序章
二.五話
「ハッ……!」
短く息を吐き出すと同時に剣を振り下ろす。
もう、何時間こうして無心で剣を振り続けているのだろうか。
夜の帳が下りて空に真円の月が浮かび上がっても尚、剣を振り続けて気付けば深夜になっていた。
「ふぅ……一息入れるか」
キリの良い数字まで振り終えたところでザインは剣を鞘に収める。
彼は愛剣に再起を誓った後、自宅の庭で今に至るまでずーっと素振りをしていた。
最初は外に出て実戦の中で錆を落とそうと考えていたのだが直ぐに却下した。
腐り始めてからは経験と身体能力にものを言わせてなあなあの剣を振っていた。
そんな馬鹿者が実戦に出るなぞおこがましい。
剣の振り方を修正し、意識しなくても正しく剣を振れるようにもう一度身体に覚え込ませるのが先だ。
そう判断し、地道な素振りに精を出していたのである。
「んぐ――っかーっ!!」
庭の隅に置かれていた切株に腰を下ろし用意していた水を流し込む。
火照った身体の隅々にまで行き渡っていくような心地良い感覚。
水ってこんなに美味いものだったのか? ザインは小さな感動を覚えていた。
「それにしても……何だ? 急に晴れたよな」
レオン・ハートに会いに行くために王都を疾走していた時は酷い嵐だった。
素振りを始める前の腹ごしらえをしている最中にいきなり嵐が消えたのだ。
あの様子だと数日は嵐が続くだろうと思っていただけに驚きだった。
「まあ、気持ち良く素振り出来たのはありがたいけど」
嵐の中であろうとも素振りはするつもりだったとは言えその点はありがたかった。
嵐の後の澄み切った風を浴びながら朝日が昇るまで剣を振るう。さぞや気持ちが良いことだろう。
「っし! 水分補給も済んだし再開すっか!!」
そう意気込むザインであったがこちらに近付いて来る人の気配を感じ取り顔を顰める。
それは見知った気配。だが別段、そいつを嫌っている訳ではない。
ただ、家まで訪ねて来るというのは初めてで……どうにも嫌な予感がするのだ。
「……やっぱお前か、ギャビー」
「あん♪ つれないわねえ」
片目が隠れた栗色のフワフワウェービングヘアー。
その豊満な肉体を惜しげもなく晒すやたらと露出度の高い衣服。
鼻にかかるような甘ったるい声。
パッと見、娼婦のように見えるかもしれないが彼女は公務員である。
「それで、何の用だ? 俺ぁ何もやってねえぞ」
ギャビーは王都の治安を維持する役割を担った騎士団の長を務めている。
ザインとは色々あって腐れ縁のような中なのだが……そこらはいずれ語るとしよう。
「やぁね、別にあなたをしょっ引きに来た訳じゃないわよ。って言うか、どうしたの?
あなた……何て言うか……雰囲気変わってない? 男ぶりが上がった――いや、男前に戻った……と言うべきかしら?」
腐る前からの付き合いだ。
ザインの青春時代も、そして腐れ堕ちていく過程もしっかりと見ていた。
彼の倦みが簡単にどうにかなるものではないから敢えて干渉はしていなかっただけに驚きだった。
ギャビーは興味深そうに仔細を聞きだそうとするもザインはそれをのらりくらりとかわしていく。
誓いというものは軽々しく口にするべきではないからだ。
「ケチー」
「良いから早く。俺だって暇じゃねえんだよ」
と唇を尖らせるギャビーに軽くイラつきながらも再度本題を促す。
「……コーザ・ノストって知ってる?」
「裏町の顔役もやってる大物の奴隷商人だろ? 何をしてなくても奴の悪い噂ぐらい耳に飛び込んで来るさ」
表の顔こそただの商人だが裏で奴隷を扱っていることぐらいは耳聡い人間なら誰でも知っている。
