ロアナプラより愛をこめて   作:ヤン・デ・レェ

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GROUND ZERO:BLACK LAGOON II

 

 

 

 

イエローフラッグの中は、ロクロウの想像よりずっと落ち着いた雰囲気だった。張り詰めた感じとでもいうのか、狂暴な犬を飼っている家の前を通る時のような感じだった。理由はわからなかったが。

 

ラグーンの三人は迷いもせずまっすぐにカウンター席に向かった。理由の一つはあからさまに空いていたから。そしてもう一つはカウンター席を独占する猫背の男と、この場に…というより街そのものにそぐわないメイドの恰好をした長身の女とが、こちらを手招いていたからだった。

 

「おかえり。怪我しなかった?」

 

レヴィが先陣を切って近づいていくと、不気味なアロハを着こなす猫背の男が、のっそりと背筋を伸ばしてから両腕を広げて彼女を迎え入れた。

 

「ただいま。安心しろよ、一発も撃たなかったんだぜ?」

 

「それはよかった。ダッチとベニーもお疲れ」

 

男をメイドと挟みこむ位置にレヴィが座った。男はレヴィと数言交わしてから、今度は直ぐにダッチとベニーに向き直った。

 

「おう、さっきは邪魔しちまったな。すまねえすまねえ」

 

「気にしなくて好いよ。それより、そっちの彼は?」

 

人懐っこい顔でそんな風に言われると、なんともこそばゆいものだった。馴れ合いはアウトローにとって禁忌だが、そうは言っても、である。人間の感情とか、好悪を鑑みずに、機械的に自分を制御できる人間は人間とは呼べないだろう。とにかく、ついつい律儀に返してしまうと言うヤツだった。

 

「あぁ、こいつぁなあ…」

 

男に訊ねられたダッチは、ここまでのことを、かいつまんで話した。

 

「要約すれば、お仕事の都合上一緒にいるってことさ。それより、今日はやけにバオの機嫌が良くないかい?」

 

ベニーがそう結ぶと、ダッチもロクロウを促しつつ席に着いた。

 

ベニーの疑問に答えたのは、なんと他ならぬバオだった。

 

「おいラグーンの、お前らフラッシュモブのエチュードだとしても面倒を起こすなよ?俺は気分が好いんだ。気前よく一杯目を奢っちまうほどにはな?」

 

そう言ってバオはビール瓶を差し出した。キッチリ四人分。ラグーンの面々は目を丸くして驚いた。

 

「えええええッ!?あ、あのドケチのバオが酒を奢りやがった!」

 

レヴィは腰を浮かせて驚き。

 

「ヘイヘイヘイ…バオ、こりゃあ何のつもりだ?今までこんなことはなかったはずだが…」

 

ダッチは勘ぐりすぎるあまり瓶に触れず。

 

「あはは…こ、これは、酷い夢かな?あのバオが酒を奢るなんて…」

 

ベニーに至っては眼鏡を拭きながら乾いた笑い声を零した。

 

「へッ!不信心な野郎共だぜ。折角の俺の心遣いってやつを…てめえらときたら、俺のことを何だと思ってやがるんだ」

 

ラグーンの面々を見渡してため息を吐いたバオ。しかし、やはりその怒りも随分と軽微だ。常ならば噴火を起こすところ。然程、響いてもいない様に見えた。

 

「…マジみたいだな。なあ、ダッチ。コイツはすげえや、きっとベガスでジャックポットを三回連続で引き当てたか、それかFBI長官でも暗殺して一生食うに困らない大金でも手に入れたに違いねえ」

 

レヴィは目を丸くしたまま、のろのろとビールの瓶に手を伸ばした。

 

「違いねぇ、俺はてっきり来世に絶望して店じまいでも考えたのかと…」

 

「同感だね。僕は二日酔いの夜に見る夢かと思った。夢のクライマックスにはバオの店が吹っ飛ぶのさ」

 

ダッチとベニーもそう言って、恐る恐る飲み口に口を付けて傾けた。

 

バオはここまで言われても顔色が変わらない。薄い笑顔を張り付けていた。鼻歌でも始めそうだった。薄気味悪いことこの上ない。

 

「ったく、人が親切にしてやったらこれだ、どいつもこいつも縁起でもないことを好き勝手いいやがってなぁ…だが、許せる。全然許せるぞ。今日の俺ぁ心が広いんだ」

 

バオがグラスを拭きながら言った。世界には不思議なこともあるもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一同、酔いが回り始めると舌の滑りも滑らかになるものだ。それは警戒心の強いアウトローも同じだし、居酒屋でくだを巻くにも上司が邪魔で出来た例がなかったロクロウも一緒だった。

 

酒は飲んでも飲まれるな。その言葉通り、嗜む程度に自制することが大事だ。だが、生憎とここには尻を蹴り上げて来る上司がいなかった。何が言いたいのかと言うと、ロクロウは酒に飲まれ始めていた。こんな時だが、飲み放題だったこともあり、人生最後かと思えば飲むしかなかった。ヤケ酒でもあり、ちょっとした限界への挑戦でもあった。今ここでやるべきか否か、というよりはそれくらいしか出来ることが浮かばなかったからだ。

 

二杯目からは勧められるままにラムを呷り、杯を重ねるごとにすっかり出来上がっていたロクロウにお隣のダッチから声が掛かった。

 

「いい飲みっぷりだなあ、()()()

 

「ぅえ?ロック?」

 

聞き慣れぬ名前に周囲を見回すが、ダッチの目は自分を向いていた。怪訝なロクロウに、ダッチは気分よさげに語った。

 

「渾名ってヤツさ。ロクロウって名乗ってロクロウって律儀に呼んでくれる奴は、それこそそこのメイドとそのご主人様しかいないと思うぜ」

 

ダッチが指をさした先には、確かにあのレヴィとやけに親し気な男と、レヴィと共に男を挟む位置に座り、鋭い動きでミルクを口にするメイド服姿の女性がいた。この店内でミルクを飲んでるのはあのメイドだけだ。他にいたらいたでアレな気がするが…。

 

「あ~…でも、なんでロック?」

 

「ロクロウ。だからロックだ」

 

ダッチの自信に満ちた発言に、ロクロウことロックはたじろいだ。

 

「安直なんだか、実用的なのか…」

 

「イヤかな?」

 

イヤ、かと聞かれれば嫌ではなかった。寧ろ…

 

「…ここでお別れなのにニックネームが必要な場面が来るとは思えないけど…でも、ここで使うだけなら、悪くないかもしれない…自分が自分じゃないみたいで」

 

「はっはっは!面白い奴だ!やっぱり中々見どころがあるぜ」

 

「そいつはどうも…にしても、その、彼は?」

 

