五つ子ミルフィーユ   作:真樹

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10_お説教

 午後6時ごろ、下田は中野家の近所のファミレスで一人タバコを吹かしていた。

 夕飯時に差し掛かったこの時間になると店内はやや混雑していて、相応の喧騒が店内中で湧き立っていた。

 中には家族連れのためか、小さな子供の声も聞こえてくるが、その声は遠くから聞こえてくるものであった。

 この店はまだ、今のところは全席禁煙にはせずエリアを縮小させているものの分煙にしてくれているから下田も気に入っていた。

 彼女が座っている席は四人用大きめなテーブル席、しかし座っているのは下田一人。時折トイレに向かう途中で席の隣を通り過ぎていく他の客からは多少なりとも奇異の視線を送られていることにも気づいており、やや気まずかった。

 この店はよく利用するのだが、普段からこんな浮いた席の使い方をしているわけではない。

 もうすぐここに待ち合わせをしている人たちが来るだけなのだ。

 

「……早くしてくれよ」

 

 思わずぼやきがこぼれた頃、入り口の扉が開くのを視界の端が捉えた。

 そしてようやく、待ち人が来たようであった。

 店に入ってきたのは零奈と勇也の二人だった。

 二人は真っ先に喫煙エリアへと顔を向けると、下田の姿を見つけるなりこちらに歩いてきた。

 近くまで来たあたりで、先に零奈から。

 

「すみません、お待たせしました」

「おっす」

 

 言いながら二人は横並びで、下田の前の席に座った。

 

「おせえよ馬鹿。零奈先生はいいけどオメーは呼んだらすぐ来いよ」

「こっちは忙しい社会人なんだよ。来てくれただけありがたいと思え」

「私だって社会人だよ! 寝ぼけたこと言いやが──」

「二人とも」

 

 下田の言葉に割って入り、零奈は言いながら握り拳を肩のあたりまで持ち上げた。高校生の頃死ぬほどみたゲンコツのポーズである。

 途端に零奈以外の二人は勢いをなくし頭を少しだけ下げた。

 

「すみませんでした」

「仲が良いのは結構ですが、もう少し大人として自覚を持った振る舞いをしてください。いくつですか、あなた達」

「勇也を見てるとつい昔を思い出しちまうんすよ……」

「まあいいです。それと、もう一つお聞きしたかったのですが、あなた今日は三玖の授業の日ではありませんでしたか?」

「サボりか?」

「うっせえよ……それについても順を追って説明します。先生のお時間を取り続けても恐縮なのでとっとと話をしちまいましょう。話の前に何か頼みますか?」

「俺はいいよ。家でらいはが飯作って待っててくれてるからよ」

「私も、娘をさしおいて一人で食べてしまうわけにはいきませんので」

「じゃあ飲み物だけ頼みましょ。ここ最低でも一人ワンオーダーなので」

 

 そこで下田は呼び鈴を押しウェイトレスを呼ぶと、人数分のドリンクバーを注文した。

 ウェイトレスと応対をしている間、視界の端では勇也がメニューを開いて苦い顔をしていた。

 家庭の事情も知ってはいるし奢ってやってもいいのだが、それをしても勇也自身が喜ばないこともまた知っているため特に声はかけなかった。

 代わりに注文を終えると席を立ち、零奈のついでという口実で勇也からも何を飲むか聞き、三人分の飲み物を取ってきた。

 三人の前にドリンクが注がれたグラスが置かれたところで、ようやく下田は本題に入る。

 

「それじゃあ改めて。本当はマルオのやつにもきて欲しかったんですけど、あいつは忙しいらしいので」

「すみません、声はかけたのですが……」

「零奈先生が謝らないでください。で、今日二人を呼んだのは他でもないです。おたくらのお子さんのことです」

 

 勇也を相手に敬語で話していることに若干の違和感を自分でも感じつつ、零奈に対して無礼を働くよりはマシかと自分に言い聞かせて話を続ける。

 何より、これから零奈に対して無礼を働くと決めているからこそ、少しでも他のところではちゃんとしておきたかった。

 

「単刀直入にいいます。これは零奈先生の娘さんの教師という立場から申し上げるんですけど……中野さん、あなた本当に娘さんの学力の低さをなんとかしたいと思ってます?」

「下田さん……? えっと、それはどういうことでしょうか?」

「おい下田。お前──」

「オメーにも話はあるけど後でだ。勇也」

 