その商いで有力貴族とも繋がりを持ち随分と甘い汁を吸っているという噂だ。
以前のザインならどうでも良さそうに流していただろうが、再起を決めた今の彼にとってコーザの名は耳触りの良いものではなかった。
「彼、殺されたのよね」
「は?」
「彼と、彼の配下全員皆殺しにされてたの。生存者は奴隷だけで、目撃者と思わしき奴隷の女の子が一人居るんだけど」
よっぽど怖いことがあったのだろう。
呆然自失で事情聴取どころではなかったと肩を竦める。
医者の診断では仮に正常な状態に戻ったとしてもショックで記憶を失っている可能性が高いとも言われてしまった。
つまり奴隷の少女はあてにならないと言う訳だ。
「ちなみにその子はどうなるんだ?」
「何かの縁だし、私が引き取ろうかなって考えてるわ。
まあ他にも子供の奴隷が居たようだけど全部引き取れるほど私は裕福じゃないから目撃者の子だけだけど」
「へえ……」
かなり意外だった。
ギャビーはその少女に一体何を見たのか。
気になったザインであったがギャビーは構わず本題に切り込む。
「で、話を戻すわよ? 多分時間的にはその少し後……ぐらいだと思うんだけどね? 第四下層地区で惨殺事件があったの」
「……話の流れ的に同一人物か?」
「ええ。死体の様子を見るにまず間違いはないわ。で、そっちの方も生存者が居たの。
ショックを受けてはいるようだけど話せなくはなかったわ。事情を知っている様子だし聴取しようと思ったのだけど……」
はぁ、とギャビーは深い溜め息を吐いた。
「あなたが来るまで絶対に話さない、だそうよ」
「俺ぇ?」
「正直、下層地区の殺人事件についてはどうでも良いのよ」
下層地区という名からも分かるようにそこに住まう人間は底辺の人間だ。
治安がよろしくない下層地区では殺人事件なんてそう珍しいことでもないし、誰が殺されたところで問題はない。
だがコーザが殺された件については別だ。
繋がりがあった複数の大物貴族がせっついて来るのは目に見えていた。
「加えてこの二つの事件、どうもおかしいのよね。下手を打つ訳にはいかないの」
「おかしい?」
「コーザは数え切れないほどの怨みを買っているから誰に狙われても不思議ではない」
だが当然、コーザ自身もそれは理解しているので身辺警護には気を使っていた。
彼を守る腕利きを殺そうと思えば数を用意するか、図抜けた質を用意するかのどちらかだ。
「死体の様子を見るに単独犯。で、単独で殺れそうな連中は私もそれなりに把握しているわ」
そういう意味ではザインも容疑者だが彼ではないだろう。
犯行に使われた凶器はまず間違いなく剣。
殺された連中を検分したギャビーだが、その傷にザインの剣筋を感じられなかった。
いや、ザインどころか他の心当たりも同じだ。
「じゃあ、誰も知らない外からの人間か?」
「かもしれないわね。でもまあ、そこはどうでも良いの。問題は誰も知らない内に殺されたってこと」
現場はコーザが経営する商館の一つ。
当然、周辺には他にもよろしくない店が幾つも存在しているし人通りも多い。
「全員の顔に恐怖と絶望が張り付いていたわ。
即死だった訳じゃない、多分ある程度甚振られてから殺されたんだと思う。
ねえ、そんなことされたら普通は悲鳴なり何なりをあげるでしょう?
だけど誰もそんな悲鳴を聞いてない。窓は開いていたから音は漏れているはずなのにね。
いやそもそもからしてヤバイと分かれば逃げようとするはずよね?」
本命がコーザだとすれば彼が殺されるのは分かる。
だが、その護衛はどうだ?
命を捨ててまでも雇い主を守ろうとするか? 相手は金払いが良いだけの屑だぞ?
