第12話 強く、ただ強く

  ——強く生きなさい。誰に嗤われようとも。


 駅前にあるショッピングモールで、母親と父親の手に繋がれた少年が嬉しそうに声を上げていた。

 最近見ている特撮ヒーローの活躍を語る彼は、どこにでもいる男児である。六歳か七歳。小学生だろうか。白髪なのが周囲と浮いていて、それは母親からの遺伝と思えた。

 妖怪が多くくらす山間などならばさりとて、都会の方では変化する妖怪も日本人的な髪色に術をかけた上で人型を保っているので、そこまでカラフルな頭髪というのは、いないわけではないが多くはない。

 無論人間の中でも、自営業だったりして会社的な規則や縛りが弱い者はだいぶ自由にインナーカラーを入れていたりもするが。

 黒髪をセミショートにした、大学生と言っていいくらい若々しい父親が「ファミレスにでもいかないか。父さんは歩き疲れたよ」と笑う。白髪の、息子にも通じる優しい目をした母親が「もー、まだアラサーでしょう。だらしない」と笑って応じた。少年は「パフェたべたい!」と訴え、両親は微笑んだ。


 信号は赤信号。親子は、青になるのを待っていた。その時である。

 ウインカーを出す一台の大型乗用車が、減速せず道を曲がってきた——こちらに。周囲がどよめき、悲鳴さえあがり、母親がハッとして「孝之さん!」と怒鳴り息子を投げ渡す。

 父親は覚悟を決めたように抱き止め、そして覆い被さった。


 轟音、悲鳴、悲鳴、怒号。

 父が息を呑む。震えた手の隙間から見えた、転がってくる青い瞳の目玉。

 遠くには、赤黒い肉が散乱し、婚約指輪をつけた右腕が転がっている。


「ああ……浮奈っ! 浮奈!」


 父親が錯乱したように、その肉片をかき集め始めた。

 少年は、何が起こったのかわからない。何もわからない。周囲の大人たちが子供に見せるべき光景ではないと、彼を抱えて遠ざけた。

 彼は、現実がわからず、ずっと「ねえ、おとうさんはどうしたの? おかあさんはどこ?」と聞いていた。


 昼下がりの駅前で起きた悲惨な交通事故は不思議と全国区のニュースにはならず、地元紙で取り上げられる程度であった。

 危険運転致傷罪が適用された運転手には懲役十四年の刑が確定したが、地方紙に取り上げられた被害者遺族のコメントには、「その程度の罰で彼女の死を償わせてなるものか」と書かれていた。そこには無機質な明朝字体では覆い隠せない憎悪が滲んでいた。




 蝉の声と、読経をあげる坊さんの低い声。

 裡辺地方には独自の宗教がいくつかある。主に地元妖怪が信仰してきたもので、その一つである燦仏天さんぶってんの僧は緋色の袈裟を着込み、長いお経をあげていた。

 父の顔は憔悴しきっていた。まだ三十一歳なのに、顔だけ見れば五十代のようである。黒かった髪は、ストレスでところどころ白くなっていた。

 少年は、ただただ空想の世界に放り込まれたような感覚だった。適当に済ませて帰って、家に上がれば母が「手を洗ってからご飯だからね」と言ってくれる。

 そのはずだ。そうでなければならない。

 なのに、なんで涙が止まらないんだろう。

 泣きやめ、とずっと思っていた。涙と一緒に、母との思い出が出ていってしまう。

 震える手で、目元を覆った。瞼を閉ざし、目玉を握りつぶそうとすらした。隣に座っていた父は、魂が抜けたように気づいていない。左どなりの黒髪の猫又が、「ちょ、ちょっと!」と声をあげて少年の——燈真の手を掴んだ。その隣の白狐が……中学生くらいの少女であった椿姫が燈真を押さえて問いただす。


