第8話 雷獣、その本性を表す

 任務指定地は村の神社——その裏手にある雑木林だった。

 神社の鳥居の色は藍色で、裡辺地方でのみ信仰される常闇之神社という独特な神社の分社らしい。全ては巡り巡った末に母なる常闇に還るという教えを説く、神道に似た異なる、常闇の神の道である。


「今回は結界師のひといないんだな」

「ああ、神社が協力してくれるってよ。今頃氏子さんが結界を張ってると思う。退魔局と常闇之神社は結構深い関わりがあるっぽくて、互いに協力関係にあるんだ。退魔局の支局ビルをおっ立てるときに反対が少なかったのも、ここがみんなを説得してくれたかららしい」


 光希はエレフォンを手に、画面を見せてきた。肩を寄せ、内容を確認する。


「目標対象は三等級。俺と同じ等級だな。その魍魎の祓葬ばっそうだ。黒い布切れを纏った女体型、らしい。怨念の中核は、女の怨みかなんかだろ」

「怨みが魍魎の外見にも影響を与えるのか?」

「ああ。強ければ強いほどな」


 光希が見せてきたのは撮影されたターゲットの写真だ。魍魎は五、四等級はカメラに映らないが、三等級以降はその濃い妖気故はっきりと映り始める。特に退魔師が使う専用のレンズは、五等級でさえはっきりとその姿を写すのだ。

 撮影されていたのは御神灯との対比からして二メートルちかい上背を持つ個体だった。

 鳥類の翼と人間の腕が一体化したかのような腕部を持ち、下半身は長脚。羽毛のような組織を持つ胴体に、女性の乳房のように発達した胸部。顔はヘビクイワシと江戸時代の百鬼夜行図の鬼のようなおぞましいそれを足したような感じだ。

 まるで美しさに拘泥するあまり、それ自体が醜悪な意志を形成してしまった者を具現化したような外見である。


「識別名はカバネ。夏の羽だそうだ。屍ともかけてんのかな」

「三等級にしちゃ、強そうだぞ」

「ギリ二等級未満だからな。でも、燈真が一皮向けるにはこいつがいいって判断だ」

「柊って本当にスパルタだよな」

「愛ゆえの鞭さ」


 燈真はため息をついた。それだけ期待されているのだろう——実際、燈真は妖力操作には一定の素質があった。天才的とは言えないが、常人よりは上達速度が速いらしく、その扱いを身につけつつあった。

 あとは先天的な術式を持っていたらそれを発現するのを待つばかりだが、これはもう才能と運だ。燈真の努力ではどうしようもない。


 雑木林の奥から、濃密な瘴気の気配がしていた。

 廃工場のそれを上回る死の匂いである。その死の香りとは甘酸っぱく、どこか刺激的な柘榴のそれと似ていた。術師や妖怪は、魍魎が纏う独特の臭気をそのように感じ取る。


 燈真は胃がずっしり重くなるのを感じた。それが今まで感じたものとは比にならないプレッシャーであると自覚すると、緊張が込み上げてくる。

 光希がそんな彼の肩を叩いた。


「心配すんな。勝てねえ相手じゃねえ」

「……ああ」


 カバネは結界が張られた時点で、外界から流れ込む妖気が絶たれたことを察し、異変を理解したはずだ。その上で、その結界内の大きな妖気を探っているに違いない。

 結界は、基本内側から締め出すために張る。故に、結界に入れられたものは術師が内側にいると判断する。無数の怨念が融合した魍魎も例外ではない。有り合わせの知性が、常識的な判断に従い結界内の大きな妖気を狙うのだ。結界から出るために。

 だから魍魎退治において結界を張るのは、それ自体が魍魎自身の攻撃を術師=退魔師に向けさせる避雷針になるし、隠れひそむそいつらを誘き出す誘引剤になるのだ。


 木々がざわめく。下草が踏みしめられる音、そして、光。


「来たぞ!」

「わかってる!」


 叫ぶ光希と燈真はほぼ同時に左右へ飛んだ。二人の間を、赤黒い妖力球が擦過する。背後の細い竹に当たり、それを何本か巻き込んで地面に着弾し、爆発。粉塵と土煙を巻き上げる。

 光希はナイフを抜いた。実家の蔵からくすねてきた戦闘用の剃刀である。刃渡り一尺、柄七寸の大ぶりなそれは、元々は鬼が針金のような髭を落とすために使っていたものとする説がある。

