四条とのインド旅行から帰って来てから2日が経った頃、俺は伊井野からとんでもない事をラインで伝えられた。
『石上に腕折られました』
文面を見た俺はこう思った。「どういう状況なんだよ」と。
石上が悪意を持って伊井野の腕を折るわけがない。となると、石上になんらかの不可抗力があって、伊井野を骨折させたと考えるのが妥当だ。
あいつらが最後に出会ったのは、おそらく子安先輩主催のクリスマスパーティだろう。わざわざあの2人が休みの日に出会うわけがない。つまり、クリスマスパーティに何かあったという事になる。
幸い入院沙汰にならずに済んだらしいが、利き腕を折って不便しているそうだ。だから。
『助けてください』
2通目にこんなメッセージを送って来たのだ。
伊井野の両親は共働きで、休みという休みがない。だから家政婦を雇っているらしいが、家政婦が四六時中伊井野の世話をしているわけではないのだ。
家政婦にだって休みが必要だし、第一、家事専門の人間。伊井野の身の回りの世話は家政婦の仕事の範疇なのか分からない。
そうなると、頼る人間が必要になる。それが俺という辺り、若干伊井野の私欲が入ってそうな気もするけども。
そんなこんなで、朝早くから伊井野の家に赴いたのだが。
「マジで腕イカれたんだな…」
ギプスを付けて右腕に負担が掛からないようにしている。
「はい…左だけじゃ何かと不便で…」
今見た限りでも分かる。俺が来るまで勉強していたのだろうが、左手で書いた字は滅裂としている。これじゃ後から見返す時が大変だ。
「…何があったかって、聞いていいやつなのか?」
「…実は…」
伊井野から大体のあらましを聞いた。
子安先輩主催によるクリスマスパーティは、子安先輩、石上、伊井野以外は先に帰った。伊井野は爆睡でしばらく起きなくなっていたらしい。
その間、石上と子安先輩はゲストハウスで一線を超えた……わけじゃなく。
石上は子安先輩に告白したらしい。けれどそれは失敗に終わった。
石上も子安先輩も、本当は一線を超える気でいたらしい。石上は好きな人だから当然だが、子安先輩はそうじゃなかった。
子安先輩はもうすぐ卒業の上に、神奈川の大学に行くらしい。付き合う事は現実的に難しい。
だから石上と一線を超えようとしたのは、「好きになってくれてありがとう」という気持ちからだそうだ。
結果、石上は病んだ。本来なら、一緒に開けるはずであろうクリスマスプレゼントも、子安先輩に押し付ける形でゲストハウスから去った。子安先輩をも振り切って。
「…で、お前その時なんか言ったのか?」
「…先輩は傷付いたって。男のくせに二の足踏んで、拒否られた女の気持ちも考えろって…」
「なるほど…」
その後、石上はこう言ったらしい。「一緒に寝る事は好きな人同士がする事。出来る事ならあのまましたかったけど、同情で愛してるフリなんてされたくない」と。それを、泣きながら。
しかし、ここでまた伊井野が口を挟む。泣いた石上に「キモい」だの「引く」だのと言ったそうだ。
石上の事になると悪魔みたいになるのなんなの?血も涙も無いって正にこの事かよ。
そんな悪魔の一言に、石上のライフは0に。高層マンションの41階を、1人で階段から降りようとした結果。メンタルがやられていたのか、足元がおぼつき転落したという。そこを伊井野が庇い、腕を折ったという事だ。
石上に腕を折られたという所以は、これなんだろう。
「…今、石上はどうしてるんだ?」
「さぁ、知りませんよ」
石上の事だ。もしかすれば、今まで以上に悲観的になるかも知れない。ただその場に居ない俺が石上のフォローをしても、煩わしいだけだったりするのだろうかとも思う。
「まぁでも、石上に貸しを作りましたから。だからあいつには2つだけですけど、私の言う事を聞いてもらう事になりました」
責任感の強い石上の事だ。断るに断れなかったんだろう。
「1つは授業のノートを取って貰う事。同じクラスですし、それぐらいはやって貰わないと割に合わない」
「まぁ妥当なところだな。で、もう1つは?」
「私と比企谷先輩の関係に一切口出ししない事」
「は?」
2つ目の内容があまりに意味が分からなさ過ぎて、思わず素っ頓狂な声で返してしまった。
「私が思うに、石上は私と比企谷先輩の関係が気に入らないんです。ほら、この間つばめ先輩がクリスマスパーティに誘って来た時も」
『伊井野、詰め過ぎだろ。比企谷先輩にクリスマスに予定があるからってお前に何か関係あるのかよ』
『いい加減にしろよ伊井野。比企谷先輩の予定を潰そうとすんな』
確かに、俺達がその場に3人居たとして、石上は伊井野に注意していた。なんなら伊井野が居ない時も、石上は俺に忠告していた。
