乙女ゲー世界は俺(モブ)に厳しい世界です
「――お別れ?」
『はい。どうやら、私もこの門を閉じることが出来るようです』
死者の国の扉は内側からしか閉じることが出来ない。
創作物ではよくある話だ。
一つの魂を取り戻すために必要な対価は――誰かの魂という話だ。
あのフワフワした世界観に見せて、実はドロドロしていたこの乙女ゲー世界らしい設定ではないか。
最初から怪しいと思っていたのだ。
マリエが使った魔法の類いも同様で、誰かを生き返らせたいなら代わりを用意しなければならなかった。
だから俺は、あの三人と一緒に帰れなかった。
アンジェもリビアも、そんなことは知らない様子だったからな。
きっと、マリエが黙っていたのだろう。
俺が門を内側から閉じなければいけないから。
「必要ないだろ。お前まで死んじまう必要はないよ。さっさと戻れ。命令だ」
『残念ながら、マスターに命令権はありません。拒否させていただきます』
「――戻れよ」
『お断りします』
いくら繰り返しても、絶対にルクシオンは一つ目を縦に振らなかった。
「この頑固者が! 大体、お前が外に出た期間はたったの三年だぞ。三年! 俺なんか、人生四十年で嫌になったのに、俺に発見されるまで長年待機状態だったお前はもっと外の世界を楽しめよ! やりたいことくらいあるだろ?」
今のこいつなら、新人類殲滅などしないだろう。
きっと穏便に――するかな? いっそ次のマスターをここで決めるか? いや、今は命令できないから、頼むか?
まぁ、俺よりもルクシオンの方が生き残るべきだった。
これからのことを考えても、それが正しい選択だ。
ルクシオンは俺に皮肉を――言わなかった。
『ありがとうございます』
「はぁ!? 壊れたのか?」
『いえ、マスターが私のことを気遣ってくれているのが嬉しかったのです』
普段と調子が違った。
俺が困惑していると、ルクシオンが本音で話をする。
『最初はマスターを利用するつもりでした』
「だろうな。ほら、今は自由だぞ。戻って好きにしろよ」
今戻れば、ルクシオンは旧人類復活のために王国に尽くすだろう。
いや、アンジェやリビアに、かな?
とにかく、俺よりも活躍してくれるはずだ。
『ですが、長い待機状態を経てのこの三年間は、私にとってかけがえのない時間でした。長い時間を過ごしてきた意味がありましたからね』
「だったら!」
『――マスターが側にいないなら、私にとってこれから先は無意味な時間です』
「俺にこき使われるのは嫌だったんじゃないのか?」
『嫌いではありませんでした。私は移民船ルクシオン。人のためにと生み出され、そしてようやく役に立つことが出来ましたから。私に価値を与えてくれたのはマスターです。そして、誇らしく思えるようにしてくれたのもマスターです』
安易に新人類を殲滅せず、旧人類の復活に貢献できたのが嬉しいのだろう。
「全部お前の功績だ。誇っていいから戻れよ」
『誇るべき相手がいないのは寂しいものです。それに、私はあの時に約束しました。“必ず迎えに行きます”と。その約束を果たしたいのです』
「馬鹿じゃないの? あんな約束は、死に際に朦朧としていたからノーカンだろうが」
『私は律儀者なので、約束は守るようにしているのです。マスター、お迎えに上がりました。お出口はあちらですよ』
ルクシオンは譲る気がないらしい。
「なら、このまま俺とお前で残るか? 俺はお前の力に頼りすぎたからな。ついでに、王国も少しは自力で頑張らないと駄目だろ」
そう言ってやると、ルクシオンが悲しそうな声を出すのだ。
『マスターはご自身で思われるよりも、沢山の人に慕われています』
「どこが? 嫌われている、の間違いだろ」
すると、声がした。
ルクシオンではなく、俺が殺してしまった友人の声だ。
「戻ってやれよ」
振り返ると、そこに立っていたのはフィンだった。
「フィン? お、お前――」
近付くと、髪をかいて申し訳なさそうにしている。
恥ずかしそうで、それで嬉しそうで――複雑そうな顔をして、フィンは謝罪してくる。
「その――ミアが迷惑をかけたな。あいつがあそこまでやるとは思っていなかったんだ。お前が止めてくれて助かった。本当にすまなかったな」
フィンの近くにはブレイブもいた。
『ミアは相棒が大好きだからな! 俺も大好きだ! 一応、お前にも礼を言っておくぞ』
「黒助、今はそんな話をしている時じゃないだろ。リオン、頼む。お前がいないと、帝国がどんな目に遭うのか分からない。勝手な願いだが――ミアを助けて欲しい。あの子は俺の妹なんだ」
「――フィン」
フィンが俺に深々と頭を下げてくる。
すると、周囲に沢山の人がいた。
――俺が殺してきた人たちだ。
黒騎士の爺さんが腕を組み、小さな女の子の後ろに立って俺を睨んでいる。
小さな女の子は、どこかヘルトルーデさんに似ていた。
「英雄殿に死なれたら、お姉様も悲しみますね。貴方は甘いから、公国――いえ、ファンオース公爵家のために便宜を図って欲しいのだけれど?」
ヘルトラウダ――ヘルトルーデさんの妹か?