 下田から零奈に対する物言いに口を挟もうとした勇也に対し、下田は手で制した。

 その様子から感情的ではなく、意図的に失礼な言い方を選んで話していると察してくれたらしい勇也もそれ以上は何も言ってこなかった。

 それから、脇に置いていた鞄へ手を入れるとタブレットを取り出した。仕事用に持ち歩いているものだ。

 タブレットを操作してカレンダーアプリを起動させると、画面を零奈達が見やすいように回転させてから差し出した。

 カレンダーは今月、つまり九月の予定全体が見えるように映されていた。

 日毎に下田の仕事の予定が記入されているが、社外秘の予定もないのでそのまま見せていた。

 一ヶ月分の予定を一画面で表示している関係上、マス目状になっている中から特定の日を指差した。指先にはその日の予定の一つ、『○』とだけ書かれた予定があった。

 画面を見ていた零奈は一瞬考えるような素振りを見せたが、それが何を意味しているか汲み取れなかったらしく説明を求めるように下田へ顔を上げた。

 

「これはなんでしょう?」

「風太郎君が家庭教師を行なった日です。今日、本人と会って直接確認しました。あの子が家庭教師を始めてもうすぐ一ヶ月、まだ三回しか授業してません」

「それはそういう契約だからです。彼には私たちの手が回らない分をサポートしてもらうために週一度、原則土曜日にやってもらってます」

「別に回数が少ないって話じゃありません。私だって週二、三回平日だけって契約でやらしてもらってますから。問題はその契約に対するサポートが適切かって話です」

「サポート、ですか」

「中野さんの娘さんは普通の子ではありません。説明をきちんとしなければ分からないことが多すぎる、大変手間のかかる子です」

「……ハッキリ言ってくれますね」

「ハッキリ言ってこなかったからこんなことになってるんです。だから零奈先生を相手に失礼ながら申し上げているんです」

「では、下田さんが何を言いたいかもハッキリ言っていただけませんか?」

「風太郎君は今日、三玖ちゃんと初めて会話をしたらしいです。転校から一ヶ月経ってるのにですよ? それに加えて家庭教師として取り扱うべき商材である生徒の学力についても、一花ちゃんと三玖ちゃんについては把握できていませんでした」

 

 下田は風太郎に次回のテストに向けた勝負を申し出た後、風太郎の家庭教師としての状況を一通りヒアリングをしていた。

 元々勝負のこと自体、家庭教師として"雑な仕事をしている可能性があったため"申し出たことだったのだが、話を聞いてみれば想像以上に悲惨なものであるし、しかもその原因は親達側にもありそうであったのだった。

 だから下田はそれを指摘し、是正させるためにこの場を設けたのである。

 

「認識に相違がないか再確認しましょう。まず旭高校におけるお嬢さんは"中野五月"として生徒名簿に登録されています。もちろん学校側もお嬢さんの障害を認識した上で、人格ごとに評価するなんていった特例的な対応をせず、五月ちゃんに代表してもらっているという意味です」

「そうですね……だからテストも五月が代表して受けますし、成績も五月のテスト結果をもとに評価されます」

「それを風太郎君に話しましたか? あの子、全員を赤点以上の成績に持ってくつもりでカリキュラム組んでましたよ」

「……伝えていませんでした」

 

 言いながら零奈は俯いた。明らかな自身の怠慢だと理解しているからこその暗い表情であった。

 

「それと先に申し上げた通り、五月ちゃん以外の子達のことを全然わかっていません。全員に授業をするつもりなのにですよ? それで仕事するなんて無理に決まってるじゃないですか。だから本人も自分の手には負えないと思ってるし、辞めようとも考えていると弱音も吐いてました」

「……風太郎のやつ、そこまで考えてあんなこと言ってたのか」

 

 横で話を聞いているだけになっていた勇也の呟きに、下田の眉が跳ね上がった。

 

「勇也、オメーも知ってたのか? あの子が家庭教師辞めようと思ってたってこと」

「……一回相談を受けた。始めたばっかだしもう少し様子見ろって言ったけどよ」

「だったらその時点で対策立てろよ!? 大体なぁ、風太郎君オメーのことも言ってたぞ。零奈先生の娘が多重人格なのは知ってても、誰がどういう性格してるかとか細かいことまでは知らねえってな!」

「んなこと言ったって俺はお嬢ちゃん達と会ったこともねえのに分かるわけ──」

「なら確認しろよ! マルオと雇用契約結んでるのオメーだろ!? 何年社会人やってんだよ常識だろ! マルオでも零奈先生でも、私に聞いたって答えられることなんだからいつだって連絡取れただろうが!」

「……大体、風太郎と零奈先生の嬢ちゃんは同じクラスなんだろ? だったらそんなことしなくても仲良くなるくらい──」

「年頃の男女がそんな簡単に距離詰められるわけねえだろ! オメーみたいな能天気だったら無理じゃねえかもだけど、風太郎君だぞ!? 今日ちょっと会話した私にだって無理だってわかったんだから親のオメーならちょっと考えたら分かんだろ!?」

 

