第11話 教鞭、忌み呪われた箱を解き放ち

 空気がやけにひりつく。針のように突き刺さる剣呑な邪気。瘴気に近いその感覚は普段は「嫌な感じ」に過ぎないが、今は明確な攻撃性を宿している。

 いわば邪なだけの気配ではなく、はっきりとこちらを呪い祟る気配だ。


「ぐ——ぅ」

「はあっ……はぁっ……」


 椿姫と万里恵が脂汗をかいて、呼吸を乱した。

 腹部を抑え、ひどく顔色が悪い。血色のいい肌は青白く、明らかにおかしな状態にあるのがわかる。静脈が透けており、苦しみ方も尋常ではない。


「な、ど……どうしたんだ」

「月のもの……って苦しみ方じゃねえな」


 燈真と光希が彼女らに肩を貸す。椿姫はそれを振り解いて、


「あんたたち、逃げた方がいいかもしれない。……なに、この呪い……」

「男が平気で、女が苦しむ……あー、これ……コトリバコかもね……最悪な呪いだよ」


 万里恵が口に出したコトリバコという言葉を聞いて、光希が息を呑んだ。


「燈真、俺らだけでいくぞ。女子供と違って男なら抵抗できる呪いだ」

「どういう呪いなんだよ、それ」

「移動しながら説明する。行くぞ——」

「待ちなさい! 呪術師がいたら——」

「ほっとけるかよ。その呪いをぶっ壊すから、あとから合流してくれ」


 燈真がそういうなり、光希は走り出した。向こうみずの弟弟子が去っていき、椿姫は「クソ馬鹿」と口汚く罵った。


「椿姫、離れよう。このままじゃ、二分と持たない……効力圏から出ないと」

「わかった……」


 コトリバコとは、小動物などの臓器を箱に詰めてそれを呪う相手の家に送り効力を発動させる呪術だ。

 家の子供や女性に特に効果があり、その効力というのは臓器を腐らせるという恐ろしいものである。

 一方いっぽう二方にほう三方さんぽう四方しっぽう五方ごほう六方ろっぽう七方ちっぽう——などと等級が上がり、最大で八開はっかいと呼ばれる。

 このような悍ましい呪術を退魔局が認めるはずがなく、禁止呪術——禁術に指定。呪物の作成・保持・使用いずれかでも行えば呪術犯罪として認定されるのだ。そこに明確な悪意が確認されれば懲役刑は確定。良くて、仮釈放なしの実質永久投獄が確定であり、大抵は死罪だ。情状酌量の余地は、一切ない。

 呪いとは、いかなる理由があれ行ってはならないのだ。誰もが軽んじる呪術だが、それは一歩間違えれば国を滅ぼす暴力になる。


「だから、コトリバコやそれ以外の呪術は全面禁止なんだよ。呪術師ってのは、それを平気で破る。退魔師おれたちが駆逐すべき敵だ」

「コトリバコよりやばい呪いもあるのか?」

「言いたくねえ。それで察してくれ」


 是、と言ったようなものだ。

 雑木林の奥——昨日の戦闘で倒れた大木の上に誰かいる。

 笠を頭に被り、顔には般若面が覗く。黒装束で、体格は細身——背は、一九〇はあろうか。武器の類は腰に差した刀の一振りだろうか。


「おや……大瀧蓮に来られても困るが、せめて二等級を期待していたんだがね」


 ヤバい、と思った。

 こいつは、人殺しをなんとも思っていない。目的達成に必要なら、殺し当たり前の手段として平然と行うだろう。

 それだけの濃密な殺意の匂いが、濃密に漂ってくる。


「お前、何がしてえんだ」


 怖気付く燈真を無視し、光希が低い声で聞く。喉から、唸りが聞こえた。


「忌物——箱型呪物の運用実験、かな。ついでに、最近の術師のレベルを計りに来た。江戸の術師は、平和ボケしていて弱かったな。ああ、でも幕末はよかった。……知っているか、ヒトの、締まった術師の肉はなかなかに旨い」


 気づけなかった。燈真の目の前に、そいつはもういた。


「私は、腰抜けが好かん」


 拳打が繰り出される寸前、燈真はようやく動けた。咄嗟に肘で拳をブロックするが、恐ろしいほどの威力に体が地面と水平に、ノーバウンドで二十メートル吹っ飛ぶ。


「燈——っ」

「よそ見はいかんな、君」


 前蹴り。ヤンキー顔負けの喧嘩キック、と言った方がいいくらい無骨な蹴りが光希を蹴飛ばした。


「見たかぎり二等級相当の魍魎を倒していたようだが、まあ、このぶんでは君らはせいぜい三等といったところか? 話にならんな」


 雷が飛ぶ。

 男は妖気の高まりで先んじて首を傾け、回避。雷速を見てかわす事は不可能だが、予備動作を見切ればなんともない。——言うだけならば誰でもできるが、実行できるのはほんの一握りである。