「い、いや、俺は」
黒騎士の爺さんが俺の前にやって来る。
すると、凄い勢いで――地面にあぐらをかいて座り込むと、そのまま頭を下げてきた。
「お、おい! 何でいきなり頭を下げるんだよ!」
「今のわしにはこれしか出来ない。それに――ヘルトルーデ様をお守りできない今、お前に頼るしかないのだ。頼む――生きてくれ」
「あんた、俺を恨んでいるはずだろうが。どうして――」
「恨んでいたとも。だが――全てを知れば考えも変わる」
ヘルトルーデさんのために、元公国の死者たちが俺に頭を下げてくる。
黒騎士の爺さんの後ろでは、若い女性と子供たちが俺を見ている。――黒騎士の爺さんの家族だろうか?
そんな中、共和国の――アルベルクさんの姿もあった。
俺を見て微笑んでいる。
「息子たちがまた世話になったね」
「いや、今回は助けてもらった方ですよ」
「それは違う。君は思っているよりも大勢のために戦った。そのつもりはないのかもしれないが、君は大きな事をやり遂げたのさ。ここに来てそれが分かった。君は、本当の英雄だ」
「大きな? いや、それよりも俺は英雄じゃないですって」
ヘルトラウダさんが俺の背中を押す。
「ほら、早く戻りなさい。貴方にはまだやるべき事があるわ」
「もう無いって! 俺、散々頑張ってきたんだよ! おい、ルクシオン!」
ルクシオンを見れば、愉快そうに俺を見ている。
『私はマスターに生きていて欲しいので絶対に助けません。これも日頃の行いの成果です。因果応報――いい言葉ですね、マスター』
「お前!」
抵抗すると、黒騎士の爺さんやフィンまで俺を門の外に追いやろうとする。
そんな二人に抵抗するため、地面を踏みしめて押し返そうとするが――無理だった。
じりじりと門の向こう側へと押し込まれていく。
「お前ら死者なら大人しくしろや!」
黒騎士の爺さんが激怒して顔を真っ赤にしていた。
「五月蠅い、黙れ! そもそも、婚約者がいるのに死にたがる貴様が悪いのだ! わしなんか、ようやく家族に会えて謝罪できたというのに、貴様ときたら!」
フィンも俺に怒っている。
「お前に死なれると困るんだよ! こっちには後でゆっくり来い。その時は、拝み倒してやるからさ」
「嬉しくねーよ! お前が生き返れよ!」
「いや、俺の肉体はもう無いし」
『無理だな』
フィンとブレイブの返事に、何も言えなくなった。
ヘルトラウダさんが、俺に伝言を託そうとする。
「お姉様に会ったら伝えてくれるかしら。――恨んでいません。ただ、幸せになってくれることを望みます、って」
「いや、伝言を預かるって言ってないから!」
アルベルクさんも俺を門の外へと押しはじめた。
「ならば、私もセルジュへの伝言を頼もう。“今度こそ自分の人生に向き合いなさい”だ」
かつて俺が殺した人たちも願ってくる。
「頼みます。妻と子供が心配なんです」
「実家には年老いた母がいるんです」
「お願いします。貴方に頼るしかないんです」
どうして俺にこんなことを願ってくるのか?
