序章
第二話(表)あたしに名前なんてねえよ
お供ゲット回です。
残酷な描写が入るのでご注意ください。
薄暗い地下牢の一室に彼女は居た。
「ッ゛ゥ……」
スペルビアでは珍しい黄色い肌をした黒髪黒目の少女。
年の頃は十一、ニと言ったところか。
裸では見苦しいと襤褸を着せられているが、穴だらけであちこちから素肌が覗いている。
「ち、畜生……畜生……!」
あらん限りの憎悪が宿った瞳。
顔も身体も傷だらけで、真っ当な性根を持つ人間が見ればその痛々しさに目を背けていたことだろう。
少女は奴隷であった。ただし、その心まで屈服した訳ではない。
奴隷商人の下に売り飛ばされて今日で六年。
珍しい東方の人種、それもかなり整った容姿をしていたため常ならば一月と経たずに売り飛ばされていただろう。
だが少女は違った。
奴隷商人の調教にも牙を折られず抗い続けて来たのだ。
奴隷商人からすれば躾のなっていない商品を売り飛ばせば信用に傷がつく。
それゆえ未だ手放されることもなく調教を受け続けているのだ。
だが、少女は調教を受ける度にあの手この手で大暴れし幾度も独房に叩き込まれていた。
今日だってそう。祭りと言うことで商品にもちょっとしたご馳走が振舞われることになったのだが、
”食いたきゃ上手に媚びてみろ”
と言われて即座に反逆。
そして即座に鎮圧からの独房送りコンボを決められた。
筋金入りの狂犬、奴隷商人らとしても珍しい人種でなければサクっと処分していたことだろう。
未だに生かされているのは希少性と、買い付ける際に支払った金が勿体ないからだ。
だがそれも、何時まで続くことやら。
少女とてそう長くはないだろうと分かっている。
だが、尊厳を売り飛ばして屑にへつらうなんて真っ平ご免だった。
かと言ってむざむざ殺されるつもりもない。
「(あたしの予想通りなら、今日は……)」
ペタペタと可愛らしい足音が地下に響く。
少女が収容されている牢にやって来たのは小動物のようにおどおどしている女の子だった。
「(やっぱりアイナだ……!)」
これで武器を手に入れられると内心でほくそ笑む。
「あ、あの……ご、ご飯持って来ました……」
「……おう」
牢の隙間から差し入れられたトレーの上には黴の生えたパンが二つと干し肉、まずそうなスープが乗っていた。
少女はそれを受け取ると先ほどまで寝転がっていた奥の暗がりに戻り食事を始める。
「…………ね、ねえ」
冷めたクソ不味いスープから攻略してやろうとスプーンを手にしたところでアイナが恐る恐る声をかけて来た。
「あんだよ?」
「あ、あなたのお名前は……何て言うの?」
「あたしに名前なんてねえよ」
そう切り捨てスープを口に運ぶ――やっぱり不味かった。
嫌がらせとしか思えない味。これならばいっそ無い方がマシだ。
「えぇ!? な、何で!?」
「……なあアイナ、お前は何で奴隷になったんだよ?」
「え?」
「良いから答えろよ。したらあたしも答えてやる」
パンの黴をこそぎ落としながら淡々と答える少女にアイナは少し逡巡するも、
「私の家、貧乏なの。なのに子供が沢山居て……」
「口減らしか?」
「う、うん。パパとママが家族のために頼むって。商品になりそうなの、私ぐらいだからって言ってた」
「……」
まあ、大体の予想はついていた。
ついていたからこそ理解出来ない。少女からすればアイナは狂人にしか見えなかった。
「あたしもそうさ」
「え」
「金のために親に売られた。名前が無いのはそれが理由さ」
「???」
何を言っているか分からない、アイナはそんな顔をしている。
だが何を言っているか分からないと言うのは少女の方だった。
「名前ってのは誰がつける? 親だろ? お前は違うのか?」
「ぱ、パパがつけてくれたけど……」
「だろ? だったら分かるだろ。何で我が身可愛さで子供売り飛ばすような屑がつけた名前を名乗らなきゃいけねえんだよ」
子供を売り飛ばすような親は、その瞬間から親ではなくなる。
少なくとも少女にとってはそうだった。
彼女はもう親を親とは思っていない、唾棄すべき屑だと認識している。
「穢らわしくてしょうがねえ。お前は違うのか?」
「私は……」
「どんなに言い繕ったところで子供を捨てたことに変わりはない」
奴隷なんてものに身をやつす原因となった親に対して未だ情を持ち続けている。
少女にはとても理解出来そうもなかった。
「(覚悟決めて自己犠牲を選んだってのならともかく……コイツは違うだろうしな)」
上手いこと言い包められて売られたのだろう。
