310.多機能豊穣装置 7
「――見て! 空から聖女が!」
「――あれが聖女……なんて神々しいの……!」
「――祭りじゃぁ! 聖女様降臨祭をするんじゃぁ!」
外が騒がしい。
何やら開拓民たちが騒いでいるようだ。
しかし、クノンはもう反応できない。
疲れた意識が、声を意味のあるものとして、認識してくれない。
もはや立ち上がる気力も残っていないのだ。
「……半日、くらい」
一応、それくらいの調整をしておく。
起きられるか自信はないが。
そして、身を投げた水ベッドに、意識を奪われていく。
徹夜何日目か。
憶えていないし、あまり興味もない。
ただ。
それより気になるのは。
もうすぐ期限と区切った二週間が経つことだ。
各々に任せた実験、研究データはたくさん届いている。
すべて有益なデータだ。
無益なデータなど一つもない。
今回は使い道がないだけで、いつかどこかで役に立つだろう。
それらの中。
やはり注目したのは、レーシャとセイフィのレポートだ。
片や王宮魔術師。
片や準教師。
レポートの要点がまとまっていて、非常に読みやすい。
しかもクノン好みの細かい部分の箇条書きが……。
と。
そんなことを考えている間に、完全に意識は眠りに落ちていった。
「――おいクノン、クノン」
揺らされ、覚醒し。
「夕方!?」
クノンは飛び起きた。
「あー……夜だ」
そう言ったのは、カイユである。
夜。
つまり、半日以上寝ていたわけだ。
危惧していた通りに。
「……寝過ごした……」
時間調整をした水ベッドは、もう水蒸気となって消え失せていて。
クノンはそれでも起きず、床で寝ていた。
倒れるようにして。
おかげで身体中が痛い。
「でもまあ、夕食前ならまだ大丈夫ですね。かろうじて夕方ですからね!」
前向きに考えよう。
悔やんでいる時間さえ惜しいのだ。
クノンは立ち上がり。
疲労と床のせいで重くなった身体を伸ばし、全身をほぐす。
「……いや、夕食もとっくに終わってる。夕方じゃなくて深夜だな」
「言わないでください」
残り期間が怪しくなってきたこの時期に、うっかり寝過ごすなど。
これは痛いロスだ。
「今日から俺の出番だって言ってたのに、おまえが出てこないから来たんだよ」
そう、カイユの出番は今日からだ。
口調からして、クノンが呼ぶのを待っていたようで。
待ちきれなくて様子を見に来たのだろう。
いや、待ちきれなかったというか。
今日が終わりそうだったから、だろうか。
「ほら、サンドイッチ貰ってきたから。おまえは食ってろ」
「あ、すみません」
気が付けば腹が減っている。
夢中になっている間は気にならないが。
こうして研究から離れると自覚する。
「……あれ? ちょっと片づけました?」
機材や試作品はともかく。
そこかしこに積み上がった書類は、崩れている場所もある。
この短期間で、恐ろしいほどのレポートの数量だ。
「テーブルの上だけな」
テーブルの上だけは、少し片づけた。
サンドイッチを乗せた皿を置く場所もなかったから。
「この辺でいいのか?」
「お願いします」
ちょくちょく顔を出していた甲斐があり。
カイユは、簡単な概要だけは把握していた。
それだけに理解も早い。
カイユは書類に目を通していく。
クノンが力尽きた辺りの、最新データが殴り書きされているやつだ。
読みづらいだろう。
意識が朦朧としながら書いたのだ、意味不明なことも書いているかもしれない。
クノン本人でさえ解読が怪しいものも何枚か……。
しかしカイユは何も言わず目を通していく。
その間、クノンは腹を満たす。
からっからになっていた腹に、食べ物が入っていく。
たぶん一日ぶりくらいの食事だと思う。
「――さすがだな。もうだいたい形は固まってるんだな」
多機能豊穣装置。
名前だけではどんなものになるのか、想像もできなかったが。
だいたい十日。
それでここまで形にしたわけだ。
優秀な協力者が多いというのを差し引いても、驚異的な発想力だ。
「そうですね。
レイエス嬢が『結界』の形を変えられるようになったのが、とても大きかったです。
あと、『結界』を運ぶ魔術を開発したリーヤたち。
でも一番を言うなら、やっぱりハンクかなぁ。僕につきっきりで、僕の思い付きを全部やってくれましたから」
「聖女の『結界』か。そういえば……いや、いいや」
――今日、聖女レイエスが高く飛んで行って大騒ぎになり。
それからゆっくり降りてきて、また大騒ぎになった。
無駄に神々しい降臨っぷりに、数少ない開拓地の年寄りが「迎えに来た」だの「祭りをしたい」だのと元気に訴えていた。
お迎えどころか、たぶん長生きするだろう。
元気そうだったし。
しかしまあ、わざわざ今話すこともないだろう。
そもそも魔術師なんて、多かれ少なかれ騒ぎを起こすものだから。
「だいぶ細かい作業になるな。しかも思った以上に小さいし、これは……」
カイユは魔道具には詳しくない。
だが、造魔学と似通った部分が多い。
それだけに想像くらいはできる。
「……俺が手伝えることはあるのか?」
かなり高度な技術を使うようだ。
これは本物の魔技師に頼むくらい、厄介な代物ではないか。
「もちろん」
しかしカイユの疑問を、クノンは否定する。
「これから仕上げというか、大詰めになります。
そうなると、ここにいる面子では、カイユ先輩に任せるのが一番です」
開発を始める前。
クノンは大雑把に、開発の流れを決めていた。
その結果、だいたい流れ通りに事が運んだ。
あとは形にするだけなのだが。
「そうか? 俺そんなに器用じゃねぇぞ?」
「器用ですよ。
水分の一滴でも増減したら失敗する造魔学で、結果を残してきたんだから。
先輩の属性が土なら、今よりもっとすごい腕利きの細工師になれたと思います。風であれだけやれるのが羨ましいくらいです」
「俺は水がよかったけどな。でもない物ねだりをしても仕方ないからな」
「そうですね。僕は水でよかったと思ってますけど」
「はいはい羨ましいこった。早く食えよ」
多機能豊穣装置の開発は、いよいよ大詰めとなる。