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魔術師クノンは見えている 作者:南野海風

第九章

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277.いけない酒宴





 ミリカが先導し、ハンクとイコ、リンコが同行した先は。


 地下室だった。


 倉庫の一つとして使われる予定の部屋だ。

 生憎今はまだ入れるものがないので、がらんとした広いだけの一間だが。


 今は、聖女が連れてきた侍女の一人が、半ば住み着いている。

 人目のつかない部屋を貸してほしいと言うので、ここを提供されたそうだ。


 詳しいことはハンクも知らないが。

 聖女の侍女は、今、地下室の主と化している。


「――あ、どーもぉ~ミリカ様ぁ~」


 薄暗い室内に、かすかに漂う酒精の香り。

 そして、どう見ても酔っ払っている主。


 彼女はジルニ。

 聖女の侍女だそうで、開拓地では一応客人扱いである。


 テーブル代わりの木箱と、椅子代わりの樽。

 そこを陣取り、ちびちびやっている。


 まあ、なんだ。


 時間も気にせず酒を呑んでいる、というだけの話だ。

 人目のある場所にいないだけ、まだいいだろう。


 一応、彼女にも彼女なりの役割があるのだ。

 だから酒を呑んで許されている。


 まあ、言いたいことがないわけではないが。


 しかし、肝心の雇い主である聖女が認めている以上。

 あまり突っ込んだことは言えない。


 言っていいのは、聖女とその関係者だけだろう。


「試飲に来ました」


 ジルニの仕事を、ミリカは聞いている。

 ゆえに彼女のただれた生活を認めている。


 ――ちなみにヒューグリア王国では、飲酒は十五歳から認められている。


 ミリカは大丈夫である。

 残念ながらクノンは十五歳以下なので、この集まりには参加できない。


「はいは~い。さっきおつまみも届いたからいいタイミングでしたねぇ~」

 

 呑んだくれ(ジルニ)はへらへら笑いながら言う。


 こんな明るい内から酒など……と、ハンクは思うが。


 責任だけで言えば、彼女の役割こそが一番重いことを知っているので、やはり何も言えない。


 何せ、あの世界一の魔女から頼まれた仕事をしているのだから。


 これで。

 このありさまで。


「ハンクさん、お願ぁい」


「はいはい」


 ここに来たのは初めてではないので、ハンクも慣れたものだ。


 ミリカらと一緒になって木箱テーブルを囲み。

 ジルニがどん、とそこにつまみを置いた。


 薄くスライスした山羊肉。

 これは、開拓地にやってきた時に仕留めた悪角山羊(デビルゴート)の肉だ。

 鮮やかな赤身だ。あまり脂は載っていない。


 そして、野菜。

 トマトとキノコ、深ネギ、ナス、芋など。


 それから植物油、スパイスもある。


「肉は焼いてもうまそうだな」


 臭みがありそうだが――ハンクの火なら、それも気にならない。


 香りを付加する「香火」と、臭いを消す「消臭火」というものを開発済みだ。


 燻製肉を作る際に編み出したものだ。

 意外と使い勝手がよく、出番も多かったりする。


「油があるので、鍋にしても美味しそうですね」


 食材を見て、ミリカは油煮がいいと判断したようだ。


 野菜や肉をたっぷりの油で煮る、というものだ。

 少々贅沢な油の使い方だが、うまいのである。


「いいですねぇ! 今日は麦酒――いわゆるエールができてますので、合いますよ!」


 こうして、明るい内から酒宴が始まった。


 もちろん、ジルニ以外は控え目に、だ。

 