「だけど誰一人として逃げられていない。外に出ることすら出来ていなかった。
相手が凄腕で一瞬にして手足をもいで動けなくしたとかなら分かるけど……うーん、どうなのかしら?」
護衛の何人かはザインには及ばずともかなりの腕利きだ。
彼ら全員を相手取り脅威を感じさせる前に一瞬で動きを封じるなんてかなりザインにも不可能だろう。
「殺した連中とは別個に、サポート役も居たんじゃねえのか? 魔法使いや魔女なら……」
「逃げ道を封じることも音を遮ることも出来るでしょうね。けど、魔力の痕跡が皆無なのよ」
先にも述べたように被害者が被害者だ。
調査員として連れて行った魔法使い連中も一流揃い。
彼らが痕跡を見つけられないということは、魔法は使われていないということだろう。
「二件目もそう。こっちは外で殺されてる、コーザ達と同じようなやり方で。
被害者は店を構えていて殺されたのは店先。当然、人通りも絶えないような場所よ。
だけど誰も気付かなかった。周囲の証言ではいきなり死体が現れた……だって」
コーザの方はまだ室内だったからという苦しい言い訳も出来る。
だが二件目に関しては屋外だ。それも人の往来が絶えないような道端。
「じゃあやっぱり……」
「こっちでも魔力の痕跡が無かったの。ね、おかしいでしょ?」
なので事件解決のためにも唯一の情報源である少年の扱いを丁寧にせざるを得ないのだ。
「協力してくれるかしら?」
「ふむ……まあ、俺を指名するってぐらいだから知り合いかもしれねえしお前にも色々借りがあるからな。付き合ってやるよ」
「ありがたいわ。じゃあ着いて来て」
塀を飛び越えて出て行ってしまったギャビーを追いザインも家を飛び出す。
少年が保護されている詰所への道すがら自分を指定したと彼のことについて聞いてみると、
「リーンって黒髪黒目の男の子よ。本人は要求以外口にしなかったけど近所の人間がそう呼んでたわ」
「リーンだって!?」
「どんな関係?」
「アイツの親父さんとお袋さんがやってる雑貨屋にちょくちょく通ってたんだよ……なあギャビー」
「想像している通りよ。下層地区で殺されたのはあの子のご両親でしょうね」
「……」
両親とは世間話をする程度の間柄でしかなく、リーンにも何度か冒険の話をしてやった程度だ。
それでも知己であることに間違いはない。
知己の子供が親を殺されて面倒なことになっているとなれば、見過ごすのは後味が悪い。
ザインの足は自然と早くなっていた。
詰所に辿り着くと取調室へ急行。
室内では椅子に座らされたリーンが俯き唇を噛んでいたがザインが声をかけると勢い良く顔を上げた。
「よう、リーン……その……何だ……何と言って良いか分からないが……」
連れて来てやったからさっさと事情を話せ。
それでは少年の心象を悪くするだけだ。
そこでギャビーはザインに事情聴取を一任することを決め自らは部下と共に静観の構えを取っていた。
「だい、じょうぶです」
「いや、大丈夫ってお前……」
「ザインさんを連れて来てくれたから、ちゃんと話します」
「(この目……)」
何故、自分を指名したかについては分からない。
だがリーンの瞳には並々ならぬ覚悟の光が宿っているように見えた。
「……パパとママを殺したのはお姉ちゃんです」
「お姉ちゃん? いやいや、お前んとこは一人っ子だろ?」
何時だったかまだまだ若いんだしリーンに弟か妹を作ってやったらどうだ?
なんて話をした際、子供一人を養うだけでも厳しいのでと彼の父親は笑っていた覚えがある。
「居たんです、僕が生まれる前に。パパとママに売られた……お姉ちゃんが……」
「!」
”売られた”、その言葉を聞き大方の事情を察した。
コーザが殺されたこともリーンの父母が殺されたことにも納得がいく。
片や自分を虐げて来た奴隷商人とその仲間達、片や自分を売り払った屑親。
殺さない理由が無いだろう。
「(彼のご両親の年齢から考えるに、よっぽど早く産んだならともかく……多く見積もっても……)」
どれだけ才に溢れていたとしても不可能だ。
両親の殺害はともかくコーザ達を殺せるとは思えない。
何せ件の少女はこれまで奴隷だったのだ。誰が奴隷に剣を学ばせようとする?
やるとしても絶対に逆らえないように処置してからだろう。
だが状況は一件目の犯人も少女であると示している。
「(坊やのお姉さんをサポートする誰かが居たのは確実だわ)」
力を与え、確実に殺せるようにと隠蔽を施した見えない第三者。
だが、そいつは何者だ? 一体誰が同じことを出来る?
