第9話 準備、祭りに向けて

「俺に、友達なんていらねえよ」


 中学生の頃、ドイツからやってきた子がいた。学年は一つ下。一匹狼の燈真を、「漫画の不良みたいだ」といってついてきた子犬みたいなやつ。

 実際にはそいつは孤高を愛すると言われる吸血鬼という妖怪で、犬ではなく鬼に近しい三角形が生えていた。


「友達になろうよ。僕も、燈真くらい強くなるって」

「今さっきボコボコに殴られてたじゃねえか。妖怪なのに、人間に負けやがって」


 そういうと、彼はしゅんとして耳を垂れ下がらせた。


「じゃあな。もう絡んでくるな。お前といると、めんどくさい奴らに目ぇつけられる」


 俺と関わると、ろくなことがない。

 燈真は言外にそう語っていた。直接言えばいいが、こいつは優しい——優しすぎる。

 どうにかして嫌われなければ、他校の連中に何か因縁をつけられかねない。


 次の週、彼が急遽帰国することになった。

 一言別れを、そう思って声をかけようとしたが、彼はひどく乾いた目でこう言った。


「僕は、弱すぎたね」——と。


×


「にゃーああああご!」


 稲尾家の居間で、祭りに行く準備を進めていた一行のど真ん中で猫の如き奇声を上げた菘に、椿姫が「貓鬼びょうきに憑かれた?」と言いながら自分の浴衣の帯を締める。

 土曜日半ドン授業を終え、退魔師を理由に部活動を帰宅部に選択している彼らは、家に直帰。シャワーを浴びて今に至る。

 椿姫の浴衣は魅惑の黒地に情熱的な赤い椿の花があしらわれた艶やかなもので、彼女の白い毛髪が映えていた。


「ちがくて。まりえは、けなげだなっておもったの」

「わかる菘ちゃん? いやーほんと、私の飼い主って猫使い荒くてさあ……なんでだろうね? 昔みたいにねこちゃーんっていいながら——」

「馬鹿言ってないでさっさと菘の着替えを手伝ってあげて。私、男どものケツ叩いて急かしてくるから」

「ね、怖いでしょ」

「おねえちゃんこわい。よめのもらいて、なくなりそう」

「うるっさい、余計な心配なんかしなくていいの!」


 椿姫は「ったく遅いんだから男どもは」と言いながら居間を出て階段を上がっていく。

 すでに浴衣の柊と伊予は「ちっとはお淑やかにできんのかあいつは」とか、「柊の若い頃にそっくりでいいじゃない。でも、楓ちゃんの方に似てるわね。生き写しみたい」とか言っている。

 楓というのは椿姫たちの母で、現在は人妖融和のため各地で講演活動やボランティアを行っている。地域清掃から医療、支援などなどを行っているのだ。運営実態の怪しいNPO法人が動かしているわけではなく、一切の資金提供は柊が行っていた。

 それはつまり、バックに退魔局がついているのと同義である。実は柊は、何気に人間と妖怪の間を取り持つ大きな立場を持っていると同時に、資産家の一面もあった。


「菘ちゃん、ばんざーい」

「ばんざー」


 すっと帯を回し、手早く結ぶ。万里恵は江戸の終わりに生まれた世代だ。浴衣や和服が当たり前の時代に生きていた猫又なので、扱いも得意である。

 菘の浴衣は白地に桜をあしらった可愛らしいもので、万里恵のは水色の生地に花火を描いたものである。

 柊は薄紫色のもので、伊予は大人っぽいブラウンである。大人組は絵柄が入っていない(万里恵も大人妖怪だが、本人曰く「永遠の十七歳」らしい)。


「ほーらできた。んん……菘ちゃんはほんっと可愛いねえ。万里恵お姉ちゃんとデートしちゃう?」

「あまいもの、ごちそうしてくれるならいいよ」

「今度ぜんざい食べに行こっか。白玉のぜんざい」

「むふ……ぜんざい、いいね」


 と、後ろから椿姫がやってきて、


「何私の妹誑かしてんの。万里恵の奢りなら私もついていくけど」

「なんであんたに奢らなきゃいけないのよ。燈真君たちは?」

「遊んでたからケツ引っ叩いてきた」

「おねえちゃんこわい」


 菘が耳をぴこぴこさせる。早く祭りに行きたいのだろう。屋台で色々食べるからと、昼もだいぶ控えていた。

 万里恵は菘の頭をひと撫でし、「先に現地行ってるわね」と言って去っていった。


「なんで、さきいっちゃうんだろ」

「忍者だから、危険の芽を潰すためでしょ。あいつは私たち稲尾に仕える忍者一族だからね。……燈真たちが昨日、境内の裏で『忌物きぶつ』らしき気配感じたっていうし、警戒はしておくに越したことはないわ」


