序章
第四話(表)フィクトスの憂鬱
王都は混乱の坩堝に叩き込まれていた。
他国からいきなり宣戦を布告されてもこうはならぬだろうと言うほどに。
竜――それも伝説でしか語られて来なかった終末クラスの化け物が突然、王都上空に出現したのだ。
破滅主義者でもなければ混乱し、恐怖するのが当然だろう。
ある意味で今の王都の心は上から下まで統一されていると言って良い。
――――あの竜をどうにかしなければ。
現状は沈黙を貫いているが、竜に人間の常識は通じない。
何が切っ掛けとなって王都が火の海に包まれるか分からないのだ。
何の前触れもなく訪れた亡国の危機、それでも制御不可能なほどに人々が混沌していないのには理由があった。
そう、魔女の存在である。
これまで幾度も絶大な力を示してのけた始原の魔女と言う伝説を継ぐ者。
上から下まで皆が皆、彼女に期待していた。
白銀の魔女フィクトスであれば終末級の竜ですら何とかしてくれると。
「(……無理、無理よ。あんなの……どうしようもない……)」
だが当事者たる彼女からすれば堪ったものではなかった。
人類最強を名乗れるだけの力はあるし大抵の竜も余裕で退治出来る。
しかし、王都上空に留まっている竜は別だ。
終末級、その名の通り世界を終わらせられるだけの力を持っている相手になど勝てるはずがない。
「(何で私がこんな目に遭うの!?)」
誤解を恐れずに言うならフィクトスは俗物だ。
誰よりも美しくなりたい、美味しい食べ物を食べたい、良い洋服を着たい、綺麗な宝石を身につけたい、皆に認められたい。
物質的な欲望と承認欲求、それが彼女の全てだ。
俗な欲望を満たすためだけに、彼女はこれまで頑張って来た。
誰よりも我が身が可愛い、だから今すぐにでも逃げ出したい。
だがここで逃げてしまえば折角手に入れた富、名声、権力を手放してしまうことになる。
姿形を変えて別の国でお抱えになる?
否、スペルビアこそが最大の版図を誇る強国なのだ。
それ以外の国に行っても今以上の待遇は望めない。
それに何より、魔女の後継者を名乗ることが出来なくなってしまう。
魔女の後継者、それは何にも勝る威光だ。
それを掲げていた者が逃げ出してしまえばどうなる?
次にその看板を掲げる者が出て来ても猜疑の視線を向けられてしまう。
別の国でフィクトスがその看板を掲げ国家のお抱えになることを目論んだとしよう。
当然、逃げた偽物と言う前例があるのでそう簡単には信じてくれない。
証明するために彼の竜を討ち取れとでも言われたらどうする? どうしようもないではないか。
「魔女殿、どうか我らに御助力を」
王を始めとする国家の重鎮が集う会議室。
皆が縋るようにフィクトスを見つめていた。
「……結論から申しますと、わたくしであればあの竜を倒すことは可能ですわ」
おお! と室内が俄かに湧き立つ。
流石魔女様だと言う賞賛の声も今の彼女にとっては煩わしいだけだった。
「話は最後まで御聞きになって?」
「こ、これは申し訳ない」
薄笑いを浮かべたまま眼光だけを鋭くし、室内を見渡すと誰もが委縮してしまう。
この光景を見てフィクトスは強く思う、手放したくはない……と。
「倒すことは可能。しかし、わたくしとアレがぶつかればどうなるかぐらいは想像出来るのではなくて?