「(そんなことが出来るとしたら魔女様ぐらいのものだけど……)」
こんな回りくどい方法を使う必要は無いだろう。
王から与えられた特権を行使すれば好き放題に振舞えるのだから。
大物貴族とも繋がりがある奴隷商人だろうと関係無い。魔女の方が絶対的に地位が上なのだから。
「(ああもう訳分からない)」
少年の話を聞きながらも必死で頭を捻ってみるが何一つとして分からない。
これはまた面倒なことに巻き込まれてしまったとギャビーは頭を抱える。
一方のザインだが彼は事件の真相よりも気になっていることがあった。
「なあリーン、何だって俺を呼んだんだ? 俺にこの話を聞かせてどうして欲しい?」
「……ザインさんはとっても強い冒険者なんですよね?」
「んー……まー……うん、それなりにやる方ではあるんだろうな」
本当の規格外を目にした今、自分を強いなどとは思えなくなっていた。
だからこそ心も身体も強くなると誓いを立てたのだ。
とはいえここでリーンの言葉を否定しても話が進まないので曖昧な返事を返した。
「僕を鍛えてください――――僕も、強くなりたいんです」
「そいつは、復讐……あー、パパとママを殺した姉ちゃんに仕返しするためか?」
「違います。お姉ちゃんを、止めたいんです」
「?」
元凶である奴隷商人と両親は抹殺した。
これ以上、リュクスと呼ばれていた少女が一体何をすると言うのか。
ザインのみならずギャビーらも首を傾げている。
「最後に見たお姉ちゃんの目が、燃えてたんです……怒ってたんです……。
怖かった、とってもとっても……この部屋に居る誰よりも恐ろしかった……」
上手く説明は出来ない。
それでも、姉を放置しておけばきっと取り返しのつかないことになってしまう。
そうなる前に自分が姉を止めなければいけない。
拙い言葉で必死にそう主張するリーンを見てザインは疑問を抱いた。
「……お姉ちゃんのこと、怨んでないのか? 許せるのか?」
「パパとママはいけないことをしたけど、僕にとっては大切なパパとママでした。
大切な……家族でした。でも、お姉ちゃんだって僕の家族なんです」
どちらも全面的には肯定出来ないが否定も出来ないということか。
リーンはしっかり受け止めているのだろう、幼い身体と幼い心で今日の悲劇を。
「……ねえ坊や、お姉ちゃんとは今日初めて会ったんでしょ? なのに、家族なの?」
「今日初めて会った人だけど、僕にとっては世界で唯一人のお姉ちゃんなんです」
今日を境に姉が何もかもを忘れて幸せを目指して歩き出すのならばそれで良い。
だが、リーンにはどうしてもそうは思えなかった。
目蓋の裏に焼き付いた姉の瞳は人生をやり直すような人間には見えない。
だから止める。取り返しのつかないことをしてしまう前に姉を止める。
彼が明確に自分の気持ちを説明出来たのならそう語っていただろう。
「だから僕は強くならないといけない。心も身体も、強く――――ッ!」
立ち上がろうとしたリーンの頭にポンと手が置かれる。
ごつごつとした大きな手、ザインのものだ。
「ザイン、さん……?」
「お前はもう強いよ。少なくとも心は、俺よりもずっとずっと強え」
こんな小さな身体ではとても受け止めきれないであろう悲劇に行き会った。
だというのにリーンはもう立ち上がった。
痛みを抱えたまま、真っ直ぐな気持ちを支えにして前へ進もうとしている。
それを強いと言わずして何と言うのか。
仮にレオン・ハートをリーンが使えば今の自分よりも強い輝きを灯すことだろう。
「(師は弟子を育て弟子もまた師を育てる……俺に足りないものを埋めるためにも……)ギャビー」
「なぁに?」
「今日から俺がコイツの保護者だ。手続きやら何やらは頼むぜ?」
「ちょ、ちょっと……!」
もう聞けるだけのことは聞いたのでリーンの身柄は自由だろう。
面倒事を増やされて狼狽するギャビーを無視しザインは真っ直ぐリーンの瞳を見つめる。
「今日はもう腹いっぱい飯食って、風呂入って、涙が枯れるまで泣いて……そんでたっぷり寝ろ。鍛えるのはそれからだ」
「――――」
目を白黒させるリーン、子供ながらに彼もすんなり受け入れてくれるとは思っていなかったのだろう。
「返事は?」
「は、はい」
「声が小さい!」
「はい!」
「腹の底から声出せ!!」
「はいっっ!!」
「良い返事だ」
ぐしゃぐしゃと乱暴にリーンの頭を撫で、ザインはニカッ! と笑う。
「よし、帰るか!!」
魔女と憤怒の少女、獅子と慈愛の少年、彼らの道が再び交わるのはまだ先のことであった。