「比企谷先輩とどんな関係でいようが、あいつには関係無いんです。だから、二度と口を挟めないように言いつけました」
「…お前、やる事怖い」
ちょっとちびりかけた。だって、知らんうちに外堀を埋められている気がするんだから。
「石上だけじゃない。私と比企谷先輩の関係に口出しする権利なんて、誰にも無いんです。私達の関係は、私達が決める事。当然の事ですよ」
なんだかまるで、彼女面をしているかのようなセリフだ。いや、実際には先輩と後輩って関係なんだが。それだけじゃ収まらない関係と言われても仕方がない。
「…まぁとりあえず、石上の件は大体分かった。で、聞いた上で1つ疑問あるんだけど」
「なんですか?」
「なんで俺呼んだの?」
先の話の流れだと、石上が伊井野の手足になる筈だ。俺が伊井野の立場ならそうする。にも関わらず、石上には程度の低い要求を2つだけ言いつけている。
「元々、私もあいつも互いが互いを嫌い合ってますから」
「あ、そう…」
「それに」
「ん?」
伊井野は虚な瞳でこちらを捉えて笑む。
「私には、比企谷先輩しかいませんから」
その言葉に、何も返せない。ただ固唾を飲む事しか出来なかった。
友人の大仏ですら除外したこの言葉。友人とそれはまた別物だと考えているのだろうか。
俺しか頼る人間がいない。伊井野が放ったその言葉に、俺は強い罪悪感と責任感に苛まれる。
出来る事なら、彼女の依存を解消したい。それが伊井野のためにも、俺のためにもなる。だが、それはあくまで軽度の依存の場合。
自分の傍に居ない時の不安。自分以外の誰かと一緒にいる時の嫉妬。その2つが構成された結果の束縛。軽度の依存じゃここまでにはならない。
伊井野の中では、俺という存在がいなくてはならない。伊井野の精神的支柱=俺と言っても、過言じゃない。
一応、策が無いわけじゃない。
1つが、専門職の人間の精神的ケアを受ける事。伊井野自身によるが、時間を掛ければ依存性が和らぐ可能性がある。
もう1つが、俺が即座に伊井野をボロカスに罵倒する。「比企谷先輩ってこんな人だったんだ」って思わせて、離れさせる。
だが、2つの策にはデメリットがある。
例えば精神的ケアを勧めるとすれば、伊井野は「比企谷先輩は私に離れて欲しいんですか?」とか言って、余計にややこしい事になる。無理に説得すれば連れて行けるだろうが、伊井野が納得しないだろう。
もう1つの策は現実味が無いし、何より伊井野を追い詰めて病ませてしまうかも知れない。
つまり、現実的にお手上げに近い。
「…そうか」
依存を解消出来ないなら、諦めるしか無い。
それに個人的な意見だが、依存が必ずしも悪とは限らない。片方に寄りかかる事が、人という字の由来だからな。
「そういえば、比企谷先輩はクリスマス何してたんですか?四条先輩との海外旅行は楽しかったですか?」
話を変え、刺々しい物言いでインド旅行の話を振ってくる。
「…まぁ悟ったらしいけど。ほとんどはインドを観光してたな」
「そうなんですか。私が骨折った時に、比企谷先輩は四条先輩と楽しく過ごしてたんですね」
伊井野は依然、辛辣な言い方だ。自分が腕折った時に楽しくしてたのが問題じゃなく、自分じゃない誰かと遊んでいた事に、伊井野は嫉妬している。
「そうだ。この間、比企谷先輩に千葉を案内してもらう約束でしたよね。あの約束、今日に出来ませんか?」
「え、今日?や、いきなり千葉に帰るっつっても色々準備しなけりゃならんのだが…」
「いえ、ただ私の買い物に付き合って欲しいだけです。千葉の案内はまた今度で、代わりに今日一日私に付き合って欲しいんです」
「あぁ、そういう…。何か買いたいもんでもあるのか?」
「はい。参考書や過去問とか。それなりの数になるので、比企谷先輩に付いて来て欲しいんです」
「…まぁそれぐらいなら良いけど」
要するに、荷物持ちって事だろう。確かに、右腕負傷の伊井野に重い物を持たせるのは酷だ。
「それじゃ、早速行きましょう」
そうして、俺達はショッピングモールにやって来た。
本屋に行けば参考書など売っているのにも関わらず、伊井野が敢えてショッピングモールを選択したという事は、何かある。
とはいえ、やはりショッピングモールの中に出店している本屋に来たのだが。
「比企谷先輩は何か買わないんですか?」
「別に買いたい本は無いしな……ん?」
すると、スマホに着信が入る。着信先は、早坂愛。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、はい」
俺は店を出て、近くにあるトイレで電話に出る。
「…もしもし」
『また楽しそうに遊んでるね』
通話でも分かる、彼女の凍えるような声色。
というかちょっと待て。なんでこいつ、俺達が一緒にいるの知ってるんだ。
