五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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12_国語の時間

『10月3日 四葉

 勝手なことばかりしてごめん。でも、これ以上風太郎君に嫌われたくなかった』

 

 

 

 

 

 次の土曜日、風太郎が中野家へ向かう足取りは重かった。

 先日の学校で四葉が露骨に距離を取る素振りを見せて以来、他の面々も含めて碌な会話ができていなかった。

 おかげでここ数日は同じ教室にいたというのに誰が表に出ていたのかすら分からなかった。

 だから四葉と最後に話して以来、ちゃんと話す機会を得られたのは今日が初めてであった。

 

(もしも今日の番が四葉だったりしたら……)

 

 下手したら門前払いされるかもしれないと思うと、悪くしているわけでもない胃がキリキリ痛む気がした。

 中野の家に到着し、インターホンを押そうとして手が止まった。

 どうせ追い返されるくらいなら、このまま帰ってしまおうかという悪魔のささやきが脳裏を過り、その場で頭を振った。

 

「……もう来ちまってるんだ。覚悟を決めるしかないだろ」

 

 自分に発破をかけて呟くと、意を決してからインターホンを押した。

 扉の向こう側でチャイムが鳴る音が聞こえた。少し待つと、向こう側から足音が聞こえ始めた。

 足音は近づいてきて、扉の向こう側で止まる。思わずゴクリと喉が鳴った。

 そんな風太郎が見つめる中で扉が開いた。中からは誰の番か分からないが中野が顔を出した。

 

「待っていましたよ。どうぞ入ってください」

「……」

「なんですか、固まって。早く中に入ってください」

「五月、か?」

「そうですけど。何ですか、私じゃ何か不都合でも?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

「でしたら早く入ってください。いつまでもそこに立たれていると、ここの通路は狭いんですから他の人が通ろうとした時に迷惑になります」

「……お邪魔します」

 

 扉を開けたまま中へと引っ込んだ五月の後に続いて足を踏み入れた。

 この部屋に来るのも結構な回数になってきていることもあって、部屋の中も大分見慣れた光景だった。

 既に居間の座卓には筆記用具とノート、教科書や参考書が置かれており勉強の準備は整っていた。おまけに麦茶が入っていると思われるピッチャーまで置かれている。

 先に居間へと着いた五月はそのまま座卓の前に座るとノートを開いた。

 

「それじゃあ今日もお願いします」

「待ってくれ」

 

 まだこちらは玄関でやや茫然としているというのに、当たり前のように授業を始めようとする五月に自然と口を挟んでしまった。

 多重人格であるという関係上、一度会った人格と次に顔を合わせるタイミングはそれなりに期間が空くことが多い。

 五月と最後に会ったのも四葉との一件より前なのだが、五月の様子が以前と比べてあまりにも変わらなさ過ぎたからである。

 風太郎はそれが気になってしまったのであった。

 

「五月。お前がいつも通りなのはありがたいが、お前はその、四葉のこととかは気にしてないのか……?」

「四葉とは大変な状況のようですね。まあ、一花と三玖にも責任の一端はあるのかもしれませんが」

 

 一瞬、五月は何かの理由があって花火大会から始まったいざこざを知らないのかもしれないとも疑ったが、そんなことはなかった。

 これまでのことを知った上で、いつも通りに振舞っているようであった。その五月本人は、こちらを見ると呆れたような顔を向けた。

 

「四葉を通して見ていましたから分かりますが、あなたは自分の発言を後悔しているようですね」

「……」

「確かに言わせてもらえるのなら、あなたの発言は他の子達の顰蹙を買うのに十分な物言いだったとも思います」

「だから俺はずっと謝ろうと──」

「謝罪なら四葉にしてください。私と貴方はただの生徒と教師です。恋愛なんて”くだらないもの”に私を巻き込まないでください」

 

 ”くだらない”

 それは自分が三玖へ、そしてもっと正確に言うなら内側にいる四葉へと言ったこと言葉だ。

 五月の言う事には同意だった。自分も恋愛に対して同様の意見を持っている。そのはずなのにいざ面と向かって言われてみれば、その言葉の強さには棘のような鋭さを感じてしまった。

 例えば、もしもこれが実際に好きだと思っている相手から言われたとすれば、この言葉の鋭さはどの程度刺さった時に痛みを増すのだろうと考えたが、答えは出なかった。

 

「いつまで立っているつもりですか。早くこちらに座って始めてしまいましょう」

「ああ……」

 

 

 

 授業が始まってからは驚くほど順調だった。

 五月がいつも通りで、かつマジメに取り組んでくれているおかげだった。

 変な気まずさはすぐに感じなくなっていた。

 