 銘をシンプルに髭削ぎといい、尾張家初代当主はそれを鬼との決闘の末、褒美として受け取ったとされる由緒ある呪具だ。


 髭削ぎに電流を流し、高電磁を纏わせる。ヒヒイロカネ合金の刃が緋色に赤熱し、光希は素早く、尾を振った。

 自切した毛を硬化させ、針のように飛ばす獣妖怪の得意技——毛針千本の術を発動。紙縒の如く束ねられた五本の太い毛針が殺到した。

 木陰の向こうから、甲高い金属音。すかさず光希は左手に圧縮していた電撃を、己の帯電させた毛針を避雷針の代わりに打ち込んだ。


「〈とおし〉」


 パンッ、バチンッと音を立てて金色の雷撃が爆ぜた。

 夕闇が一瞬白んだ——そこを、すでに飛び出していた燈真が駆け抜ける。

 拳には藍色の妖力。常人より濃いのは、彼の特徴だ。生命を宿す木の属性故に生命力そのものに溢れ、故に彼は妖力量に優れる。生命と妖力の関係には謎が多いが、関連性があると指摘する妖学者ようがくしゃが多い。

 燈真の視界に、女体と、両腕羽りょうわんばを持つ鳥人が見えた。

 魍魎がその肉体の一部や全体像を人間に寄せるのは珍しくない。いや、どんな生物の形になってもおかしくないが、とくにヒトらしさがどこかに出るという。

 踏み込み、腰を捻り、体重を乗せた右の正拳突きをガラ空きの脇腹へ叩き込む。


 稲尾流戦闘術、拳撃けんげきの型・〈晨星しんせい〉。奇を衒わぬ、真っ向正拳突き。


 拳が激突した次の瞬間、大気が震えた。カバネの脇腹の頑丈な表皮が波打ち、ビリッ、と妖気が炸裂する。

 常人を遥かに上回る膂力に、濃密な妖力。妖力の精度に目を瞑れば、百点満点の打撃であった。

 カバネが「ガァッ」と、鳥類のような女性のような悲鳴をあげ、たたらをふんだ。


 左の腕羽には毛針が食い込み、痺れているのか震えさせている。カバネは嘴をガヂ、と鳴らし、歯軋りしながら右腕羽を振るった。

 燈真は瞬時に腕を立ててブロックし、勢いを殺しつつ後ろへ転がる。

 直後、カバネが飛び上がった。緩やかな上昇を助けるように両腕羽を広げ、そこへ電撃が襲いかかるが命中する直前、カバネは空中を蹴るようにして羽ばたいて急襲。鳥脚が、燈真を狙った。


「っ!」


 慌てて飛び退くが、鋭い爪が盾にした左前腕を抉った。妖力を纏ってガードしたが、それを貫通して皮膚が裂ける。

 脳に炎が散るような、そんな熱を伴う痛みが走った。持続しない、じわりと熱いと感じる痛みだ。経験が、浅い傷ではないと警鐘を鳴らした。深い傷は、瞬間的な痛みが鈍る。脳がショックを避けるためにそうさせるのか、痛覚自体が死ぬのかはわからないが……。とにかく、深い傷ほど痛くない。むしろ、熱い。


「おらァッ!」


 電撃が二発、三発と押し寄せる。カバネも燈真がそうしたように妖力で膜を張ってダメージを軽減。着弾の都度、羽根と血液がパタパタと飛び散る。


「燈真、下がれ!」

「わかった、悪い」


 光希に言われ、燈真は後ろへ下がる。袖の中をあさって回復効果のある包帯を取り出すと、それを袖をめくって左腕に巻き始めた。瞬く間に白い包帯に赤黒い血が吸い込まれ、変色していく。

 水と木の妖力が練り込まれているこの包帯には、傷の治りを助け痛みを和らげる効果がある。退魔局が退魔師に向け支給する道具の一つだ。怪我人に妖力の適性がなければ効果を発揮しないので、通常医療ではあまり役に立たないらしいが。