”家族のために”――本当にそう願うなら真っ先に身を切るのは親だ。
それすら出来ない腰抜けはもう家族なんかじゃない。
「アイツらのせいであたしはこんな目に遭ってんだ。絶対に赦さない。
敵だ、自由になったら必ずアイツらを殺しに行く。じゃなきゃ気が済まねえ」
迸る殺気にアイナが怖じていると、
「――――諦めの悪いガキだぜ」
不機嫌を隠そうともしない声が響く。
現れたのは豚のような醜い男――奴隷たちの調教係であった。
「おいアイナ、片付けは後で良いからテメェは戻ってろ」
「は、はい!」
「(ハ……あたしにも運が巡って来やがった)」
男はアイナを蹴り飛ばすと鍵を開けて牢の中に入って来た。
少女はスプーンを男には見えないように忍ばせ、じっと”殺す”べき敵を見据える。
「嵐がいきなり晴れてよぉ……白けて祭りも終わっちまったんだよぉ……」
「……」
「その上、何時まで経っても商品にならねえガキの戯言まで聞かされて最悪だぜ」
成果を上げないものだから上司にどやされたのだろう。
だが少女からすれば知ったことではない。
「おら立て!」
胸倉を掴まれ無理矢理引き上げられる。
暗がりのせいで男は気付かない、少女の顔が邪悪に歪んでいることに。
「躾のじか――――」
「息が臭えんだよ糞豚ァ!!」
叫びながら少女は隠し持っていたスプーンを男の右目に突き刺した。
「ぎゃあぁああああああああああああああああああああああああ!?」
「ぐぅ……ッ」
悲鳴を上げた男に壁へ投げ付けられるが右目はしっかり刳り抜いてやった。
少女は呻き声を上げながらも、この機を逃すまいと立ち上がる。
「(野郎の腰にある短剣を奪って殺す。殺して地下を脱出して……!)」
頭の中で稚拙なプランを確認しつつ走る。
しかし、少女はあまりにも大人と言うものを見誤っていた。
幾ら愚鈍そうに見えてもあの豚は大人で男、対して少女は女で子供。
「この……糞ガキゃぁああああああああああああああああ!!!」
男は片目を抑えながら向かって来た少女を蹴り飛ばす。
腹に蹴りを入れられた少女は吐しゃ物を撒き散らしながら再度壁に叩きつけられる。
「糞糞糞糞糞! こ、こここ殺す! もう殺す! 絶対に殺す!
だがタダじゃ殺さねェ! 徹底的に痛め付けて殺してくれと懇願させてやらァ!!!」
流れる血もそのままに男は少女に対して殴る蹴るの暴行を始める。
しかしこれは序の口、下ごしらえのために肉を叩いて柔らかくするようなもの。
「う、うぅ……!」
少女は必死に身を丸めて耐えているが、その衝撃はまるで殺せていない。
それでも、心は折れていなかった。
少女の瞳は死んでいない。未だ憤怒を滾らせている。
「(い、意識が……く、くそ……負けるもんか、あたしは……あたしは自由になる、自由になって……!)」
だが心が折れておらずとも物理的な限界はやって来る。
何時もの調教よりも激しい暴行は着実に少女を死へと追いやっていた。
「(力……力さえあれば、あたしに力さえあればこんな奴、こんな奴……)」
欲しい、欲しい。
「――――ぢがら゛が、欲じい゛!!!!」
文字通り血を吐くような叫び。
少女はこの叫びが誰に届くとも思っていなかった。
世界が非情であることは嫌と言うほど知っているから。
だけど、
「(あ、れ……?)」
嵐のような拳が、蹴りが、止んだ。
恐る恐るガードを外して男を見てみれば、
「と、止まってる……?」
男は憤怒の形相で拳を振り被ったまま微動だにしていない。
少女は理解の範疇を超えた状況に唖然呆然と佇むことしか出来なかった。
「あまりに喧しいものだから足を運んでみれば、また何とも」
「誰だ!?」
キョロキョロと視線を彷徨わせながら牢内をうろつくが誰も居ない。
幻聴か? と思ったその時だ。
「ッ!?」
女が壁をすり抜けて牢の中に入って来たではないか。
「めがみ……さま……?」
その美貌に警戒も忘れて見蕩れる。
口をついて出た言葉は子供らしい陳腐なものだった。
「ックク……女神、女神か。言うにことかいて女神と来たか!」
女はクツクツと笑っていたが、フッと表情を消して少女に歩み寄る。
少女の視点からすればいきなり目の前に現れたとしか言いようがない早技で咄嗟に後ずさろうとしたが足が動かない。
「雑音の原因はソレか」
「な、何を?」
「癇癪を起こした子を静かにさせるにはどうしたものかな」
腰を折り抉り込むように顔を近付けて来た女に少女は動悸を抑え切れなかった。
別段この歳でアブノーマルな性癖に目覚めている訳ではない。
ただ、女の美しさが常軌を逸していたからドギマギしているだけ。
