1.母語について
バイリンガル教育ってのが最近は話題になってますね。
僕は幼少期英語圏の国に三年間住んでいました。そこでは幼稚園や学校では英語、家族は全員日本人なので家庭では日本語の生活でした。まぁ非常に幼かった頃なので流暢な英語は話せないですし、日本に帰って来てから長い間教育を受けてきたので結局のところ私の母語は日本語です。
今年の三月、私はかつて三年間住んでいた街に帰り当時の友達の家に泊まらせていただく形で一週間ほどホームステイをしていました。その友達は母親が日本人で父親が英語圏の人とのハーフの子で、彼は生まれてからずっとその地で育ち、母親の方針でかつての私のように「外では英語は、家では日本語」の生活を19年間続けていたことになります。では、彼の母語はどちらなのでしょうか?
母語の定義を辞書で引くと、「ある人が幼児期に周囲の大人たち(特に母親)が話すのを聞いて最初に自然に身につけた言語。」とあります。ちょっとこれだと彼の場合は日本語なのか?ってなりますよね。じゃあ。母語の定義を「脳内で話す文を構築するのに使われる言語」と私なりに定義したらどうなるでしょうか?これだと第一言語と似たり寄ったりですがこう定義するとします。
私たちは日本語しゃべるとき、当然脳内で日本語文章を作ります。英語を話すときも一旦言いたいことを日本語で構築してからそれを英語に変換する形です。では、彼についてはどっちなんだと彼に尋ねました。すると返ってきた答えは「両方」でした。彼は状況やその時に応じてパッと出てくる文が英語から思考する時と日本語で思考する時があり、彼の脳内では二つの言語が支配しているということになります。その使い分けは明確に隔てられてないと言います。意味わかんないすよね。僕が三月に訪れ、かつて通っていた学校を訪れた際に僕は「懐かしい」という感慨に浸りました。ところで英語には「懐かしい」って表現が無いんですよね。「ノスタルジー」は微妙に違います。「ヤバい」も似た表現が存在しません。そういった考えを英語を母語とする人は持っていないし理解できないのです。逆もまたしかりで英語に含まれる微妙なニュアンスを日本人ではパッと理解できないことがあります。代替する言語がはなから無いのです。でも彼にはきっと両方の感性が持ち合わせており、微妙なニュアンスの違いで脳内を支配する言語が無意識下で切り替わっているのではないかと考えました。
私にはもう一人ハーフで同じような境遇で育ってきた友人がいます。彼女は母親が日本人で父親が英語圏の人とのハーフの子で、生まれてからずっと日本に住んでおり、彼とは逆に「外では日本語、家では英語」という環境で育ってきました。僕は興味で彼女に同じ質問をしました、すると返ってきた答えは「両方」でした。
使用する言語が幼少期から均等に複数使い続けると、私には想像もできないような脳の発達をするのだと、非常に面白い気付きでした。
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