大学病院に
最後の入院をしていた
父の日
コロナで面会できず
ガラス越しに
息子たちが
パパに会いに行ってくれた
時のものです。
酸素が足りていない
といえ自覚がなかった
パパですが
酸素吸入を始めて
ずいぶん楽になった!と
大丈夫だよ!と
息子たちと
スマホで会話して
言葉も目もしっかりしていた
と、息子たちから
報告を受けました。
息子に会えて
嬉しかったことや
家に帰ることを
本当に楽しみにしていた
ことが
今になって
この写真から
強く伝わってきます。
これは
私の術後の写真
私も全く自覚がなかった
のですが
酸素マスクを外したら
血中酸素濃度が
著しく下がってしまったらしく
看護師さんが走ってきて
鼻に酸素チューブを
装着して下さいました。
その後も
そろそろ大丈夫でしょう、と
鼻のチューブを外して
様子を見ましょう、とするも
やっぱり酸素が90とかに
なってしまうので
また、鼻にチューブ装着
を繰り返し
酸素の状態が良くなるまで
少し長くかかってしまった
ようです。
こんなことを言ったら
お叱りを受けたり
あまりいい感情で
受け止めて頂けないかも
しれませんが…
酸素濃度が低くても
全然苦しくはなかったのです。
だから
パルスオキシメーターが無くて
数値が分からなかったら…
もしかしたら
そのまますーっと
意識が遠のいたりしたのかな?
と、考えました。
そして…
それならそれで
眠るように、なら
それもいいかも、と
思ったりもしてしまいました。
ごめんなさい
でも、それが…
大切なパートナーと
共に闘病の日々を過ごし
その旅立ちを見送った
残された者としての
独特な感覚かもしれません。
(息子たちはまた違うかも
しれません。家族とはいえ
親子と夫婦では
同じ家族でも違うんだ
ということは感じています。
良い悪いではなくて…)
病気に対する考え方
治療に対する考え方
人生観
その全てが
パパを見送ってから
変わった、と思っています。
それを経験してきた
(お父さん、お兄さんを
見送ってきたパパですから)
パパと同じように…










4
ご主人様のお写真しっかり拝見しておりました…
目力も有りまだまだこれから
お元気になれてご自宅へと私は
そう思ったお写真でした…
我が家も同じですが病になり
懸命に生き切った方がた…
そうですとも病に負けたのではない
大島元監督様は生き切ったのです…
病して…家族として我が家も子供達とは又違う受け止め方なのですね
時は刻む…
時は流れて行くのですね…
奈保美さんから沢山の愛と勇気を
日々頂いております
私も主人と歩んで行きます…
メル
2024-06-03 08:47:27
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