 その隙に燈真が背後から組み付き、腕を首に回す。万力の如き力を込めた。確実に絞め落とす——しかし、


「急所を狙うのは悪くない。だが小僧、殺す気がないなら児戯とかわらんぞ」


 般若は腰を跳ねさせて燈真の足を浮かせると、手の親指のツボを押し込んだ。燈真は激痛に耐えかねて拘束を解き、相手は緩んだところで腕を掴み、そのまま投げ飛ばした。

 燈真は宙を舞い、腐葉土の上を転がる。


「発想、思考、行動、覚悟……子供じゃないか。そんなので退魔師が務まるのか」

「自殺志願者か、てめえは」


 光希が唸る。既に変化を解いていた。髭削ぎを咥え、ハクビシンの姿で燈真に寄り添う。


「私塾を開いていたことがある。薩摩藩でな。未熟な子供を見ると教え導きたくなる……職業病だと思ってくれ」

「思想家に人殺しはつらいんじゃねーの」


 光希が言いながら、素早く耳打ちする。


(俺が囮になってる間に逃げろ。一等以上を呼んできてくれ)

(殺されるぞ! 置いて行けるわけ……)

(置いてけなんて言ってねえよ。見捨てろっつったんだ)


 燈真の中に、怒りが湧く。

 それをめざとく般若は察した。


趨眉筋すうびきんが寄ったぞ。顔にすぐ出るな、小僧」

「黙ってろ」

「仲間割れならあとでやって欲しいが。まあ、若いうちは仕方ない」


 燈真は構えをとった。


「お前っ、何考えてんだ!」

「うるせえ。そっちの方が足速い、俺の方がしぶとい。どうすべきか一目瞭然だろ。それに俺の命は、誰よりも安い」


 踏み込み、加速。右の上段回し蹴りを繰り出し、般若が素早くブロック。見え透いた結果だ。燈真はすぐさま足を踏み替えて左の前蹴り——それも、半身になって避けられる。


「分かりやすすぎるな。もっと妖力の流れを統一して均一化した方がいい。筋肉の動きを誤魔化し、筋肉で妖気を誤魔化す。それが対術師格闘の基本だ、小僧」


 ご高説を垂れながらも、般若は攻撃を躱し、いなし、防ぐ。


「左のフェイントから右の首を刈る蹴りか? 手首に妙な力みがある上、大腿筋がひどく緊張している」


 くそ、見切られている。

 右の張り手——防がれる。無拍子の左拳を掴まれ、捻られて燈真は力任せに振り解いた。筋肉が明らかに痛んでいる。断裂した可能性さえある。左のミドルキックは躱され、左右のワンツーコンボはお手本のように上体を振って回避された。


「頭突きはもっとダメだ。私なら抑え込んだ後、握撃で握り潰せるぞ」


 手詰まりだ、どうにもならない。

 燈真は肩からタックルを仕掛けた。般若はそれを抱きしめるように受け止め、胃に膝をぶち込む。


「ごぇッ!」

「喧嘩が強かったのはよくわかる。町場の喧嘩なら、十分通用する強さだ」


 胃の中身が逆流してきて、気づけばそれを吐き出していた。


「弱すぎる。君は、強いと思い上がっていたようだがね。……そんなのじゃあ、君は何も成せず野垂れ死が関の山だ」

「んなこと、俺が、一番わかっ……てる!」

「自責して楽になれ、とは言ってないよ。現状を認めた方がいいと言ったんだ。本当に弱いと自覚していたなら、君は雷獣を囮にするべきだったんだ。俺の方が強いと思い上がっているから、無意識に見下されたと勘違いして腹を立てたんだよ」

「それ……は……」


 確かに、そうだ。

 光希は冷静に、誰よりもクールに考えた上で囮を買って出た。生存率も勝算も、そちらの方があったのだ。

 だが燈真は意地を張ってしまった。自分はこれまで負け知らずだった、こんなところで負けるわけがない。俺は誰よりも強いんだと、自惚れていた。


「ちくしょう……!」

「殺すには惜しい。非常にね。残念だ、小僧。判断の誤りを悔やむといい」


 般若の腕が迫ってくる。

 そうして燈真の視界は、ふっと黒くかげった。


 般若は、膨れ上がる妖気に気づいていた。燈真の首をへし折るために伸ばした腕を素早く引き戻し、後ろに飛び退く。

 彗星のような速度で、一人の銀髪の麗人が降り立った。手には赤黒い——闇色の片手剣。

 血のように赤い目を、一瞬燈真に向け——すぐ、般若を睨んだ。


「スナッチャーと取引した呪術師……じゃあなさそうだけど。何してたの?」

「実験だ。根が、学者なものでね。実地で試すのが好きなのさ」

「コトリバコで何を?」

「コトリバコ自体には意味がないと言っておく。……私は、そうだな。この面の通り般若と呼んでくれ。君は」

「ジークバルト・ガブリエル。ブルート・リッターオルデン、第一級リッター……こっちで言えば一級騎士だ」


 般若の喉奥が、くくっ、と笑いを漏らす。

 部が悪い、と思ったのだろうか。それとも、なにか好都合と思ったのか。


「子供の遊びに付き合いすぎたな。呪いの効力が下がっている」

「だから逃げるって? 逃すわけが——」

「いいや、逃げさせてもらう。じゃあな、そこの小僧。次は殺すつもりでやれ」


 般若の姿に、微かにデジタルノイズのようなブロック状の歪みが生じ、次の瞬間ザザッと姿がぶれ、消失した。


「分身か。……やれやれ。殺気といい妖気といい……本体はどれほど強いんだか」


 ジークバルト——ジークは、意気消沈したようにうずくまる燈真を見て、つぶやいた。


「これが、僕が目指していた男の現状か」


 その声には、明らかな軽蔑が含まれていた。

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