 椿姫はその忌物——忌み物について、あまり意識を向けていなかった。

 神社や寺には、そういうものが多い。霊園を併設していたり、なんらかの塚があれば当然である。魅雲常闇之神社には特に北国で猛威を振るった天保の大飢饉で餓死した者を祀った慰霊碑もある。

 なんらかの怨念が偶然落っこちていたものに宿り、忌み物と化したとしても不思議ではない。

 実際、平将門の首塚は未だ取り壊せていない。あれは、あの一帯それ自体が忌物——言い換えれば禁足地に近いものに変質しているからだろう。個人の怨念がそこまで膨れ上がるなど、嘘みたいだが——信じるしかない。呪いや怨みは、それだけの力があるのだ。


 椿姫は万里恵があえて行動に移したということは、こちらにも警戒を投げかけているということだろうか——とふと思い直した。

 二階からどたどたと階段を降りてくる足音が聞こえてくる。燈真たちが降りてきたのだ。


「ったく、準備くらいゆっくりさせろよ」

「おう、なんで竜胆は叩かないんだよ。俺と燈真だけじゃ不公平だろ」

「僕は常日頃酷い目あってるからだろ」


 一体、椿姫はどれほどの暴君ぶりを見せつけているのだろうか。

 柊と伊予が困ったような、呆れたような顔をしていた——と、テレビの液晶に映るニュースキャスターが、


「速報です。二ヶ月前ドイツの刀剣展示会を襲撃した『バウンティ・スナッチャー』と取引をしたと見られる呪術師が、日本国内で目撃されたとの情報が入りました。退魔局は当該呪術師が吸血鬼及び人狼族であること、銀髪の男と金髪の女であることを明かし——」


「菘」

「んー?」

「なるべく、大妖おとなと一緒にいなさいね。最低でも竜胆とくっついてなさい」

「わかったー」


×


 神社の境内——その裏手の雑木林。何名かの氏子が結界を張って、入れなくしている。結界内には、二等級以上の退魔師の気配が二人分。忌物きぶつを捜索しているに違いない。

 万里恵は一等級ライセンスを見せて、話を聞いた。


「退魔局一等級、霧島です。状況はどうです?」

「気配が大きいです。強さで言えば、二等級がせいぜい。しかし、滲み出た邪気が拡散しています。だいぶ広域に呪いをもたらすのでしょうね」

「もうじき柊が来るから、大体の場所を割り出してください。あいつがくれば、術で忌み物を邪気ごと焼き払いますから」

「わかりました」


 柊は現役引退の身だ。年寄りがいつまでもでしゃばることをよしとしない彼女は、江戸時代以降現世の問題に介入することがなくなった。彼女が行うのは村の自衛のための最低限の行動である。あくまで、現代人が現代という時代を回していけ、というのが柊のスタンスだ。

 妖怪の年寄りという概念は妖によりけりだが、柊は一五〇〇歳。見た目はどうあれ宿老と言える立場にあり、あまりしゃしゃるのが好きではないのだ。

 妖怪の在り方、力を持つものの在り方は修行を通して伝えていく——そんな生き方を選んだのだって、それが理由である。


 万里恵は結界内を覗いた。薄紫色の幕の向こうには、妖力視——鬼の目と言われる技法でさえなお漂う邪気が見て取れる。

 先日の戦闘で忌物が刺激されたのが原因だろう。

 厄介なことだ、と思った。かといって、陽の気を高めて魍魎の発生抑制・弱体化を狙う祭りを中止にすることはできない。

 祭りとは祭事であり、古くはまつりごとと同一であった。神の御前で舞を演じ、供物を捧げ、加護を得る。現代的な意味合いで言えば、政治的な思想がどうとかではない。本来妖怪とは神であった身である。彼らにとっては本能に根差した喜びでもあるのだ。それを中止したら、そっちのほうが却って陰の気が生まれやすくなり、魍魎が発生しかねない。

 それに、誰だってたまにはハメを外してはしゃぎたい。


 万里恵はここには目を光らせておいた方がいい、と判断した。

 念話で椿姫に伝えようとチャンネルを繋げる。


『なに?』

『雑木林は警戒した方がいいかも。特に菘ちゃんは

『わかった』


 念話は妖力で行う会話だ。電波に声を乗せる電話と似ているが、違うのはあちらはハイブリッド符号化方式で録音済みの無数のパターンから本人そっくりの声を再生している一方で、念話は術師の素の声が直接頭蓋に響くことが異なっている。なので、相手の普段の肉声に比べ若干低く聞こえる点が、通常会話や電話と異なる点だ。


 万里恵は踵を返し、境内に戻った。

 すでに祭りは始まっており、それなりに広い境内や階段下の道路には屋台が並んでいる。普段から細々と屋台はあるのだが、今日はいつもよりずっと多い。

 まあ、警戒に越したことはないけど祭りを楽しもう。

 万里恵はそう決めて、ほくほく顔でさっそく屋台を物色するのだった。

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