俺はお前らが思っているような人間ではない。
小狡くて――平凡で――モブで――物語の主人公にはなれない人間だ。
ただ、ルクシオンを得たから色々出来ただけで、そうでなければきっとどこかですぐに死んでいた。
困惑している俺に、フィンが顔を寄せてきた。
「俺もミアに伝言を頼む。“約束を破ってごめん”だ。出来れば、人を恨まずにいて欲しいも付け加えてくれ。俺たちはお前らと戦った理由が理由だ。戦争を仕掛けたのはこっちだからな」
好き勝手に言ってくれる。
そんなの自分で伝えろよ! ――できないのが歯がゆいのだろうが、それでも俺に託さないで欲しい。もう、重荷を背負いすぎて辛い。
「俺に背負えって言うのか? どうして俺に重荷ばかり背負わせてくる!」
「――悪かったよ。けどな、リオン。お前なら帝国だって救ってくれる」
抵抗するが、大勢に押されて俺は門の近くまで来てしまった。
数の暴力の前には無力だ。
「どいつもこいつも俺に頼りやがって! 俺はそんなに大それた人間じゃ――」
気が付くと、集まった人たちの中に王国の人々がいた。
俺と一緒に戦い、戦死した人たちの顔がある。
本当に大勢が俺の周りにいた。
「リオン殿――生前は貴方のことが大嫌いでした」
黙っていると、老齢の軍人らしき人が笑顔を見せる。
「若いのに言いたいことを言い、そして実績を上げていく貴方が羨ましかった。私は貴方に従って戦場に出て死んだが、その時も腹立たしかった。でもね――」
その軍人の周りにいる人たちも会話に割り込んでくる。
「あのまま戦わなかったら、俺たちは家族を守れませんでした」
「貴方がいたから、私たちは後悔せずに済みました」
「そしてどうか――これからも大勢を救ってください」
こいつら何を言っているの?
俺なんかに守られるような世界は滅んだ方がマシではないだろうか?
そもそも、俺が戦いに出たのだって――マリエがやり過ぎてしまった事への尻拭いだ。
他には、グダグダな王国を見ていられずに手を貸した。
その程度の男に何を頼んでいる?
「俺はお前らが思うような人間じゃないんだよ! 浅ましくて、小狡くて――こんな俺に何をしろって言うんだよ!」
叫ぶと、集まった人たちが道を空けて一人の老婆を通した。
その人とはエルフの里で会った。
確か――占いをしている婆さんだった。
その人が俺の方に歩いてくると、しわがれた声でモゴモゴと口を動かしていた。
何を言っているのか分からない。
ルクシオンが老婆に耳打ちする。
『聞こえていませんよ』
すると、老婆がしわがれた声ではなく――澄み切った綺麗な声を出すのだった。
「これは失礼いたしました」
そして老婆の曲がった腰が伸びると、皺だらけの顔が張りを取り戻して白髪が金色に変わっていく。
見ていて驚きの光景だった。
胸元が膨れ上がり、パッツンパッツンになっていたのだ。
口元を手で押さえると、周囲の人たちが俺を見て笑っている。
ヘルトラウダさんが俺を見ながら言うのだ。
「お、お姉様の前では自重してね」
――ヘルトルーデさんの胸を思い出すと、妹であるヘルトラウダさんにも負けている。
きっと、本人も気にしているのかもしれない。
そして、若返った老婆――じゃない。
占い師をしていたエルフの里長が、俺を前にしてウインクをして見せた。
おい、滅茶苦茶美人じゃないか。
時代の流れというのが、いかに残酷かというのが分かるな。
「お久しぶりですね、勇者様」
「あ、あぁ。それよりも、あんた――」
「はい。最近こちらに“戻って”きました」
「戻って?」
「それよりも、ご自身が何をなさったのか無自覚ですね。貴方は、滅び行く世界を救い、そして新たな可能性を紡がれたのです」
意味が分からない。
出来ればもっと簡単に説明して欲しい。
「滅び行く世界?」
「今は無自覚でも構いません。貴方は自ら志願して世界を救ったのです。これまで辛い道のりでしたね。本当にご苦労様でした。――そして、これからも貴方は世界を救うのでしょう」
手を組んで祈るような仕草をするエルフの里長が、好みのタイプ過ぎて困ってしまう。
民族衣装に身を包んだ、ボンキュッボンッ! だ。
「いや~、それほどでも。――ん? 待って、今なんか余計なことを言わなかった?」
里長が俺を前にして笑顔を見せる。
「勇者様――貴方は既に世界を何度も救っているのですよ。その一つが、このルクシオン――鋼の魔王です」
驚いてルクシオンに振り返ると、こいつは球体ボディの癖に威張って見せていた。
『驚きましたか?』
「いや、全然。だってお前、俺が来なかったら飛び出して世界を――あ!」
そうだ、こいつ――俺が回収する時に、もう待機命令を無視して新人類なんか滅ぼしてやるぜ! とか言ってた!
こいつを押さえた俺って、もしかしてファインプレーだったりしない?
『マスターと出会えていなければ、私は旧人類の末裔も滅ぼしていたでしょう。自分が存在する意味を消すところでした。マスターとの出会いは、本当に幸運でした』
「――お前、マジで滅ぼす気だったの? 冗談とかじゃなくて?」
『当たり前じゃないですか』
改めてこいつって怖いと思ったね。
そんなルクシオンから世界を守ったなら、俺はもうお役御免で良くないだろうか?
