挿絵表示切替ボタン
▼配色






▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術師クノンは見えている 作者:南野海風

第九章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
279/365

278.カイユという男

2023/9/10 修正しました。

2023/9/12 修正しました。





「――ふう」


 息を吐き。

 ふと窓に目を向けると、赤い光が差し込んでいた。


 もう夕方らしい。

 思えば腹も減っている。


 早いものだ。

 この部屋にやってきて、まだそんなに時間が経っていないと思っていたのに。


 即席の一間を研究室にして。

 造魔学の研究者カイユは、中腰のまま作業していた背骨を伸ばす。


 いい時間だ。

 向こうにも予定があるので、今日のところはこれくらいでいいだろう。


「先生、今日は終わりましょう」


 と、カイユは黒ウサギに語りかける。


 テーブルの上。

 すぐそこで座り、こちらを見ている赤目の黒ウサギは――瞳から輝きをなくし、きょろきょろと辺りを見回す。


 接続が切れたようだ。

 これで、この造魔ウサギは、ただのジーナに戻った。


 ――さっきまでは、魔術都市ディラシックにいるロジー・ロクソンと繋がっていた。


 ウサギの目を通して遠くを見て。

 ウサギの耳を介して音を聞く。


 向こうからの意思は、文字表で伝える。


 ……と、少々やりづらいが、意思の疎通が可能なのだ。


 そして今。

 カイユとロジーは、会話を可能とする魔道具の開発をしている。


 今のところ進展はないが。

 非常にやりごたえのある実験の真っ最中だ。


「おいで、ジーナ。食事にしよう」


 手を伸ばすと、ジーナは大人しくカイユの手に乗った。


 少々野性の強いジーナは。

 基本的に、人を近づけることはないし、近づくこともない。


 一応は造魔学の産物。

 特殊な方法で呼べばやってくるが。


 ウサギ自身の意思は、それなりに警戒心が強いのだ。


 ただ。


 開拓地にやってくる旅の最中、カイユはずっとジーナの世話をしてきた。

 付き合いがあった分だけ、多少は認めてくれたらしい。





 即席の研究室を出て、屋敷の玄関から表に出た。


「あ、こんにちは」


「こんにちは」


 そこら辺にいた開拓民の女性らに挨拶を返し、ジーナを放す。


 ジーナはその辺の匂いを嗅ぎながら、うろつき出した。

 一応首輪もしているし通達もしてあるので、開拓民がジーナを狩ることはない。


 だが、あまり放置もできない。

 遠くに行って行方不明にならないとも限らないし、魔物に襲われる可能性もなくはない。


 まあ、ロジーが言うには、ジーナは結構強いらしいが。


 しかしカイユは、ウサギが強いところを見たことがない。

 だから半信半疑だ。


 ゆえに夜は部屋に連れて行くことにしている。


 一緒に寝たいが、それは嫌がるのでベッドは別々だ。


「さて、今日は――」


 どうするか、と思ったその時。


「――お疲れ様です、カイユさん」


 と、今日も丁度いいタイミングで、開拓地の代表ミリカがやってきた。


 彼女の手には野菜くずがある。


「ああ、今日もありがとう」


 ジーナのために野菜くずをくれ。


 ミリカにそう頼んで以来。

 だいたいこの時間、わざわざミリカが持ってきてくれるようになった。


「可愛い」


 エサに寄ってきたジーナを、ミリカが撫でる。


 ジーナは嬉しそうに、彼女の手に身体をこすりつける。

 心なしか嬉しそうな顔で。


 ――自分にはなかなか懐かなかったのに……。


 カイユは少し微妙な気持ちになった。


 いや、まあ、いい。


 どこぞの紳士のように、ジーナは女が好きなのだろう。

 そしてカイユは男装中だから、女の中に入っていないのだろう。


「……今日も呑んでる?」


 かすかに漂う酒精に気付き、カイユは囁く。


「すみません、臭います?」


 恥ずかしそうにはにかみ距離を取るミリカに、「全然」とカイユは首を振る。


「あまり気にならないよ。本当に。

 俺も後で呑みに行くし……今日の出来は?」


 ――神の酒樽で造った酒は、特別だ。


 カイユはあまり酒は好まない。

 だが、疲労回復効果が高いので、毎日少しだけ頂戴している。


「控え目に言って最高でした」


 ミリカは好きなようだが。


「うふふ。八杯くらい飲んじゃいました」


 飲みすぎじゃなかろうか。


 まあ、悪酔いも二日酔いもしないという神酒だけに、問題はないのだろう。

 つくづくとんでもない代物だ。


「カイユさんは、何か不都合はないですか?」


「ないよ。皆よくしてくれるからな」


 ミリカには、カイユの性別のことは話してある。


 ――王族だけに、ミリカは「訳あり」には非常に理解がある。


 本人自身が訳ありそのものだから、というのもあるのだろう。

 だからこそ深く事情を聞かないし、気を遣ってくれる。


「研究の方は順調ですか?」


「いや、全然。一ヵ月くらいじゃどうにもならないかも。

 クノンが動き出したら俺も何か手伝うから、遠慮なく言ってくれ」


 ジーナにエサを上げつつ、世間話をする。


 ミリカは魔術師じゃない。

 だから話す内容には気を付けているが。


 でも、魔術師じゃないからこそ。


 なんでもない話が、なんとなく、心地よい。


 常に魔術漬けだったからこそ、カイユには少しばかり新鮮に感じられた。












「――ねえ」


「――やっぱり」


「――そうよね」


「――だな」


 黒ウサギを撫でながら話す、ミリカとカイユ。


 ここ数日、毎日のように見る光景で。

 どちらも笑顔で、話が弾んでいて。


 開拓民たちはミリカを知っている。

 彼女は、見るからに貴族籍にありながら、誰よりも率先して開拓作業をしてきた。


 彼女の働く姿。

 何事にも先陣を切る彼女の背中に、開拓民たちは信用を寄せたのである。


 そんな彼女は、たとえ笑っていても。

 常にどこか神経を張りつめているように感じられた。


 それが彼女の覚悟だった。

 必ず開拓をやり遂げるという、覚悟だったのだと思う。


 そんなミリカが。

 あんなにも穏やかに笑っている。


 それは、あの二人が、特別な関係に見えなくもないわけで。


 あのカイユという男、非常に美形だ。

 誰が見ても美少女だと答えるミリカの隣にいても、一切遜色がない。少し贔屓目に見たらミリカより美しいとさえ思えるほどだ。


 お似合いだ。

 しかも仲睦まじい。


 ――開拓民たちは確信した。


 ミリカの婚約者はあのカイユという男だ、と。

 将来この開拓地は、あの男のものになるのだ、と。


 そう、勘違いをしたのだった。





  • ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねをするにはログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
書籍版『魔術師クノンは見えている』好評発売中!
『魔術師クノンは見えている』1巻書影
詳しくは 【こちら!!】

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
作品の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