「よし、今日の生徒会はこれぐらいにしておこう。明日明後日は休日だ。皆、ゆっくり休んでくれ」
今日の生徒会が終わり、周りは帰宅の準備をして、終えた者は先に帰っていく。俺もさっさと帰る準備を終わらせて、生徒会室を出て行った。
秀知院の正門が見えてくると、正門前で先に帰ったはずの伊井野が電話をしている。そして電話を終えたのか、スマホを鞄の中に入れて溜め息を吐いた。
「…どうした?正門で溜め息なんぞ吐いて」
「あっ、比企谷先輩」
"今日あま"事件以降、チラチラと見てくる伊井野ミコ。まぁ急に撫でられたら何事だと思うわな。
「その、今日来てくれる筈の家政婦さんが突然お休みになっちゃって…。それに、両親共に仕事で家に帰って来ないんです」
確か伊井野の父は高等裁判所裁判官、母は国際人道支援団体員だと聞く。両親が多忙で帰って来られないというあたり、どこか俺と境遇が似ているのかも知れない。
「…また、一人…」
伊井野は寂しげに、そして虚な目でそう呟く。
今まで伊井野と関わって分かったことがある。それは、人からの愛に飢えていること。
共働きの両親を持つ子どもは、そういうケースになりがちであるが、伊井野の場合は小さい頃から親からの愛情を受けていないのだろう。家政婦さんや大仏がいても、両親がいないと寂しいものは寂しいのだろう。
俺は独りに慣れているが、伊井野は違う。人と関わって、人と一緒にいたいのだ。こうして呟いているのがその証拠だ。
この様子だと、大仏も何かしらの用事とかで伊井野と一緒にいることが出来ないのだろう。
だからといって、こいつの先輩でしかない俺が何かをしてやれることはない。精々、電話で話すぐらいだろう。
それでも、今の伊井野は酷く、脆く見えてしまった。
「……夜飯」
「え?」
「夜飯くらいなら、別に付き合うぞ。家政婦さんがいないなら、夕食は用意されてないんだろ」
「で、でもそれじゃ比企谷先輩にご迷惑が…」
「生憎、俺も夕飯は用意してないからな。外で食って行こうかって思ってたんだよ」
これが知らないやつなら放って置いたが、関わり深い伊井野とあれば、放って置くのは気が引ける。
「…だったら」
「ん?」
「私の家に、来てください」
「……ふぁっ!?」
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言われるままに、来てみたものの。
「7時半前後にはピザが届くそうです」
「あ、おう」
何故こんなことになっているのだろうか。
確かに夜飯を誘ったのは俺だが、誰も伊井野の家で食べるなんて言ってない。むしろ親も家政婦もいない時間に伊井野と二人きりなんて正気の沙汰じゃない。
にしても。
「お前この部屋机と本しかないのかよ」
法律関係や司法試験の過去問など、伊井野らしいっちゃらしいが、今時のJKの部屋らしくはない。なのに巨大なテディベアのぬいぐるみが置かれている。
というかそもそも、ベッドすらないってどういうことだよ。
「普段どこで寝てんだお前」
「いや普通にこうして」
伊井野はテディベアにもたれ、タオルケットを被って、普段の寝方を説明する。
「何事だよ」
「変…ですか?」
「逆になんでまともだと思ったの?」
「ち、違いますよ!これには論理的な理由があって!下にマットを敷くと熟睡するでしょ!?これだと4時間くらいで起きれて勉強出来るでしょ!?」
「お、おう…」
多分勉強熱心なんだろうが、流石にそこまでして勉強したくない。
「それにこれ、お姫様抱っこされてるみたいで結構落ち着くんですよ?このタオルケットも子供の頃から使ってて、これが無いとあんまり寝れないから修学旅行にも持って行くんですよ」
「お前のその時々出るヤバいエピソードなんなの?」
こいつ典型的なタオルケット症候群を患ってんのかよ。ASMRの件もそうだが、伊井野本当所々闇深過ぎる。
「…にしてもお前、帰ってずっと勉強してるのか?」