満足に笑ったダッチを横目に、意識は例の男とメイド、それからレヴィに向かっていた。店内に入ってからというもの、レヴィはあの男にべったりだった。ロックが男に対して疑問を抱くのも仕方が無かった。名前も分からないし、そもそも、そんなに魅力に満ち溢れた人間には見えなかったからだ。ましてや、あの粗暴なのか違うのかすら見抜けないレヴィと親しくできる理由、根拠が見当たらなかった。目に映るものだけで判断する訳ではないが、でもそうとしか思えなかった。平凡な小男の肩に自然に腕を回しながら、バカルディを飲み干す様はすっかり、酒場で酌婦の肩を抱く海賊の如き貫禄だった。堂に入った動きから、また周囲の無反応から、少なくとも昨日今日のことではないのだろう。

 

「そいつは俺の口から話すまでもないな…すぐにわかる。時には言葉よりも雄弁なものもある。金と暴力がいい例だ」

 

ロックは不思議だった。不満だったのかもしれない。自分みたいな、いや、自分にも劣る様な浮薄で平凡に見える男が、粗暴でも見目のイイ女と親し気に接することを許されていることが不愉快だったのかもしれない。

 

レヴィと男は笑顔だ。レヴィがあれくらいなんだ、きっと男も悪党に違いない。だが、笑顔だ。楽し気で、穏やかで、不安を知らぬようで、柵から解き放たれているように見えて。眩しかった。ロックはアウトロー、しかも海賊なんて賤業に身を窶している人間に対して、羨望を覚えたことを、その生き方に嫉妬すら覚えていることに気が付いているのだろうか。否、これまでの人生が、これから思い描く人生が、ロックの目と思考を堰き止めてしまったのだ。曇らせてしまったのだ。彼がそのことに気が付くには、そして、自分のしたいことを見つめ直すには時間が必要だった。大きな決断と、ブレイクスルーもまた。これまで抱え込んできた、無理矢理に詰め込まれてきたものが多すぎて、僕たちは思考している気になっているだけなのかもしれないな。

 

僕達は本当は何も考えていなくて、同じ所をグルグル回っているだけなのかもしれない。考えているんじゃなくて、与えられ、教え込まれてきた範例に則って答えた気になっているのかも。淡々とそれに当てはまる結論を、これまた今まで手に入れたモノの中にある手持ちの知識だけと向き合った気になっていて、言葉を弄して、小さな差異を、或いは見せかけのオリジナリティを、独善的なアイデンティティで鏡に映る自分すらも騙しているだけなのかもしれない。

 

レヴィと男のことを見続けると、ロックは自虐するような、自尊心を傷つけられたような感情を抱えることになってしまいそうだった。見るのも辛いものだったが、目を逸らすことも卑怯に思えてどうしようもなかった。ロックは、この時確かに、どこか自分じゃない誰かに、社会ではない何処かに、規範ではない何かに。ロックは救いを求めた。

 

だから、余りにも自然で、合ってしまった目を逸らすのが遅れたのだ。

 

「レヴィ、僕もロックと話してくるよ」

 

「突然どうしたんだ?気になることでもあったか?ずっと視線は感じてたけどよ」

 

「気分さ」

 

「そうかい…いってら」

 

ロックが椅子から腰を上げるより早く、ロックの真隣の席に男が腰を掛けた。

 

男を見送るレヴィの視線がロックに刺さることはなかった。そのことに、安堵と、悔しさと、それから罪悪感を覚えたのは何故なんだろう。後ろめたさが、どこから湧くのか、ロックには理解できなかった。突然詰められた距離。色素の薄い澄んだ碧眼に見つめられる不思議。気まずい様な、何かに期待するような。

 

ロックの困惑を、彼自身以上に理解できるのは、同じように困惑の経験がある者だけだろう。この場合、助け船を出したのはダッチだった。

 

「まぁ、お手柔らかに頼むぜ、レイジ」

 

ダッチの声が背後から聞こえ、ロックは無性に安心した。頼りがいのある声だったからだろうか。その知性に期待しているのか。

 

「別に僕は何もしないよ。何時もどおり聞きたいだけさ」

 

「そいつが、初めての奴にゃキツイのさ」

 

「そうかい?誰にでもって訳でもないよ?」

 

「だからさ。アンタみたいな得体のしれない、見るからにクリーンな奴にいきなり距離を詰められんのは、ホワイトカラーの連中が俺たちならず者に詰め寄られるのと同じくらい怖いもんなのさ」

 

ロックは他人ごとのように言い得て妙だと思った。

 

「なるほど…でも、ならロックは大丈夫なんじゃない?ロックは見るからにホワイトだよ?」

 

「そう言われるとそれまでだが…アンタはホワイトって言うよりグレーだからなぁ…」

 

「そう言うものかな?」

 

「そういうもんさ」

 

ダッチとレイジの話が途切れて、今度こそレイジがロックの方を向いた。真正面から向き合うと、見たことも無いくらいに澄んだ瞳をしていた。ロックは不気味を感じた。砂男(サンドマン)か、狼男とでも向き合っているような心地だった。

 

「はじめまして、僕はレイジと言います。僕は君に聞きたことがあるのです」

 

「あ、はぁ、御丁寧にどうも…えぇっと、俺はオカジマロクロウと申します、で、えっと、今はロックと呼ばれ始めました。それで、えぇ…何でしょうか?」

 

人質になってから久しく耳にしなかったお手本のように綺麗な文章と言葉だった。折り目正しく、育ちの良さが滲みでていた。なるほど、そぐわない。徹底的にこの街にも酒場にもそぐわない。だのに何故だろう?ロックはレイジと言う人間と真正面から向き合って、ようやく不気味の感覚と、そこに入り混じる快と不快の相反する感情に気が付いた。尻尾を掴んだだけだった。だが、その気づきが、或いはロックをロックにし得る可能性を秘めていた。

 

じっとロックを見つめるレイジの視線はまっすぐだった。濁りと言うものが無くて、だからロックは後ろめたくなった。自分では、こんな風に人を真正面から見つめることなんて出来ないだろうから。

 

もじもじと、そんな心理状態のロックだったが、そう長時間もかからずにレイジが言葉を掛けた。

 

「ロックは、何が好きなの。何が嫌いなの。何がしたいの。何になりたいの。何が欲しいの」

 

「え?あ、あの、いきなりそんなことをいわれても…」

 

「え?そうなの…物欲しそうな目で見てたから」

 

ロックは顔から火が噴き出るかと思ったものだ。なんてことを言うんだこの人は!日本の会社では絶対にありえないことだった。でも、ロックは考えた。考えざるを得なかった。レイジの言葉は確かに、その通りだったから。酷い不快感も、重苦しい納得も。不本意の感情こそ、他ならぬ自分のこれまでの人生の全てだった気がした。言語化できない何かを抱えて、こねくり回すのに必死だった。だから、答えが向こうからくるとは思いもよらなかったのだ。

 

「ロック、君は好きでもないんだろうけど、でも嫌いじゃないんだね」

 

「…あの、ミスタ・レイジ?」

 