 じんじんする左腕をさすりながら、燈真は軽く振った。フェイントくらいの打撃なら打てる、と冷静な判断を下し、戦線復帰のため呼吸を整えた。


 光希が電光を纏いながら、髭削ぎを振るった。逆手にかまえたそれを閃かせ、カバネの腕を掻い潜って胴、首を狙い傷つける。


「硬ぇ……! 本当に三等級かこいつ!?」

「待ってろ、すぐ戻る」


 燈真は妖力を練り直す。守り三、攻撃七の比率だ。精度は相変わらず悪いが、出力と素の筋力で補う。

 一歩目、二歩目、助走をつけて加速。カバネが燈真に気付き、右腕を振り上げた。

 叩きつけられる拳をすんでのところで左に回避。薙ぐように振るわれた右腕を屈んで避け、右のボディブローを打ち込む。


「ギッ……!」


 カバネが唾液を散らした。赤い血走った目が、燈真をぎょろりと睨む。

 反撃の蹴りが飛んできて、燈真は後ろへ下がった。交代で光希が攻めかかり、電撃と剃刀の連撃を加える。

 痺れを切らしたカバネが、急襲攻撃の構えをとった。

 天高く跳躍し、光希は相手の動きを見切り素早く回避行動に移る。

 燈真は相手の狙いが光希ではなく、一際大きい木に向いていることに気づいた。


(何する気だ?)


 カバネが急降下し、その木を蹴り倒した。

 幹が深く抉れ、ミシミシと音を立てて傾ぐ。次の瞬間、その木は横倒しになり、燈真と光希を分断した。


「これが狙いか!」


 光希とカバネが木の向こうに、燈真はこちら側に。

 一撃で戦闘不能にされる危険性を持つ燈真を取り残し、連撃型の光希から確実に潰そうというのだろう。

 確かにタフネスと打撃力を両立した燈真の方が厄介に思えるが、だからといって現状の燈真が光希より強いわけでは、


 光希は燈真と分断され、舌打ち。

 髭削ぎを二、三回くるくる回す。カバネは勝ち誇ったように肩を震わせていた。笑っているのだろう。嘴の奥から、ブッポウソウのように「ゲッゲッゲッ」と声が漏れている。


「勝ち確とか思ってんなら、早すぎる」


 光希は髭削ぎを天高く投げた。直後、彼はボフッと煙を撒き散らし、変化を解く。

 落ちてきた髭削ぎを口で咥えたのは、ジャーマン・シェパードほどの大きさを誇るハクビシン。体重は三十キロ越え——普通のハクビシンの十倍以上の重量だ。特徴的な白い顔の模様に、黒い顔とうなじ、そして彼が特殊なのはそれ以外の体毛が金色であること。

 瞳は金色、電気が走るような瞳孔が鋭く刻まれている。


 妖怪本来の姿を顕現する、源身げんしん状態。最も効率良く妖力を回せる一方で、妖力によるダメージを受けた際の揺らぎも大きい諸刃の剣である。

 光希は、舐めたような顔をしているカバネの首を狙い、疾駆。

 目にも留まらぬ速さである。人間状態の時の、倍以上だ。

 あっという間に距離を詰めて跳躍。普通のハクビシンでも、その跳躍力は一メートル以上。まして妖怪であれば、家屋の屋根に一回のジャンプで飛び乗ることなど造作もないほどだ。

 カバネの反応速度を超える勢いで首を切り付ける。筋力も、妖力も段違い。頑丈な皮膚が切り裂かれ、カバネが悲鳴を上げた。


(傷を治すつもりだな)


 カバネが傷を負った首を庇うように腕を上げたのを見て、そう看破した。

 妖力による肉体の治癒は困難だが不可能ではない。三等級の中でそれを行うものはまずいないから、こいつは二等級という判断でいいだろう。二等級なら、たまに妖力治癒を行うものがいる。


瘴気瘤コアを潰すのが手っ取り早い!)


 光希の狙いが、頸部から胸に切り替わった。人型の魍魎の多くは、胸にコアを持つ。

 どんなに強い魍魎であっても、コアを破壊されれば即座に消滅するのだ。大妖怪でさえ喰い殺す、人妖の天敵たる魍魎の最大の弱点である。

 光希は尻尾を何度か振って、毛針を突き立てる。体毛の再生は妖力治癒の範疇でできるから、十円ハゲのようになる心配はない。まだ肉体の傷は治せないが、毛くらいなら生やせる。

 カバネが光希へ攻撃を加える——蹴り、殴打、噛みつき。しかしいずれも、光希は回避した。一回あたりの攻撃力はカバネが勝っている。しかし、速度と妖力の精度なら、光希の方が圧倒的に上だった。


(今燈真と合流されると巻き込みかねない……知らせとくか)


