序章
第一話(裏)苦い思い出
降り注ぐ雨を見ていると力もないのにイキっていた頃の自分を思い出す。
アレは六百年ほど前だったか。
魔女の後継者を名乗る位階にはまだ達していなかったが自分視点では十二分な力をつけたと思っていた。
今考えてみると師匠はそんな驕りを圧し折りたかったのだろう。
《師匠、此処は?》
連れて来られたのは嵐吹き荒ぶ果て無い荒野。
草も木も花もない、命というものがまるで感じられない辛気臭い場所に顔を顰めた俺は悪くないだろう。
《終焉一歩手前の世界さ》
《……?》
《大昔にね、あったのさ。終末が訪れかけた時代がね。
それを忘れてはならぬと戒めのためあたしらは思い出の世界を作り上げた。
まあ詳しいことはどうでも良い。本気で暴れても問題が無いとだけ認識しておきな》
《へえ、それはそれは》
今の俺は本気出せば地球も破壊出来るべジータクラスだぜ?
そんな俺の本気を受け止められるってほんとにござるかー?
なんて調子に乗っていたあの日の俺はとってもヤムチャだった。
《さあ、かかって来な。どれだけやれるようになったかを確認したいからねえ》
叩き込んだ力がしっかり身に着いているかを確認する、そんな口実で始まった模擬戦だったかな?
正直、師匠には勝てないまでも結構良いとこまで追い詰められるんじゃないかなと思っていた。
だからこそ余裕綽々でパイプを吹かす師匠に若干カチンとなった。
ゆえに度肝を抜いてやると初手から全力全開、今放てる最高にして最強の技をブッパすることにした。
《……ええ、嫌というほど見せつけてあげますよ!!》
ローブを巨大な蝙蝠の翼に変化させ真ゲッターみてえな動きで上空に舞い上がった。
思い返してみると言動行動何もかもが調子に乗ってやられる雑魚キャラみてえだな。
《閉ざせ、閉ざせ、閉ざせ、閉ざせ!!》
瞬きする間に世界が闇で閉ざされた。だがこれはただの闇ではない。
総てを内包する闇から重力という概念を抽出し”闇は重力”であると定義した黒の超重獄。
俺ですら自分用にあらかじめ設定していた安全地帯から抜け出せば身動き一つ取れなくなる。
とはいえこれが本命ではない、技を構成する一要素ではあるが動きを縛る以上の役割は無い。
《幾つになっても乙女は乙女、星々に思いを馳せてみるのはいかがかしら?》
などと気取った物言いをしているあたり実にイキっている。
《――――魔星運河ッッ!!》
闇を切り裂くように無数の光が流れ出す。
夜空を彩る流星群のようにも見えるがその本質は違う。
ビジュアルの問題で星に見えるよう弄ってあるがこの光もまた闇だ。
ただし、これは重力だけを抽出した闇ではない。
熱量にのみ特化させた純粋なる破壊の力。
尋常ならざる熱量を孕んだそいつを何千何万と破裂させるのがこの魔法、魔星運河である。
《フハハハハハ! 勝ったッ! 死ねいッ!》
素で受け止めれば流石の師匠もやばいはず。
魔法を行使し防ぐか回避しなければならない、そしてそれらを行うということは俺の魔法がそれだけ脅威ということに他ならない。
《フフン♪》
この時、俺の胸は誇らしさでいっぱいだった。
だってそうだろう? 地球を木端微塵にしてもお釣りが来る攻撃を放ったんだぞ?
総てを使い果たした心地良い疲労とこれほどの位階にまで達した自分に対する誇らしさ。
――――それが一瞬で霧散する。
《………………え》
魔星運河が終わり元の景色に戻るとそこには技を放つ前と同じくパイプを吹かす師匠の姿が。
傷一つない姿で佇む師匠、魔法を使っていたのなら納得の結果だ。
だが使っていない、師匠は魔法を使わず素で俺の魔星運河を――――ッ。
《見栄えだけは良い小手先の魔法モドキだ。そんな遊びに現を抜かすのは六百年早いよ》
そう嘆息し、師匠のターンが始まった。
師匠は呼吸をするように降り注ぐ雨の一粒一粒を魔星運河と同等の破壊の力に変えてのけた。
当然、何もかもを使い果たした俺にそれを防ぐ力などありはしない。
いや、仮に万全の状態であっても一粒二粒ならともかく嵐と呼べる規模の雨を防ぐことは出来なかっただろう。
――――だが俺はその日、一度たりとて死ぬことはなかった。
何故かって?