「レイジでいいよ」

 

「じゃあ、レイジさんで。年上ですし」

 

「そう言うものかな?しっくりくる、ロックにとって一番マシな呼び方で呼んでよ」

 

そう言ってレイジが微笑んだ。ロックは思いもよらず、面映ゆく感じた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えてレイジさんと…」

 

「ええっと、それで?言いたいこと、何が言いたかったの?言いたいこと、言ってよ」

 

ずけずけ。だけど、偉ぶるでもない。鼻につく何かも無い。いつの間にか不快感だけが殺されてしまった。快だけが、熱帯に吹き抜ける清涼な冷風のような快だけが残っていた。

 

「…僕は、俺は日本で会社に勤めてたんですけど…」

 

「うん」

 

言い直してから、一口ラムを含んだ。レイジの瞳は愚直にロックの瞳を追う。逃がさないように。例えレイジの自覚が無くても。

 

「…会社にいる頃、何て言うか好きでも嫌いでもないと思ってたんですけど。案外、嫌いだったんですかね?」

 

疑問形になってしまったのは、話そうとする勢いと、それを止めようと、考え直させようとする感情で葛藤が生まれてしまったから。ロックは苦い顔をした。歪んだ薄ら笑いだ。だが、レイジは笑わない。言葉を濁すことも無かった。

 

「わかんない。僕は君じゃないから。でも、会社に帰るのと、ここに居るの、どっちが安心できるか、マシな方はどっちなのか、嫌いじゃないのはどっちなのか、どっちかというと好きな方はどっちなのか…それだけ(That's it)じゃないかな?」

 

レイジの言葉に、ロックは眼をパチクリさせた。人生哲学を教え込まれたり、高尚な手続きを踏む思考方法でも伝授されるとしても覚悟していたからだ。

 

それだけ(That's it)…そういうもんですかね?そんな単純な…」

 

ロックの伏し目がちな表情に、レイジはにこにこと笑って答えた。

 

「単純だけど、複雑だよ。僕たちが感じられることは一つじゃないから」

 

「…」

 

言葉足らず。舌足らず。だが、ロックはこれまでの人生で言い聞かされてきたどんな訓示・薫陶よりかは納得できた。誰だって納得できるだろう。単純なんだから。事実なんだから。だが、その単純で複雑な何かと向き合えるのか、否かは、それはロック次第だった。

 

「おーい!レイジ、まだ終わんねえのか?」

 

「レヴィ、今終わったよ…ロック、今度教えてよ。何がしたいのか。何が欲しいのか。教えなくてもいいけど。僕じゃなくてもいいけど」

 

レイジはそう言うとレヴィの元に帰って行った。終始、その顔が優しくて、穏やかで、険が無くて。だからロックは、無性に泣きたくなった。涙が出そうだった。

 

なんで俺はこんなとこにいるんだろう。でも、会社に帰って、それでどうすんのかな?また謝んのかな。俺、なんか悪いことしたのかな。悪い奴ら、だよな。悪いのはここに居る人間だよな。

 

ロックはそう思って、周囲を見回した。目を皿のようにして、理由を欲した。レイジの背中が遠くて、でも明るかった。眩しいくらいだ。ああいう風になりたい。でも、なれない。なれる気がしない。だから理由が欲しい。ソレに足る理由が。或いは、そうではないと納得できる理由が。彼を否定したい。彼を肯定したい。

 

だが、結論としてロックが答えを手に入れることは出来なかった。呑み込む余裕が無くて。呑み込みたくなくて。

 

だから引き換えに、店内を見回して気づいたことは二つ。

 

一つ。店内は入り口から見て手前と奥の二つに、綺麗にその客層が分かれていること。前者は入り口から店内の半ばほどまで無造作に、後者は店内の半ばからカウンター席までを封鎖するように、或いは目隠しをするように一塊に、規則的に。

 

一つ。客層は前者が典型的なならず者共で、後者が白人か黒人で統一されていること。前者は人種も背恰好も無作為で、多種多様だが、対して後者は屈強で体格に恵まれた者ばかりで、テーブルごとに揃いのスーツ、或いは動きやすいシャツにカーゴパンツの者も多く、全員が全員、不自然に胸板が厚く盛り上がっていた。何を着込んでいるのかは想像によるだろうが。

 

ロックはレイジとのやり取りを脇に置いた。それは現実逃避に違いなかったが、同時にラグーンの面々には僥倖だった。

 

ロックはその脳みそをフル回転させ始めた。気づいてはいけないことに気付いてしまった時のそれだった。不安が加速度的に盛り上がっていく。今の酒場の状況が、より近く言えば自分の状況が芳しくないことに陥っていやしないかという疑念が噴出したのだ。それも仕方のない事だったが、何故なのか、何が起こるのか…肝心なことが、重要なことが、生死に関わる要素が一つとして分からない状況だった。

 

「ミスタ・ダッチ!」

 

「ダッチでいい。何があった?」

 

耐え切れずに声を張り上げたロックに、ダッチが振り向いた。ダッチと話していたベニーも意識を向けた。よく見ればレヴィもメイドも、耳では聞いて居る様だ。レイジはいい加減酔いが回ってきたのか、レヴィの肩にもたれかかって寝息を漏らしていた。

 

「イエローフラッグの中にも、何か、そういうシマみたいなものがあったりするのか?」

 

ならず者、その中でも組織を持つ者たちは自分たちの稼ぎを得るための縄張りをシマと呼称することもしばしば。ロックが言いたいことが、ダッチには直ぐに理解できた。酒場の中での序列や縄張りの有無、あるいは適用に関してロックは聴いているのだと。

 

「シマ?…いいや、無いはずだ。ここに居るのはこの街でも札付きのはぐれの連中ばかりだからな」

 

ダッチの返答に、ロックは自分の想像が悪い意味で当たるかもしれないと顔を青ざめさせた。酔いは冷めていた。レヴィとメイドの口角が僅かな間、くちりと歪んで上向きに傾げたことを、誰も気づかなかった。

 

「…これは、俺の仮定なんだが」

 

「…いいぜ、聴こう。どんな仮定なんだ?考えるだけ、聴くだけならロハさ」

 

「僕も、君の言いたいことが気になるよ」

 

ロックの真剣な雰囲気にダッチとベニーが乗った。

 

「…恐らく、今の店内には何かしらの作為が働いてる。何のためだとか、そう言う肝心なことは分からない。だが、あからさまに店の手前と奥で客層が違うんだ。毛色が違う連中が、前後をハッキリ仕分けてる。何かを待ってるのか、何か他の理由があるのかは分からないけど…」

 

「それは…尻のおさまりが悪い話だ」

 

