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1: 世界@名無史さん 2019/06/16(日) 21:01:57.11 0
秦漢帝国について語ろう








658: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 09:24:50.33 0
均輸・平準法って、本当にうまく運用してたのかなぁ?
均輸官や平準官のような役人に流通商業を回せるんだろうか?
均輸法(きんゆほう)と平準法(へいじゅんほう)は、前漢の武帝の時期の法律。財政難を解決が目的。桑弘羊が実施した。

均輸法
紀元前115年に出された。物価の調整を行う。均輸官と呼ばれる官吏を郡国に配置し、各地の特産物を強制的に徴収する。これを他の地域で転売することで財政収入を増やし、物価を調整する。

平準法
紀元前110年に出された。物価の安定を行う。物価が下落したときに政府が商品を購入し、物価が高騰したときに売り出す。これで財政収入を増やすが、商売に政府が介入するということで反対が多かった。


659: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 10:33:38.61 0
未だ中世レベルの商業だし役人でも処置可能でしょ
今と違ってそんなに専門性高く無い

657: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 09:17:06.84 0
五銖銭って日本の弥生時代遺跡からも出土してるね。
漢武帝から唐初までの長きに渡り、標準貨幣だったのが凄い。

660: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 15:43:05.68 0
五胡十六国時代の北朝にとっては、大漢帝国は憧れの失われた古代文明、中世ヨーロッパのフランク人が、古代ローマ帝国に憧れるのと同じだ

漢の貨幣を使い続けるくらいは当たり前

661: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 15:45:12.61 0
宋銭だって、モンゴル帝国になっても、明になっても東アジア各地で使われ続けた
宋銭は銅の含有量が多くて高品位な良貨だったから、溶かして金属として使われた

664: 世界@名無史さん 2020/02/27(木) 22:54:38.01 0
王莽政権の硬貨わ外地でガンガン積極的に使われたんだろう
軍票や朝鮮銀行券みたいに

666: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 00:28:48.01 0
王莽政権は、悪貨を大量に鋳造して乱発し、インフレを招いた
それが、新が短命王朝に終わった大きな原因・・・というのは、けっこう有名な話じゃなかろうか?

668: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 08:05:32.06 0
↓このコピペを見る限りでは、貨幣制度を改革しようと、いろいろやりすぎて失敗したみたい

>西暦7年、西漢(前漢)の実権を握った「王莽」により様々な新貨幣が発行されます。
「王莽」は、従来の貨幣制度である「額面価値=実際の重さ」ではなく、額面と一致しない貨幣(名目貨幣)を発行すると同時に、全ての金を国有化し、民間、諸侯が保有していた金を没収する貨幣政策を実施し、財政再建を行いました。
西暦9年、ついに「王莽」が自ら皇帝となり「新」を建国、西漢(前漢)は滅びます。
「新」はわずか14年間で滅び「東漢(後漢)」となりますが、そのわずかの期間に多種多様の貨幣(王莽銭)を発行しました。王莽銭は、重量が額面に満たない名目貨幣であった為、莫大な鋳工利益が得られましたが、私鋳、盗鋳が盛んに行われる結果となります。
正式に「新」が成立した西暦9年、それまでの五銖銭(三官五銖銭)を廃止し、五銖銭1枚と同額面とする貨幣(小泉直一)を鋳工します。小泉直一銭は貨泉銭と改鋳されていきます。
この時代は、短期間で多種多様の貨幣を発行して複雑な貨幣制度とした事、額面に伴わない名目貨幣であった為、私鋳、盗鋳が盛んに行われた事など、様々な理由で一部の貨幣以外はほとんど流通しなかった様です。

669: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 08:18:54.38 0
漢の五銖銭 (ごしゅせん)

スッキリした方孔円銭
千年ちかくも流通し続けたスタンダードなコイン

no title
670: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 08:21:32.79 0
王莽銭

短期間に多種多様なコインが鋳造された

復古主義者なので、春秋戦国時代のような刀貨も作った

https://i1.kknews.cc/SIG=1dsj4qq/ctp-vzntr/o6r5r8psqq094o1pn8r4q718o870spn2.jpg

673: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 08:29:03.20 0
福岡で発見された王莽銭

独特な形なので、王莽さんだとすぐ分かる

もっとも、「当時の日本では貨幣は使われてなかった。ペンダントにしてたんじゃないか」なんて言われているが


no title

679: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2020/02/28(金) 10:06:28.84 0
>>673
王莽さんのお金は関所に使われた関係で
あの世にいくときに一緒に埋められる説は聞いたことあります

