第6話 初陣、いざ廃工場へ

「いろいろバタバタしてて申し訳ないけど、明日から高校ね」

「伊予さんから聞いてる。昨日制服と教科書買いに行ったし」

「そっか。……緊張してるでしょ」

「……まあな」


 退魔局魅雲村支局の使者が運転する車で、燈真たちは現場に向かっていた。

 夜の村は、中心街と歓楽街以外はほとんど電気がない。街灯だけが等間隔に並び、万里恵が「子分」と言い張る野良猫が逞しくも気楽に生きている。

 燈真は深呼吸をする。


「大丈夫、妖力の質は木の丙辰へいしんって結果が出たでしょ」

「木なのに、丙辰ってのも不思議だ」

「そうでもないわ。木が燃えて、灰となり土壌を作ると考えれば辻褄が合う。私なんてもっとチグハグよ。火の戊子だし」

「ふうん……」


 でも、と燈真は思った。

 五行思想において丙辰は火生土——燃え盛る火で灰が土に還り、土を補強する考えで、戊子は土剋水。土で水を堰き止めるという考え方で、水の勢いを殺す意味合いがある。

 椿姫の火が、燈真を強くして、さらに椿姫を強くする。そういうふうに考えるのは、出来過ぎだろうか。

 燈真は木で、椿姫が火というのもまた、あまりにもできている。できすぎている。

 ちなみに陰陽五行による妖力の性質判定は、それが術式の能力を左右することはない。あくまで妖力を扱う上での資質だ。なので、たとえば五行では水でも、雷を扱う術式を持っていることもある。五行を用いているのは例えであり、木とか火、というのは、あくまでもことばのあやなのだ。


「言っとくけど、こういうのって別に、珍しくないからね。万里恵も私を支えることに特化した属性だし、ってか能書で全部決まるってことはないんだから」

「わかってるよ。それより、俺はこの二日の付け焼き刃だぞ。戦えるのか?」


 外は暗い。時刻は午後八時。車は、村はずれの廃工場に近づいていた。

 四方を山に囲まれ、川が流れ込み、そして川に流れ出ていくこの村は古くから流水を使った工場が多かったという。

 豊かな水量は動力化された炉を安定して動かすことから、焼き物や、鍛鉄に活かされた。

 機織りも、染色もまた、然りである。人口一万五千の村だが、ここだけで自給自足が成り立つのは恵まれた土地がそうさせるのだ。


「それを実戦で試す。うまくいかなかったら、そのときはそのとき」

「やっつけだな」

「習うより慣れろだから。歩かせるよりも走らせたほうがうまくいくことも多い」


 とんでもないスパルタじゃないかと思いながら、燈真は唇を舐めた。

 ——緊張している。それは自覚している。だが問題ない、やれるはずだ。根拠なんてないが、自信を失えば気持ちで負ける。精神力は、妖力の質に大きく関わるのだ。


「到着いたしました」


 運転手がそう言った。犬妖怪の二尾の青年は落ち着いたバリトンボイスでそう言って、自動でドアを開ける。ハスキー犬のような耳と尾。顔立ちも堀が深く、目元が、少しキツい印象。ひょっとしたらハーフかもしれない。

 一緒に降りてきた彼は、スーツ姿のビジネスマン風の風体である。

 彼は周囲に張り巡らされたフェンスの門の鍵を開けた。

 それからタブレット端末を手に、手早く状況説明を開始する。


「昨日未明、当該地域に魍魎の発生を確認しました。等級は五から四。三等級以上は、まず現れません。本来、二等級の稲尾さんにはアサインされないものですが、五等級・漆宮君の修行……いえ、研修付き添いということでご同行願いました。

 土地に生存者と思しき生体反応はありません。小動物の反応が転々とあるくらいですね。

 目標は一つ、魍魎の完全祓葬、つまり殲滅です。〈庭場〉を形成するほどの数でも質でもありませんから、こちらで周囲に結界を張ります。ご武運を」


 結界師でもある現場監督を兼ねる彼が、結界を張るために刀印を結んだ。それで九字を切り、術を発動。

 広範囲であったり、術の精度をあげるなら普段省略する手順をあえて踏めば、効果を底上げできる。それはこの二日で学んでいた。

 妖術は手順の引き算と、効果の安定のバランスの駆け引きだ。手早く強力な術を発動できる者が、術師としても妖怪としても強い、と言われる。


「いくわよ」


 椿姫に促され、燈真は歩き出した。

 廃工場に入る。錆びついて塗料が溶けた看板には、『魅雲染色(株)』とあった。どうやら、染色工場だったらしい。


「新工場ができて、こっちは放置されてるの。取り壊すにも企業の方でどうもゴタゴタがあるみたいでね。たまにクマが入り込んだりするから危険だってんで、立ち入り禁止なの」

