279.クノンが動き出した
開拓地にやってきて数日が過ぎた頃。
「――ハンク、レイエス嬢、セイフィ先生。あと……リーヤかフィレアさん、どっちか手伝ってほしいんだけど」
ようやくクノンが動き出した。
その日の夕食時。
テーブルに着いて待っていたクノンは、遠征組全員を捕まえた。
クノンの談笑に付き合い、バラバラにやってきた遠征組全員が揃うまで待ち。
夕食を終えて。
改めて、号令を出す。
なお、ミリカやワーナーたちは気を遣って外してくれた。
なのでテーブルには、ディラシックからやってきた面子だけが残っている。
「ああ、私は遠慮したいのですが」
小さく挙手したのは、指名されたフィレアである。
彼女も遠征組の一人だが、聖女レイエスの侍女。
少々立場が違う。
「レイエス嬢、フィレアさんを借りたいんだけど」
クノンが雇い主である聖女に問うと。
聖女の感情の見えない視線が、侍女へ向けられる。
「嫌ですか?」
「個人的な感情はともかく、私はレイエス様付きの侍女ですので。いざという時のために魔力は温存しておかないと」
――クノンに呼ばれるということは、魔術師としての力を借りたいということ。
フィレアは職務上の理由から、拒否している。
肉体労働ならまだしも、魔力を使うのはまずいからだ。
彼女は、聖女の身の回りの世話するばかりではなく。
その上護衛も兼ねているのだ。
万が一何かあった時、動けないのでは話にならない。
「ああ、そうか。無理を言ってごめんね」
「いえ、こちらこそ。……できれば私も手伝いをしたいのですが、優先すべきことが違いますので」
そう答えるフィレア。
彼女はこの数日、開拓地の女たちに交じって仕事をしている。
食料の保存加工、裁縫、洗濯などの細々した雑事。
それを魔術師ではなく、一人の人員としてこなしている。
極力魔術は使わずに。
あと、同じ立場の同僚ジルニの世話兼見張りもしている。
ジルニはこの地に来て、ずっと酒を呑んでいる。
ちょっと納得いかない面もあるが――それでも。
それでも、彼女こそ、今この地で一番大事な仕事をしているのである。
もっと言うと、一歩間違えば世界一の魔女の逆鱗に触れかねない。
そんな位置にいる。
傍にいるからと、何ができるというわけでもない。
だが、何かあった時のために、ジルニの近くにいるよう努めている。
酒造りは、元は聖女が請け負った仕事。
今はジルニを支えることが、ゆくゆくは聖女のためになると思っている。
その点を加味しても。
魔術師として協力するのは難しいと、フィレアは考えている。
――そんなフィレアの事情を汲んで、クノンは誘うのを諦めた。
「じゃあリーヤ、いいかな?」
「あ、そうだね……でも僕、今地図作りに参加しているから、何をするかに寄るかも」
リーヤは今、騎士ダリオ・サンズとラヴィエルト・フースに協力している。
彼らに同行して周辺を歩き。
地形を確かめ、それを地図に記しているのだ。
その辺のことはクノンも知っている。
「そうだなぁ……ちょっと手間と時間が掛かるかも。……リーヤも無理そうだね」
となると、頼めそうな風魔術師がいないのだが。
「風が必要なのか?」
口を開いたのはカイユだった。
「俺でいいなら手伝うぜ」
「え? でもカイユ先輩、例の研究が」
造魔学のことは言えないので、クノンは言葉を濁す。
「だからって何もしないわけにはいかないだろ。飯も生活も開拓地で世話になっちまってるからな」
「本当にいいんですか? 僕としては嬉しいですけど」
「ただし午前中一杯だ。午前中だけ手伝うから、午後は自由をくれ」
「充分です。ありがとうございます、カイユ先輩」
これで面子は揃った。
これだけの魔術師を連れてきたのだ。
何かをしなければ勿体ない。
そして、ようやくクノンが決心した。
「自動荷車を作ろうと思う」
自動荷車。
――また聞いたことのない名前が飛び出したものだ、と。
クノンを待っていた魔術師たちは、そう思った。
「なるほどね」
概要を説明するクノンに、準教師セイフィは頷く。
優秀な彼女は、正確に何を作りたいのかを、いち早く理解した。
「要するに、決まった場所から決まった場所へ自動的に動く馬車、でいいのよね?」
「はい。あなたの視線の最初と最後が僕に向いてほしい、そんな願いを込めて……」
「そういうのいいから」
「あ、そうですか。馬車部分が魔道具になります。それで――」
「その馬車が通る道を、木で作るわけですね?」
聖女も、なぜ自分が指名されたか理解した。
決まった場所から決まった場所まで、決まった道を行くために。
その馬車の道を、木で作ろうと言っているのだ。
水気に強く、頑丈で。
けれども柔軟性は残して。
それらの特徴を兼ねる素材は、金属では難しいだろう。
まさしく木材の領域だ。
しかし耐久性に疑問は残る。
外に用意するなら、常に野ざらしになるわけだ。
ならば金属の方が――とは思うが。
そんなことはクノンもとっくに考えているだろう。
クノンなりに考えた末に、木材を選んだのだ。
「そう。だから麗しき植物の君の力を貸してほしい」
「それは構いませんが」
すでに適した木材と、加工処理方法がいくつか思い浮かんでいる。
「しかし、木材で大丈夫ですか?」
問うと、クノンは「うん」と気軽に頷く。
「君の心配は耐久力だよね? すぐ壊れる、故障するんじゃないかって思ってるんじゃない?」
「ええ、まさしく」
「知ってる? 素敵な女性は紳士の心を壊しかねない力を持っているんだよ? 君の言葉の一つ一つに、僕の心は不安と期待に踊ってしまうんだ」
「はあ、それで?」
「それを込みで考えてる。だから問題ないんだ」
ならば聖女から言うことはない。
「それじゃ詳しくは明日の朝ね!
あと、これが終わってからも色々やりたいことがあるから、よろしくね!」
開拓地に来て数日。
ここでの生活は、これからが本番である。