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過去編(7) 升田幸三の伝説

2020年5月16日 02時00分 (3月27日 14時36分更新)

◆GHQを相手に堂々

 一九四七年夏。それはまさに、真剣勝負だった。
 「酒を飲ませてもらいたい」。昭和の名棋士升田幸三は開口一番、尿意を促すビールを要求した。難しい質問をされたらトイレに立ち、じっくりと考える作戦だった。
個性派棋士として人気を集めた升田幸三=東京・中野の自宅で

個性派棋士として人気を集めた升田幸三=東京・中野の自宅で

 場所は、連合国軍総司令部(GHQ)の本部。「軍服を着たエラそうなの」が四、五人いるが、その意図がわからない。升田は缶ビールを一口飲み、大声で言った。「まずいなあ」。一同ビクッとしたのを見てほくそ笑む。よし、これなら大丈夫だ-。
 チェスと違って取った駒を自駒にする将棋は、捕虜の虐待で人道に反する。彼らにそう迫られると、カウンターパンチで応じた。「将棋はつねに全部の駒が生きておる。敵から味方に移ってきても、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
 やがて木村義雄・十四世名人の話題に。相手は戦時中に海軍大などで講演した木村が、戦争協力者だったと疑っていた。升田はその質問も放言でけむに巻く。「オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる。おんどれらにとっちゃ、あの人は大恩人なんだぞ」
 戦後処理を進めるGHQに呼び出された時の逸話が、自伝『名人に香車を引いた男』(中央公論新社)につづられている。
 「升田さんはすごく話が面白い人でね。でも、酒に酔って目が据わってくるとだめ。からまれて大変だから、すぐお開きにしてました」。東海棋界の長老で、生前の升田と親交があった堀田正夫(96)は苦笑する。
 「私には表現をオーバーにしたり、大風呂敷をひろげたりするヘキがある-らしい」。自伝で、升田は前置きした。GHQとのやりとりが、実際はどうだったかは分からない。ただ、この武勇伝が、将棋の素晴らしさを知らしめ、戦後の国民を元気づけてくれたのは間違いない。(敬称略)
(岡村淳司)
 *次回から「巨人編」を始めます。
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