師匠は同時に吹き荒ぶこの風を癒しの力に変えていたのだ。
破壊の雨によって絶命する寸前で癒しの風により全快しまた破壊の雨で絶命寸前まで追い詰められての繰り返し。
意識を手放せればまだマシだったかもしれないがそれも出来ぬまま俺は蹂躙され続けた。
そして数時間後には俺の驕りも綺麗さっぱり洗い流されていた。
まあ代償としてその後三百年は続く深刻なトラウマを刻みこまれたのだが。
「(うぅ……心の古傷が……)」
昔ほどではないが苦い思い出なことに変わりはない。
鬱になりそうな気分を振り払うためにも何か別のことを考えよう。
「(そういやさっきの……まさか気付かれるとは思わなかった)」
先ほどの邂逅を思い返す。
現代の世情に疎い俺はとりあえず一番大きな国の一番栄えている場所に降り立った。
したらどうだ?
何故か人々は大嵐の中、お祭り騒ぎに興じているではないか。
まるで意味が分からない……とLってしまったものだ。
これがジェネレーションギャップ(二千年)と言う奴か……。
と軽く引いてしまった俺は存在を誤魔化す魔力のベールを纏い、一先ず情報収集に乗り出すことに決めた訳だ。
別に足で稼がずとも魔法でちょちょいと調べることは出来たのだが、そこはそれ。
二千年ぶりの現世だ、余裕を持って楽しみたいと思うのが人情だろう。
そうしてあちこちを練り歩いて大体のところは理解し、噴水で休憩をしていたその時だ。
金髪のダンディがバッチリ俺のことを見ているじゃありませんか。
魔法ですらない、魔力に指向性を与えただけのものとは言え普通ならば気付かない。
最低でも人間基準で英傑とか呼ばれるレベルは備えていなければ認識出来るはずがないのだ。
つまるところあの金髪ダンディ――ザイン・ジーバスとやらは英雄としての格を備えていると言う訳である。
「(でも、愉しかったな)」
エレイシアのロールをすると決めたものの、彼女の設定に近付けるためには色々下準備が必要だ。
生来の無計画さで何から手をつけるかも考えていなかった。
なのでロールプレイを愉しむのはもう少し先かな? などと思っていたのだが、望外の幸運である。
俺を認識出来て、尚且つ”美味しそう”なキャラクターに出会えたのだから。
「(テンション上がってついついエレイシアっぽいロールを愉しんじゃったよ)」
一目で分かったよ、あの男がその強さゆえに倦んでいることがな。
別段読心の魔法を使った訳ではない。
意識せずとも魔女の瞳には魂の形や感情に起因する色が見えてしまうのだ。
今こうしてすれ違うモブ程度なら意識するまでもなくスルー出来るのだが英雄レベルの魂はね。
「(可愛い子猫を見かけた時と同じぐらいのインパクトがあるんだよな)」
お、可愛いやんけ! 写メ取ったろ! みたいな感じだ。
その場では盛り上がるが、家に帰って風呂にでも入れば忘れてしまう。
その程度のものではあるが、意識して記憶していれば忘れることはないだろう。
そして俺は彼を忘れる気なんてなかった。
「(いやぁ、男の子だねえ! 俺ああ言うの大好き!!)」
自分を歯牙にもかけなかった女を振り向かせるために奮起する――如何にもな王道じゃあないですか!
ロールプレイを遵守するため表面上は興味が失せたように振舞いましたよ。
だけどあんな、美味しいシチュエーションで別れた相手をそのまま放置出来るか? 出来ねえよ。
目を飛ばしてその後について見守っていたところに、さっきのアレだ。
”あの女の胸に俺の名を刻みこめるぐれえ強くなりてえッ……心も、身体も!!”
