ベンチに戻った渡辺は、すぐにダグアウトに消えた。広岡はそこまで追いかけて「貴様、野球を舐めとんのか!」とルーキーを怒鳴り上げたという。
次の瞬間、渡辺の右足に激痛が走った。広岡の蹴りが炸裂したのである。
「野球に関してあんなに厳しい人はいなかった。今考えると、それだけ僕に期待をかけてくれていたということでしょう」
後年、渡辺はそう前置きして、神妙な口ぶりで続けた。
「おそらく広岡さんは、僕が打たれたことよりベンチばかりチラチラ見ていたことの方が許せなかったのでしょう。先発ピッチャーなら、堂々と自分のピッチングを貫け。それで打たれたのなら、オレが代えてやる。オマエに期待しているのがわからんのか。そう言いたかったのだと思います。ともあれ、若い時に広岡さんと出会えたことは、僕にとっては最高の幸運でした」
基本を叩き込まれたから長くやれた
鉄は熱いうちに打て――。広岡には、そういう親心があったのだろう。
渡辺は08年に西武の監督に就任し、その年いきなり日本一を達成した。
同じ名将でも野村と広岡には大きな違いがあった。野村は選手に理論を説き、指導にあたっては言葉を武器にした。これに対し、広岡は手とり足とり教え込んだ。その代表格が渡辺と同じ84年に入団し、セカンドでゴールデングラブ賞に8回も輝いた辻発彦である。西武の監督としては18、19年と連続でリーグ優勝を達成した。