「――――ふむ、玩具でもくれてやるのが一番か」
ずぶりと女の左腕が少女の胸を貫いた。
「ッ……ああぁああああああああああああああああああああああああ!!!!」
思わず悲鳴を上げる少女だが、あれ? と首を傾げる。
「い、痛く……ない……?」
痛みがまるで無いのだ。
女の細腕とは言え胸に腕が突き刺さっているのに痛くも痒くもない。
それがまた不気味で自分に一体何をしたのか問い質そうとするも言葉が舌先で解れてしまう。
「喚くな」
女はスッと自身の腕を引き抜くがやっぱり痛みはない。
身体に異常が無いか調べようとして、はたと気付く。
自分の右腕に何かが握られていることに。
「……剣?」
少女の手に握られていたのは禍々しい装飾が施された漆黒の片刃のショートソード。
もっとも、幼子の背丈だから当人から見れば立派な剣だろう。
茨が絡み付いた刀身は鼓動を刻むように赤く明滅しており酷く不気味だ。
「私の耳朶すら揺らしてのけたその嚇怒。暇潰し程度にはなりそうだ、しばし見届けてやろう」
居丈高にそう言い放ち女は闇に溶けて消え去った。
しかし、見られている。それだけは少女にも分かった。
「な!? あ、あのガキどこに行きやがった!?」
静止していた時間が突然流れ始める。
男は眼前から消えた少女に動揺するもすぐにその姿を見つけ更に怒りを露わにした。
「生意気な……!」
「(……おせえ。何だこれ? まるで止まってるみてえだ)」
迫り来る拳がやけに遅い。
先ほどまでは避けるどころか防ぐことすら出来なかったのにだ。
「(剣なんか使ったことねえけど)」
斬れる、何となくそう思った。
ゆえに少女は迫る拳目掛けて真っ直ぐ刃を振り下ろす。
「え、あ、えぅ……あああぁあああああああああああああああああああ!? 腕が……腕がぁあああああ!!」
肘のあたりまでペロンと真っ二つに分かれてしまった右腕。
止め処なく噴き出す血が牢獄を真紅に染め上げる。
「うるせえ静かにしろ」
今度は慌てふためく男の両足を斬り落とす。
ずん、と音を立てて倒れる肥満体。更に悲鳴が大きくなった。
「ま、待て! お、おお俺にこんなことしてただで済むと……」
「安心しろ、お前らは皆殺しにしてやるよ」
お前には散々甚振られたからな、と少女が犬歯を剥き出しにして嗤う。
「ひぃ!? ちが、違うんだ! 俺だって別にやりたくてやってる訳じゃなかったんだ!!」
そんな命乞いも聞かず少女は男の首を斬り飛ばした。
まだまだ本命が控えているからこんなところで遊んでいる訳にはいかないと言うことだろう。
「おい豚野郎! さっきからうるせ――――」
あれだけ大騒ぎしていたのだから様子を見に来る者が居てもおかしくはない。
だが、やって来た彼が事態を認識することはなかった。
それよりも早くに少女がその首を刎ねたからである。
「あー……良い、良い気分だぜぇ……!!」
返り血を浴びて真っ赤に染まった少女は踊るような足取りで地下牢を後にする。
「あん?」
ケタケタと哂いながら階段を上っていると何やら話声が聞こえて来た。
耳を澄ましてみると……。
「な、何だこりゃあ!? おい、どうなってやがる!」
「ど、どうと言われましても……」
「おい、外に出られねえぞ!? そっちはどうだ!」
「駄目です! 窓は開きますが外に出られません! どうやら声も届かないみたいで……」
「あ゛ぁ!? ふざけんじゃねえぞ」
あの女の仕業だ、少女は直感的に悟った。
「! テメェは……おい、何だその血は!? ガランとギィはどうした!!」
少女を金で買った奴隷商人が叫ぶ。
「見りゃ分かんだろ? ぶっ殺してやったよォ! ギャハハハハハハハハハ!!!!」
哄笑を上げるその姿は正しく悪鬼。
奴隷商人を始めとする室内に居た大人達は身に着けていた武器を構えるが、
「おせぇええええええええええええええんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
閃光と化した少女によって瞬く間に四肢を斬り飛ばされてしまう。
中には王都でも実力者と呼ばれるような者らも居たが障害にさえならなかった。
刹那で達磨に変えられた大人達の顔が痛みと恐怖で塗り潰される。
「えひゃひゃひゃひゃひゃ……あー……気持ち良いなぁオイ?」
「ひぃ!?」
「あ? おい、何小便漏らしてんだオラァ!!」
近場に居た股間を濡らしている男の脳天に刃を突き立てる。
「あたしが気ぃ失って小便漏らした時、テメェら全員怒ってたよな? ああ?
