前回からの続きです。


『アラハバキ神』との関連から

『縄文の性』について書いてきました。

  




『アラハバキ神』

謎の神、日本最古層の神ともいわれますが

(あくまで個人的な考えとなりますが)





かつて『月神』『生殖』の神格を分有した

樹木に降臨させる『縄文の蛇神』

考えています。(樹木(ご神木)信仰の一つの形態だと)




 (樹木に降臨する蛇神については、以前に書きました)






つまり、アラハバキ神について書くことは

『生殖』『性』について言及することでもあります。



現代において、性は気恥ずかしく

避けるべきと思われてしまいがちですが



この点に関して、縄文時代はかならずしも

現代の私たちと同じ感覚ではなかったのでは

ないでしょうか。



その証拠に、縄文土器には

男女の性器が造形されているものがあり

医療も未発達で

新生児死亡率も(おそらく)高く

平均寿命も現代より短い縄文時代



子孫をつなぐ生殖は、重要視されたのでは

ないでしょうか。



変わったところでは

出産場面を造形したと、言われる



『出産文土器』というものもあります。


正確には

・人面把手付き深鉢土器

・産児文顔面把手付土器 というようです。




山梨県ホームページ おうちde土器のものがたり10

「出産文土器とその意味」より引用








とても可愛らしくて、好きな土器です。

あどけない表情に、産まれた命に対する

彼らの愛情・思いが感じられますね。



縄文の人びとにとって

新たな生命を授かるための

生殖はきわめて重要で



おそらく、信仰に近いものがあり



だからこそ

縄文土器に、様々なシンボルを造形し

生命を授かることを祈ったのでは

ないでしょうか。





土器に表現されたものとしては


「性器」のほかに

『蛇』『月』『蛙(かえる)』など




山梨県ホームページ おうちde土器のものがたり9
「土器の文様の中に隠れる動物3─カエル」より引用






これらは一つの輪(信仰)としてつながっていて

私は、この祭祀にアラハバキ神が

深く関与していたと考えています。



縄文遺跡から多数出土する

「石棒(せきぼう)」


『横浜市歴史博物館』より



その生殖信仰の『輪(わ)』に関係する

祭祀道具だったのではないでしょうか。





『大神神社(おおみわじんじゃ)』

 (奈良県桜井市三輪1422)


三輪山山麓には聖水信仰があったことが指摘されています。(画像「wikipedia」より)




性については、非常にむつかしい

とてもセンシティブな部分がありますが

時代・文化によって、とらえ方の相違が

あります。


(東京スカイツリーから関東平野を望みます)


現代において

(あえてきびしい言葉を使えば)

わいせつとされてしまうことが

ありますが



縄文の生殖(アラハバキ)信仰に

ついて書くにあたり

上記のように思われてしまうことは

私の本意ではないことを


あらかじめ、ここに書かせていただきますね。



前回、ドイツの女性日本学者

ネリー・ナウマン氏の研究について

書きました。




氏は、最後となる著書




『生の緒(いきのを) 縄文時代の物質・精神文化』

  (檜枝陽一郎 訳)



言叢社 (  200503月 )



において



「縄文人のおこなった宗教行為の大半は

永遠に秘されたままであろう。」



としながら


縄文土器や土偶に描かれた図像から

縄文人の信仰を読みとこうと、挑まれました。



『東京江戸博物館』
(特別展「縄文2021-東京に生きた縄文人-」 より)



ナウマン氏は

宗教思想学者カールヘンツェの著作から

図像解釈学の見識を深め



縄文土器や土偶に描かれた文様・図像は

世界の他の原始文化の遺物に描かれたそれと

共通する要素を多く含み



その信仰の中核に『月』があるとしました。





世界で月は男神とされるケースもありますが

私は日本の古代において

「月」と「女性」の関係は深いものが

あったと考えています。



ところで、このナウマン氏の研究は

日本の考古学界では

ほとんど評価されておらず



それどころか、このような手法は

タブー視されてきたようです。



その理由については、結局のところ

推論の域を出ず、確証がないから

ということにつきると思います。


(ちなみに、ナウマン氏はこの点を認識されていますが

その上で、他の世界の原始文化と比較・検討して

調べることを『有益』としているのです)



日本の考古学においては、推論よりも

遺跡の発掘現場から

出土した具体的な「もの」

重視する傾向にあるようです。



東京足立区『伊興(いこう)遺跡公園・展示館』
(伊興遺跡の発掘現場が再現されています)