 一通り話した後、下田は一つため息を吐いた。

 だいぶ勢いが乗って話をしてしまっていた。周りの席から立って注目され始めている。

 勇也は今の話に困惑した顔をしているし、零奈に至っては俯きっぱなしだ。

 零奈も教師をしている以上こういうことは専門のはずだし、だからこそ考え至らなかったことを恥じているのだろう。

 これ以上は下田自身、零奈を苦しめるようで胸が痛んだが最後に言わなければならないことがあったため、口を開く。

 

「まあ、今までの話は私からひとまず風太郎君には話しておきました。それと今日、私から風太郎君には提案もしてきました」

「提案、ですか?」

「次の中間テストで全教科の赤点回避をすること。それに成功したら私の給料の一部を今後は風太郎君に渡します」

「どういうことでしょう?」

「話はまだ途中です。最後まで聞いてください。まあ多分これは無理でしょう……ただ目の前に金っていう風太郎君にとって最も魅力的である人参がぶら下がったんです、きっと前より意欲的に取り組んでくれると思います」

 

 それともう一つ、と下田は話を続ける。

 

「中間テストの話はただの時間稼ぎです。テストの結果が出るまで、その間に私は"あの子達"のカリキュラムを見直します」

「あの子たち、と言うことは」

「風太郎君の全員教えてやりたいって意志には私も賛成ってことですよ。話戻しますよ、見直したカリキュラムは風太郎君にも連携します。その上で私が授業をする日には風太郎君も生徒として参加してもらいます」

「あなたが風太郎に授業って、なぜです?」

「時々、私の授業を代わってもらいます。少しでも風太郎君とお嬢ちゃんたちが交流する時間を増やしてやりたいですから。そしたらあの子の自由時間をとっちまうわけだし、あの子は私と違って自分も勉強しながら教えなきゃいけません。なら風太郎君にも少しでも効率的に勉強をしてもらおうって魂胆です。もちろん授業を代わってもらった分は中間テストの結果にかかわらず私の給料の一部を風太郎君に渡します」

「待て、そんなことまでしてお前になんのメリットがあるんだよ?」

 

 話に割って入ってくる勇也。

 黙って聞いといて話の通りになれば最終的に自分のところに金が転がり込んでくるというのに、口を挟まずにいられないのだから本当にこいつは、ガラが悪いだけで性根が腐ってるわけじゃないんだと思い知らされる。

 惜しいのは、その優しさが家庭教師の話にも向いてくれなかったのでだというところだが。

 下田は頭を掻いて勇也に答える。

 

「ねえよ、メリットなんて。強いて言えば少し時間に余裕ができるくらいと、風太郎君が少しでもお嬢ちゃんたちと仲良くなってくれれば御の字だな」

 

 そもそも下田にとって中野家の家庭教師というのは本職ではない。本職はあくまで塾講師であり、副業的な立ち位置でやっているだけである。

 それでもマルオからそれなりの給料をもらっているが、小遣い稼ぎにしては些か貰いすぎの額を受け取っているのが現状だ。

 その金が生活に困窮している上杉家に流れるのであれば悪い金の使い方とも思わなかった。

 まあ、このことまで勇也に言うつもりは毛頭ないのだが。

 

「下田さんの話はわかりました。マルオさんにも私から伝えておきます」

「お願いします……とまあ、話したいことはそんぐらいですわ」

「そうですか。ところで下田さん」

「はい」

「最初の話に戻りますけど、今日の三玖の授業はどうしたのですか?」

「ああ、それだったら今日は三玖ちゃんが風太郎君をお宅に連れてきましてね。せっかくの機会だし代わりに授業をしてもらってますよ。今頃二人でよろしくやってんじゃないですかね」

「よろしく……!」

「先生どうしました?」

「い、いえ、なんでもありません。三玖ならきっと大丈夫でしょう」

「……?」

 

 最後、零奈が今までとは少し違う困惑しているような、心配しているような表情をしたが、すぐに戻っていた。

 その代わり、勇也が顎に手を当てていた。

 

「まあ風太郎は真面目な野郎だし、何か起こることもないだろう」

「ああ、そういう心配か。私の見立てでもさっき言った通りあの子は奥手そうだし、同意だわ。お嬢ちゃんたちの方だってまさか会って一ヶ月で惚れた腫れたの話になんてことにゃならねえだろうし」

「…………」

「…………」

「お? 先生も勇也も黙ってどうしたんだ?」

「あの、実はですね……」

 

 そう言って零奈はたいそう言いづらそうにしながらも風太郎と四葉が過去に会っていたこと、それと先日の屋上での告白の件を下田へと説明していた。

 その直後「だからそう言うことは早く言えよ!」と最早零奈を相手にすら敬語を失うレベルの叫びが店内中に響き渡り、見かねた店員によって三人は注意を受けたのであった。


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