ダッチはちらりとサングラス越しに店内を浚った。当たっている。よく見れば、確かに違和感を覚えられなくもない。だが、今まで気が付かなかったのは、或いは気づいていても気にしなかったのは、それまでその違和感が、一度として牙を剥くことも、警戒が必要な挙動も取らなかったからだ。ダッチは百戦錬磨のアウトローだ。法の外で生きる以上、並み以上に鋭い気配察知と臆病なまでの嗅覚が備わっている。それは事実だ。だから、ロックの不安は当たっていないが、外れているわけでもない。その不自然に理由があるのは確かだが、特に奥まった場所にいる二人組のロシア人はともかくとして、ドイツ人やフランス人やアメリカ人…それも目に見えて経験者(Ex-Military)といった様子の…そう言った連中を自由に動かせる人間を、少なくともダッチは一人として知らなかった。

 

故に、ダッチはロックを諫めた上で、早い所この場を辞すると言う応急処置を選ぶことにした。とはいえ、少なくとも二人組のロシア人の所属には心当たりがあり、彼らの目的が彼女(バラライカ)の思惑に準ずるものである限り、自分たちへの加害に及ぶ確率は低いはずだった。

 

「ロック…確証の持てないことも、例え確証があっても、あんまり雄弁なことは賢いコトじゃあねえ。特にここじゃあな。だから、とにかくお前さんの言いたいことは理解できた。だが、その上で教えておく。長生きしたいなら、あんまり自分の考えやら、そういうもんをひけらかさないことだ。気分の善し悪しだけで、簡単に殺されることだって珍しかねえ。ここはお前の故郷じゃない…いいな?」

 

「あ、ああ…だけど、それも確かにそうだが、いいのか?何かに、巻き込まれてるんじゃ…」

 

「その上で、だ。俺の雇い主に受け渡しの場所を変えて貰うか、もしくは早い所来てもらうように頼んでみる。ロック、だから落ち着け。よっぽどの爆弾でも抱えてなきゃぁ、奴らだって俺たち見てえな小物にゃ興味が湧かねえよ」

 

ダッチはそう言い切ると、立ち上がった。ポケットからまとまった小銭を出して筐体に積んでから、受話器を取った。

 

ダッチが番号を打ち込みながらコールを待っている間の僅かな時間。その間、レヴィは徐にバオに話を振っていた。

 

「なあバオ、お前んとこって最近改修が入んなかったか?修理でもいい、増築でもいい」

 

これは珍しいことで、だからバオも驚きつつ、聞かれて困る事でも無かったからと、素直に答えてしまった。

 

「え?よく知ってんな、んな事よお…まぁ、確かに備品変えたり、そういうことは頼んだが…それがどうしたんだよ?え?」

 

レヴィが、にしし、っと笑った。

 

「会社、何処に頼んだんだ?ウチんとこも、実は考えててさ」

 

レヴィの笑顔の意味を拾い間違えたバオが、セクハラ親父染みた表情を浮かべた。

 

「へぇ~…おい、そりゃまた、やっぱりレイジと一緒か?」

 

「うるせえよ。他に誰がいンだよ…それで、何処に頼んだんだ?」

 

耳を赤くしてそっぽを向いたレヴィが、顔を引き締め直して問い質した。バオはレヴィの真剣な顔に息を呑んだ。世間話程度かと思いきや、マトモな様子だったからだ。後ろには退いてくれそうにない。

 

「あー…なんだ、格安でやってくれるとこがあってな。不良在庫処分ってんで、テーブルとかも頼んだら構わねえって…カウンターも改装して貰ったんだが…」

 

「だから、会社の名前、あんだろ?」

 

名前を一向に吐こうとしないバオに、レヴィの眉が不機嫌気に歪んだ。めんどくせえなあ、という顔だ。

 

「…誰にも言うなよ?今日は、本当に特別なんだ。ほんっとうに気分が好いから教えてやるよ…いいな?理解したか?」

 

「しつけーぞ…ほら、教えろや」

 

念入りに念を押し重ねてから、バオはレヴィに顔を寄せてぼそぼそ話した。

 

「…建設業の『リーベンダウアー社』だ。資本は…ほら、わかるだろ?ロシア系だ。この街でロシア系は一つしかねえ、そうだろ?」

 

『リーベンダウアー』の名前を聞いて、レヴィが犬歯をのぞかせた。

 

「いいねぇ…賢明な判断だ。見直したぜ。こりゃあイイ。安全第一だからな。お前は店主の鑑だぜ」

 

「褒めても何も出ねえぞ。気持ちわりい」

 

「褒めてねーよ。気持ちわりいのはこっちの台詞だぜ。寧ろ二度と出せなくすんぞ」

 

どすの利いたセリフにバオはため息を吐いた。…ため息で済ませてしまうバオも、慣れ過ぎているが。

 

「ったく、度し難いアマだぜ…」

 

「うるせえよ」

 

そこで二人の会話は終わった。席を回す都合で、くるりと視線が巡り、レヴィの目くばせがメイドの瞳と重なった。コクリと頷くまでもなく、レヴィから受け取ったレイジを抱えて、メイドはカウンターテーブルの端の席…カウンターの出入り口に最も近い席に座り直した。どうやら、ちゃんと話を聞いて、理解してくれたようだ。

 

レヴィは首の後ろがチリチリする感覚を覚えていた。段々と、それは強くなっていく。こういう時は、決まって何か大きなブツが降ってくる。そうと相場が決まっている。これまでの経験と、レイジとの生活の中で培った嗅覚ともいえる、虫の知らせ染みたものだった。

 

タイムリミットをひしひしと実感しつつ、そのスリルを楽しめる余裕がレヴィにはあった。メイドの膝上に猫のように抱えられた、健やかなレイジの寝顔を肴に。杯を重ねたレヴィは遂にバカルディの瓶を空にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピリリリリリリリリ!

 

店内で一斉に携帯が鳴り始めた。異変の始まりだということは、その場にいる全員が理解できた。

 

ダッチが持つ受話器の向こうから、バラライカではなく、彼女の副官のボリスの声が聞こえて来たのと、それはほとんど同時だった。

 

「おい、ボリス。こいつは、何の催し物だ?」

 

ダッチの視線の先では、数人が電話を耳に押し当てていた。着信があった者たちにはある共通点があった。

 

「ロシア人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人…全員、イエローフラッグでとぐろを巻くにはお上品すぎる連中だぜ…なぁ、全部バラライカか?」

 

ダッチの言葉に、ボリスは淡々と答えた。

 

「いいえ。その場にいる大尉(カピターン)の私兵は二人だけです。メニショフとサハロフの二名が、監視と護衛の任務に就いているのみです」

 

ボリスの言葉を聴いて視線を移すと、二人のロシア人の片方が耳に電話を当てていた。その眼に緊張と興奮が宿っていることが、ダッチにとってこの上なく不安だった。

 

「なあボリス、バラライカは何処だ?受け渡し場所について変更、もしくは時間の前倒しを頼みたい」

 

大尉(カピターン)は不在です。急用が発生しましたので」

 

「急用ね…そりゃ交渉事か?」

 