三途の渡し賃としては人気あったのではw

674: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 09:30:21.13 0
秦の始皇帝が半両銭を発行して、貨幣制度を統一。
その後、漢の武帝が五銖銭を発行する。

その五銖銭は、唐初まで、なんと700年も使われた。
唐の建国を記念して開元通宝を発行したのは、李淵・李世民。
この開元通宝も、宋銭が登場するまで300年使われた。

・・・こうしてみると、宋以前に貨幣を作った人は、秦の始皇帝・漢の武帝・唐の高祖の3人。
やはり、強固な貨幣制度を確立するには、よほど強力な統一政権が必要なのだろう。


no title

681: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 10:18:46.52 0
>>674
長期に渡って通用するというのは人々を安心させる。
安定した経済発展の基本だな。

675: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 09:36:39.38 0
700年におよぶ五銖銭の歴史を思うと、悪貨を乱発してハイパーインフレを起こした董卓のすごさがよく分かる

676: 世界@名無史さん 2020/02/28(金) 09:38:46.35 0
新疆馬銭
http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/g2kfol/iz2k01.html
紀元後2世紀後半、タリム盆地コータン地方
コインの表がカローシュティー文字で「maharaja」は「大王」、裏が漢字で「六銖銭」。

中央アジアじゃ、西から来るギリシャ文字貨幣、東から来る漢字貨幣の影響を受けて、二言語貨幣が使われたらしい。
ソグド人鋳造の貨幣にも表がソグド語、裏が漢字のものがあったりする。

682: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 11:39:29.77 0
子は王となり、母は虜となり、終日薄暮にうすづき、常に死と伍ならん。
相い離れること三千里、当に誰をして女に告げしめん。

子は王となり、その母は虜となる
終日薄暗い場所で臼を搗き 常に死と隣り合わせとなっている
王である子と離ること遙か三千里 誰にこの窮状を伝えさせることができようか

この歌を詠んだのは漢の高祖劉邦の側室の戚夫人ですが、この歌で懸念した通り戚夫人は殺されてしまいました。
戚夫人を虜にし最後殺したのは高祖の正妻の呂雉と伝えられています。
四肢を切断し目をくり抜き耳と喉を潰して厠に落として殺したと伝えられていますが、これは誇張でしょう。
足を切断された時点で普通なら死んでいます。

683: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 12:29:07.03 0
途中で死んだけど気にせずやりきったのかもしれないよ

684: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 13:06:58.25 0
儒教では、死んでからも魂魄が戻るよりしろとして死体が重要
死体を切り刻んで使いものにならなくするってのも、儒教社会ではアリガチなことですな

687: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 19:22:35.12 0
>>684
儒教にそんな信仰あったっけ・・・

685: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 15:02:21.98 0
始皇帝時代の秦の宰相の李斯は宰相になる前にライバルの韓非子を讒言で殺した、その因果応報か分からんが始皇帝死後に台頭してきた趙高の讒言で処刑されるんだけど、その処刑法がなんと李斯が考案した五刑(これも応報か?)で鼻そぎ、腕切断、足切断、去勢の上、最後に腰を斧で両断されて殺されたという。
でも斧で腰を両断される前に死んでただろうなあ。。

686: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 19:21:01.04 0
近世ヨーロッパの四つ裂き刑とか中国の凌遅刑などの執行記録によると、人間はそんなに簡単には死なないみたいだ。適切な止血で死亡を先延ばしするなど、死刑執行人の技術にも左右されたかも。

711: 世界@名無史さん 2020/03/09(月) 02:33:27.40 0

西太后が麗妃の手足を切断して瓶に詰めたというのは子供の頃に映画で見て怖かったけど、流石にこれはフィクションらしい。

ただ、息子光緒帝の妻の珍妃は聡明で明るく主人を励まし、光緒帝の西太后を排除した新政を支持して影で支えたことで西太后に憎まれ、義和団の乱で北京から逃れる時のどさくさで西太后が部下に命じて井戸に投げられて殺された。

珍妃
no title


投げ捨てられた井戸(一年後に珍妃の遺体が引き上げられたあとに改装されている)
no title

713: 世界@名無史さん 2020/03/11(水) 18:42:49.42 0
>>711
新政派が呂后、武則天の悪女伝を当てはめて西太后の評判をより貶めようとしたんだろ。
失政は数々あれど、そこまで悪女ではない。

722: 世界@名無史さん 2020/03/11(水) 21:23:06.99 0
>>713
>失政は数々あれど、そこまで悪女ではない。

丁汝昌が自らの命と生き代えに救った将兵に敗戦の責任を押し付けて処刑した西太后は暴君だと言われて仕方がない
元はといえば自身が新艦建造費を頤和園に流用したのが負け戦の原因だというのに

