311.多機能豊穣装置 8
「では始めましょうか」
サンドイッチを腹に収め、クノンは気合を入れる。
大詰めだ。
ここまで積み上げてきたものを、一つの形にするのだ。
「これからのことを、大まかに説明しますね」
書類から目線だけ上げ、カイユは「ああ」と返事をする。
「構造は多く分けて六つ。内四つが内部機構になります。
外部に関しては、すでにセイフィ先生にお願いして造ってもらっています。
必要になるであろう部品も揃えたので、現状では問題ないと思います」
事前に部品は用意してある。
一応失敗しても大丈夫なように、少しだけ余裕もある。
「えっと、どこにやったかな――」
「――待て待てちょっと待て!」
立ち上がるクノンを、カイユが慌てて止める。
目的地に直進しようとしたから。
床にある書類の山を無視して。
ぶつかって崩しても関係ないとばかりに。
「俺が持ってくるから動くな! 片づけないにしても無駄に散らかすなよ!」
「ははは、使用人によく言われます」
「言われてんじゃねぇよ! ……どれだ? この辺か?」
「はい、その辺にある――」
その辺に無造作に置いてある色々を拾い集め、テーブルに並べていく。
「まず、こちら。これが外部構造になります」
思ったよりはるかに小さい、手に収まる金属棒だ。
中が抜いてあるので筒状だ。
「剣のグリップみたいだな」
「まさにそんなイメージです。装置を大きくすると持ち運びができませんから」
なるほど、とカイユは頷く。
多機能豊穣装置、と銘打ってあるのだ。
「多機能」には機動も含まれるわけだ。
「次に、この中に五種類のガラスを入れます。それぞれに魔法陣を描き、五つの効果を持たせます」
この「魔法陣を描く作業」が、カイユに任せたい仕事になる。
ガラスは小さく、薄い。
かなり細かい作業になる。
より正確に言うと、クノンが刻んでカイユが魔術媒体となる塗料を塗る。
「そして『結界』を模した『水球』で、全ての効果を維持する。これで豊穣効果のある『水球』ができる、予定です」
「予定か」
「開発段階ではできたので、できるとは思います。でも魔道具造りに絶対はないですから」
皆、現段階でできる最高の仕事をしたと思う。
特にハンクだ。
彼はかなり苦労して、クノンの注文をこなした。
ハンクが考案した魔法陣を魔道具に落とし込むのが、一番難しいと思う。
「それじゃ先輩、お願いします」
「ああ」
――こうして、最後の作業が始まった。
開発は難航した。
「――やべっ。失敗しすぎて材料切れた」
「――えっ!? 白髭熊の塗料がなくなったんですか!?」
なぜか屋敷に貯えらえていた、高価な素材を惜しみなく注ぎ。
「――なんか目が疲れましたね。おっと、僕には関係ない疲労だったかな!」
「――その冗談もう六十回くらい聞いてる」
気が付けば時間が経っていて。
「――先輩は疲れました? 僕は疲れてますよ」
「――ちゃんと疲れてるよ。……こう細かい作業ばっかやってると、一徹でもきついな。腰もいてぇし肩も重い。左目開かねぇ。なんか物が二重に見えたり時々意識がなくなったりもしてる」
「――奇遇ですね。僕もです」
疲労は蓄積し。
「――先輩、僕ちょっと死んでいいですか?」
「――おー。俺ももうすぐ死ぬから寝ろ」
時には死んだように眠り。
起きたらまた作業に戻り。
「――なんか逆に意識が冴えてきました」
「――ヤバイ兆候だな。俺もずっと冴えてるけど、気絶する前に自分から寝ろよ」
肉体も精神もギリギリまで削り、限界を超えて活動する二人。
ゆっくり休めたのは、五日後のことだった。
「――それで、できたのがこれになります」
丸一日、死んだように眠った後。
クノンは開発に関わった全員を集めて、自分たちの努力の結晶を見せた。
見た目は剣のグリップ。
ポケットには入らないかもしれないが、持ち運ぶには問題ない。
重くもないし、かさばらない。
しかし、外見はシンプルでも内部は違う。
内部構造。
特に五つのガラス魔法陣は、クノンとカイユが限界まで振り絞ってようやく完成させたものだ。
これが多機能豊穣装置。
見た目には地味なただの棒でしかない。
が、皆がちゃんと知っている。
これは、今自分たちができる全力が詰まっている、と。
こうして形になると、感無量である。
「効果は……まあ、だいたいわかってると思うので、今は触れません」
皆が開発に関わっているのだ。
開発が進めば進むほど、自ずとどんなものか察しもついただろう。
長々した説明など、今はいらないはずだ。
――苦労した、とクノンは思う。
何度か失敗もしている。
あまりにも細かく複雑な構造なので、もう一つ造るとなると、気が遠くなりそうだ。
しばらくは考えたくない。
いずれまた造るとは思うが、今はいい。
だが。
これなら師ゼオンリーが見せてくれた、あのルーペにも負けていないと、クノンは思う。
……まあ、この人数で日数を掛けてようやく師の仕事に並ぶかどうか。
そう考えると、実力差を感じずにはいられないが。
「これから試行を行っていくので、まだ試作品に近いですね。
これからたくさんデータを取っていく必要があります」
理論上はできているはずだ。
しかし、理論だけでうまく行くなら、苦労しない。
重大な見落としがあったり、ミスがあったり。
理論を乱すイレギュラーなんて、いくらでも転がっているから。
「それでは使用したいと思います」
クノンは多機能豊穣装置を握り、魔力を込めた。
と――先端が淡く光り、それが広がっていく。
「おお……」
声を漏らしたのは誰だろう。
しかし誰も興味ない。
皆、次第に膨れていく光の膜しか、見ていない。
「これくらいかな」
魔力の供給を止めると、光の膜が装置からぽろりとこぼれた。
ふわりと地面に落ちる。
割れもせず、ただそこにある。
「ハンク、持ってみて」
「あ、ああ」
一番近くにいたハンクが、地面に落ちた光の球体を持ち上げる。
「形、変えてみて」
「ああ……おお」
伸びる。
縮む。
ぐっと握っても破けない。
「すごいな。これ、水なんだよな?」
「うん」
クノンの「水球」より更に頑丈な、いや、柔軟な水の膜だ。
聖女レイエスの「結界」の効果を合わせることで、異様な柔軟性を再現することができた。
思わぬ副産物だったと思う。
やり尽くした感があった水球の可能性が、また広がった気がする。