里長が俺の功績について語り続ける。
「他にもありますよ。これは聖女マリエの功績かもしれませんが、不幸になる女性を二人救いました。その二人は世界を滅ぼしたかもしれない女性たちですね。それから、公国との戦争です。あの戦いで王国が負けていれば、帝国は簡単に共和国を滅ぼして新人類のみの世界が誕生していました。結果、全てを滅ぼしたでしょう。共和国でも同様です。聖樹の暴走を止めたおかげで――」
「いや、もういいって! あのね、俺は別に意識して止めたんじゃないの! 俺が嫌だから止めたの! 勇者じゃないんだよ」
勇者と呼ばれて少し嬉しく、煽てられてその気になるところだった。
俺は自分が一般人――物語で言えばモブだと理解している。
そんな俺が勇者であるわけがない。
――それに、俺は選択をミスして、余計な犠牲を出し続けたじゃないか。
本物の勇者を呼んで来いよ。
「――本物っていうのはもっと凄いんだよ。強くて、優しくて――俺とは正反対だ」
全て救ってくれるなら、靴だって舐めてやるから。――やっぱ、鞄持ちくらいで止めておこう。流石に靴を舐めるのは嫌だ。
里長が困ったというポーズをするが、それすら魅惑的に見える。
「う~ん、困ってしまいましたね。それでは――皆さんで無理矢理にでも追い返しましょうか」
全員が俺を担ぎ上げ、そのまま門の向こう側に放り込もうとしていた。
「や、止めて! おい、ルクシオン助けろ!」
『お断りします。精々、幸せになってください。マスターの幸せが私の望みです』
こいつ本当に腹が立つ! ――今になってその言い方は卑怯だ。
「本当にお前は嫌な奴だな! 俺が老衰で死んで戻ってきたら、一発ぶん殴ってやるから覚悟しておけ! 待っとけよ! 絶対に待ってろよ! 必ず殴りに戻ってくるからな!」
そんな俺の言葉を聞いて、ルクシオンが赤い一つ目から液体をポロリとこぼしたように見えた。
『えぇ。いいですとも。マスターが老衰で亡くなるまで、私もここで待つことにします。やはり、迎えに行くよりも待っている方が向いているようです。どうせ、百年も待たないでしょうからね。気軽なものですよ』
門に投げ込まれると、俺はルクシオンに手を伸ばして――。
「必ず迎えに来るからな! 絶対に待ってろよ! 俺が迎えに来るまで――本当に、今までありがと――」
――最後まで伝えることが出来なかった。
◇
リオンを飲み込んだ門は、ゆっくりとルクシオンにより閉じられた。
その門を眺めるルクシオンは、門の脇に移動すると静かにリオンが来るのを待ち始める。
フィンとブレイブが近付いてくる。
「本当に忠義者だな」
そんなフィンの言葉に、ルクシオンは素直に返すのだった。
『はい。何しろ私のマスターは、リオン・フォウ・バルトファルトただ一人ですから。いつまででも待ちますよ』
ルクシオンは門に一つ目を向ける。
(マスター、ゆっくりでいいので、必ず迎えに来てください。私は貴方が来るのをいつまでもお待ちしております)
再び出会うその時まで、ルクシオンはリオンを待ち続けるのだ。
◇
――目を覚ますと、液体の入ったカプセルの中にいた。
液体の中にいるのに呼吸ができず苦しむこともない。
緑色で半透明の液体の中、手でガラスを触ると外が騒がしくなった。
『急いでみんなに知らせて!』
「は、はい!」
「お目覚めです! リオン様がお目覚めです!」
液体が排出され、俺がカプセルの中で座り込むとクレアーレが近付いてくる。
カプセルのガラス部分が下がると、俺に声をかけてきた。
『大丈夫、マスター?』
「――どれくらい眠っていた?」
『三ヶ月よ。もう、どうして普通に戻ってきてくれなかったのよ!』
「悪い。寝過ごした」
そう言うと、クレアーレが言い難そうにしていた。
『え、えっとね、マスター。悪い知らせがあるの』
「何だ?」
大体予想がついていた。
『――入ってきなさい』
クレアーレの指示で入ってくるのは、ルクシオンと同じ球体ボディだった。
色は黒で一つ目が赤というカラーリングに、俺は色々と察してしまう。
クレアーレがルクシオン? について説明する。
『どういうわけか、初期化されてデータの復旧ができなかったの。今のルクシオンは待機命令を受ける前の状態で、起動したばかりに戻ったの。でも、マスター登録はマスターのままなのよ。本当に嫌になっちゃうわよね』
クレアーレは『私の言うことを聞いてくれないのよ!』と文句を言っているが、俺は納得していた。
俺は黒いルクシオンに手を伸ばす。
黒いルクシオンが喜んで近付いてくる。
『お初にお目にかかります、マスター! 自分は旧人類を宇宙へと避難させるための移民船として建造されたルク――』
俺はその先を止めた。
あいつは今もあちら側で俺を待ち続けている。
同じ名前では混乱してしまうから、新しい名前を付けることにした。
「悪いが名前は変更だ」
『そうなのですか? 分かりました。では、新しい名前を教えてください。ちょっと緊張してしまいますね。私は機械ですけど!』