例えば、遺跡から


・野性種より大粒の大量の栗(くり)が出土し

 集落の居住が始まった時期から

 栗の花粉が増大しており、縄文人は

 栗畑をつくり、栗を栽培して食べていた。

  (青森県青森市 「三内円丸山遺跡」)


・遺跡からつり針、銛(もり)など

 漁業の道具が出土し、貝塚の魚の骨の分析から

 回遊しているカツオなどもとっていた。

 高い漁業技術を持っていた。

 (青森県八戸市

  「長七谷地(ちょうしちやち )貝塚」)



 


このような、経済活動に主眼を置く

調査・検討の傾向が強いということですね。

(誤解がないように言うと、この作業そのものは

きわめて緻密で、正確に分析されているでしょう)



その一方で

縄文人の心・信仰世界については

どうでしょうか?





秋田県鹿角(かづの)市『大場環状列石(ストーンサークル)』








縄文人は文字を持たなかった(とされ)

彼らの信仰を記した具体的な『もの』



・書物(経典など)

・粘土板



これらの遺物の出土が期待できない以上


縄文人の信仰世界についての疑問






・なぜ、土器に「蛇」「蛙(かえる)」などを

 表現したか?


・なぜ、土偶の胸やお尻を強調したか?


・そもそも、いったい彼らは

 何を信仰していたのか?







これらの精神的側面は

「子孫繁栄」を祈ったため

「五穀豊穣」を願ったため


といった、抽象敵な言葉に仮託され

具体的な『信仰世界』『信仰形態』などは

「永遠に謎のまま」ということになります。



 

大島直行氏は

著書『月と蛇と縄文人』において




 「考古学における縄文文化の研究では、これまで素材や製作方法など道具や施設に関する物質的・技術的な側面だけが議論され、縄文人がどのような考えのもとにそれらをデザインしたかという、いわば精神的側面の研究がないがしろにされてきました。」


「人間とは何か」ーその研究により長い間取り組んできた学問は、心理学や宗教学、民族学(文化人類学)、民俗学、言語学、神話学、そして哲学などではないでしょうか。




と書かれ、考古学(縄文研究)にも

他の学問の研究成果を取り入れることが

必要だと書かれます。



そして、まさにその研究を行ったのが

ネリー・ナウマン氏です。


ナウマン氏の研究手法は

「類推」「推論」ではありますが

カール・ヘンツェの図像解釈学を用いるなど

その研究は、徹底したものです。



(引き続き、大島氏の同書より引用させていただきます)



 『縄文土器や土偶に見られる形や文様も、中国はもとより古代中近東や先コロンブス期のアメリカの図像と比較しながら読み解いていきます。


縄文土器と土偶の象徴表現を体系的にまとめた『生の緒』の中にも、そうした論証が散りばめられていますが、多くの解釈がカール・ヘンツェの解釈との整合性のもとに論じられています。』



 


繰り返しになりますが、先ほど記した

ネリー・ナウマン氏の言葉





「縄文人のおこなった宗教行為の大半は

 永遠に秘されたままであろう。」





たしかに、これは事実でしょうが


わずかでも他の原始文明と比較することで


・縄文人が何を考え、何を信じていたか?


・なぜ土器や土偶をあのようなデザイン

 にしたか?




その信仰世界の一端が

わずかでも垣間見えるのなら

それは本当にすばらしい


『有益』なことですよね



それが、ネリー・ナウマン氏の

研究の意義だと思います。

(そして、そのナウマン氏の意思を受けて

調べることは、私たち日本人のやるべきことと

感じてしまいます)



何事もそうだと思うのですが

きっとバランスが大切なのでしょうね。


私も先祖を調べる過程で

先祖のことを記した、文献資料などを探し求め

戦国時代という枠の中で調べることに

行き詰まりを感じ



埼玉県の郷土史家茂木和平先生から

お話を聞き

「修験道」から「神社」調査にいたり



縄文を調べる必要性を感じて

大島直行氏の著書を読み

ナウマン氏の研究を知りました。



そこで、ナウマン氏の著書

『生の緒』を読んだものなのです。



 私は、大島氏とナウマン氏の主張に

理があると考えています。



とくに月信仰は古代、顕著なものがあったと

思っているので、そこから



・『大杉神社』

・『杉山神社』



古代の人々の信仰を考える上で

とても参考になりました。



また、これは少し脱線しますが

先祖、斎藤姓のルーツについて調べることは



 『縄文』と『弥生』の融合について



調べることが大切だと、思い始めています。


先祖の祀った大杉神社がそれを

物語っていると思うからです。

(この点についても、後々書かせていただきますね)




