鳥?雀?箴言の26章2節について 鳥に逃げ去る理由があり、燕に飛んで来る理由があるように、呪いも真の理由なくしてはやって来ない。 鳥なの? これは悪名高いエホバの証人の新世界訳聖書からのものだけど、他の聖書だと鳥ではなくて「雀」になっている。 Just as a bird has reason to flee and a swallow to fly, エホバの証人の英語の聖書だとbird でも他の英語の聖書では Like a fluttering sparrow or a darting swallow, キングジェームズはbird、ニューキングジェームズはsparrow 英語の聖書にも色々あるみたいだけど、新世界訳聖書の評判が悪いのは世界共通なのかもしれないな。 モルモン教の聖書でさえもsparrowだし。 キングジェームズでは As the bird by wandering, as the swallow by flying. 鳥ではなくて雀にしないと、文章として詩的な味わいに欠けると思うのだが、どちらの翻訳が正しいの? まあ、ただの詩だし、古代ヘブライ語を使ってた人の詩的な味わいなんて現代の英語や日本語で表現出来ると考えるのは傲慢だし、神様が書いたわけでもないし、どっちでもいいっちゃいいんですけどね。神様が書いたってんなら神様は詩が下手なだけだし。 最新の新世界訳聖書は、箴言ではなく格言らしいけども。 flee 逃げ去る fly 飛び来る と訳して一応の対比の形を作ったっぽい。英語では f で揃えて詩的な形にしたのだろうか。fly は飛ぶという意味だが、飛び来ると訳して良かったものか。飛び去ったのか飛び来たのか分からんしね。fly away なら翻訳しやすかったろうけど、日本語の翻訳の都合なんか知らんやろうし、詩的な味わいが醸せなかったのかもしれないな。flee が逃げ去るという意味だから、fly は流れ的に飛び来ると訳すのが自然なニュアンスに則していて間違いではないのかな?英語の詩的な味わいなんて殆ど分からんけども。 fluttering ふわふわと飛ぶ darting ダーツみたいに素早く飛ぶ こちらは逃げる来るの対比ではなくて、飛ぶスピードで詩的な対比表現にしてあるね。 逃げる雀のように、飛び去るつばめのように、いわれのないのろいはやって来ない。 こちらは新改訳。ちょっと意味が分からん。喩えになってなくないか? 麻雀往來,燕子翻飛;這樣,無故的咒詛也必不臨到。 これは台湾の長老派の聖書で、中国の聖書も雀になっていた。 中国語は分からんけど、往来はふわふわ感を、翻飛は素早さを表現しているのかな? 韻を踏むとかで詩的な表現になってるのかな? 中国や台湾のエホバの証人の聖書では、どう翻訳されているのかな? 中国人の1割くらいがキリスト教徒と言われているし、中国人がどんな聖書を使っているのかは結構重要な問題だと思うんですけどね。 昔は日本人にもカソリックの枢機卿がいたくらいだし、将来のローマ教皇が中国人や台湾人になる可能性は、人口のボリュームからしてなくはないのだから。 中国でも日本でもカソリックは少数派ではありますけどね。
政治、社会問題