『因みにストーカーはしてないよ。見かけたのは偶然だし、電話したのも別の用件だから』
「?なんかあったのか?」
『かぐや様と会長が今、一緒に買い物してるの』
「あぁ……まぁ付き合ってるしな、あいつら」
『…やっぱり、比企谷くんも知ってたんだね。で、付き合ってる云々はさておいて、かぐや様と会長のデートを見守るのが私の役目なんだけど。まさか同じ日の同じショッピングモールに、君達2人と書記ちゃんと会長父が現れるなんて思わなかったよ』
「うーわ…」
今ので早坂が言いたい事は大体分かった。
白銀と四宮がデートをしてる場面を恋愛脳の藤原が目撃すれば、当然面倒な事が起きる。
『うぇ!?会長とかぐやさんって付き合ってたんですか!?いつから!?いつからなんですか!?』
まぁこのような具合が予想される。
同様に、白銀パパも厄介な部類に入る。中々の恋愛脳だ。白銀と四宮が一緒にいれば、それはもうこうなる。
『おーおー、やってんなー』
『今度正式にうちに挨拶においでなさい』
未だにあの人の生命体がよく分からん。良い父親なのは間違いないのだろうが、にしては一般的な父親とは微妙に外れた存在なのだ。
これらの理由により、藤原と白銀パパを邂逅させるのはダメだという事なんだろう。あるいは、白銀と四宮の2人が付き合っている事を他者に気付かれたくないだけか。
『私は書記ちゃんを見張るから、比企谷くんはそのままその子をかぐや様達の目の届かない所に誘導して。なんならさっさと店出て別れたら?』
最後の冷たい声に対して何もツッコまない事にした俺。
要するに、俺が伊井野よりも早く白銀と四宮を目視して、あいつらが通らない所に回避すればいい。
「白銀の親父さんはどうすんだ?」
『こればかりは、かぐや様達になんとかしてもらうしかない。私も比企谷くんも、面倒な人間が相手で手一杯だからね』
「…まぁそうだな」
最後のは藤原を貶しつつ、伊井野に対する皮肉だろうか。
『それじゃあね』
プツっと途切れ、通話が終わる。
あいつらがどこに周るか分からない以上、突然出会す場合がある。俺1人ならまだ良かったが、伊井野が居る。どう誘導したものか。
「…戻るか」
トイレから出て行き、先程の本屋に戻る。
「比企谷先輩、持ってくれませんか?」
カゴの中には、参考書や過去問が積まれている。俺は断る事なく、その本が入ったカゴを持ち上げた。
「他にはもう無いのか?」
「はい。勉学の類はこれぐらいで大丈夫です」
「じゃ、レジ行くか」
レジまで持って行き、伊井野がお金を支払う。紙袋に参考書等を入れられ、その取手の部分を掴み持つ。
「参考書も買ったし、帰るか」
「え?まだ帰りませんよ?」
何を言ってるんだろうかこいつは。
「や、だって参考書買ったじゃねぇか」
「誰も参考書だけだなんて言ってないですけど」
「嘘やん」
いや、確かに「だけ」とは言って無かった気するけど。参考書と過去問ってワードしか出てこなかったら、普通それだけだと思うじゃん。
「まだ他にも買いたい物がありますので。それに…」
「?」
「比企谷先輩へのクリスマスプレゼント、まだ渡せていないので」
こいつ律儀にクリスマスプレゼントなんて買うつもりだったのか。俺なんて、誰にも買おうとしてなかったのに。
「…別に良いんだぞ。そんなわざわざ…」
「私が贈りたいんです。私に目をかけてくれて、優しくしてくれる比企谷先輩に」
そう言われてしまうと、少しむず痒くなる。
伊井野は嘘を嫌う人間。つまり、こいつが放つこの言葉は本当の可能性があるという事だ。
「…なら、俺も買う。お前だけに贈らせるわけにはいかないからな」
養われる気はあっても、施しを受ける気はない。それが俺のモットーの1つ。借りが出来たままなのは気が引ける。
「比企谷先輩…」
「ほれ、早く行くぞ」
俺達はショッピングモールの中を歩き、互いに何のクリスマスプレゼントが欲しいかを尋ね合いながら、その品が売っていそうな店に向かう。勿論、白銀と四宮の2人に注意しながら。
「あんま高いもんとか無理だぞ、金銭的に。1万以内なら出せるけど」
「高校生のクリスマスプレゼントで値の張る物なんて贈りませんよ。それに、比企谷先輩から貰えるならなんだって嬉しいんです」
「…そう」
違う意味で、伊井野と接していると調子が狂う。
今みたいに、どストレートな厚意を伝えたりする普通な顔があれば、嫉妬により下手な殺人鬼以上の怖い顔がある。
「でも敢えて選ぶとするなら、私はチョーカーが欲しいです」
チョーカーってあれだよな。犬で言うところの、首輪みたいな装飾品だよな。確かにお洒落で付ける人はたまに見かけたりするが、なんだろう。プレゼントのチョイスがちょっと怖く感じるのは俺だけ?