ダッチの質問に、ボリスは揺るがずに朴訥に答えた。

 

「戦争です」

 

まるで何でもないことのように。

 

「…ソイツは、クールだぜ。俺にとっては災難だが…」

 

ダッチが落ち着くのを待ってから、ボリスは淡々と切り出した。

 

「ダッチ社長、大尉(カピターン)より伝言が」

 

「嫌な予感がするが…聴こう」

 

ダッチが想像する最悪が、これからどんどんと更新されていくことは、鈍くはないダッチなら理解できた。想定外は連鎖するからだ。

 

「旭日重工が雇った傭兵派遣企業『エクストラオーダー社』の荒事専門部隊がそちらに間もなく展開されることが予測されます。大尉(カピターン)は部隊を率いて現在進行形でそちらに」

 

戦争じゃないか。比喩でもなく、ダッチは戦争が始まるのだと言う危機感を抱いた。一秒だってこんなところには居たくなかった。だが、仕事もやり切らねば信頼に関わる。

 

「それを言って、どうするんだ?バラライカに付き合ってアラモごっこは御免だぜ?」

 

「無論です。そのために外部の協力を仰ぎました。貴方方『ラグーン商会』のエスコートの為に、その場に要員がおります」

 

ダッチの心中は複雑だ。高く買ってくれているのか、それとも何か已むに已まれぬ理由があるのか。ディスクとて、彼らにとってみれば大きくとも無数の仕事の内の一つに過ぎない。後回しでも、破棄しても、リカバリーが利くはずだ。なぜ、こだわるのか。

 

「…どういうことだ?おかしな話だぜ。どうしてそこまでする。俺たちは零細な運送屋だぜ?金払いの良さと言い、気に食わねえな。何が狙いだ?」

 

ダッチはボリスに強く問いかけたが、ボリスは取り合わなかった。

 

大尉(カピターン)からの伝言は以上となります。私は全体の統括を代理することになりました。では、これにて」

 

「あ、おい!ボリス!」

 

ぷつりと切られた受話器を唖然とした表情で見つめていると、新しい着信が一本にだけ遅れて鳴り響いた。

 

「あいあい、あたしだけど…姐御か。ダッチに代わるぜ?ダッチ!ダッチ!」

 

愛用の衛星電話にかかってきたのは、今や諸悪の根源のようなバラライカからだった。レヴィから電話をふんだくるように受け取ったダッチは、声を努めて潜めながら問い質した。

 

「おい、説明してもらいてえことが山ほどあるんだが…」

 

「あら、私も忙しくてごめんなさいね」

 

「いま、何処に居やがる?受け取りは、もうすぐそこにいるお前の私兵に渡しても構わねえのか?」

 

クレバーなダッチも流石に限界だった。ベニーは顔を青くしているし、ロックは不安的中かと取り乱しているし、バオは冷や汗をかきながら現実逃避中、メイドはパラソルサイズの傘を手元に引き寄せ、レイジに至っては呑気に寝てる。グラスに手酌でラムを注ぎつつ、小唄を口遊む余裕があるのはレヴィだけだ。

 

ダッチの言葉に、バラライカは否を突き付けるはずだ。ダッチだって本気で言ったんじゃない。だから、見誤った。

 

「あら、それいいわね。そうしましょうか」

 

「は?あ、おう、どうした?悪いもんでも食ったか?アンタらしくもねえ冗談だ」

 

咄嗟に口を突いて出たといった感じ。ダッチの頭から、怒りだとか、そう言うものがまとめて吹き飛ばされてしまった。純粋に不思議で、理解できなかった。思考が止まったともいえる。

 

「本気よ。ただ、受け取りはレイジのメイドにお願いね。あとは彼女たちが上手くやるわよ」

 

「たち…ね。おい、アイツら、腕は立つのか?」

 

アイツらとは、白人と黒人の集団だ。バラライカ直下のロシア人の実力に疑いはないが…得体のしれない連中が、薬中とも、それこそこれから出くわすかもしれない連中と同じような奴だったら元も子もない。

 

「直ぐに知れるわ…それより、ディスクはお願いね。あぁ、でも人質は…お好きになさって。交渉はご自由に。もう人質として認められてないみたい」

 

「…気の毒、だな。そいつは、胸クソの悪い話だぜ」

 

ダッチは貧乏ゆすりで不安を顕わにするロックを一瞥した。気の毒だと思った。だが、だからといって、何が出来るわけでも無かった。

 

「じゃ、そういうことだから。受け渡し完了に伴い、お仕事は完了。あとはご自由に。落ち着くまで沖にいなさいな」

 

「そうさせてもらおう…エスコートの件、期待してもいいんだな?」

 

「えぇ、仕事はするわよ。彼らもプロだから」

 

通話が終わり、電話を返したダッチは、少しの間、虚空を見つめた。大きなうねりに巻かれている感覚が強い。こういう時、大事になるのはその時、瞬発的な判断だ。それは殆ど博打同然だが、半々なら、二分の一なら割は好い方だ。近く、何か決断を求められる機会に恵まれるだろう。まったく、嬉しくないねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南アフリカはプレトリアに本社を置く、傭兵派遣会社『エクストラオーダー社』が今回の任務部隊の指揮官に選んだのは、実戦経験豊富な退役大尉だった。彼は部隊と共にリベリア内戦でも作戦に従事し、命知らずであり、極めて獰猛であり、他のどの部隊長よりも()()()()だった。紛争地帯を歩き回り、地獄と言う地獄を見つめ、地獄と言う地獄を自分の手で生み出した。国が、街が、村が、家が、人が、家畜が燃える。燃えていた。燃やしたのだ。

 

ゲーム…それもハンティングのような感覚で戦争に従事する彼を、多くの者は恐怖し、嫌悪し、そのうえで利用していた。体よく回ってきた今回の汚れ仕事を押し付けたのも、そう言う訳だった。

 

国際法など知ったこっちゃないのだと、そういう手法で獰猛に敵を狩立てる大尉の戦術は時として有効である。自ら嫌われ役を買って出てくれる人材は社にとっても得難いものだった。その戦術的な有効性も踏まえ、結局大尉がその戦争犯罪を追及された試しは無い。企業体が彼と言う個人を庇護していたのだ。仕事をこなす限り、大尉は合法的に、また商業的に正しいという後ろ盾を得た状態で、存分に暴力をふるい、殺戮に精を出すことが出来た。

 

ロアナプラの港に部隊と共に揚陸した大尉は、副官のシュトルムに語り掛けた。

 

「なぁ、シュトルム。リベリアは最悪だったな。的当てにもならねえ、ジジイとクソガキ相手によぉ。全く、張り合いってもんがねえ…その点、どうだ?今回の連中はチンピラだそうだ…俺ぁ、もっと歯ごたえのある仕事がしたい。いや、仕事なんかじゃねえ。俺は、()()がしたいんだよ。ちゃんとした兵士とファックしたいのさ…わかるだろ?」