台詞もそうだが、シチュエーションも良い。
負い目から放置してあった無二の相棒と言っても過言ではない愛剣に語り掛けるとか王道過ぎだよ。
「(しかし、良いアーティファクトだったな)」
誰が作ったのか知らないがアレは良い物だ。
見ただけで作者の技量、信念が窺えると言うもの。
さぞや名のある魔女、魔法使いが作ったのだろう。
「(……師匠なら酷評してただろうけど、俺はそうは思わないな)」
魔女、魔法使いなんて看板を掲げていながら使っているのは”魔法”の足許にも及ばない”モドキ”ばかり。
そう辛口な評価を下していた師匠だが、中々どうして。
カッコ良ければ男の子的には大正義だと思ってしまうものだ。
股間の剣を失って二千年経つが心の逸物は未だ健在である。
「(ま、それはそれとして……これからどうすっかなー)」
エレイシアを演ずる上で欠かせないのは主人公の女の子――つまりは未来ちゃんだ。
あの子が居なければエレイシアの物語は始まらない。
まあこれに関しては巡り合わせ、時間は腐るほどあるのだから運命に期待するとしてだ。
それまでにやっておかなければならないことが幾つもある。
「(先ずは俺の名を――ルークス・ステラエと言う名を世界に周知させること)」
原作においてエレイシアは二つ名がついていることからも分かるように裏の世界では有名人だった。
それこそ知らぬ者なぞ居ないぐらいに。
完全なるアンタッチャブルとして認識されていて、敵キャラとかも恐れ戦いていた。
だから俺も力を示し触れ得ざる脅威にならなければいけないのだが……問題はその方法だ。
「(冒険者としてやっていく? 馬鹿が、エレイシアは誰憚ることもないニートだぞ)」
労働に精を出すエレイシアなんてエレイシアじゃない。
「(ならば、戦争に介入でもして両軍消し飛ばしてやろうか? 否、エレイシアはそんなことしない)」
戦争なんて愚かな行為に耽溺する人間を冷ややかな目で見つめるだけだ。
「(……困った、八方塞だ)」
良い演出が思い浮かばない。
どうやら俺に演出家としての才能は無いようだ。
能力を弄って演出家になることも可能だが……あれこれ考えるのが楽しい面もあるし止めておこう。
「(気晴らしに茶でも飲むか)」
ふと目に入った喫茶店に入る。
中では店主が退屈そうにグラスを磨いているだけで俺以外の客は居なかった。
「随分と寂れた店だな」
「るっせい。いつもはもうちっと混んでるんだよ」
何の変哲もない女として認識させているから店主のリアクションも至って平坦だ。
「今日は書き入れ時のように思えるがな」
「美味いコーヒーと美味いケーキを趣のある店内でってのがうちの売りだ」
あぁ、今日の”ノリ”とはそぐわない訳か。
嵐の中で大騒ぎするのが楽しいのに、静かな喫茶店でカップを傾けるなんてつまらないにもほどがある。
「ふぅん……」
「で、注文は?」
「貴様に任せる。自慢の品とやらを見定めてやろうではないか」
「態度のでけえ嬢ちゃんだぜ。うちにゃ自慢出来ないメニューなんざねえっての」
悪態をつきながらも用意を始める店主――おいおい、キャラ被りかよ。
いや、ツンデレジジイ(店主)とツンデレババア(俺)じゃニーズは違うかな?
「ったく、何時まで続くんだかこの嵐は」
見た感じ、数日ってところだろう。
このツンデレジジイが満足のいく品を出してくれるなら礼代わりに消してやっても良――――
「はぁ……魔女様が何とかしてくれねえかな」
「……魔女様?」
聞き逃せない単語だ。
確実に俺のことではないだろう。店主は何処からどう見ても普通の人間で正体を看破出来る訳がない。
だが、この規模の嵐をどうにか出来るような存在が俺以外に居るとも思えないんだがな。
「知らんのか?」
「ああ。生憎と私は俗世から離れた場所で暮らしていたからな」
「……金、あんだろうな?」
「安心しろ、金も持たずに店に入る程非常識ではない」
今しがた作り出した金貨を数枚、カウンターに放り投げる。
偽造だがこの偽造がバレることは先ずあり得ない。
だから安心して受け取ってくれたまへ。
「……」
良いとこのお嬢さんか? と思っているのだろう。
まあ好きに勘違いしてくれれば良いがそれよりもだ。
「魔女様とやらについて詳しく聞かせてくれ」
「しょうがねえ……魔女様ってのはその名の通りだ。始原の魔女の弟子にしてスペルビアが有する最高戦力のことさ」
「ほう……」
二千年前の時点で始原の魔女はもう師匠だけになっていた。
そして師匠の弟子は俺一人だけ、同門なんて居ないし俺が拉致られる以前に居たこともない。
もし居るのならば俺はあのまま、名も知らぬ故郷でスクスクと成長していただろう。
魔女の業を総て受け容れられる器を持っていたのが俺だけだから、師匠は俺を弟子に取ったのだから。
「”Ex oculis meis”」
魔女を継ぐ者としての責務だ、真偽を確かめねばなるまい。
別段、俺自身に魔女としてのプライドのようなものがある訳ではないがプライドと責任は別物だ。
ゆえにわざわざ呪文まで唱えて世界の果てまで余さず見通せる遠見を発動させたのだが……。
「(……これなら普通に視るだけでも良かったな)」
あの銀髪のババア(俺より若い)が店主が言うところの魔女だろう。
成るほど、確かに優秀な魔女ではあるらしい。
だが森羅万象を操る始原の魔女の後継者を名乗るには不足どころの話ではない。
少なくともこの規模の嵐を消し飛ばせるような力量を備えていないことは確かだ。
それでも念のためにと魂の記憶を読み解いてみたが、やはり始原の魔女に師事した事実はなかった。
「(だが……うん、確かにこりゃ勘違いはするな)」
魔法モドキを操る術者としては破格の力量だ。
この世界で一番上手に師匠が言うところの魔法モドキを扱えるのは確実である。
二百年かそこらしか生きていないのによくもまあ、あそこまで練り上げたものだ。
記憶を読み解くに常識の範疇とは言え才能に恵まれていたらしく、そこまで苦労はしていないようだがな。
「(――――ああ、だけどこれは使えるな)」
魔法モドキを扱う魔女として活躍するのならば、どうぞご自由に。
しかし、始原の魔女の後継を名乗った以上看過は出来ない。
その看板を掲げて良いのは師匠を始めとする始原の魔女に認められた者だけ。
或いは、俺が見出し育成した弟子ぐらいか。
「(ん? あれでも、アイツが看板を掲げ始めたのって……)」
師匠存命じゃん。
お前にはまだ早い! と白戸家のお父さん風に現世を覗くことすら許されなかった俺と違って師匠は知っていたんじゃないか?
