「目標は勝てる捕手」 つくば市出身のロッテ柿沼友哉捕手

つくば市を「心の故郷」と懐かしむロッテ・柿沼友哉(田村亮介撮影)
つくば市を「心の故郷」と懐かしむロッテ・柿沼友哉(田村亮介撮影)

 後半戦まっただ中のプロ野球。混戦のパ・リーグで、ロッテ浮上のカギを握る一人が、茨城県つくば市出身の柿沼友哉捕手(26)だ。高校は県内の強豪チームとは縁がなく静岡へ。大学時代には肘の手術から再起し、プロでは育成選手からスタート。努力の末1軍デビューを果たした。数々の逆境を乗り越えた男が、さらなる飛躍を目指す。

 平成5年生まれ。つくば市立松代小4年のとき、軟式チームで野球を始めた。「最初から捕手をしていました」。手代木(てしろぎ)中時代は硬式のシニアチームでプレーしたが、3年でも身長163センチと体格に恵まれなかったこともあって県内の強豪私立から声は掛からず、知人の紹介で静岡の誠恵高(沼津市)へ進んだ。

 初めて親元を離れての寮生活となったが、「自分で身の回りのこともやらなければいけない。おかげで自立できましたね」。3年夏の静岡大会は3回戦で敗れたが、身長は180センチ近くまで伸び、「ずっと野球を続けていきたい」との思いを強くした。

 同じ静岡の日大国際関係学部(三島市)への進学後、2年の春に右肘を痛め、8月にトミー・ジョン手術=肘の内側側副靱帯(じんたい)再建手術=を受けた。「1年間試合に出られず、その時期が一番つらかったですね」

 リハビリのかいあって自慢のスローイングは復活。4年秋のリーグ戦で1試合に3つの盗塁を刺したことがロッテの小野晋吾スカウト(現2軍投手コーチ)の目に留まり、育成ドラフトの2位指名を受けて平成28年に入団した。背番号122でのスタートだった。

 「どんどんアピールしなければ」と春のキャンプでは一人居残り練習を続けたためスタッフが帰れず、「周りのことも考えろ」とコーチにしかられたこともある。若手の登竜門でもあるこの年7月のフレッシュオールスターで二塁打を放つなど、勝負強い打撃が認められて支配下登録に。背番号は99と軽くなり、1軍での出場に道が開けた。

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