「国語の文章問題では作者の気持ちを考えるより、お前の感じたことを書いた方が正解できることが多い」

「何故ですか?」

「例えば今テキストに使われている例題は夏目漱石の『こころ』だな。これは主人公に名前がなく『私』という言い方で一貫していて純粋に読んでいても没入しやすい」

「一度目を通しましたが、その割にはずいぶんと読みにくいような……」

「大正時代の小説だからな。日本の作品とはいえ当時とは基本的な文化に対する価値観も違えば文章のつくりも違う。ま、それらを補う教養があれば話は別だが」

「では何故そんな昔の作品をテキストに用いるのでしょう」

「そんなことは知らん。テストに出ないからな。強いて言えば有名だからじゃないか?」

「ずいぶん適当ですね」

 

 そんなことを言われたって本当に知らないものは知らないのだから仕方ない。

 それに無理に理由を考えるとするなら著作権が切れているからとか、それだけ名作だったからとか、教える側もいちいち内容を覚える必要がないほど有名だからとか、教育する側の事情が絡んでいるのかもしれない。

 半目でこちらを見てくる五月だったが、これ以上は睨んでも何も出てこないと悟ると諦めるように目線をテキストへと戻した。

 

「では話を戻して、何故没入しやすい作品が選ばれているというのに作者の気持ちを直接考えない方がいいのですか?」

「それはだな……」

 

 続きを話そうとして、風太郎の話が一度途切れた。

 これからしようとしている話がせっかく忘れていたことを思い出させてしまうと気づいたからであった。

 今からでも別の例えを出せないかと思考を巡らせ、固まってしまった。

 

「どうしたのですか?」

「……何でもない。作者の気持ちを考えない方がいいのは、単純に作者と俺たちじゃ感性が違うからだ」

「感性?」

「有名な逸話にこういうのがある。夏目漱石は小説家としてだけでなく教師として働いていたこともあるんだが、英語の授業をしていた時に生徒に『I Love You』を訳してみるよう問題を出したんだ」

「……はぁ」

 

 何の話かと、気の抜けた返事をする五月に風太郎はそのまま淡々と説明を続ける。

 ここで変に挙動不審になれば一気に雰囲気が悪くなりかねない。

 

「生徒は当時の言い方で『あなたを愛しています』と訳したんだが、漱石はそれを間違いだと指摘した」

「合っていますよね?」

「直訳すれば正解だな。だが漱石は『日本人がそんなに直接的な告白をしない。せいぜい”月が綺麗ですね”とでも言っておけば十分だ』と教えたんだ」

「……何ですか、それ」

「そういう顔になるだろ?」

 

 話を最後まで聞いた頃には気が抜けたどころか若干引いた顔をしている五月に、風太郎は内心で──

 

(やっぱりお前もそう思うよな)

 

 と思いながら笑みを零した。

 自分だって昔、同じ逸話を勉強の最中に見かけた時はこんなやつの気持ちなんて分かるものかと思ったものだった。

 だからそんな過去の人間の気持ちを読み取るなんていう脳にタイムマシンを搭載したテレパシストになるくらいだったら、自分の感じた気持ちを答案に書いた方がいいと思ったのである。

 

「問題を出してる側だって作者本人じゃあるまいし本当に気持ちを正確に汲み取れているわけでもない。問題に対して求められる答え何ていうのは、一般的な道徳の範囲内から想像できることを書けばいいんだよ」

「言ってることが違うではないですか。自分の感じたことを書けばいいのではないのですか?」

「一般的な道徳を抑えてればテキストを読んだ時に自然と正解に近い気持ちを感じられるって話だったんだが──」

 

 五月の反応からして、どうも手ごたえが無いように見えた。

 自分なりに分かりやすく説明したつもりだったんだが、何故だろうとこちらが心の中で頭を捻ることになってしまった。

 

「まあいいです。少なくともあなたの言う通りにした方が回答も考えやすいのでやってみることにします」

「あ、ああ」

「では次の問題ですね。また文章題ですね。目を通すので少し待っていてください」

「わかった」

 

 五月が次のテキストを読みだすと、手持無沙汰になった風太郎は半分くらいまで減っている麦茶の入ったピッチャーを手に取り、空になっていた自分のコップに注いだ。

 十月に入り、最早秋に入っているというのに残暑がわずかに残るこの時期、ピッチャーを持ち上げた後の机の上には結露した水滴が滴り落ちて円形の水たまりを作っていた。

 無精な風太郎はそれに気づくも、そのまま上から被せるようにピッチャーを元の場所へ戻すと空いた手で今注いだばかりのコップを持ち、口元へ運んだ。

 麦茶を口に含みながら、チラリと五月の横顔を覗く。

 今なお目を上下に動かしてテキストに読み進めている五月の表情は真剣そのものだった。

 正直こちらは授業のためとはいえ大真面目に『I Love You』だの『あなたを愛しています』なんて言葉を口にしたものだから、また最初の頃の気まずさが戻ってきそうになっているというのに、それが馬鹿らしく感じるほど五月は無関心なままであった。