「ああ、これは……!」


 これはまずい、とハンクは思った。


 まずい。

 これはうまい。予想以上に。


 小さな鉄板に熱を入れ。

 その上に鉄鍋を置き、油を注ぐ。


 香りづけの香辛料とスパイスを入れ――煮えた油に野菜を入れる。


 ちゃんと煮るには油の量が少ないので、串に刺して食材を突っ込み。

 いい感じに火が通ったら、そのまま口に運ぶのだ。


 口の中が火傷しそうになりつつ、旨味たっぷりの新鮮野菜を味わい。

 冷たいエールで胃に流し込む。


 これが実にうまい。


 野菜の味と風味。

 それらを邪魔しない香辛料とスパイスの味。


 そして熱い油は、冷たくしゅわしゅわと弾けるほろ苦い刺激とよく合う。


「あ、これ好きかも……!」


 ミリカも気に入ったようで、早くもジョッキ二杯目が始まっている。


 彼女は結構酒が強いのだ。

 そしてジルニとも気が合うらしい。


「――ふふ、うふふ、これはいいわぁ」


「――いいねぇお姉ちゃん」


 そしてちゃっかり参加しているイコとリンコの使用人二人。

 彼女たちもしっかり楽しんでいた。


 しばらく、言葉少なに、酒と食を楽しんだ。





「私はこれくらいにしておこうかな」


 酒精が弱いエールなので、三杯ほど呑んでしまったが。

 ハンクはここで終わることにした。


 まだ仕事がある。

 酩酊するほど呑み続けるわけにはいかない。


 すでにほろ酔いだし。


「私はもう一杯だけいただいちゃいますね」


 ミリカは五杯目まで行くようだ。


 傍目にはまったく酔っているようには見えないが……たぶん酔っているな、とハンクは判断した。

 顔に出ないタイプなのだろう。


「ああ、太っちゃいそう。こんなの絶対太っちゃう。ああでもやめられない」


「ほんとおいしいね。あれ? お姉ちゃん太った?」


「未来の私を見ないでっ。あれ? リンコも太った?」


「残念。私は太らない体質だったらいいなって思っているから平気なのでした」


「あ、そうだそうだ。あんたは太ったことから目を逸らすタイプだったね」


「黙れ姉」


 使用人二人は酒より食い気のようで、油煮の方に関心が向いているようだ。


 ――さて。


「ジルニさん、感想いいか?」


 ここを去る前に、ハンクはがばがば呑んでいるジルニに声を掛ける。


 いったい彼女はどれくらい呑んでいるのだろう。

 数えるのも嫌になるほど呑んでいるのは確かである。


「あ、はいはい。どーぞ」


 と、彼女はゴキゲンな様子でメモを出す。


「私はかなり好きだが、酒の味どうこうというよりは、料理をおいしくする出来だと思う。特に油物との相性はよさそうだ。

 酒がメイン、と考えるなら、昨日呑んだ『三日目』の方が良いかな」


「ほうほう」


 ハンクの発言を、ジルニはちゃんとメモを取る。


 酔っ払いにしては、ちゃんと文字が書けている。


 思ったより酔っていないのかもしれない。

 あんなに呑んでいるのに。


「私も同じ意見です」とミリカが言う。


「今日の『一日目』は、食事と一緒に楽しめるお酒だと思います。食前酒とも違う扱いですね。香りが強くない分、ワインより気軽に呑みやすいです」


「はあはあ、なるほど。私も概ね同じ意見ですね」


 と、ジルニは感想を書き残していく。





 ――聖女の侍女ジルニは、神の酒樽の守護者である。


 正式名称は「酒を捧げよ、(アゥゲ・)神の渇きを癒せ(ナルゥ・ズィガ)」。

 通称、神の酒樽だ。


 それを管理しているのがジルニである。


 ミリカにだけは事情を告げている。

 だからこの部屋の使用と、この酒宴の時間が許されている。


 元は聖女が請け負った仕事だが。

 今は全責任をジルニが背負っている。


 そもそも聖女もクノン同様に飲酒していい年齢ではないので、仕方ないのである。


 ――仕事は、世界一の魔女グレイ・ルーヴァが気に入る酒を造ること。


 そのため、ジルニはここで呑んだくれている。

 一応「仕事だ」という免罪符を盾に。


 まあ、実際本当のことなので、なかなか文句は言えないのだが。


 そんな彼女は、日々酒の研究を重ねている。

 意見を集めるためにたくさんの人に酒を呑ませて、それをメモする。


 そして、どんどん理想の酒へと近づいている。


 それは魔術の研究や実験と似ているかもしれない。


 最初は手探りで始まり。

 少しずつ、少しずつ、完成に近づくのである。


「――ああ、おいしい。もう一杯だけ貰っちゃおうかしら」


 ミリカが更にジョッキを満たす。

 欲望のままに。


「――いっちゃえいっちゃえー」


 ジルニがはやし立てる。

 無責任に。


「――旦那さんとはどうなの?」


「――えへへ。えへへへへ。知りたい? 美人な新妻の新婚生活聞きたい?」


「――美人? でも明日太ってるよ?」


「――黙れ妹」


 食に落ち着いた使用人たちは、今度はおしゃべりに夢中だ。

 仕事を放棄して。


「……」


 ハンクはもう何も言わず、その場を後にした。


 ここは長くいるとダメになる空間だ。

 早く抜け出さないと、離れられなくなる。


 ――その後、彼女らがどれだけ呑んだかは、誰も知らない。

 




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