こういう記事を読むたびに、美談のように捉えられていることに苛立ちを覚えてしまいます。
戦後、日本人はたった2つのカバンに詰められる荷物と、現金は1人1000円のみしか携帯を許されず日本の内地に引き揚げさせられた。
日本の財産を全て処分して、日本となった台湾本島に骨をうずめるつもりで移住した日本人が、必死に開拓した土地、家、家財道具からすべてを置いていくしかなかった事実には全く触れられない。
日本人が建てた家に、戦後、愚連隊のような国民党軍が押し寄せてわれ先にと占拠し、住み始めた。
実は一部の台湾人もそうしていたんですよ。
そういった建物を、「台湾は大事に保存してくれていた。有難い」とか思ってしまう感覚が理解できない。
そりゃそうでしょ。
ただで住める素晴らしい家。自分のものになったら大事にしますよ。
国民党の人間が住んでたなんて、虫唾が走るわ。
憐れ、としか思えない・美談とは思えない。
日本は、どこまでお人よしなのか。
【台湾生まれの日本人男性、幼少期を過ごしたかつての家を再訪】
2019/04/14 18:44
(台南 14日 中央社)日本統治下の台湾で生まれた日本人である「湾生」の男性(93)が14日、かつて15年暮らした南部・台南市の2階建ての木造住宅を再訪した。長い時を経て再び家の敷居をまたいだ男性は、保存状態の良さを称賛。子ども時代のことを「非常に懐かしく思い出した」と喜んだ。
男性の父親は地元の建設業界の名士。消防車を寄付したり、優秀な学生に学費を提供したりと、慈善事業に熱心だったという。同市の指定古跡に指定されている「旧台南合同庁舎」の建設に当たり、寄付も寄せている。
旧台南合同庁舎はかつて消防組の詰め所が置かれた建物。建物中央の高い塔は火の見やぐらとして1930(昭和5)年に落成。1938(昭和13)年には塔の両側が増築されて合同庁舎となり、消防や警察などの機関が置かれた。
台南市は、当初の姿をよみがえらせる修復作業と、同市の消防の歴史を紹介する史料館の設置を合わせて進めてきた。工事は終了し、15日に予定される供用式典には建物ゆかりの人々が招かれた。湾生の男性はこの機会を利用し、旧宅を訪ねることになったという。
戦後、男性の一家が日本に引き揚げた後に同宅を入手したのは、馬英九政権下で行政院政務委員(無任所大臣に相当)を務め、昨年11月の地方統一戦では野党・国民党の公認候補として台南市長選にも出馬した高思博氏の祖父。高氏自身にも同宅で幼少期を過ごした思い出があるといい、男性の訪問を温かく歓迎した。
(楊思瑞/編集:塚越西穂)
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>戦後、男性の一家が日本に引き揚げた後に同宅を入手したのは、馬英九政権下で行政院政務委員(無任所大臣に相当)を務め、昨年11月の地方統一戦では野党・国民党の公認候補として台南市長選にも出馬した高思博氏の祖父。
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「同宅を入手」って・・・不法に住み着いただけでしょ!!
全く、何をほざいてんだか。
この日本人男性を歓迎したのも、親日の多い台南市民へのアピールよ。
こういうのを見てコロっと「国民党にもいい人がいるじゃないか」とか騙される日本人や台湾人がいるかもしれませんがね。
こうやってメディアで取り上げるところが、あざといわ。
民進党の牙城だった高雄が国民党の手に落ちた今、日和見主義の多い台湾人が親日である期間は、もうすぐ終わるかも。
結局は目先の金、自分の生活をよくすることだけで、国籍とか、国という概念が皆無。
住み心地が悪くなったら、別の場所へ引っ越せはいいくらいにしか、国のことを考えていない人が多すぎる。
そうはなってほしくないですがね。
南朝鮮に騙される時点でヤバい。今の若者が親になる頃には、南朝鮮同様に反日路線に転ぶ可能性も考えないとね。
なんだかなー、台湾、でした。
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