 光希は肺に空気を吸い込み、「ミィーッ」と甲高く鳴いた。

 木を這い上がってなんとか隙をついて攻撃を加えようとしていた燈真は、光希のその咆哮が大技の忠告だと察し、飛び出すのを堪える。


 髭削ぎを地面に突き立てた光希は、長時間握り、咥えて充電していたそれに放電を命じた。

 己自身からも、大電撃を——敷き詰めた毛針の陣に叩き込む。


「〈超雷電ヱレキテル震電しんでん〉!」


 激しい雷が地面に駆け抜けた。

 腐葉土が一瞬で蒸発し、地面の水分が気化。乾いた土が抉れて裂け、破裂する。

 陣の内側にいたカバネの全身に、落雷に匹敵する電撃が叩き込まれ、その体から赤い煙——蒸発した血が立ち上る。バクッと胸の谷間が裂けて、そこから赤黒いコアが除いた。


「行け燈真! コアを潰せ!」

「任せろ!」


 大技を使った反動で疲弊した光希に代わり、燈真が突っ込んだ。

 右拳に妖力を集中。駆け引きのない、その真っ直ぐな拳を跪いたカバネに、叩き込む。


「〈晨星しんせい〉ッ!」


 金剛石の如きコアが、蓄積したダメージも相俟って限界を迎えた。

 澄んだ破砕音を響かせ、それが粉々に砕け散る。カバネが末期の痙攣を残し、その身を妖気へ変じさせ、大気へ拡散させていった。


 燈真は振り抜いた拳から力を抜いて残心。

 光希は髭削ぎを引き抜いて、元の少年の姿に戻る。本来の姿というのは、人間の感覚で言えば全裸を見られる感覚に近い。燈真はもう弟弟子なので見られたところで気にならないし、戦闘中にもなれば気にすることもないのだが、ここはシンプルに野外である。現代の妖怪は、決して野蛮ではない。羞恥心くらい持っている。


「凄い電撃だったな」

「だろ。まあ雷獣として格を上げてけば、青天の霹靂、ってのを普通に起こしたりするらしいけどな」

「空から雷でも落とすってか? 道真公みたいに」

「ああ。七、八尾クラスにもなれば息をするように雷を落とすんだと」


 そこまでいけば大妖怪と言われる妖力を誇るわけだが、流石に晴天の空から雷を落とすのは尋常ではない。


「そんな馬鹿な」

「馬鹿なもんか。この村の退魔局の最高戦力がまさしくそれなんだよ。準特等、七尾の雷獣・大瀧蓮おおたきれん。聞いた話じゃ、自然災害に匹敵するような特等級魍魎さえ捻っちまうらしい」

「五等級ライセンスを受け取りに行った時、ちらっと大瀧さんがどうのって喋ってる職員がいたけど、そのひとがそうなんだな」

「ああ」


 結界のへりまで歩いて行き、光希は鈴を鳴らす。その音色で結界に波紋がたち、呪文を唱えたように素通りできるようになった。

 これはあらかじめ登録してある妖気パターンの術師と呼応するもので、鳴らせば結界に通り道を作る呪具だ。昔、籠城戦のために城やなんかに結界を張った際、城主などが逃げ出すために作られたらしい。


 外にいた巫女が、「お疲れ様です」と労ってくれた。

「あいつ、二等級だと思う。治癒術を使った。……ここ、なんか埋まってんじゃねえのか?」


 光希にそう言われた巫女が、ハッとした顔をした。隠し事がバレたという顔ではない。まさかそんなことが、という驚きだ。


「忌み物の類でしょうか……すぐに、神主様に知らせて調査します」

「頼むぜ。ことによっちゃ、退魔局を頼った方がいい。三等級の俺じゃ忌み物の処理はできねえから、今すぐ手伝えねえけど」

「そういう決まりがあるんだな」

「ああ。この場合、手を出せるのは二等級の椿姫か一等級の万里恵だな」


 光希は肩を回す。


「行こうぜ、腹減った」

「ああ。俺も——」

「差し支えなければ、豚汁などいかがでしょう。一杯飲んでいけば、小腹が満たせますよ」

「お、いいね。もらってこうぜ」

「神社の豚汁って美味いんだよな。縁日とかのさ——」


 そうやって会話しながら、燈真たちは境内の方へ歩いて行った。


×


 その様子を、樹上から眺める影が一つ。

 そいつは笠で隠した般若面が顎を撫で、面の下で笑みを浮かべるのだった。

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