269.幕間 初めての公布
その日、領主代行の命が下った。
わざわざ騎士が八世帯の家を周り。
一軒ずつ、かの方の言葉を下す。
「ミリカ様より下知である。明日正午、領主邸の前に来るように」
ダリオ・サンズとラヴィエルト・フースが、正式な身分証を手に仰々しく伝える。
普段は「さん」付けで呼ぶ者もいる、フランクな騎士の方々。
そんな二人が真面目な顔で下命する。
――これは一大事だ。
開拓民たちは目の色を変えた。
領主代行からの正式な下知である。
こんなの、開拓事業始まって以来だ。
領主代行といえば。
あの高貴なる方である。
誰がどう見ても高位貴族の娘である、庶民からすれば雲の上の方である。
最初は恐れ、面倒に思い、関わろうという者も少なかったが。
見た目に反して、彼女は働いた。
肉体労働でも、土いじりでも。
動物の世話でも、獲物の解体作業でも。
手が汚れる仕事であろうと、なんであろうと。
誰よりも率先して動いてきた。
庶民と肩を並べて、誰よりも働いてきた。
まだ十代なのに。
そこらの庶民に負けないくらい根性の据わった娘だった。
それだけに、彼女に向ける住民たちの信頼は篤い。
命じるだけ、我儘なだけ、権力を行使するだけ。
そんな貴族ではないことを、ちゃんと知っている。
今や「彼女が代行じゃなければいいのに」と思う者ばかりだ。
そんな領主代行が、正式に、開拓民に集まれと言っている。
いや、ここは領民と言うべきだろう。
きっと領民に何かを命じるのだろう。
領主の代わりとして、正式に。
何をさせるつもりかはわからないが――民の気持ちは高ぶった。
彼女のために何かできる。
彼女のためなら、何でもできる。
領主代行の命令に、信頼で応えたい。
そんな覚悟を決めた者たちは、非常に多かった。
翌日。
領主邸の前に、領民たちが集っていた。
まだ昼には早い朝なのに、もう全員が揃っていた。
八世帯、三十人足らず。
駆け落ち同然に、故郷を離れた夫婦。
事故で夫を亡くし、極貧生活に落ちようとしていた子連れの未亡人。
貧乏暮らしから一発逆転を狙って移住した家族。
事業に失敗した牧場主。
仕事にあぶれ続けた学者。
非力を嘆く怪力料理人。
孤児に記憶喪失者。
どこまで本当なんだ、という素性の者もいるが。
開拓地なんて場所で暮らすことを決めた、訳ありばかりである。
そんな彼らの前に――待っていた領主代行が現れた。
当然のように騎士と、姉だという魔術師を連れて、颯爽と歩く。
今日は美しいドレス姿だった。
最近忘れがちだったが、こうして着飾っている姿を見ると思い知る。
彼女はやはり、高位貴族の娘なのだ、と。
「――領主代行ミリカ様より下知である! 清聴せよ!」
ダリオが叫んだ。
言われずとも。
領主代行が出てきた瞬間から、皆が彼女を注視している。
物音一つ立てず。
普段は生意気な子供でさえ、今の彼女には言葉をなくして注目している。
用意された演台に立ち。
領民たちを見下ろし。
領主代行は口を開く。
「これより十日から二十日後、私の客人が来ます。
その方は私の大切な人で、行く行くはこの地の尊い人となります。
今多くを説明はしません。
この地の民は大丈夫だと私は知っていますので。
ただ、今はそれだけ知っておいてください」
大切な人。
この地の尊い人。
子供はまだしも、大人には通じた。
――将来の領主が、つまり領主代行の婚約者が来るんだな、と。
これは確かに一大事だ。
領主が来る、という意味でも。
領主代行の結婚相手が来る、という意味でも。
だが、気持ちは少し複雑だ。
領主代行はいい女だ。
掛け値なしに。
高位貴族の娘にしておくのが勿体ないほどに。
絶対に幸せになってほしい。
ゆえに、不安になる。
そこらのどうでもいい貴族の息子が来たらどうしよう、と。
女好きだの。
ギャンブル狂いだの。
散財しのめり込むほどの趣味がある、だの。
そんなバカ貴族が来たらどうしよう、と。
そんなのと結婚する、なんて考えたくもない。
果たして、彼女の婚約者はどれほどの男なのか。
期待もあるが。
それ以上に、不安の方が大きかった。
そんな民の不安も知らず、領主代行は続ける。
「次に業務上の注意についてです。
畑は次の収穫が終わったら、一度潰してください」
「「えっ」」
声を上げたのは、田畑の管理をしている民だ。
「今は冬です。
本来なら育たない作物が育っている。これは世間に知られるとまずいのです」
――王宮魔術師たちが戯れに土を肥やし、便利な農具を開発している。
これは外へ漏れると非常にまずいので、封印だ。
「次、猟について。
強化弓と強化罠、強化鼻と強化耳の使用を禁止します」
「「……」」
先の「畑について」があったので、狩人たちは覚悟ができていた。
「あれも少々行き過ぎです。まだ知られるわけにはいかないのです」
――王宮魔術師たちが遊び半分で作った魔道具だが、あれもまずいのだ。
「次、伐採について。
強化斧、強化鋸、強化ロープの使用を禁止します」
「「……」」
伐採、すなわち木材の調達と土地を広げる行為も禁止だ。
「これに関しては、いっそ春まで中止にしましょう。今年の薪は足りていますので」
三十人ほどの規模の集落だ。
にも関わらず、開拓作業が早すぎる。
――王宮魔術師たちが思いつくままに作った魔道具だが、これもあまり良くない。
というか、なんだ。
「面倒なのではっきり言いますが、魔道具全般、ちょっと使用を控えてください」
「「ええーっ」」
声を上げたのは、子供たちだ。
彼らの遊び道具もまた魔道具だったりするので、彼らにとっても大問題なのだ。
「この冬だけの話ですので、我慢してください。
温室もちょっと怪しいですが、これは使用許可を出しておきますので、野菜はあちらでお願いします。
――あと、光る野菜は取りすぎないように。量を調整して……いえ、ワーナー様の指示で消化してください」
つまり。
領主代行の話を要約すると。
この冬は、開拓事業が進まないかも、という話だった。
領民たちは少しざわめくが……
それこそ、信頼する領主代行の命令である。
従う以外がない。
「それでは解散とします。今日もよろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
こうして、開拓地の一日が始まる。
「ミリカ様! 今日までは遊んでいいよな!?」
「よな!?」
演壇から降りた領主代行に、子供たちが話しかける。
「あなたたちの遊び道具は使っていいわよ」
子供に関しては、我慢できるかどうか怪しいので。
その時が来たら物を預かるつもりだ。
「やった! どっちが遠くまで飛ぶか勝負しようぜ!」
「ぜ!」
鳥の玩具を持って、子供たちが掛けていく。
――あれは本当に飛ぶのだ。あれも見られるのはまずいだろう。
「……ふう」
演説を終えた領主代行は、溜息を吐く。
去っていく領民たちを見送りながら。
王宮魔術師たちの。
いや。
主にゼオンリーの悪ふざけの産物が、本当に性質が悪い。
人の生活に密接し、便利をあたりまえにしてしまう彼の発明品は、本当に。
――すごく助かっている、という意味でも。
本当に性質が悪い。