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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-06-03

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・『みてね』というアプリがあります。
 子どもの写真アルバムを、保護者だけでもなく、
 かといって全国の皆さんにでもなく、
 なんとなくの「わしら大家族」で見ましょうや、
 というようなアプリです。
 情報が、ある程度は閉じているのだけれど、開いている。
 このくらいの感じというのは、とても居心地がいいんです。
 もちろん、娘の娘が主役の『みてね』には、
 ぼくもうちの上司も、娘の夫やその両親なども参加してて、
 あと姉だの兄だのみたいな感じで総勢10名くらいの
 「みてねコミュニティ」ができています。
 コメントもつけたりできますが、そんなに多くはない。
 多くて20〜30文字くらいで、ぼくが最多コメント数です。

 娘の娘の成長していくようすが、
 もう5年以上もここに残され続けています。
 いつも見ていると、三日前だとか先週だとか、
 あんまりちがいはわからないのですが、
 ホーム画面のはじっこに、小さく「3年前の今日」とか、
 「8ヶ月前の今日」とかの写真が、
 ぽっと小さな明かりのように表示されます。
 そこをクリックすると、そのときのアルバムに
 すっとワープできるんですけどね、それがもう、
 いまとぜんぜんちがう娘の娘なんですよ。
 そのときどきでは、いつも「大きくなったね」とか
 みんなして言ってたはずなのですが、振り返ると、
 ものすごく小さいし、しゃべれない時代のもあるし、
 減らず口なんかも言わずニコニコしてたりするし、
 いつも、それぞれ別人かというくらいちがうんですよ。
 当たり前じゃないかと言われそうですが、
 はい、そうです、当たり前です、もちろんね。
 一枚一枚の写真が撮られているときには、
 それは「思い出」になるんだろうなと思っていますが、
 どのときの写真も、みんな「そのとき」が写っている。
 顔も動作も、背丈も、遊びも、服も、場面もみんなちがう。
 ほんとに平凡なことを言わせてもらいますが、
 「同じときは二度とない!」んですよね。
 子どもだから、それが見えやすいとは知ってますが、
 ほんとうは、ぼくら大人たちも、同じことじゃないかな。
 背丈とかはちがわないけど、同じときは二度ないんだよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人になってからは、それほど変化はないつもりだけどねー。


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