリカも満足していたのだ。
「またしばらく会えなくなりますね」
ただ、それも今日までだ。
「そうですね」
別れたくはないが。
しかし、二人とも、思ったより穏やかでいられた。
「正直、私はクノン君が魔術学校を卒業するまで、会えないと思っていました。私がディラシックへ行ったのも、特別な用事があったからですから。
――もう、こちらのことは気にしなくていいですからね。
クノン君はクノン君のやるべきことをしっかりやって、それから帰ってきてください」
「……」
ミリカの言葉に、クノンは何も返せなかった。
気にしなくていい。
そう言われても、気になるのだから仕方ない。
だが。
あまり気にするのは、よくないことだと思う。
それはちゃんとわかっている。
ましてや頻繁にここに来る、というのもよくないだろう。
ミリカの言う通りだ。
クノンが今やるべきことは、開拓地での作業ではない。
魔術学校で学ぶこと。
それが最優先である――と、クノンもわかっている。
だが、それでも気になるのだ。
好きな女性のことを気にしないでいられないのだ。
どうしても気になるから、今ここでこうして歩いているのだ。
「……もっといろんな置き土産を残したかったな」
開拓作業は、思った以上に進んでいた。
ここでクノンができることは、あまりなかった。
きっとこのまま残っても同じことだし。
何度来ても同じだろう。
「充分残したと思いますよ」
「そうですか? ……そうでしょうか?」
次に見る時は、もっと開拓は進んでいるはずだ。
もはやクノンの意思意向に関係なく。
それはそれでいいと思う。
仕方ないとも思う。
ミリカが優秀だから開拓が進む、という証明でもあると思う。
ただ――将来自分の領地になる、という実感が、あまりにもなさすぎるだけで。
……いや。
「そう、ですね」
クノンは考えた。
開拓はこのままミリカに任せればいいのかも、と。
開拓地の状況は理解した。
レーシャやダリオといった、優秀な協力者がいることも確認した。
思ったより困窮していなかった。
いいじゃないか。
腐る理由がないじゃないか。
ミリカに苦労してほしいわけではない。
そこに文句をつける理由なんて、ないじゃないか。
開拓は、任せればいい。
そこからの発展は、クノンがやるから。
学校を卒業して帰ってきてから、自分でやるから。
だから。
今はミリカを信じて、任せればいい。
気にしながら、心配しながら。
それでも信じればいい。
そう、割り切ろう。
「ミリカ様、この開拓地をよろしくお願いします。
困ったことがあったらいつでも連絡してください。飛んできますから」
「はい。クノン君もしっかり学んできてください。
私はあなたに恥じない女になって、待っていますから」
各々が開拓地最後の一日を過ごし。
出発の日がやってきた。