 

「は!しかし、まずはこの仕事を片付けましょう…今回は羽振りがイイ日本人のお陰で、兵器の使用にも制限が殆どありません」

 

「…リベリアは最悪だった…あぁ、そうさ、最低最悪だった…俺は平等主義者だ。黒人も白人も、全員まとめて墓場に詰め込んでやる。クソ黒人も、クソ白人も…全員まとめて地獄行だ…恥知らずどもめ…薬中で差別主義者の奴隷どもめ…」

 

「大尉?」

 

「え?あぁ…そうだな、さっさと片づけちまおう。そうして戦場に向かおう。次こそ、俺たちは戦争をしようぜ。全部轢き潰しちまえ。薙ぎ払っちまえ。イイもんがあんだろう?」

 

大尉は口に煙草を咥えると、ロアナプラに()()()として揚陸させたブツをとりに、倉庫へと完全武装の部隊を引き連れて向かった。遥か天の上からの監視の目があるなど、ましてやその瞳の持ち主が合衆国(アンクルサム)だとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大尉(カピターン)。何時でも出れます」

 

並べられた複数の電話。その内の一つを使い、ボリスからの連絡を受けたバラライカは、高揚感と共にボリスに笑いかけた。

 

「楽しみだな軍曹。連中はトロイの木馬を持参したようだ。これは、実に面白いことになるぞ」

 

バラライカの無邪気な喜びようにボリスは相好を崩した。

 

「暴力教会のシスターの手腕、お手並み拝見といったところでしょうか」

 

「どこまでの連中を集められたのか、我々も他人ごとではないぞ」

 

今回、バラライカとエダは共同でレイジの専属護衛班を発足させた。護衛班の国境の移動に制約を受けることを嫌った二人は、東西に通用する二つの部隊を用意した。これは二名の監視役を相互に残しつつ、双方の子飼いだけで構成された部隊だ。二人が勝手に互いの祖国の威信をかけた護衛班の内訳は、またの機会に語るとして、平時の持ち回り制が巡った結果、今回はエダが用意した部隊の当番日に当たってしまったという訳である。

 

「無論です。今回は練兵も兼ねています。新顔と戦闘経験の少ない者を選抜し、その中から優秀なものを抽出しました」

 

今回、バラライカら『ホテル・モスクワ』の仕事は、エクストラオーダー社の傭兵部隊にロアナプラを適度に揺さぶらせてから、後腐れなく殲滅することである。その為の部隊の用意はバラライカの領分であり、今回は本拠地モスクワなどからも新しい同志を選抜してきていた。ボリスにも気合が入っている。

 

「役割と内訳は」

 

「第一小隊が魚雷艇迄のエスコート、第二小隊は傭兵の足止めを、第三小隊は作戦地域に通じる主要道路の封鎖線構築とその維持。内訳はFSBのスペツナズ出身者が20名で第一小隊を構成、我々の後輩(空挺軍)が20名で第二小隊を構成、モスクワからの増援が50名で第三小隊を構成しております」

 

バラライカからの問いにボリスは淡々と答えた。これは既知の情報を最終確認する為である。

 

「結構…後輩の所属は?第45独立親衛特殊任務連隊の連中か?」

 

「はい。骨のある奴らばかりです」

 

「結構…結構…装備は?」

 

満足げに頷き、バラライカは先を促す。

 

「個人携行ミサイルとIFV(歩兵戦闘車)を投入します」

 

「こんな序章で死ぬことは不本意だろう。安全策を徹底させろ。敵の指揮官のブリーフィングは?」

 

「リベリアで麻薬にでも逃げたのか、かなり危うい印象を受けました。退役大尉とのことですが、情報があまりなく…ローデシアか、南アフリカか…アフリカ生まれの白人の可能性が高いと考えます」

 

燃え盛る火薬庫のような場所だ。紛争の原因が何であれ、奪う人間と、奪われる人間がいる地獄に違いなかった。だが、そのことにあれこれを言うつもりはなかった。ただ、元軍人として、その大尉の在り方に思う所が無かったというのは嘘になるだろう。

 

「生粋の紛争マニアとでも言えばいいのか…」

 

大尉(カピターン)…」

 

苦い声に、ボリスが慰めるように声を掛けるが、バラライカは何も悔やむわけでも、恨むわけでも、憎むわけでもなかった。ただ、己の幸福に感謝するばかりだ。

 

「わかっている。あれは、あり得た姿だ。そうだろう?戦争に憑りつかれてしまえば、等しくあんな様になる…我々は運命に恵まれた。奴は恵まれなかった。残酷だが平凡で陳腐なことだ…奴は既に死んでいる。満足するまで付き合ってやれ。我々にはその余裕がある。満足するまで暴れさせて、それから引導を渡してやれ」

 

了解(ダー)

 

ボリスの簡潔な返事を聞き届けると、バラライカは運転手に車を発進させた。

 

「私はレイジを迎えに行く」

 

CIA(カンパニー)のシスターはなんと?」

 

()()()()に行った。ドンムアン空軍基地にも()()を用意したようだ。何れにせよ、シスターの買い物に関しては今日中に、遅くとも明朝にはニューヨーク支部から連絡が来るはずだ。それまでは我々が感知することではない。我々は我々の役目を果たそう」

 

通話が切れると、防弾仕様のベンツで構成された護送車列が爆心地(イエローフラッグ)に向かって移動を開始した。その遥か上空を、超硬質のブレードで大気をかき混ぜながら三機のMi-8MTVが追随した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんで、ダッチ。どうすんだ?コイツは」

 

レヴィがカウンターに身を預けて切り出した。コイツとは、勿論、人質としての価値が認められなくなってしまったロックのことだ。

 

「うぅん…そのことなんだがなあ、ここでお別れって言うのはどうだ?」

 

「ええええ!?ここまで来て置いてけぼりなんてありかよ!つ、連れてってくれよ!せめて帰す努力はしてくれよ!」

 

ダッチからの非情な返答にロックは顎が外れるくらいに驚いてから、恥も外聞もなく縋りついて喚き散らした。

 

「あーあーあー、うるせえなあ…なぁ、ベニー・ボーイ。聞きてえんだが、コイツの会社に話しつけることは出来そうか?」

 

めんどうくさそうにレヴィが聴いた。

 

「う~ん…出来ると思うけど、ロックだってさっきの話聞いてたでしょ?あんまりこういう言い方は好きじゃないけど、多分、君が死んでくれた方が都合が好いとまで考えてるんじゃないかな…まぁ、やってみるよ。話を付けられるかは、置いてね」

 

ベニーの言葉でロックは黙ってしまった。俯かざるを得ないのだ。その言葉は、確かにごもっとも、そう言う状況だったから。

 