光緒新政とやらも西太后が散々弾圧した新政派の改革案の丸パクリであり見るべきところは何もない

767: 世界@名無史さん 2020/04/28(火) 21:42:40.44 0
ずっと遊牧民に悩まされてきたというのに、遊牧民に対抗する専門家集団である騎士階級が、遂に現れなかったのは異常な事だ。
遊牧民の戦法を取り入れた騎馬部隊すら、短期間の試みで終わった。

海を隔てた日本ですら、武士階級が生まれたというのに。(武士も騎士)

770: 世界@名無史さん 2020/04/28(火) 23:28:51.78 0
>>767
騎兵部隊なんて秦漢の兵馬俑見ればちゃんと整備されてるのがわかろうもんに

804: 世界@名無史さん 2020/05/07(木) 19:50:46.40 0
>>767
>である騎士階級が、遂に現れなかったのは異常な事だ。

董卓の出身母体である六郡良家子なんてまさに騎兵を輩出する家系なんですけど
そもそも農耕民族がつけ焼きや刃でポニーサイズの馬のってるだけの日本の武士と違ってあちらはガチの遊牧民の本拠地と隣り合わせ何だから騎兵の運用も対策も日本とは比べ物にならないぐらい進んでるよ

769: 世界@名無史さん 2020/04/28(火) 23:25:01.87 0
確かに胡服騎射という熟語がある位なのに不思議
さらに不思議なのはそれなのに騎馬民族と戦って連戦連勝の将軍がたまに出てくる事だけど

772: 世界@名無史さん 2020/04/29(水) 08:48:32.24 0
騎兵部隊はずっとあるっての
階級としての騎士がないだけ

776: 世界@名無史さん 2020/04/29(水) 21:17:30.14 0
軍事貴族もさっさと政治や経済の方に軸足置いちゃうからじゃね
日本列島は軍事力さえ在ればそれ以外全くの無能でも殺人と略奪を担保する徴税検断権や開発利権が付いて来るから

780: 世界@名無史さん 2020/04/30(木) 22:49:01.37 0
元朝のモンゴル貴族は武士階級だな
満旗と鮮卑系貴族はそれぞれの理由で違う

784: 世界@名無史さん 2020/05/03(日) 00:58:41.64 0
ていうか、秦漢以後で、中国の北部が北方民族に支配されてなかった時期なんて、北宋と明くらいのもんだろ

それ以外はずっと、北方民族が武士階級みたいなものだ

785: 世界@名無史さん 2020/05/03(日) 06:48:45.72 0
北宋はがっつり占領されてるが
西晋、隋唐、中共どれも占領されて無い

798: 世界@名無史さん 2020/05/06(水) 23:00:58.42 0
秦の将軍の王センと李信の子孫って漢に重用されてんだね
六国を滅ぼした者として殺されたりしなかったのが不思議

801: 世界@名無史さん 2020/05/07(木) 04:12:43.15 0
>>798
趙の李牧の子孫は、その後も脈々と続いて、「趙郡李氏」と呼ばれる名門貴族となり、唐では何人も宰相を輩出する四大貴族の一角を占めた

799: 世界@名無史さん 2020/05/07(木) 00:33:27.69 0
漢は秦の後継なんだから不思議でもなんでもない

802: 世界@名無史さん 2020/05/07(木) 11:17:40.57 0
趙の趙奢の子孫は馬騰・馬超の系譜だったりしたはず

858: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 14:58:25.85 0

扶蘇→蒙恬に止められたのに父親の命令は絶対だと勝手に自殺
胡亥→兄弟姉妹皆殺しにした挙げ句秦の危機を知らないまま利用されるだけ利用されて趙高に刺し殺された馬鹿皇帝
子嬰→趙高を刺し殺し劉邦は命助けたけど結局は暴君項羽によって一族もろとも皆殺しにされる


趙歇→陳余と張耳に振り回されるだけ振り回された後張耳に逃げられ陳余の宋襄の仁のせいで負け韓信に殺される


魏咎→陳平の策を受け入れず救援に来た斉王田詹が戦死した後逃亡せずに焼身自殺する
魏豹→劉邦から項羽に寝返り韓信に負けて庶民に落とされ嫁まで劉邦に奪われたのにまた劉邦に仕え、榮陽からの逃亡時に裏切りそうだと味方の周苛に降伏前に殺される
魏無知→劉邦が尊敬する信良君の息子なのに世話した陳平に言われるまで報奨を忘れられる。↑の魏豹は列伝があるのに何故か世家も列伝もなく没年も不明