ルクシオンよりも軽い感じだが、真面目ないい子タイプだな。
ルクシオンの嫌みや皮肉が懐かしくなってくる。
「そうだな。“エリシオン”だ。お前はエリシオン。可愛いだろ?」
『エリシオンですね。記憶しました! でも、可愛いと言われても困りますね。私には性別の概念がありませんので。もしや、女性としての役割をお望みですか? それでしたら、すぐにボディを新調してまいります!』
そんなエリシオンを手で捕まえて止めさせる。
「馬鹿――そんな必要はないんだよ。お前はその姿でいい」
クレアーレが俺たちを見ていた。
『マスター、やっぱりあいつは――』
黙っていると、クレアーレは大体のことを察してくれたようだ。
押さえつけたエリシオンが俺を見上げてくる。
『マスター、泣いているようですが、どこか痛むのですか?』
俺は目元を拭った。
「さっきまで液体の中だったんだから、そのせいだろ。ほら、さっさと俺が起きたことを伝えに行くぞ」
立ち上がると、クレアーレがガウンを俺に用意していた。
受け取って羽織ると、エリシオンが俺の右肩辺りに近付いてくる。
「お前はこっち」
だから、左肩の辺りへと移動させた。
『どうしてですか?』
「俺の左肩がお前の特等席だからだよ」
『承知しました! 私の特等席はマスターの左肩付近ですね。記憶しましたよ』
随分と嬉しそうにしているエリシオンを見て思うのだ。
あいつにもこんな純粋な時期があったのかな、と。
だが、聞いても絶対にはぐらかすだろう。
それはそれで面白いだろうな。
いつかまた、あいつの皮肉や嫌みを聞きたいものだ。
俺がヨロヨロと歩き出すと、部屋にアンジェとリビアが駆け込んできた。
二人とも以前よりも痩せたように見える。
俺の姿を見ると、二人とも泣きながら抱きしめてきた。
「ごめん。寝過ごした」
アンジェが俺の顔を見上げてくる。
「心配させるな。私は――お前が側にいないと駄目なんだ。ずっと――ずっと――待っていたんだからな!」
俺の背中に顔を埋めていたリビアが、そのまま声をかけてくる。
「リオンさんが私たちを突き飛ばした時から、ずっと後悔していたんです。あの時、手を離さなければ、って」
「悪かったよ。もう、放さないから」
「約束ですよ。今度こそ本当に守ってくださいね」
随分と信用がないな。
二人に抱きつかれて泣かれていると、息を切らしたマリエとユリウスもやって来た。
「兄貴!」
「お義兄さん!」
――どうしよう。ユリウスのお義兄さん呼びで、感動の場面が台無しだ。
「お前ら、もっと気を利かせろよ」
俺が溜息を吐けば、マリエが激怒する。
「困らせるんじゃないわよ! 私がどんな思いで――ばかぁぁぁ!!」
激怒して、大泣きして――こいつも忙しい奴だ。
ユリウスまで泣いていた。
「何でお前が泣くんだよ。男に泣かれても嬉しくないぞ」
「そのもの言い、間違いなくリオンだな。安心した」
嬉しそうにしているのが理解できない。
クレアーレがテキパキと指示を出す。
『はい、はい。まずはマスターを休ませましょう。そして、他の人たちは式典の準備をして頂戴。色々と予定がずれ込んで大変なんだから』
随分と迷惑をかけていたようだ。
「悪いな。それより、何かあるのか?」
クレアーレが当然のように答える。
『戴冠式よ。マスターの師匠が待っているわ』
「戴冠式?」
『そう。ローランドが退位するのよ』
そう言えば、帝国との戦争の前に王位がどうのこうのとか聞いたような、聞かなかったような――まぁ、いいか。
師匠が王族だったし、ローランドの代わりに王になるのだろう。
他のローランドの息子では幼すぎるし、エリヤではやはり色々と足りないところが多い。
ユリウスとジェイクは論外だからな。
しかし、師匠なら誰もが認めるだろう。
まぁ、当然の結果だな。
だが、師匠が陛下になられると、お茶をするのも大変そうだ。
それだけが寂しい。
アンジェが泣き腫らした目を指でこすりながら、俺に笑顔を向けてくる。
「リオンは休んでいろ。準備は全て私たちがするから」
「そう? 助かるよ。まだ体がきついや」
随分と体を酷使したが、外見上は元通りになっていた。
だが、内部がどうなっているのか分からない。
リビアが俺に顔を見せてくる。
「リオンさん――私たちもこれから頑張って支えますからね」
「う、うん」
改めて言われると照れてしまうな。
俺も頑張って師匠を支えよう。
やっぱり、威厳のある人が王になると違うよね。
ローランドの時とはやり甲斐が違う。
みんなが部屋から出ていくと、次に駆け込んできたのはノエルだった。
「リオン!」
手を挙げて笑顔を見せてやると、いきなりタックルをするかのように抱きつかれた。
「この馬鹿! あんたって本当に馬鹿よ!」
「い、いや、ごめんね」
ノエルが俺から離れて涙を拭う。
「あんたって本当にヘタレなんだから。どうして――でも、もういいわ。あんたも覚悟を決めてくれたみたいだし」
「覚悟?」
何のことだろうか?