「よっし、そう言うことで決まりだ。それでもダメだったときゃあ、まぁ、同情するぜ。まあ、まだ決まった訳じゃねえ。案外帰って来いって言われるかもしれねえぞ?」

 

ダッチが仕切りなおそうと手を叩いて言った。ロックの表情は晴れなかった。

 

「そ、そうかなあ…」

 

「どっちなんだよお前ぇはよ」

 

レヴィは煮え切らないロックの態度に呆れたように言った。

 

「手前はどうしたいんだ?手前は何がしたいのかって、それがわかりゃあ迷いもなくならぁな」

 

「…レイジさんと、同じことを言うんだね」

 

「アイツの口癖だからな。その内、手前も諳んじるさ」

 

「何がしたいとか、考えたことも無かった…」

 

レヴィがロックを探る。それは、彼女の直感が、彼を見極めろと訴えるからだ。ロックは、今や生まれ変わろうとしているのだ。理屈なんてなく、ただ自分にも、そう言う機会があったからこそ、その背中を押してやるのも吝かではなかった。なぜなら、自分も押された側だったから。飢えてるわけでも無し。それくらいの余裕がレヴィにはあった。ただそれだけのこと。

 

「まあ、難しいことはこっからずらかって、安全な船の上でじっくりと話そうや。ほら、奴さんが突っ込んでくる前に急ぐぞ」

 

ダッチがそう締めると同時に、これまで微動だにしていなかった例の毛色の違う男たちが立ち上がった。後メイドも立ち上がった。嫌な予感がする。

 

「おいおいおいおいおい…冗談じゃねえ。俺は認めねえ。俺は認めねえッッ!!」

 

バオが頭を抱えるのと、男たちが異常に重厚なテーブルを倒し、メイドがカウンターの床にタオルを敷いて、眠るレイジをそこへ安置したのは同時だった。

 

「れ、レヴィ、何が起こってるんだ?」

 

ロックがレヴィに問いかけるも、レヴィは口角を上げるばかり。三分の一ほど残ったラムを一気に飲み干して、それから両脇のカトラスを抜いた。

 

「ダッチ。ベニー。ロック。聞こえるか?あたしには聞こえる。コイツはイエスが地獄の果てから機械仕掛けの戦車に乗って突っ込んでくる音だ」

 

「聞こえるぜレヴィ。だが、惜しいな。コイツは装軌じゃねえ。装輪だ。やべえ、こいつはやべえ…」

 

「車は…諦めるしかないか…いい車だったんだけどな…」

 

「命あっての物種さ。そうだろ、ベニー」

 

レヴィがそう締めくくった。ラグーンの一味とロックもまたカウンターに身を隠すと、バオはへなへなと腰を落とした。店内が完全に物々しい雰囲気に飲まれた瞬間だった。男たちは手に手に得物を取り、入り口に向けて構えていた。例の屈強な男たちは、何故か壁板や床板を躊躇なく引っぺがし、或いはテーブルの下から括りつけられていた武器弾薬を次々に手に入れて、テーブルを盾に息を殺していた。

 

「聞こえない!聞こえない!何も聞こえないぞおおおおおおおおおお!」

 

遠くから迫りくる莫大な馬力を誇るエンジンの音、そして重量物を全速力で運ぶ大型車両にありがちな地面を耕すような地響く如き唸り声が近づいてくる。

 

逃れられぬ運命(さだめ)を認識してしまったバオは狂ったように叫んだ。

 

「やめてくれえええええええええええええええええええええええッッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドゴン!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああ!?!?」

 

13tクラスの、武装し機関砲を積んだAPC(装甲兵員輸送車)が後部から時速70km強で突っ込んできた。爆散する入り口。轢き潰されるドア、壁、客。滅茶苦茶に破壊された正面玄関。スロープや段差などお構いなしに乗り付けるという、ダイナミック入店によってイエローフラッグの三分の一が既に破壊された。地鳴りのような振動と共に、すぐさま地獄の門が開いた。後部のハッチが開くと同時に、アサルトライフルにサブマシンガンで武装したエクストラオーダー社の傭兵たちが殺戮を開始したのだ。

 

「お、お、おれの店があああああああああああああああ!!!!!!アアアアアアアアアア!?」

 

ありったけの手榴弾を投げ込まれ、窓ガラスが全損した。シャンデリアが雨粒のように弾け飛んだ。上階へと通じる大穴が開けられ、二階の部屋で情事にしゃれこんでいた客が落っこちてきて十秒と待たずに挽肉に変えられてしまった。

 

装甲車による突撃の衝撃を処理しきれていない店内は、手榴弾によって更に混沌のどん底に堕とされ、下味のついたこの店を焼き上げるための銃火が吹き上がった。容赦なく、襲い掛かる無数の銃口、弾丸の雨あられが降り注いだ。

 

降車した部下たちの後から、この舞台を作り上げた大尉が現れた。顔面には狂相が刻まれ、サングラス越しにこの世全てを呪い殺すような笑顔だ。

 

「野郎共!ここは今日この時からならず者共の共同墓地だ!たらふく食いやがれ!チンピラどもを血祭りにあげてから、さっさと次の戦場へと向かおうじゃねえかあ!このクソ寂れた酒場を賑やかなキャンプファイヤーに変えてやれえ!俺たちがその火の回りで踊り狂ってやる!お前らのそのクソ冥福を祈り、そのクソ神に見放されたクソ不運をクソ哀れみながらな!死人しか遺すな!!食い残しは俺が許さねえ!俺にファックされたくなけりゃ殺せ!殺しつくせ!どこでクソを垂れるのかを忘れちまうまで全身を蜂の巣にしてやれ!」

 

大尉は宣言と同時に自身も大型拳銃とAKカービンを乱射しまくった。その様は実に楽しそうで、口の端が張り裂けそうな程に笑顔だ。煙草を燻らせながら、煙の味を楽しむ余裕さえあった。

 

店内はあっという間に血の海に変わり果てた。既に店の手前は壊滅状態と言ってよく、沸き起こった硝煙と粉塵の壁を越えればそこには奥まった場所に整然と並ぶ分厚いテーブルと、その奥のカウンターだけが残されていた。

 

「進め!追い立てろ!ぶち殺せ!追い込み漁だああははっはははははは!!!!」

 

大尉が叫び、部下たちは悲鳴なのか歓喜の雄叫びなのか区別のつかない絶叫を上げながら前進した。このまま、カウンターに隠れてるであろう連中を殺して、一巻の終わりだ。そう思い、リロードの為にとその場に残ったことが、結果的に大尉のこの場での延命を許した。

 

「交戦規定は満たされたものとする。各自自由射撃開始。護衛対象を死守しつつ、後退を開始する」

 

よく通る声でアメリカ訛りの英語が発された瞬間。天板をこちらに向けて倒されたテーブルから一斉に二十余りの銃口が突き出された。エクストラオーダー社の尖兵を照準に捉え、影に隠れていた者たちが発砲を始めた。次の瞬間を待たずして崩れ落ちる兵士たち。大尉の私兵たちは次々に頭を吹き飛ばされ、被弾していく。