義帝→打倒秦の大義名分として祭り上げられたのに忠義の全く無い項羽に邪魔者扱いされ殺される


韓王成→打倒秦の大義名分として祭り上げられたのに敬意の全く無い項羽に邪魔者扱いされ殺される
韓王信→劉邦と冒屯単于に振り回され劉邦が降伏を勧めたのに拒否して殺される。子孫は代々漢の高官として活躍する(が、定期的に粛清される)


田市→一族の田栄に殺される
田安→一族の田栄に殺される
田都→一族の田栄に追放される(殺される?)
田栄→一族の田市に殺される
田仮→一族の田横に殺される
田横→劉邦に降伏した後、勝手に自殺する。頼りになる食客達も一緒に自殺する
田広→韓信に捕らわれる(殺される?)
田都・田広が仮に生きていたとしても改姓させられた第一氏から第八氏で後々存続したのは第五氏と第八氏のみでおそらく田斉の傍流も傍流

劉邦が手を汚す前に七雄の旧王族達は勝手に死んでいってくれたんですね

859: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 16:48:03.51 0
>>858
古代人は、現代人とは死生観が異なる
かなり気楽に死ぬし、気楽に殺す

875: 世界@名無史さん 2020/05/21(木) 13:13:34.64 0
>>859
当時は道教もないし死ねばおしまいって考えじゃ?

880: 世界@名無史さん 2020/05/21(木) 14:30:28.73 0
>>875
春秋戦国時代に罪人になってしまった母に王が会うためにわざわざ黄泉の国を模して作った場所で会う(黄泉の国ならば王と罪人が会っても構わない)っていうエピソードがあったような

863: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 17:53:15.46 0
秦による短期間の統一はあっという間に破綻し、魏・楚・斉などの旧6国がたちまち復活した
漢はそれを再征服して回らなきゃいけなかったはずなのだが、予想外に楽勝だった

864: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 19:01:40.09 0
燕だけは復活してないんだよな
中原から離れてる分ある程度自由に動けそうなもんなのに

869: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 20:39:19.56 0
秦が崩壊した後、紀元前209年、趙から来た韓広が、現地の燕人らに推戴されて燕王となって自立した。
紀元前206年、項羽の封建により臧荼(ぞうと)が燕王に立てられ、もともとの燕王だった韓広は遼東王に遷された。
その年の内に臧荼は韓広を攻め遼東を併合して燕全体の王となった。

燕王臧荼は紀元前204年に韓信に帰順、紀元前202年には群雄諸王らとともに劉邦に皇帝の尊号を奉った。
が、その年のうちに反乱を起こし臧荼は処刑、臧荼に代わって盧綰が燕王に封建された。
紀元前195年、盧綰は匈奴に亡命し、燕国は廃され郡県となった。

871: 世界@名無史さん 2020/05/20(水) 20:59:14.68 0
張良 張耳 王離 李左車 何より項伯初めとした項氏の多くと旧七国の文官武官は結構家を存続させてるのは対照的
劉邦立ち上げの頃からの一派も含めて大半が武帝時代に一時的に平民に落とされ昭帝宣帝時代に子孫が復権許される流れという

899: 世界@名無史さん 2020/05/28(木) 20:05:01.33 0
武帝がはるばる連れてきた汗血馬って中国で繁殖成功したの?
軍馬とかに使用したんだろうか?

906: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 12:43:33.20 0
>>899
もちろん、大量に繁殖された

それ以前の漢の馬は、重装した騎士を乗せて走るなど無理だった。
漫画ではバケモノみたいな大男が馬に乗って暴れまくってるが、あれは無理

907: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 16:46:58.80 0
じゃあ、今の中国馬は汗血馬の子孫が結構いたりするの?
汗血馬>烏孫の馬>中国の馬だから相当優秀だったと思うんだけど
モンゴル軍の馬は小さい蒙古馬なんだよね

908: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 17:10:50.03 0
>>907
汗血馬だって、18世紀以降の品種改良で大型化した、現代のサラブレッドみたいなのをイメージしてはいけない

おそらく、蒙古馬よりは一回り大きかったんじゃないかとは思うけど、しょせんは大昔の馬なんだし

909: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 17:12:21.23 0
トルクメニスタンの「アハルテケ」って馬が、汗血馬の子孫じゃないかと言われてるみたい

言われてるだけで、根拠はないけど

no title

910: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 17:39:24.81 0
出土した骨とDNAを調べれば馬の体格や血統も分かったりしないの?