自分に出来ねえことを他人に強制してんじゃねえよ――っと、おいおい。よく見れば全員漏らしてんじゃねえか」
こりゃあお仕置きだなぁ、と少女の口元が歪む。
「あばばばば! ま、まで! まってくりぇ! 俺は悪くねえ、悪いのはコーザさんだ!!
コーザさんがやれって言ったんだ! そもそも、お前を買ったのだって……俺らはただ言われた通りに……」
「テメェ!? 今まで喰わせてやった恩を忘れやがったのか!?」
「俺はただの護衛だ! 商売には関わってねえ!!」
「助けて、誰か助けてくれ! こ、殺されちまうよぉ!!」
醜い言い争いと命乞いを始める大人達。
少女は気持ち良さそうにそれを見つめていたかと思うと嘘のように表情が消える。
「駄目だ、テメェらが生きてることに我慢出来ねえ」
今までされたことの仕返しをしてから殺す。
最初はそう考えていたが怒りが上回ってしまった。
息をしていることさえ許容出来ないと少女は家畜を処理するように奴隷商人とその配下を皆殺しにする。
「あ、あ、あぁ……!」
「ん?」
部屋の片隅に目を向ければガタガタと震えているアイナの姿が。
少女にとって奴隷商人とその配下は恨み骨髄の抹殺対象だがアイナは別だ。
「よォ、見ての通りだ。これでお前も他の連中も自由になれたぜ」
「じ、自由……? わ、私そんなの欲しくない……」
「はぁ? 奴隷のままで良いのかよ?」
「それは……で、でも……どうすれば良いの? ご、ご主人様が死んじゃって私どうしたら良いの……?」
「……」
「わかんない、わかんない! 帰る場所もないのに……どうして、こんなことするの!?」
悲嘆するアイナ。
同輩の惨め極まる姿を見せ付けられた少女は酷く白けた顔をしていた。
「じゃあ死ぬか」
「!?」
ゆっくりとアイナに向けて歩き出す。
「い、いや……いやぁああああああああああああああああああああああ!!」
「はぁ」
少女は剣を肩に担ぎ深く溜め息を吐く。
「奴隷のままは嫌、かと言って自由も困る、じゃあ死ぬか? それも嫌……もう良いや」
少しは恩があった。
だからちょろっと気にかけてみたのだがこれ以上は無駄だと頭を振る。
「(……もうコイツは人間じゃない)」
人間ではなくなってしまったのだと少女は理解した。
彼女は気付いていないだろう、今自分がどんな目をしていたのか。
心まで凍てついてしまいそうな極寒の眼差し。
それを一身に受けたアイナは恐怖が限界値を越え意識を失ってしまった。
「(次は、アイツらだ)」
アイツら、と言うのは両親だ。
少女は調教を受ける際に両親のことについても聞かされていた。
《お前の父親と母親はお前を売った金で店を立てなおして今は幸せに暮らしてるらしいぜ?》
心を折るためのものだったのだろう。
《お前のことなんか忘れてなァ! 何たって新しいガキも居るんだ、お前はもう要らねえよ》
だがそれは無駄な行いだったと言わざるを得ない。
憤怒の炎に薪をくべ逆に心をより強く鍛え上げてしまったのだから。
「――――忌まわしき過去は総て燃やし尽くす」