 

想定外の反撃にたじろぐも、大尉は笑みを深めた。

 

「誰が相手か知らないが。素晴らしい。はるばる来た甲斐があるってもんだ。野郎共!死体を盾にして距離を詰めろ!」

 

非情な命令も意に介さずに発するや、自らが率先して死んだ客の死体を盾にして、テーブルに向かって牽制射撃を続けた。

 

大尉の指示を忠実に守り、熱狂と共に再起動を始めた傭兵たちに対して、テーブルの向こう側で銃を握る男たちは、至極冷静かつ淡々と事態を処理していた。

 

「前方の敵に手榴弾を使え!半数はここで牽制と遅滞を続けろ!残りはついてこい!エスコートの為に裏口を爆薬でこじ開ける!」

 

指揮官らしき男に率いられた一団がイエローフラッグのバックヤードに駆け抜ける瞬間、残った者たちが牽制の為にフルオートで弾をばら撒いた。銃弾が当たる確率は案外に低く、ましてやフルオートで狙いも定めていない弾が当たる道理も無かったが、牽制とはそう言うものなのだから間違いではない。ただ、こういうものは人間の反射や心理や危機管理を前提にしているわけで、死ぬも生きるも知ったこっちゃない、そんな死兵には効果が薄いかもしれない。そして、残念ながらこの場にいる大尉の私兵は揃いも揃って戦争好きのジャンキー連中だった。玉砕突撃よろしく、彼らは時に棒立ちで、或いは死者を盾にして発砲、前進を続けた。

 

「意外とやるぞ奴ら。褒められたことじゃないが」

 

裏口を用意するための部隊がバックヤードに全員辿り着いたことを認めてから、彼らはすぐさま精密射撃に切り替えた。大雑把に殴る意味が無いことが分かったので、代わりにチクチクと刺すことにしたのだ。

 

エクストラオーダーの任務部隊と、レイジの西側出身者で固められた専属護衛班との戦闘が過熱する裏で、監視役として同席していたバラライカ直属の二人組も、反撃と死守の為に、今は絶賛壁板を剥がしていた。

 

「サハロフ!撃て!撃ちまくれ!弾を持ってこい!」

 

壁板の向こうから現れたPKMにベルト給弾で弾薬を送り込みつつ、鋼鉄板を仕込んだテーブル越しに、牽制と殲滅の為に射撃するメニショフ伍長は、バディのサハロフ上等兵を呼んだ。サハロフは絶賛床板、壁板を引っぺがすことに全力を尽くしていた。

 

「伍長!もう改修時に仕込んだ分は底を尽きます!」

 

最後の弾薬箱を抱えて戻ってきたサハロフの言葉を聞き、メニショフはリロードしながら考えた。

 

「このままじゃ埒が明かん!連中も今や同志だ、俺たちも移動するぞ!早いとこウサギさん(ザイチク)とラグーンの連中を連れてホットゾーン(危険地域)を抜ける!あとは何が残ってる?」

 

「携行用の擲弾が一つだけです!」

 

「連中の装甲車にぶち込んでやる!俺が牽制する、当てなくてもいいから撃ち込め!行くぞ!」

 

見つかったのは一機のRPG26だった。

 

メニショフの掛け声と同時にサハロフが駆け出した。

 

「見ろ!飛んで火にいる何とやらだ!撃て!挽肉にしちまえ!」

 

目敏く見つけた大尉が部下に命じ、自身でも銃を撃つが、サハロフに怯んだ様子はなかった。巧妙に遮蔽物を経由し、装甲車の尾部近くから10mほどの距離に近づくと、ノーモーションで、照準も付けずに乱射した。動きを止めた瞬間にメニショフからの援護射撃が大尉たちを襲い、彼らの動きを一瞬停めることに成功した。サハロフは一息に発射すると、使い捨ての発射器をホームランバッターのように投げ捨てて、そのまま結果もみずに退避、途中まで匍匐で移動しながら、中腰の駆け足で遮蔽物を経由してメニショフの元へと向かった。

 

「サハロフ!任務ご苦労だ!帰ってこい!」

 

メニショフはPKMでサハロフを狙い追随する敵兵を押しとどめながら、装甲車のカーゴに命中させ、見事に目標を達成したサハロフを褒め称えた。

 

「コサックの勇者のご帰還だ!こんな地の果ての酒場で死なせるなよ!」

 

サハロフとメニショフの敢闘を見て、純粋に闘争心を刺激された専属護衛班からも声が上がり、サハロフの退避の為の援護火力が爆増した。ある者は床板の下から取り出したM16で、ある者はテーブルの下に括り付けておいたMP5やFN社製P90などを引っ張り出して反撃を強めた。

 

殺しても殺しても湧いてくる敵に対しても、彼らは全く怯む様子もない。逃げ惑う女子供、老いも若きも殺してきたが、大尉はこんなに上手く行かない戦闘が嬉しくてたまらなかった。まるで俺は本物の軍人じゃないか!最高だ!俺はもっと戦うぞ!撃たせてくれ!さあ、もっと鉛弾を食らえ!手前らの鉛弾も、俺にもっと寄越せ!一緒に仲良くファックしよう!このクソ世界でクソ最高に楽しい楽しい、このクソ遊びでよおッ!

 

「こいつぁ!コイツぁすげえ!すげえぞ!すげえ!こんなのは初めてだ!戦争みたいだ!本物の戦争みたいだ!あははははは!いいぞ!もっとやろう!そうだ、そうこなくっちゃな!シュトルム!母艦に伝えろ!連中が逃げる様ならマイヤーにヘリでやらせろ!仕事は真面目なアイツがやったほうがいいだろう。適材適所って奴だ。俺はこの最高のショーに参加しなくちゃならねえ!行くぞ、仕切りなおしだ!装甲車の機関砲は動くだろ?薙ぎ払えええええええええ!!」

 

大尉の絶叫と共に、装甲車がゆっくりと後退を始める。瓦礫を掻き分けて、サハロフのロケット弾で破壊されたタイヤとカーゴをガラガラと音を立てながら、まるで腸を引きずる兵士のような、満身創痍の状態で。キュルキュルと砲塔が回転し、30mm機関砲の砲身を未だ沈黙を保つカウンターに向けてぶっ放した。

 

「ファーーーーーーーーーーーーッ!!!!!死に晒せやあああああああああ!!!!」

 

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

ドンドンドンドン!!!ドンドンドンドン!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・東側護衛班:スペツナズ(FSB、GRU、KGB、空挺軍)出身の退役者又は志願者が中心の編成

・西側護衛班:USSOCOM(デルタ)、SAS、GSG9、レジオネラ、サイェレット・マトカル出身の退役者が中心の編成(敢えてCIAとNSA、FBIからの登用が控えられている)

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