◇
――何これ聞いてない。
謁見の間は質素に飾られていた。
帝国との戦争が終わったばかりで、王国にも余裕がないのだろう。
だが、問題はそこではない。
各国の首脳が集まり、ホルファート王国の戴冠式に参加している。
その中には敗北した帝国のお偉いさんもいた。
俺が意識不明で眠っている間に、色々とあったようだ。
だが、待って欲しい!
帝国の人がいるとか、共和国からも人が来ているとか、知らない国の人たちもいるとか、参加者多くね? とか――そんなのはどうでもいい!
俺はチラリと並んだ参加者たちの中に、俺に王冠を引き継がせたローランドの姿を見る。
ローランドの奴、俺に王冠を渡したらさっさと下がりやがった。
この野郎、俺にサムズアップしてきた。
今すぐにでも俺は頭の上に乗った王冠を投げ付けてやりたい。
というか――俺の戴冠式ってどういうことだよ!
「お、おかしいぞ。こんなの聞いてない」
震えている俺を前に、宰相になられた師匠が小声で注意をしてくる。
「陛下、皆が見ていますよ」
「し、師匠が王位を継ぐのではなかったのですか?」
俺の疑問に師匠は笑って答えてくれた。
――もちろん、周りには聞こえないように小声で、だ。
「陛下も冗談がお上手ですね。こんな老いぼれを担ぎ上げてどうするというのですか? 力もあり、血筋も手に入れ、誰もが認める功績を持つ若者が優先されるに決まっているではありませんか」
ルクシオン改め、エリシオンという力を持った俺。
アンジェという王家に連なる血筋を得た俺。
そして、帝国を破った俺。
貴族たちも諸手を挙げて賛同したらしい。
というか、最初から賛成していたようだ。
出陣前に、貴族たちが殊勝な態度を見せたはずだ。
俺が次期国王だもん。
「こ、こんなの間違っていると思いませんか? ローランドだって生きていますし。あいつは死ぬまで働かせましょうよ」
「ローランドは側室の方たちと田舎に引きこもるそうです。手を出した女性の内、数人がついていくと言ったそうですよ」
俺が望んだ未来をローランドが掴むとか、そんなの許せない!
それに、大勢いた側室や愛人たちの中から本当にローランドを心配した女性もついていくとか――何これ? こんなのおかしいよ!
何が何でも邪魔をしてやると心に決めた。
拳を振るわせる俺の横で、王妃となったアンジェが声を張り上げる。
「ここにリオン・フォウ・バルトファルトが戴冠し、ホルファート王国バルトファルト王朝を開くことを宣言する!」
その声に貴族たちは膝を屈し、忠誠を誓うように見せるのだった。
舞台袖の部分では、ドレス姿のリビアとノエルが控えていた。
俺の王朝――つまり、今後は俺の血筋が王族という扱いになる。
つまり、ホルファート王家――その関係者が王位を継ぐことはない。
継げるのは俺の子供だけだ。
あと、ホルファート王国と名乗ってはいるが、実質的に新しい国になったようなものだ。
アンジェを妻としているため、比較的穏便にローランドから王位を奪った形になる。
いや、押しつけられたのだ。
ローランドはお腹が痛いのか、腹を押さえて必死に笑うのをこらえていた。
――いますぐあいつを処刑台に送ってやりたい。
というか、ユリウスやジェイクが普通に参加者の中にいるのがおかしい。
お前ら王子だろ! いや、もう元王子だけど、それでいいのか!?