「大半は勉強に費やしてますけど…ちょっとした休憩の時間に本を読んだりしてます」
「そういえばお前趣味読書って言ってたな。何読んだりするんだ?」
「湊かなえとか村上春樹とか乙一とか…」
「有名どころだな。後、田中芳樹とか山田悠介とかな」
「知ってます知ってます!」
こうして話してみると、普通の後輩に見えるんだよなぁ。実際、共通の話題で盛り上がることもあるし。
「それにしても、比企谷先輩と同じ趣味だなんて……嬉しい」
「元々小説はそんな好きじゃなかったんだがな。ゴリッゴリに漫画読んでたし。けど、中学生の時に詩集とか詠み出したら、案外字だけの本も悪くなくてな。そこから小説やらライトノベルやらに手を出したんだ」
「詩集…?比企谷先輩、詩集も読むんですか?」
「だいぶ前の話だけどな。まぁ嫌いじゃないぞ」
「わぁ……」
えっ何?なんか伊井野がポワポワしてるんだけど。同志を見つけた感がめっちゃ伝わってくるんだけど。
「詩集、好きなのか?」
「はい…。私の周りで、詩が好きって言う人はあまりいなくて…」
「詩集な……。最初はカッコつけのためだけに読んだんだよな。なんなら、詩まで作っちゃったレベル」
そして自作の詩を作ってるところを同級生に見られて、嘲笑されたのは良い思い出だ。
「じ、実は…」
「ん?」
「わ、私も自分で詩を書いてるんです…」
引き出しからノートを取り出し、恥ずかしげにそう言う伊井野。
確かに高校生で詩を書いてる人間はそういない。他で例えて言うのであれば、高校生で厨二を患っている確率と同じくらいだ。
「…まぁいいんじゃねぇの?趣味なんて自己満足なんだし、自分が良けりゃそれでいいだろ」
「ほ、本当ですか…?」
少なくとも、俺はもう書かんけど。
「おう。どんな感じのを作ったんだ?」
「…わ、笑いませんか?」
「笑わないな」
つか多分笑えねぇ。笑う笑わないの領域を軽く越してくるのが伊井野だからな。
「じ、じゃあ……んんっ」
伊井野は一つ、咳払いをして、自作の詩を詠み始める。
『星がきらめく トゥインク トゥインク 流れ星がウィンク
あの星と私はきっと双子 時代を超えて百光年の彼方
誰の願いも叶えない流れ星
心臓の音と一緒に消えてゆく きらめきと共に消えてゆく
ただ意味もなく流れてく 私と一緒
きっと天の川は願いの墓場 空に浮かべた誰かの祈り
トゥインク トゥインク
今日も少女は流れ星に願う 』
「……どうでしょうか」
「…うん、まぁ、なんだ。自作にしては中々の出来栄え、ですね」
「ほ、本当ですか?えへへ…」
ごめんやっぱ笑えねえわ。
なんだろう。伊井野の人格を知ってるからか、今のメルヘンな詩に所々闇が潜んでるんじゃないかって思ったわ。
「どこが良かったですか?」
「え」
「どの辺りが良かったですか?」
えっ怖い。普通の笑顔なのに感想を強要してくる辺りが怖い。
「…まぁあれだ。その少女と星が双子って例えるのも良いが、その星とずっと一緒にいたいっていう願いが聞こえた気がして、なんだか健気に思えた」
俺は一体何を言ってるんだろう。これが読書感想文なら間違いなくアウトだ。
「ふふ。面白い解釈ですね」
と、伊井野が微笑む。どうやら大丈夫っぽいようだ。
「こういう解釈って人間性が出ますよね。そういう考えもあって、なんだか新鮮」
「ま、まぁ詩や本は人の捉え方で作品の価値が違ってくるからな。十人十色ってやつだろ」
「そうなんですよね。そう言った部分が醍醐味の一つだと私は思うんです」
本や詩、ひいては人間が創る作品とは、たった一つの解釈、感想だけとは限らない。違う考えの人間が十人いれば、その分違った意見も存在するのだ。
「じゃあ次の詩は…」
「えっまだあるの?」
「はい。次は先の詩とは趣向を変えたんです」
伊井野は二作品目の詩を詠み始める。
『真っ黒なコウノトリが唄うよ 百年ぶりの祝祭だ 枯れたキャベツの種を蒔こう
真っ黒なコウノトリが空を飛ぶよ 青い煙が上へ下へ 緑の煙が街を覆うよ