「そういう話って田舎にもあるんだな。壊したくても壊せないってのは、禁足地とか都会の行政不行きでどうの、みたいな物件だけかと思ってた」

「禁足地? 変なこと知ってんのね。村の周辺にもあるけど入らないでね。いやよ、マジもんの化け物と戦うのなんか」


 椿姫の言葉を信じるなら、この世には妖怪や魍魎以外にも「何か」いるらしい。

 それはさておき廃工場はいくつかの作業工程に分かれたブロックに区画分けされていた。

 燈真は中学時代、高校生のふりをして工場の食堂でバイトをしていたことがある。なので、こういうところの設備は少しだけ知っていた。

 乾燥し染めた生地をのばす大きな作業機械がある部屋に入る。燈真は妖力操作の一環である瞳術の一つ——暗視術を発動した。視界が明るくなり、闇に即座に適応する。

 それから、あの時感じたおぞましさ——瘴気の気配を探る。

 えた死体のような、あの独特な臭い。異質な雰囲気。一度経験すれば嫌でも体が記憶する、天敵と対峙したようなあの本能的な恐怖。

 柘榴のような、酸っぱく、そして微かに甘い匂い。本能が、死と紐づける匂いだ。

 経験しないに越したことはない。だが、今はそれがセンサーとなる。


「する?」

「しない。ここじゃない。でも一階にいるのは確かだ」


 工場の間取りは、車が迎えに来るまでの間に見ていた。

 一階が布の染色、乾燥、あるいは起毛といった工程をする場所で、二階が品質のチェックをする場所らしい。

 工場自体の劣化と汚損、なにより作業機械の故障が相次いだことが新工場建設の理由だというが、半グレが集まったり、彼らが生んだり、彼らに向けられたりするマイナスの情念が、魍魎を生んでしまった。

 燈真自身がその半グレだったから、そうなってしまう理由というのがわかるだけに頭ごなしに悪者とは言えない。けれども、社会的に肯定するつもりも、してもらう気もなかった。


 これは罪滅ぼしだと思う。

 今までの悪行に対する、清算。汚した部屋を、綺麗にベッドメイキングしてからでていけ、というような。


 染色工程のブロックに行く間、燈真は警戒しつつ、足を進める。

 服装は、狩衣を現代風に簡略化したような服装だった。薄紫の半襦袢と藍色の指貫袴は動きやすい最新の防刃・防弾繊維。漆で塗ったような黒い狩衣には、稲尾家の家紋である九つの尾をあしらった紋様に、稲穂で円環が刻まれたものが背中に染められている。

 伊予が呉服屋に頼んで作ってもらった、洗い替えを除けばこの世に一着だけの戦衣いくさごろもである。術師、そして便宜上術師と数えられる妖怪には、戦いの際にはこの戦衣を纏う。そのための瞬時に着替えられる式符を、常に携帯していた。

 椿姫も月白色の着物に金色の狐の毛皮を襟に取り付けた装束で、上から家紋の入った紫色の羽織に袖を通している。下はやはりというか紫の袴で、彼女の背に比べると長い寸尺の太刀を背負っていた。


 これが現代の退魔師の姿だ。陰陽師の流れを汲みつつ、政治の世界に併合されていった彼らとは違う影の道を歩んだ術師一派、今ではその立場は逆転し、退魔師の集団——退魔局は国家が認める組織になっているわけだが。


 じゅく、と、手に妙な感覚が走った。それから、あの蜘蛛もどきにぶん殴られたときの痛みが、疼痛として思い返される。

 いる。間違いなく、いる。

 燈真が重心を落とした。どこから襲われても、即座にブロック、回避、反撃ができるように。


「よほどのイレギュラーでなければ手は出さないから、好きにやりなさい」

「ああ。半殺しにされるまでは見ててくれ」


 染色に使う高圧の窯が、六基並んでいる。筒状のそれが並び、作業台と、機械を動かすコンソールが置いてある。

 と、そいつは上の配管を猿がそうするように、さながら枝から枝を渡るような動作で伝ってきた。

 が落ちる。影よりなおくらい、陰。

 頭上、燈真は左足を踏み込んで、一歩下がった。すぐ目の前を拳が擦過し、コンクリートを砕く。

 そいつは、肘から先が以上発達したテナガザルのような外見の、異形。


(四等級くらいか? 今は付け焼き刃とはいえ、実戦で学べるのはデカい)


 燈真は習うより慣れろの稲尾家の方針には強く賛成していた。能書を垂れたところで、実際にできるかどうかは別だ。何を知っているかも大切だと思うが、結局はその場で何ができるかだ。


 サルが、拳を振りかぶった。

 燈真は妖力を練り上げる。臍下丹田せいかたんでん——臍の下にあるという、丹田という架空の臓器に妖力を練る。一説には、優れた術師には本当に丹田らしき臓器が後天的に作られることもあるらしい。

