どちらも僕…明かした正体 漫画家「ぴあき」/弁護士 川畑光輝(26)

二兎を追う

漫画家と弁護士。両方を究める覚悟ができたという「ぴあき」こと川畑光輝=東京都新宿区(酒井真大撮影)
漫画家と弁護士。両方を究める覚悟ができたという「ぴあき」こと川畑光輝=東京都新宿区(酒井真大撮影)
 「ぴあき」こと川畑光輝の作品「ナズーリンVS絶対に出られない部屋」
「ぴあき」こと川畑光輝の作品「ナズーリンVS絶対に出られない部屋」

《賢いと自負する1匹のネズミが、ドアも窓もない部屋に閉じ込められた。あらゆる手を尽くすが出られないまま5日間。絶望の末に自ら命を絶つ。高みで見物していた他のネズミたちはささやき合う。「この仏さんには分からなかったんだろうね。生きているってことの素晴らしさが」》

ちょっとグロテスクで、哲学的で、恐怖感も覚える漫画。最後のページは黒一色に一言「ドブネズミのように死んだ」。暗く陰鬱(いんうつ)とした書き手を想像する。しかし、それは裏切られた。「単純に生きているだけですごいんだと訴えたかったんです」と屈託なく笑う。漫画家としてのペンネームは「ぴあき」だ。

幼稚園から漫画に親しみ、小学生で絵を描き始めた。多くの子供にとって、お絵描きは数ある遊びの一つ。一瞬楽しんで終わりのはずが、そうはならなかった。

有閑マダムが子供を産んだ。赤ちゃんの第一声は「金だブーブー」だった-。こんな四コマギャグ漫画を自由帳に書きつけ、友人に見せた。当時、小学校低学年。クラスメートに大うけした。「金だブーブー」は流行語になった。

「今もですけど、オタクだったんです。ちょっと褒められただけでもうれしいのに、クラス全員の口癖になるなんて。人を楽しませる快感に気付いてしまったんです」

二宮金次郎と呼ばれ

漫画を描くことは「生きる意味」になった。中学生になっても一日中、没頭した。完成した作品は、インターネットの投稿サイトに載せた。「奇抜な絵だ」「才能を感じる」。ネットの反応が原動力になった。

ある日、自分のハンドルネームで、他の作者に対し「こいつの絵なんかみるな」と悪口が書き込まれているのを見つけた。パスワード管理が甘く、乗っ取られたのだ。

ネット上で他者への批判は、自分の首を絞める行為に等しい。これまでの評価が一変し、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びた。

「お前らが言うならそうだよ。全部俺が書いたんだ」

何度否定しても信じてもらえない。投げやりになって、噓をついた。もう二度と、投稿はできないと思った。

居場所を奪われた喪失感や虚無感。「法律の知識があれば、泣き寝入りせずに済んだのに」。困った人を助ける弁護士に、初めてあこがれた。

法学部に行こうと決めた高校時代、参考書を詰め込んだカバンを3つ抱え、読みながら登校した。同級生には「二宮金次郎」とからかわれた。毎日早朝から学校に行き、自習室や塾から帰ってくるのが夜7時過ぎ。そこから深夜2時過ぎまで漫画を描いた。高校3年間、ページに換算すると1千枚は下らない。

大学進学後もペースは衰えなかった。「乗っ取り事件」後、しばらくしてからハンドルネームを変えて、投稿を再開した。同人誌も定期的に出し、4年のころ出版社の目に留まり、商業誌デビューを果たした。

自分の作品が目の前で売れていく様子は、最高の一言に尽きた。「新参の漫画家なのにがっつりホラーでいいね」。読者からのコメントを、何度も何度も読み返した。

弁護士と漫画家、切り離せない……

あこがれの弁護士に向けた道のりも着実に歩んだ。司法修習を終えた後、弁護士専用の求職サイトには、迷った末に「漫画を描き続けたい」と条件を付けて登録した。それを見て採用したのが四谷見附法律事務所の弁護士、田畑貴之だ。

「企業法務は無理だし、他の事務所でも難しいだろうなと。でも弁護士にとって幅の広さは大事。まあ、僕が漫画好きだから甘かったのかも」

昨年4月から、田畑について交通事故や相続などの民事訴訟を学ぶ。

自分と「ぴあき」が同一人物だと公表するのは初めてだ。

「僕の漫画をバカにする人は絶対いると思う。でも、困っている人を助けたいと思う現実世界の弁護士と、空想世界を描く漫画家のどちらも僕で、切り離せません。名前を出すことで、両方を究める覚悟がより固まった気がします」

吹っ切れたような、どこか晴れ晴れした表情だった。=敬称略

(大森貴弘)

かわばた・こうき 平成9年9月、北海道釧路市生まれ。北海道大卒。東北大法科大学院を経て司法試験合格。令和5年4月から四谷見附法律事務所(東京都新宿区)で弁護士として勤務している。漫画家「ぴあき」としても令和2年に商業誌デビューした。

「表現活動」との両立は古くから…

医師や弁護士などの専門職と、作家や漫画家といった表現活動を両立させる人は歴史的にも少なくない。たとえばルネサンスの巨匠、レオナルド・ダビンチ。画家としてはもちろん、科学者としての才能も発揮した。詳細な人体解剖図を残し、ヘリコプターや戦車の原型を考案したとされる。

日本でも陸軍軍医と作家を両立させた森鷗外がいる。「高瀬舟」などの作品を発表した一方、軍医総監までのぼりつめた。ドイツに留学した青年の心情を描いた「舞姫」は、立身出世を期す自身の姿を投影したようにも読み取れ、鷗外の中で両者は密接に関係していたことがうかがえる。

最近では「神様のカルテ」がヒットした医師で作家の夏川草介氏、同じく医師と作家を両立させている知念実希人氏、漫画「カバチタレ」の原作者で行政書士の田島隆氏らが「二刀流」として名をはせている。

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