しばしば誤解されていますが、「高齢者福祉のための現役世代の負担増」の問題は、「高齢化」がもっぱらその原因であり、「少子化」は本質的ではありません。この問題で重要なのは「一人の人が一生のうちに、どれだけ働いて富を生み出し、どれだけ高齢者として福祉を受けるか」です(自己年金の形で、自分の将来のために現役世代に貯蓄して、それを高齢者になったら受け取る、という描像に立てば、これが唯一の重要な要素であることはわかるでしょう)。
このことをクリアに見るには、少子化問題が解決した人口定常社会を考えてみるとよいでしょう。「現役4人で高齢者1人を支える状況」を理想とするのであれば、22歳から働き始めた場合、22歳から死ぬまでの期間の4/5を働き、1/5を働かないで福祉を受ける老後の期間とする必要があります。日本人の平均寿命は84歳なので、72歳までは働く必要があります。逆に言えば、71歳まで働かないのであれば、理想状況よりもはるかに重い負担が現役時に課される、あるいは高齢時に受けられる福祉を手薄なものにすることになります。
人口の変化(=少子化など)は、短期的に見ると負担を増やしたり減らしたりするように見えますが、ロングスパンでトータルで考えれば、働いて富を生み出した人数と、老後に福祉を受け取る人数は同じです。なので、異なる時点間で富をやり取りできると考えれば、人口変化は「福祉のための現役負担」には影響を与えません(自己年金であれば、社会にどれだけの人数がいるかが一切影響しないのと同じです)。
現在の日本で生じている問題は、平均寿命が短かった時代に、その状況を念頭に置いて作られた退職年齢や高齢者福祉開始年齢の設定が、平均寿命が大幅に伸びているにもかかわらず修正されていない点です。これは純粋に高齢化によって生じている問題です。そしてそのための基本的な解決策は「寿命が延びたのだから、その分だけ働く期間も伸ばす必要がある」というシンプルなものです。
このような解決策に対しては、しばしば「昔はゆったりと長く楽な老後を送っていた人たちがいたのに」という批判・不満があがりますが、この感想には見落としをしている意見です。これが見落としているのは「昔長生きしていた人は幸運な少数派であり、多くの人は長く楽しい老後に突入するよりも前に死んでいた」という事実です。人数が減っているので、長生きした人は死んだ人の分まで福祉を受け取ることが出来ているだけです。現在においても、例えば70歳になった人をランダムに半分殺してしまうのであれば、死ななかった半分の人は倍の福祉を受け取れるので、早期リタイアしても非常に良い老後を送れるでしょう。しかしそんな方策を望む人はほとんどいないと思います。そういう方法をとれない以上、寿命が延びた分だけ長く働く必要があるのです。