 臍の辺りが熱をもつ——と、サルの拳。燈真は素早くダッキング。ダック——つまりアヒルのように上体を前屈みにし、瞬時に相手のパンチを避けるボクシングの技法の一つ。


「ギッ⁉︎」


 サルは、まるで燈真が消えたように思えただろう。

 その間に妖力を拳に流し、相手の左脇腹に右拳を叩き込んだ。

 利き腕で放つ、全開のボディブロー。ダッキングからのこの技は、燈真の喧嘩人生を支えた必殺パターンだ。

 しかし——。


「グオォッ!」


 サルは激痛に耐え、素早く前蹴りを放った。燈真は斜め横合いから飛んできた蹴りに、反応が遅れる。反射的に左腕と左足を顔の前で合わせてブロックするが、勢いを殺せない体勢ゆえに後ろに吹っ飛ぶ。

 二転三転、機械の制御卓に激突して止まった。


「くそっ」

「ガァッ!」


 サルが追撃の蹴りを、燈真の腹にぶち込んだ。

 晩飯が胃から競り上がり、吐瀉物を撒き散らしながらゴムマリのように吹っ飛び、染色窯にぶち当たってようやく止まる。

 これが魍魎もうりょうとの実戦……しかも、相手は見習いレベルでも余裕で倒せる四等級だ。

 何が喧嘩番長だ。そんな肩書き、ここじゃクソの役にも立たない。

 燈真は鼻血を拭いながら立ち上がる。

 

 椿姫はそれを、無言で見ていた。

 彼女が放つ濃密な妖気はサルも理解しているところだが、より喰いやすい方を狙うのが奴らだ。燈真という格好の獲物がいて、強い方は手を出してこないのであれば、四等級くらいの知能ではホイホイ雑魚狙いを優先する。


(四等級相手に負ける程度なら、そこまでの男ってことね。でも私の直勘が外れるわけがない)


 椿姫には確信がある。

 燈真には、何かがある、という力強い確信が。それは、彼が


 サルが両拳を構え、燈真に突進した。

 痛みが、却って冷静さを取り戻させている。

 燈真は自然体に構え、相手が腕を伸ばしたところで、その手首を掴んだ。それから腹部に足をあて、腰を丸めて相手の下に入り込むように転がって、後ろへ投げ飛ばす。

 巴投げ——柔道の捨て身技の一つ。

 体勢を崩したサルに馬乗りになった燈真は、まるで血に餓えた鬼のように牙を剥いて、拳を撃ち下ろした。その醜悪な顔面に、一回ではなく、何回も、何回も叩きつける。


 妖力の循環効率が悪い以上、回数で稼ぐしかない。それは燈真にもわかっていた。

 ヒトとしての素の打撃力には問題ない。むしろ、水準の頭二つ以上抜きん出ている。ただ妖力の出力が低すぎるのが問題なのだ。

 だから数で圧倒するという考えは悪くなかった。

 サルの活動力は著しく低下し、燈真は外的な要因でとどめをさせるところまで来た、と判断し、札を一枚袖から抜いた。

 それを魍魎サルの胸元に貼り付けて、発動指示の妖力を流す。次の瞬間、破魔の術が発動し、活動力を落とした魍魎のコアを露出させた。燈真は脈打つ魍魎のコア——瘴気瘤を握りつぶして破壊する。


「はぁ。……やっとか」

「ま、二日の修行じゃ、こうよね。でも妖力の錬成について何か掴めたんじゃない?」

「……恐れ、だな。この力で誰かを巻き込んで傷つけたらどうしようっていう。それが、出力を落としてる」

「大丈夫よ、退魔師やってる奴はフレンドリーファイアも考えて立ち回る。わかりやすく技を伝えるために、技に名前をつける奴もいるくらいだから」

「少年漫画の世界だな……でも、わかった。それに椿姫や光希なら、俺の攻撃くらいすぐ避けそうだし」


 燈真はパンパン、と手を払った。

 何かを殴った後——異形とはいえ、生物を殴った後は、酷く痛む。物理的な意味じゃない。そういう、痛みではない。

 まして自分は今、命を一つ奪ったのだ。たとえ魍魎という人類の天敵であれ、立派な殺生だ。それを噛み締めるように、深呼吸した。


「学びは得たようね。じゃあ二階に行くわよ。見回るだけ見回っておくわ」

「……その口ぶりから察するに、いないんだろ」

「ええ。でも見ておく。ひょっとしてら外に出たかもしれないし」


 椿姫はそう言って、上を指さした。燈真は図面を思い出しつつ工場の二階へ向かうのだった。

 結果的に魍魎は見つからず、脱走の痕跡も見当たらなかったわけで、椿姫の取り越し苦労なわけだが——彼女はなにか納得がいかないような顔で、帰り際、工場を睨んでいた。

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