 

(今の俺には、むしろその方がありがたいはずなんだがな……)

 

 そう思いながら、口に含んでいた麦茶を嚥下してからもう一度だけ五月を見た。

 目が合った。

 

「──!」

「人の顔を見て驚くとは失礼ですね。なんですか急に」

「い、いや、別に?」

「……はぁ。分かりました。少し休憩にしましょう」

「なんで……」

「顔に集中できませんって書いてありますよ」

 

 指摘されて思わず自分の頬に手を当ててしまった。

 そんな古典的な言われ方をして反応してしまうのに恥ずかしさを覚えながら、五月の言う通り反応してしまうほどに今の自分は冷静ではないのだと自覚してしまった。

 五月が真剣に勉強に取り組んでくれようとしているというのに、こちらがそれに応えられないのでは家庭教師失格ではないかと目線を伏せ、前髪に手が伸びた。

 風太郎を横目に五月は立ち上がるとキッチンへと足を運んだ。

 冷蔵庫を開けて何やら包みを取り出し、ついでというようにシンクにも寄るとダスターを手に持ってきた。

 

「お母さんが買いおきしておいてくれた芋羊羹です。あなたの分もありますからどうぞ」

「……悪いな」

「気にしないでください。私の番の時はいつでも食べれるようにしているだけですから」

「太るぞ?」

「引っ叩きますよ? あなた初日から何も学んでいないじゃないですか。学習能力ないんじゃないですか?」

「馬鹿のお前に言われたくない」

「むぅ……! それ以上余計なことを言うならお菓子はあげません」

「別に俺が欲しいって言ったわけじゃ──」

「第一、先日も失言で失敗したばかりではないのですか?」

「……いただきます」

 

 痛いところを突かれ、それ以上言い返せなくなった風太郎は差し出された包みを開くと五月の言う通り更に小さな包みが中に二つ入っていた。

 自分のを手に取り包装を解いている間に、五月は持ってきたダスターでピッチャーの周りと、下に出来上がっていた水たまりを拭き取った。

 その後でダスターを折りたたむとピッチャーの下に敷いた。

 それから自分の芋羊羹の包みに五月は手を伸ばした。

 包みを解いて中身を晒した芋羊羹を頬張ると、流石に勉強で張りつめていた五月の表情が緩んだ。

 先ほどまではこの話を持ち出せば、また五月に怒られるかもしれないと思っていた話題を風太郎は口にした。

 

「あれから四葉の様子はどうだ?」

「……良くないですね。目に見えて落ち込んでいます」

「そうか……」

「今は休憩中ですし、お菓子のおかげで少し気分も良くなったので、そういった話にも付き合ってあげますが……正直あなたには多少同情をしています」

「お前が、俺にか?」

「ええ。いくらあなたと言えど面と向かってあんなことを言えば四葉が傷つくのは分かっていたはずです。なのに実際に言葉が出てしまったのはおそらく、前日の一花から鬱憤が溜まっていたのでしょう」

「ずいぶんはっきりと言い切るな。まるで俺のことを詳しいみたいじゃないか」

「もちろん全て私の想像です。ですが何となくわかるんですよ」

「何故だ」

「きっとあなたと私が似た者同士だからです」

「────」

 

 そう、簡単に言ってのける五月に風太郎は反応できなかった。

 固まっている間も五月は先に食べ始めていた風太郎より早く芋羊羹を平らげると、包みを丸めて立ち上がった。

 

「とはいえ、だからこそ私には客観的にどうしたら今の状況をよくできるかはわかりません。一応、今日のように授業に支障が出られても困るのでできることはやってみますが──」

 

 話しながら五月はゴミ箱まで近づくと、包みを捨てて振り返った。

 

「この”問題”はあなたにしか解けないものです。他の子達の話とはいえ体を共有している以上私も他人事ではありませんが、邪魔もしませんので一花と四葉……それに他の子達のことも頼みますよ」

「荷が重いな……」

「その時はまた一緒にお菓子にでも付き合ってあげますから」

「俺が頼んだわけじゃないぞ」

「またそういう空気の読めないことを……」

 

 呆れ顔を浮かべながら、包みを捨てた足で再び冷蔵庫へ向かう五月。

 冷蔵庫の扉を開けると、中へ手を入れて取り出したのは──

 

「さっきも注意をしたのに学習をしないあなたには、この羊羹おかわりはあげません」

「いやいらねえし食いすぎだろ」

 


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