最終的に倒せはしても、そう直ぐに殺すことは出来ませんわ。
時間が経てば経つ程、わたくしと竜の戦いによる被害は拡大していきスペルビア全土――いえ、世界規模にまで被害が及ぶことになる」
そうなった時、この世界が砕け散らないと言う保証はない。
そんなフィクトスの言葉に湧き立っていた者らの顔が真っ青に変わる。
「そ、そんな……!」
「では、ではどうすれば良いのです!?」
「落ち着きの無い方々ですわね。何も倒すだけが問題の解決法ではないでしょうに」
扇子を広げ呆れたように溜め息を吐く。
内心でかなり追い詰められていながらも演技をする余裕があるのは年の甲、或いは執念がゆえか。
「……どう、なされるおつもりなので?」
「この世界から放り出してしまえば良い」
「放りだす?」
「――――異次元に追放してしまうのです」
フィクトスが高速思考を用い、何度も何度もシミュレーションを繰り返した末の結論がこれ。
異次元への追放、これが最も勝率の高い方策だった。
「そのようなことが可能なのですか!?」
「わたくしの力を疑いになるので?」
「そ、そう言うことでは……」
「とは言え、終末級が相手ですもの。生半なことでは成らぬのも事実」
薄笑いが消え、真剣な顔に変わる。
「あれを放り込める程の”道”を開くのであれば半日は必要ですわ」
先ほど最も勝率の高い策だと述べたが成功する確率は二割――多く見積もっても三割ほどだ。
まず第一に、異次元への道を開けるかどうか。
異次元へと続く道を開くのであれば時間と空間というあやふやな”概念”に手をかけねばならない。
火や水などの目に見える自然現象などとは桁が違う難度だ。
一応、過去に拳大の道を開いた経験はあるがあのドラゴンを呑み込める規模なんて未知の領域だ。
更に言えば代償も気にかかる。拳大の道を開くのですら一週間寝込む羽目になったのだ。
帝都を丸々覆い尽くすような規模の道を開けばどうなるか。
「(まあ、代償を払うつもりなんてさらさらないのだけど)」
保身のために竜をどうにかしようとしているフィクトスだ。当然、死ぬ気はない。
代償については不安は残るものの、解決策はある。
だが代償をどうにかしても、まだ問題は残っている。
そもそもの問題として、仮に異次元への道を開けたとして竜が素直に飛び込んでくれるか?
フィクトスは頭痛を堪えながら指示を出す。
「それまでは決してアレに手を出さぬよう周知を徹底なさってくださる?」
「将軍!」
「ハッ! かしこまりました!!」
「そして王都に存在する全魔法使いにわたくしの指揮下に入るよう通達も」
「それは何故でしょう?」
「事が事ですもの。今のわたくしはスペルビアに御仕えする身。この国の守護に万全を期すのは当然。
無いよりはマシ程度ですが、他の魔法使いらの力も注ぎ込もうと思いまして」
「成る程、では早速ギルドに……」
話がまとまり各人が動き出そうとしたその時だ。
会議室の扉が乱暴に開かれたのは。
「何事だ!? 竜に何か動きが――――」
「りゅ、りゅ……竜が突如として消失致しました!!!」
その報告に王や重鎮らの顔がは? となる。
顔にこそ出していないものの、フィクトスも同じ気持ちだった。
「と、兎に角此方へ!!」
促されるままに空が見える場所へ移動すると……。
「ほ、本当に居ないぞ!」
「幻でも見ていたのか……?」
「そんな訳がないだろう! 確かに竜は居た! 俺も君も見ただろう!?」
「じゃあ一体何処に行ったんだ!?」
「落ち着け皆の者! これは一体どう言うことだ?」
王が報告にやって来た兵士に仔細を問い質すも、
「それが突然消えたとしか……」
当人にもよく分かっていないらしい。
あんなものが空に浮かんでいたのだ、嫌が応にも見てしまうもの。
しかし他の者に聞いても突然消えたとしか返って来ない。
困り果てた王がフィクトスに問うも、当然彼女にも分かるはずがない。
「竜が存在していたことは確かですわ。ただ、竜が去った理由についてまでは。
人の精神構造とは異なるもの。何を考えているのか頭を捻っても答えは出て来ないでしょう。
独自のルールに基づき生きる彼らを理解したいのであれば、それこそ竜になるしかありませんもの」