「…まぁ別にそれは良いけど。つっても、チョーカーなんてどこに売ってるか知らねぇんだけど」
「安い物なら……あ、あそこ。WEGOとかにも売ってますよ。行ってみましょう」
と、伊井野に連れられて店に向かった。中に入り探すと、確かにチョーカーが売られていた。
「チョーカーなんてまじまじと見た事無かったな…」
チョーカーと言われれば、首にぴっちり巻かれる革の物だと思っていたが、案外種類がある事に意外だった。ネックレスのようなチョーカーや、フリルのチョーカーなど。
「比企谷先輩。これが欲しいです」
「決まったのか?」
そう言って渡して来たのは、俺が最初にイメージしていた革製のチョーカー。色は黒色。値段を見ると、およそ3千円。
「了解。じゃさっさと買って来るわ」
レジに持って行って購入しようとし、財布からお金を取り出そうとすると。
「すぐに着けてみたいので、タグを切って貰ってもよろしいですか?」
隣にいた伊井野が店員にそう言い、店員は快く承諾してくれた。お金を払い、今すぐ付ける事が出来るようにタグを切ってくれる。
購入した後、俺達店の外に出て伊井野にチョーカーを渡すが。
「比企谷先輩に付けて欲しいです」
「は?」
「私、左腕骨折してますから。片手じゃ着ける事なんて出来ません。だから」
そう言って、伊井野は目を閉じて、顎を僅かに上げる。
え、今から君キスするの?これちょっと絵的に不味くないかな?というか、その体勢は初心な男子を絶対勘違いさせるから妄りにそういう事はしないでおこうね。
…仕方ない。
俺はチョーカーを付ける事が出来るように、少し身体を屈ませる。チョーカーを締めるための金具を取り外し、その金具が付いている部分を伊井野の後ろに。
「んっ…」
「おい。変な声出すなよ」
「だって、少しくすぐったくて……」
あんまり具体的な感想も控えて。こちとら無にしてチョーカー付けようとしてんのにさ。
「…よし、出来た。痛くないか?」
「…はい……凄く良いです…」
目を開いた伊井野は、何故か目のハイライトが仕事を放棄していた。
それだけじゃない。頬も少し赤くしていて、なんだか恍惚とした表情となっている。
「…このチョーカー、比企谷先輩の手だと思って付け続けます」
「えっ何言ってんの?」
チョーカー付けて、俺の手だと思う意味が分からん。
いや、ちょっと待て。変則嗜好の伊井野の事だ。もしかすれば、このチョーカー自体になんらかの意味があるのかも知れない。
伊井野がスマホで、自分の首を映しながら確認している最中、俺はチョーカーの意味を調べた。
「…えぇー…」
Google大先生の調べにより、チョーカーの意味が出てきた。
輪になったアクセサリーを他者に贈ると、「束縛したい」「独占したい」という意味が出るそうだ。
だが、チョーカーの場合はその意味が強くなる。「窒息させたい」「首を絞めたい」などが、主な意味らしい。
つまり、伊井野はクリスマスプレゼントにチョーカーを選ぶ事で、俺に「束縛されたい」「首を絞められたい」という、DVを受けたいという欲求があったそうな。恍惚な表情をしているのは、その欲求を満たした結果なんだろう。
いや怖ぇよ。普通に怖ぇよ。後怖ぇよ。
ていうか贈る俺もどうなの。意味が知らなかったとはいえ、易々と贈ってしまった俺も相当な変態だったりするの?