911: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 18:07:50.16 0
秦の馬については、遺骨を調査した論文があった。
ポニーくらいのサイズの蒙古馬だったようだ

25770289 研究成果報告書 - KAKEN
中国殷周王朝における馬匹生産体制の動物考古学的研究

912: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 18:15:43.26 0
でも、漢の馬じゃ貧弱すぎて、これじゃ匈奴とは戦えないって話になったのが、武帝の時代なんだよな
てことは、秦の馬もかなり貧弱だったことになる

913: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 19:46:42.11 0
まあ匈奴も蒙古馬だし

914: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 21:26:01.80 0
デフォルメされてる兵馬俑とリアルの秦馬は違うだろうけど、始皇帝の兵馬俑見ると、まあ確かにポニー感はある

916: 世界@名無史さん 2020/05/30(土) 22:05:07.64 0
秦を見習って、漢や唐も地下にリアルな模型を残してほしかったな

921: 世界@名無史さん 2020/05/31(日) 15:31:33.59 0
殷の時代には、本物の人間を生き埋めにしてたんだよな
秦になると、人間の代わりに兵馬俑を埋めるようになった

923: 世界@名無史さん 2020/05/31(日) 22:26:31.26 0
兵馬俑って2mを大きく超えた兵士とか居て、やっぱりなんだかんだでデフォルメやら何やらされてるよね

928: 世界@名無史さん 2020/06/26(金) 18:43:23.40 0
>>923
一体二体の話ではなく下級兵卒タイプから将校タイプまで五千体以上いるのに平均が180超えらしいね
体格が戦国期の人骨はもとより現代の華北中国人男性より一回り二回りデカいのは明らかに不自然

そもそも木や青銅の武器がある一方で鎧は石製や土製
(たぶん重心が高いと倒れるから)下半身デフォルメの傾向がある以上、兵馬俑は実物同然ってのは非現実的ですし

946: 世界@名無史さん 2020/07/01(水) 21:01:11.90 0
>>928
>一体二体の話ではなく下級兵卒タイプから将校タイプまで五千体以上いるのに平均が180超えらしいね
>体格が戦国期の人骨はもとより現代の華北中国人男性より一回り二回りデカいのは明らかに不自然

中国の平均身長の分布を見ると東北三省と山東省が平均176~178㎝で内モンゴルや河南や山西省が174~176㎝なので一回りってほどではないね
https://naglly.com/archives/2018/12/average-height-of-asian-males.php

長平の戦いの戦死者を埋葬したものである永禄骨坑の発掘調査資料によると発掘調査から得られた統計では身長は最低161.2㎝、最高184㎝、平均170.6㎝
http://www.shanximuseum.com/Uploads/Picture/2019/03/12/u5c8763f93b377.pdf

意外なことに日本人と違って劇的な体格の変化は見られず数㎝身長が伸びただけで華北の中国人男性の身長は戦国時代からあまり変わってないってことになる

966: 世界@名無史さん 2020/07/07(火) 19:28:57.51 0
ローマより漢の方が豊かと言われてるけど、庶民の生活もローマより上なんですよね?

968: 世界@名無史さん 2020/07/11(土) 20:57:43.28 0
>>966
どのあたりまでを「庶民」と呼ぶかだけど秦には古代ローマのような劇場や闘技場、浴場やストア、体育館といった公共の娯楽施設は何一つなかったので、豊と言えば豊かだけど庶民の生活自体は何の娯楽もない退屈なもんだったと思う

969: 世界@名無史さん 2020/07/12(日) 20:21:07.88 0
劇場は漢代の流行だから郷村の広場くらいかな

970: 世界@名無史さん 2020/07/12(日) 20:28:21.03 0
権力者のモニュメントはあっても市民の公共施設は近代に入るまでからっきし無いのが中国含めて東アジア圏の伝統だから
アンフィテアトルム、ギュムナシオン、ストア・ポイキレとかローマのどんな田舎町でも発掘されてるけど中国だと咸陽、長安にすらそんなもの見つかってないでしょ

972: 世界@名無史さん 2020/07/12(日) 22:58:00.73 0
>>970
発掘されてるよ、当たり前だけど。後ろ2つは設備不要だし
苑は貴族の所有だけどね
碑文は早くに減少したけど始皇帝も各地に彫らせてる、陶俑も一般的な芸術品

973: 世界@名無史さん 2020/07/13(月) 20:09:47.06 0
戦国春秋から秦代までは庶民の姿は本当に見えんな
前漢代の塩鉄論に入ってようやくちょびっと見えてる程度
オリエントや古代ギリシャローマと違って庶民の残した一次史料もなければ史記や漢書といった年代記でも等閑視されているので当時の庶民生活は本当に復元不可能

引用元: ・続【秦漢帝国】