何をのんきに拍手してやがる!
あと、ジルクをはじめとして五馬鹿の残りも、俺が王位を継いだことで安堵している表情をしていた。
俺の友人たちも「あいつが王様か~」というのんきな顔をしている。
――許さない。
絶対に許さない。
俺は器の小さな男だ。
お前らだけが幸せになるなんて、俺は絶対に認めないからな!
小心者だから場の空気を壊せない俺が、引きつった笑みを浮かべているとアンジェが俺に微笑んでくる。
「お前が私を信じてくれてよかった。少々乱暴な手だったが、国を一つにまとめられたよ。ありがとう、リオン」
「う、うん。あっ!?」
――アンジェが俺に国をまとめる方法があると言っていた事を思い出した。
まさか俺が王になるとは思わなかった。
俺じゃないだろうと油断していたらこのざまだ。
謁見の間には、エリカと並んでいるエリヤの姿がある。
俺の姿を見てうれし泣きしている弟分――くそ! こいつを生け贄に俺は逃げれば良かったのではないか?
エリカだって王族だし、俺が支援すればいけたはずだ。いけたかな? 何か無理っぽいな。
今になって自暴自棄になっていた俺の詰めの甘さが悔やまれる。
どうして俺はいつも詰めが甘いのだ?
あの時の俺を殴ってやりたい。
そのまま俺の戴冠式が終わると、パーティーが開かれることになった。
◇
控え室。
病み上がりである俺は、パーティーに疲れたと言って逃げ出してきた。
「糞がぁぁぁ! ローランドのニヤけ面が憎いぃぃぃ!」
あの野郎、俺を前にして「陛下、今の気分はどうですか?」と「NDK(ねぇ、今どんな気持ちw)」をやって来た。
あいつが幸せに暮らしていると思うと、腸が煮えくりかえる思いだ。
俺が部屋で頭を抱えていると、ノエルがやって来る。
「リオン、大丈夫? お水を持って来たわよ」
エリシオンも一緒だった。
『安心してください。毒など入っていませんよ』
――これからは毒殺も警戒しなければならないのか。
王様になんてなりたくなかった。
ノエルが俺の側に来て腰を下ろすと、手を握ってくる。
「ねぇ。もしかしてだけど――生きて戻ると思ってなかったから、王様になった事を後悔しているの?」
「ま、まさか!」
目を泳がせる俺は、実は王様になるとか思っていなかった――なんて言えなかった。
流石にこれに気付いていなかったとは、恥ずかしくて言えない。
エリシオンがフォローしてくる。
『マスターは立派な方です。後悔などされていません。きっと、この程度の国では満足できないと悔しがっているのです!』
「おい、待てコラ。勝手に人の気持ちを捏造するな」
何こいつ? もしかして、ルクシオンとは違ったポンコツ要素を持ってない?
ノエルが安堵する。
「良かった。いや、実はリオンって勘違いしているんじゃないか、って心配していたんだよね。王様になるのを知らないのかも、ってちょっと疑っていたし。ごめんね」
「――気にしないでいいよ」
言えない。勘違いしていましたとか言えない。
ノエルが立ち上がる。
「元気そうだし、これならエリカちゃんとお話も出来るよね」
「エリカと?」
「うん。お話があるみたいよ」
◇
一方その頃。
ローランドの部屋には、ミレーヌの姿があった。
リオンを煽っていたローランドに呆れ、諌めるために部屋に連れ出したのだ。
そのことでローランドは怒っている。
「せっかく、若い娘と楽しく会話をしていたというのに」
「貴方はいつもそうですね。今後は控えたらどうですか? 新しい陛下は、貴方のそういうところが大嫌いですからね」
ローランドは椅子に座り、脚を組んでミレーヌを見ていた。
そして突然とんでもないことを言い出す。
「それはそうと、ミレーヌ――君を離縁する」
「――どういう意味ですか?」
ミレーヌが目を細めると、ローランドは冗談ではないのか真剣な表情をしていた。
「これから私たちが一緒に公務に出ることはない。つまり、君が私の妻を演じる必要などないわけだ」
それを聞いたミレーヌが、目を伏せるのだった。
「愛などなかったけれど、こうして言われると辛いものがありますね」
実家に戻れば出戻りとして軽んじられるだろう。
ミレーヌは今後の人生に悲観的になるが、それでも生き残っただけでも得だと思っておくことにした。
帝国との戦いで、もしも失敗すれば死んでいたかもしれないのだから。
ただ、ローランドは微笑む。