「このチョーカー、一生大事にしますから」
「あ、そう……それは、良かったわ」
なんかもう返す言葉が見つからない。重度の依存でここまで変則的な嗜好になるとは思いもしなかった。もしかしたら元からそういう嗜好があったんだろうけど。
「では、次は比企谷先輩のプレゼントを選びましょう」
「や、俺はいいや。遠慮しとく」
何贈られるか分かったもんじゃない。流石に髪の毛とか爪とかは言わんだろうけど、怖い意味が篭ってそうなプレゼントを贈られそうだ。それこそチョーカーとか。
「それじゃ嫌です!比企谷先輩にプレゼントを贈りたいんです!」
「…じゃ因みに聞くけど、目星とかは付いてるのか?」
「はいっ。すっかり外は寒いですし、マフラーなどの防寒具をと…」
それならまだ良かった。マフラーや手袋はあって困らんからな。死神みたいなチョイスじゃなくて良かったわ。
伊井野が俺のプレゼントのための防寒具を買うために、先程の店とは別の店に向かった。その店先が。
「ラルフローレン…」
お洒落に疎い俺ですら聞いた事のある有名ブランド。有名なブランド物ほど、値を張る品が多い。俺達はその店の中に入り、マフラーが置かれている棚を探す。
「あっ、ありました」
様々な色や柄のマフラーが置かれている棚を見つけた。値札を見ると、俺は驚愕した。マフラー1枚6千円以上、もっと高ければ1万以上もしているのだから。
「比企谷先輩は……目立たない色が似合いますね。これとか」
伊井野がそう手に取ったマフラーの値段が1万以上していた。
「ちょっと待て。それは気が引ける。ユニクロとかで十分だって」
「私が贈りたいんです。じゃないと、私が納得しません」
「受け取る本人が提案してるんだから。納得して?」
「嫌です!」
頑固な所は変わらないなクソッタレ。
つか、なんでそこまで高額な物に拘るんだよ。別にプレゼントなんて貰えたらなんだって良いって思うタイプだぞ俺。大体人のプレゼントに「安いから嫌だ」なんてケチ付けないっての。
「これぐらいのプレゼントを渡せなければ、比企谷先輩に恩を返せませんから」
伊井野って多分あれだな。将来的に彼氏とか出来たら、めっちゃ貢ぎそう。金の量=愛の大きさみたいな考え。まぁ間違っちゃいないかも知れんけど。
この手のタイプって色んな意味で断りにくい。だから受け取らざるを得なくなってしまう。
「…分かった。ちゃんと受け取る」
「良かった…断られたらどうしようって思いましたよ」
俺は結局、伊井野からクリスマスプレゼントとしてマフラーを受け取った。俺は帰って巻いてみようかと考えたが、伊井野が「今巻いてみましょう」と押して聞かなかった。
「…ありがとな。これ」
「はいっ!」
伊井野は朗らかに笑む。
しかし、俺は気付かなかった。人混みに紛れた、冷淡な眼差しを。何かを憎むような、そんな視線を。
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伊井野に1日付き合い、家に帰った比企谷は、伊井野から貰ったクリスマスプレゼントのマフラーを見て、ある疑問を抱いた。
「…もしかしたら」
比企谷が抱いた疑問、それはマフラーを渡す事の意味だった。チョーカーを渡す事に何か意味が出るように、マフラーを渡す事で何か意味が出るのではないか。
その疑問は、Google検索によりすぐ解けた。
「…マ?」
マフラーを渡す事の意味。それは、「首ったけ」を意味する。首ったけというのは、「貴方に惚れ込んでいる」という意味。これはもう告白同然である。
伊井野が偶然か、あるいは意図して贈ったのかは分からない。だが、調べる事によりその意味を理解した比企谷は。
「…普通に恥ずいっつの…」
顔を赤くし、顔を枕に埋めている。
いくら相手がメンヘラでDV願望のある伊井野だとしても、女子から贈られたマフラーにそんな意味が出てしまうと分かると、恥ずかしいものがある。
一方、伊井野は。
「先輩……先輩……」
部屋にある巨大なテディベアに包まれながら、いつしか録音した比企谷の詩をイヤホンで聴きながら悦に浸る。
しかも誰かに見せるわけでもなく、わざわざチョーカーを家の中で付けている。
「比企谷先輩……私を抱きしめて……離さないで……。ずーっと、私を束縛して……」
精励恪勤品行方正を地でゆく風紀委員の伊井野が、愛する人物で妄想している姿を知っているのは、誰もいない事だろう。それは当然、比企谷も例外ではない。
「私だけの、
今回の勝敗。比企谷の敗北。
(伊井野の依存が更に重くなったため)
伊井野のお世話は石上でなく、八幡が行います。その理由は、言わなくても分かるな?