素直に分からないとも言えないので”らしい”言動でお茶を濁す。
ただ、これだけだとあまり印象がよろしくない。
「とりあえず、わたくしが独自に竜の行方を調べてみますわ。
そして、それと並行して次またこのような事態が起きた時のための準備も」
メインとなるのは異次元へ続く裂け目を開くための仕掛けだ。
魔力を流せば起動出来るように備えをする、手を抜くつもりは一切無い。
「(今回は運良く、何も起こらずに終わったけど……)」
次またあんなことがあれば堪ったものではない。
築き上げた地位を奪われる恐怖を二度も三度も味わってたまるか。
フィクトスは出来る限りの備えをしておくつもりだった。
「おお、これは心強い。頼みますぞ、魔女殿」
「お任せあれ」
一礼し、フィクトスは自身の屋敷へと転移した。
「……ふぅ」
屋敷に戻るや彼女は糸が切れたようにソファーへと倒れ込んだ。
魔女としてこのような姿を他人に見せることは出来ないが、人目は無いので問題ない。
フィクトスは身の回りの世話をゴーレムにやらせているので使用人などは雇っていないのだ。
「もう、最悪の一日だわ……」
予兆があったのであれば対策も打てるし覚悟も決められる。
だが何の前触れもなく、足許が崩れ去るかもしれないような事態は勘弁して欲しかった。
フィクトスは愚痴愚痴と誰に向けたものかも分からない文句を吐き続ける。
そして一通り吐き出したところでキッと表情を引き締めた。
「”εχΑολκ ΚυλζζγθΙΜΩΧ”」
ぶつぶつと呪文を唱え始めるフィクトス。
王に告げたように竜の居所を探っているのだ。
スペルビアに対する愛国心は皆無だが、自分にも関わることなので手抜きは無しだ。
しかし、幾ら探しても竜の姿がどこにも見当たらない。
「ッ……どう言う事?」
あれだけ大きな力の持ち主だ。
一度力の波長を覚えてしまえばどこに居たって見つけられる自信がある。
現に、竜が住みかとしていたであろう遥か天空の巣だって発見出来た。
竜本体以外ではそこが一番力の痕跡が強い場所だからだろう。
だが力の大元なる竜本体を見つけられないのはどう考えてもおかしい。
「倒された? 馬鹿な、あり得ない」
あんな化け物を倒せる存在なんてこの世に居る訳がない。
「そんなことが出来るのは、それこそお伽噺に出て来る始原の魔女ぐらいのものよ」
フィクトスは始原の魔女の実在を信じていない。
よしんばかつては存在していたのだとしても、今はその系譜が途絶えていると確信していた。
勿論、何の根拠もなしにその存在を否定している訳ではない。
魔道を極めていく中で力と知識を積み重ねた末の結論だ。
「倒されたと言う線は無いにしても……じゃあ、何なのかしら?」
幾ら頭を捻ってみてもこれだ! と言う答えは出て来ない。
「……やっぱり、竜自身が自主的に去ったって考えるべきなのかしら?」
だとすればその理由は? 分からない。
結局はフィクトス自身が王に語った以上の推論は立てられなかった。
「分からないことを考えていてもしょうがないわ」
行方を追うと言った以上、報告はしなければいけない。
なら、巣に戻ったと報告しておけば良いだろう。
リアリティを出すために正確な場所もついでに伝えておけば問題はない。
どうせ自分以外に巣を確認出来る者など居ないのだから、真偽は確かめられない。
「大事なのはこれからどうするか」
今までは自身の築き上げた地位が盤石なものだと思っていた。
だが、今日の一件でそうではないことを思い知らされた。
だからと言って諦めるつもりは毛頭ない。
何が何でも今あるものを手放すものか。
「次元の裂け目以外にも防衛機構を配置するべきね」
怠惰に贅を貪っていたいと言うのが本音だが、それにかまけて将来を閉ざしてしまうのは馬鹿のすること。
フィクトスは頭の中で幾つもの対策を練り上げていく。
始原の魔女を継ぐ者、と言う看板は偽りだが紛れもない実力者であることは事実なのだ。
彼女が本気を出して守りに入ればそれを突き崩せる者など誰も居ないだろう。
――――正真正銘の”魔女”以外には。
「はぁ……これから忙しくなるわ」
フィクトスが真の絶望を知るのは、もう少し先のことであった。