あの糞真面目な糞可愛いババアである師匠が偽物を看過するはずが――――
「(いや違う、俺か)」
自身の死後、俺が現世に行くことをあの人は知っていたのだ。
だからこれは宿題のようなもの。
一人前となった以上、俺の生き方を縛るつもりはない。
だがそれはそれとして始原の魔女を継ぐことを受け入れた俺がしっかり責務を果たすかどうか。
師匠はきっと、それを知りたくてアレを放置したのだろう。
”あたしが居なくなっても真面目にやるんだよ”
しわがれた、涙が出るくらい愛おしい声が聞こえたような気がした。
胸が温かくなる。
大丈夫だよ師匠、ちゃんと責務は果たすさ。
俺にとってもこれは都合の良いことだしな。
「(アイツを利用して名を売らせてもらおうか)」
銀髪ババアを公衆の面前でぶちのめして名を売ろう。
「(名と力を示せるし魔女の後継者としての責務も果たせる、一石二鳥とはこのことよ)」
ただ、そのための舞台をどう整えるかは要検討だな。
「おい、出来たぜ」
「うむ」
差し出されたのは蜂蜜とバター、生クリームがたっぷりとかかった大きなパンケーキとコーヒー。
ミルクポットとシュガーポットも一緒に来たので味は勝手に調整しろってことだろう。
「(……しかし、コーヒーとか久しぶりだな)」
前世以来だよ。
前世では眠気を覚ますためにブラックコーヒーがんがん飲んでたっけ。
胃が荒れてシクシクしてたけどその痛みで眠気も薄れるしでブラックコーヒーは手放せなかったな。
「(師匠が紅茶派じゃなきゃ、こっちでも飲めてたんだが)」
まあ良い、それよりさっさと食べよう。
パンケーキもコーヒーも温かい内に口に入れないと作ってくれたツンデレジジイに失礼だ。
「(ナイフとフォークの使い方も、師匠に教えてもらったっけ)」
食べ易いサイズに切り分けたパンケーキを口の中へ運ぶ。
テーブルマナーの躾としてボッコボコにされた苦い思い出がよみがえるが、パンケーキの甘さで帳消しだ。
「どうだ?」
「……これまで食べて来た中で、二番目に美味い」
これは偽らざる感想だ。
一番? 一番は師匠が焼いてくれたパンケーキに決まっている。
前世を含めても師匠のツンデレパンケーキより美味いものはない。
だがツンデレジジイのパンケーキも美味い、前世を含めても堂々の二番手だ。
「そうかい、そりゃ良かった」
「……」
その後は特に会話もなかったが別段苦ではなかった。
黙々と食事を続ける俺、黙々とグラスやカップを磨く店主。
風雨の雑音も遮音結界を張ったので気にならない。
店主が言っていたこの店の”売り”を十分に堪能出来たと言えよう。
「おい姉ちゃん、お釣り……」
「釣りは要らん」
そのまま出て行こうと思ったが扉に手をかけたところで思い出す。
「嵐を消して欲しいと言っていたな」
「あ?」
怪訝そうな顔をする店主。
あんたには面白い情報を教えてもらったからな、コイツはちょっとした感謝の気持ちだ。
「――――美味いコーヒーの礼だ」
扉を開けると同時に魔法を発動させ嵐を構成する要素を分解。
後ろで何か言っている店主を無視して店を出る。
「(あぁ、良い天気だ)」
雲一つ無い晴天は俺の心を写しているかのようだった。