もう怖い夢は見ない 鐘の音が永遠に続く
真っ黒なコウノトリが唄を唄えば 灰色の人間だけがそれを喜んだ
この街にはもう誰もいない 』
「…どうでした?」
「どうでした?」じゃねぇよめっちゃ怖いよ。後怖い。
コウノトリが黒いってなんだよ。つーかなんで最後街に人がいないんだよ。色々怖いよ。闇を濃縮させたような詩だったぞ。
「…うん、なんだろ。だいぶ趣向を変えたことで独創的だった。うん」
「そうですかっ。やっぱり、自分が作ったものを評価されるのは良いものですね」
幼少期から拗れていて、少しずつ闇が肥大化していたのだろう。結果、闇伊井野の出来上がりだ。何やらデュエリストにいそうな名前だ。
「先輩も過去に作ったことがあるんですよね?どんなのだったんですか?」
「過去っつっても二、三年前の話だからな……手元にはないし、第一どんな詩だったかもあんま覚えてないんだよ」
なんなら忘れ去りたい過去だったけどな。
「あっ、じゃあ今から作ってください!」
「へ?」
「過去の詩集を聞けないのは残念ですけれど、もしかしたら過去を超える詩が出来上がるかも」
おいコラ俺になんつうこと頼んどんだ。
黒歴史以上の詩を今ここで作れだと?お前は俺を辱めて殺す気か。
「ダメ…ですか?」
あーもう面倒くせぇなどいつもこいつも。上目遣いばっか使ってきやがって。小悪魔ばっかか。
「…一枚紙貸せ。即興で作ってやる」
「本当ですか!?」
伊井野は喜び、ノートの一枚の紙を千切ってこちらに渡す。加えて、シャーペンも渡す。
俺はインスピレーションを働かせて、ペンを走らせていく。
15分程度時間が経って。
「…完成した」
「比企谷先輩の詩、楽しみです!」
「…よ、詠むぞ」
「あっ、待ってください!録音してもいいですか?」
「what?」
何を言い出すんだこいつ。なんでそんな嬉々とした表情で「録音してもいいですか?」って無茶苦茶なこと聞けるのん?
「…一応聞くが、何のために?」
「え、えっと……その……比企谷先輩の声が欲しいなって……」
ねぇこの子やっぱ怖いって。もじもじしているのに言ってること変態だもの。ヤンデレかよ。
「…あんま変なことに使うなよ。後、拡散とかやめろよ」
「は、はい!約束します!」
「じゃあ…」
俺は一つ、咳払いをして詩を詠み始める。一方で伊井野は、スマホを操作して、録音を開始した。
『兎は一匹じゃ生きられない 二匹三匹いてこそ 兎は生きる意味がある
どれだけ強がり我慢しても 一匹では孤独でしかない だから僕は仲間を求める
しかしそれは黒い存在で 傷付けられるかも知れない だから僕は探している
互いが自己満足を押し付け合い 受け入れることが出来る関係を
それがきっと 本物だと信じて 』
「…ふぅ」
詠み終えた俺は息を吐いて、伊井野の方を見る。
「ど、どうだ?つか、詩にならんかっただろこれ」
大体内容が超絶恥ずかしい。マジで今俺悶えて死にたい。恥ずかしレベルは"今日あま"事件と同じぐらいだわ。
「うっ…うぅ……」
「えっごめんなんで泣いてんの?」
伊井野が突然泣き始めた。
ごめんどういう心境なの?そんなに俺の詩が絶望的だった?いや確かに黒歴史確定の詩だけど。
「すみません……なんだか感動しちゃって……」
「そんな感動するとこあった?詩かどうかすら怪しいものを?」
「なんだか兎に感情移入しちゃって……傷ついて、それでも尚、本物を探すというところに凄く感激しちゃって…」
なんだろう。確かに詩を作ってって言われて作ったけど、こんな熱心に分析されて、挙句に感想まで言われてしまうと、色んな意味で恥ずかしくなってくるんですが。
「あの。この詩、貰ってもいいですか?私の詩集に追加したくて…」
「え、あ、うん。どうぞ」
どうやら伊井野の詩集に俺の詩が追加されたようです。
「比企谷先輩って私ととても気が合いますよね。こんなに気が合う人、初めて」