『大杉神社(おおすぎじんじゃ)』
(茨城県稲敷市阿波958番地)






そして、ここでの一つのポイントは、

大島氏が著書で書かれているように





『ナウマンは、縄文文化が日本だけに見られる特殊な文化であるといった議論には

まったく関心を示しませんでした。』




 

縄文文化が、世界から孤立した

島国・日本にのみ見られる特有の文化ではない

日本の縄文信仰は『ガラパゴス』では

なかったとしていることです。



ナウマン氏の著書

『生の緒(いきのを)』より

引用させていただきますね。





宗教的観念が旧世界の各地に広まっていたことが判明しており、長年の予想とは異なり、日本は現実には一度も孤立状態にはなかった。


宗教的観念を探り当てる場所とそれに関係する遺物に語らせる方法がわかりさえすれば、アジア大陸の周辺地域に見られた宗教的観念が日本にも伝播してその痕跡を残したことが示せるだろう。



 


なかなか難しい文章ですが


つまり、古代のアジア大陸に存在した

原始宗教、原始信仰が日本にも

伝わっているのであって

日本の縄文文化だけが特殊なのではない。



日本だけを見ていても、なかなか縄文の謎は

解けないということですね。



例えば、一例として

私たちは神社は日本だけのものと

思いがちですが


海むこうの朝鮮半島にきわめて

「自然崇拝」「アニミズム」にちかい

祭祀者を女性とする、祈りの場所があります。



『堂(タン)といいます。





岡谷公二の著書

『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』

朝鮮の済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)にある『堂(タン)』について書かれています。


『堂の神木、榎』
(画像は同書より引用させて頂いてます)


 『済州島』「Google Map」より






(タン)とは、沖縄の御嶽(ウタキ)に酷似していて「神木の前に祭壇を作り、石垣で囲んで置くのが一般的」でしかも祭をするのは、主として女性たちであるという。



(と同書で記し、この堂(タン)について)



かつては少なくともかつては、神社や御嶽どうようの、朝鮮半島のどの村にもあったものらしい。しかし儒教を国教とする李朝五百年の支配の下で大きく変質し、とりわけ近年は、近代化ーたとえば朴大統領がはじめたセマウル運動ーや、キリスト教の普及によって、韓国本土では急速に姿を消しつつあるようだ。


しかし、現在でも済州島のほとんどすべての村に

一つ以上の堂(タン)があり、信仰は脈々と受け継がれていて、堂祭も行われているという。


そして、女性は古来からの巫俗の信仰を持ち続けている。





と記します。



著者は、済州島の堂(タン)を実際におとずれ

同書を書かれています。



島嶼(とうしょ)部では、隔離されているがゆえにかつて広範囲に存在した、古い原始信仰が残存する(生き残る)可能性があるのでしょうか。



そしてじつは、私たち日本人も

日本列島に住んでいるからこそ

自覚しづらいのですが、世界からみれば


じゅうぶんに『島()国』になります。


『Google Map』より 


つまり、かつて東アジアに

広範囲に存在した原始信仰が


縄文族に受け継がれ


日本は大陸から海を隔てた島であるがゆえに

紆余曲折をへながら

自然・精霊崇拝が残存し

それが今の神社の起源の一つになっている


そのような側面が

あるのではないでしょうか。

(そういう意味では

朝鮮は、中国と地続きであり大変だったと思います)



日本の『神社』は

縄文族から受け継いだ


きわめて希少な、旧・新石器時代からの

原始信仰の系譜を受け継ぐ

人類の大切な遺産ではないかと

私は考えています。



それゆえに

北海道・北東北の縄文遺跡群が

世界文化遺産に登録されたことは


とても嬉しいことです。




関東・中部地方、とくに八ヶ岳山麓周辺も

いつか登録されるといいなと、思っています。



次回から、縄文人の具体的な信仰
『女性』を中心とする太陰的世界

・『循環する輪』~輪廻(りんね)・黄泉帰り
・『月』『蛇』『水』『女性』など

これらについて、書いていきたいと思います。


さて、今年一年

当ブログをお読みいただき

ありがとうございます。


今回の更新が、年内最後の更新となります。

ゆっくりマイペースで来年も

やっていこうと思います。


みなさま、良いお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いします。





来年も、続きます。

AD