「なにやってんのあんた!」

「わからない、うるさい。うるさい! 黙れったら!」


 燈真は剛力で椿姫を振り払い、なおも読経をあげるお坊さんに掴み掛かった。


「やめろよ、それ! 誰も死んでないのに!」


 お坊さんは、悲痛そうな顔をした。どう説明するべきか。淡々と現実を突きつけることはできる。だがそれは、仏を目指す己がすべきではない。まして相手は子供だ。

 そうこうしている間に燈真は棺を蹴りあけた。


「誰もいないだろ! 母さんの写真も下せよ!」


 棺には、母はいない。その遺体は損傷があまりにも激しく、別のところに保管されていた。何かの間違いで子供が見たら——そう考えた大人たちの判断だった。

 献花台に上がって写真を投げ飛ばし、暴れ始めた燈真をとうとう周りが無理にでもと、押さえ込んだ。その間も、父は無反応だった。


「放せよっ! 放せぇえっ!」


 ケダモノのように吠え猛る燈真に、周りはかける言葉を見失っていた。けれど、見捨てることなんてできない。

 そこに集まった大勢——稲尾家や、魅雲村の連中は浮奈には世話になっている。村を出ていくときにも、燈真が生まれたときにも「子供をお願い」と渾身の願いを託されているのだ。


「くそォおっ!」


 万里恵の拘束を振り解いた燈真が外へ駆け出していった。

 夏の終わり、ひぐらしが鳴き叫ぶ。


「私が連れ戻す」


 椿姫が出ていった。彼女の性格を知っている連中は、ひょっとして殴るんじゃないかと思ったが、万里恵も柊も止めなかった。


 葬儀場の裏手にある森で、燈真は木に背をもたせかけて泣いていた。理由はわからない。認めたくないことを認めている事実に腹を立てているのかもしれないし、従容と人の死を受け入れた周りが気に食わないのかもしれない。


「燈真」


 そこに、凛とした声がした。顔を上げると、狐というには随分と大きい、大型犬くらいはありそうな白狐が近づいてきた。尻尾は、四本ある。妖怪だ。


「浮奈は死んだ」

「っ……!」

「それは、どうしたって変わらない現実で、事実よ。あんたが受け入れなくとも、世界はただそうやって回っていく」

「お前は化け物だから、人の気持ちなんてわからないんだよ!」


 白狐は一瞬、目を背けそうになった。その言葉は、妖怪に言うべき言葉ではない。そんなことは子供だって——燈真だって知っている。彼も、言い切ってからしまった、というような顔をして、俯いた。


「そうね。私は人間じゃないから、あんたたちのことはよくわからない。……でも、人間が諦めない生き物っていうのは、よく知ってる。友達がそうだった」


 白狐は、訥々と語る。


「私の友達は、周りが無理、できないって思っていることを進んでやった。止めてもいうことなんて聞かなくて、でも周りは放って置けないから助けて、結局全部成し遂げた。何回転んでも、跳ね返されても諦めなかった」


 気づけば狐は……椿姫は燈真に寄り添っていた。


「浮奈は親友だった。だから、私も彼女がいなくなった事実を認めたくない。でも、何があっても進まなきゃいけないってことを彼女から教わったから、私は立ち止まらない。いい、燈真」


 顔を上げた燈真に、椿姫は言う。かつて友から言われた、その言葉を。


「強く生きなさい。誰に嗤われようとも」


 燈真は、目を大きく開いて、涙を堪えながら聞いた。


「……かあさんは、もうかえってこないんだね」

「ええ。……泣いておきなさい。生きている私たちが死者にしてあげられるのは、思い出して、泣くことよ」


 そうして、燈真は堰を切ったように泣き始めた。

 椿姫はずっと彼に寄り添い、それから静かに、親友の死を悼むように涙をこぼした。


 九年前の八月三十一日。その日、漆宮親子の運命が大きくかわった。

 一人は、強く生きることを……前に進むことを選んだ。

 そして一人は、過去を取り戻すことに執着し、反魂の術の完成を模索し始める——。

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