「…まぁ、気が合うのか?よく分からんが」
確かに俺も本を読むし、サブカル系には触れている。そういう部分で気が合うと言えなくもないが。
『兎は一匹じゃ生きられない。二匹三匹いてこそ…』
「あっ……」
「待て待て止めろバカ」
伊井野のスマホから、先程俺が詠み上げた詩が聞こえ始めた。何ちょっと悦に入ろうとしてんだよ。「あっ…」じゃねぇよ。
「…ずっと前から思ってたんですけど、比企谷先輩の声ってあの人の声にそっくりですよね。声優界で有名な江口…」
「バカやめろおい」
それ以上名を出すな危ねぇな。メッタメタなこと言ってんじゃねぇよ。おっかねぇなこいつ。
メタ発言を遮ると、伊井野の家にインターホンが鳴り響く。
「あっ、ピザが来たのかも!」
伊井野がトテトテ走って、玄関へと向かった。少しして、ピザとサイドメニューで頼んだナゲット、そしてポテトを持った伊井野が部屋に戻ってくる。
「良い匂いだな…」
「私、飲み物持ってきます!」
伊井野は忙しなく動く。その間に、ピザが入った箱、およびナゲットとポテトが入った箱を開封する。
ピザの焼けたチーズの匂い、具に肉や辛味のあるソースなど、様々な香りが食欲をそそる。
「ジュース持って来ましたっ」
「お、サンキュな」
「でも本当にいいんですか?このピザとサイドメニュー、半分以上比企谷先輩の負担で…」
「別に構わん。後輩に奢らせるわけにもいかんだろ」
「…じゃ、遠慮なくいただきます」
「おう。食え食え」
伊井野は手を合掌させて食事の挨拶を済まし、ピザを取っていく。俺も後に続くように手を合わせて、「いただきます」と呟き、ピザを取っていく。
「んぅ〜!美味しいですね!」
本当美味そうに食べるよな、伊井野は。作った方々もこの笑顔を見たら、作りがいがあったってもんだろうな。
「ん、美味いな」
ピザは二人が美味しく平らげた。と言っても、量だけで言うなら伊井野がよく食べたが。
その後、夜遅くまで二人で雑談をして過ごした。
そして、午後10時半。
「…そろそろ帰らねぇとな」
「えっ?だって、まだ…」
「もう10時半だ。これ以上居座るわけにはいかない。お前だって、自分のことがあるんだし」
「で、でも…」
伊井野は納得のいかない表情で食い下がる。
「…そもそもこんな時間帯に男女二人がいることは、お前の言うところの風紀の乱れってやつに繋がるんじゃないのか?いやまぁホイホイ付いて行った俺にも責任があるけど」
「そ、それは…そうですけど…」
…ヤバい、このままだと伊井野を泣かせてしまう。
メンタルの強度が豆腐並みの伊井野に、これ以上詰めるとマジで泣いてしまうかも知れない。
「…電話」
「えっ…?」
「電話ぐらいなら出る。話すだけなら電話でも十分だろ」
…結局俺が折れてしまうのだ。
言っておきますが、伊井野を泣かせたら両親とか生徒会を敵に回すのが怖いと思っただけですよ?決して伊井野のためとか、可哀想だからとかそんなのはありませんよ?
「は、はいっ!じゃあ、家に着いたら連絡してください!私が電話掛けるので!」
「ん、分かった」
伊井野を納得させて、俺は我が家へと帰った。家に到着した旨を連絡すると、その瞬間に伊井野から着信が。
「怖い怖い。早ぇよ」
即既読するのもそうだが、既読した瞬間電話を掛けてきたあたり、スタンバってるのが目に浮かんだ。どんだけ電話したかったんだよ。
「…もしもし」
恐れ半分、呆れもう半分といった内心で、俺は伊井野との電話にしばらく付き合うことになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
場所は変わって、伊井野邸。
数時間の比企谷との電話の後、彼女はとある音声を聴きながらタオルケットに包まった。
『兎は一匹じゃ生きられない…』
「先輩……比企谷先輩……えへへ…」
品行方正とは程遠い表情を見せる、伊井野であった。
詩の出来栄えに関してはノータッチで。笑