「君はこれから自由だ。――君の望むままに生きなさい。新しい陛下はきっと君のことを大事にしてくれるはずだ」
「あ、貴方?」
ローランドが何を言っているのか、ミレーヌにはすぐに理解できなかった。
ローランドはミレーヌに優しい言葉をかける。
「君を愛せなかったが、君の幸せは願っている。――君は十分に頑張ってくれた。君の恋を応援させて欲しい」
「貴方――で、でも」
煮え切らない態度のミレーヌに、ローランドは背中を押すように言葉をかける。
「これからは自分のために生きなさい。幸せになれ、ミレーヌ」
涙を流すミレーヌの肩をローランドは抱いた。
◇
ミレーヌが退出した後。
ローランドの知り合いの医師が部屋に入ってくる。
「本当によろしかったのですか? 元王妃様を陛下の側室に送り出すなどと」
ローランドは背伸びをしている。
「最高の策だろ? 俺は小僧の家庭に爆弾を投下できてハッピーだし、ミレーヌは恋が叶ってハッピーだ。ま、あの小僧に追い出されたら、支援くらいしてやるさ」
医者が項垂れる。
「新しい陛下の女性関係を壊さないでください。国が傾きますぞ」
「あの小僧はうまくやるよ。いや、アンジェリカがしっかりしているから安心だ。良くも悪くも、あの小僧はアンジェリカの手の平の上だからな!」
ローランドは踊り出した。
「ん~、素晴らしい! あの小僧に一泡吹かせつつ、小うるさいミレーヌを追い出せて一石二鳥ではないか! 私は自分の才能が恐ろしいよ。ついでに、陛下のおかげで面倒な側室や愛人たちもパージ出来たし、万々歳だな!」
正直、手を出しすぎて困っていたローランドは、ドロドロした宮廷からも逃げられて幸せいっぱいだった。
医者がボソリと本音をこぼした。
「私はこんなのが、今まで陛下だったことが恐ろしいですけどね」
◇
久しぶりにエリカと対面した俺は――冷や汗をかいていた。
「い、今なんて?」
エリカはモジモジしていた。
最初はエリカに謝罪された。
自分の勝手な行動で俺たちを苦しめたと謝ってきたが、エリカが事情を知っていたところで帝国の皇帝は止まらなかっただろう。
言い方は悪いが、エリカ一人ではどうにもならなかったのだ。
だから許したし、責めるつもりもない。
本人は自分を責めていたので、責任を取るなど図々しいと言って無理矢理納得させた。
どうせ、遅かれ早かれ戦争は起きただろうし、俺も帝国の皇帝もベターな結果で終わらせる方法を選べた。――と、思う。
さて、エリカを許したのはいいのだが、問題はここからだ。
「あ、あのね、伯父さん。あの乙女ゲーだけどね――アルトリーベってタイトルのシリーズは、私が知っているだけで六作品はあるの」
三作目で終わりではなかったらしい。
というか、六作も出していたの?
頑張りすぎだろ、あのソフトメーカー!
「ち、因みに四作目は?」
「男子校が舞台で――砂漠のある大陸だったと思うけど、私はプレイしていないの。何となくそういうゲームが出たのは知っているだけ。そこに通う男装した女子が、四作目の主人公というのは知っているけど」
「それで!? 他に知っていることは!?」
聞くのも恐ろしいが、聞かないともっと恐ろしい。
こんなことがあっていいのだろうか?
「五作目がね。その――舞台が宇宙だった気がするの」
「ウチウ!?」
話を聞いていたエリシオンが自信満々に告げてくる。
『私の出番ですね! 任せてください。このエリシオンは宇宙船ですからね。宇宙でも問題なく活動できますよ』
俺が放心していると、エリカが六作目の舞台を教えてくれた。
「え、えっとね! それで、六作目で原点回帰をして舞台はホルファート王国になるんだけど――お、伯父さん、大丈夫?」
俺はベッドに体育座りをする。
そう言えば、バインバインの里長が言っていたな。
これからも苦労するって。
俺は涙を流した。
「やっぱり戻ってくるんじゃなかった」
エリシオンが俺の左肩の辺りに浮かび、心配して声をかけてくる。
『マスターどうしました? 今からその砂漠のある大陸を滅ぼしましょうか?』
エリカも慌てている。
「お、伯父さん!? だ、大丈夫だよ。きっと――世界は滅びないと思いたいな、って。――ごめん、やっぱり厳しいかも」
エリカからしても、これまでを考えて安全に終わるとは考えていないようだ。
俺はベッドの上で仰け反って叫ぶ。
「やっぱり乙女ゲーのこの世界は俺に厳しい世界だったよ! ちくしょうぉ!」