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連載

〈レフェルヴェソンス〉シェフ
生江史伸さん

PEOPLE
vol.029

posted:2015.9.14   from:東京都港区  genre:食・グルメ

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

editor's profile

Yu Miyakoshi

宮越 裕生

みやこし・ゆう●神奈川県出身。大学で絵を学んだ後、ギャラリーや事務の仕事をへて2011年よりライターに。アートや旅、食などについて書いています。音楽好きだけど音痴。リリカルに生きるべく精進するまいにちです。

活気、泡、生み出す、人々を集わすなどの意味がある
フランス語のことば〈L’Effervescence(レフェルヴェソンス)〉。
東京の表参道に、このことばを冠したレストランがある。
店名には“人々が集い、元気になれる場所を創造していきたい”という思いがこめられている。
今回はこのレストランのエグゼクティブシェフ、
生江史伸(なまえしのぶ)さんにお話を伺った。

生江さんは慶応大学法学部政治学科を卒業後、
東京・広尾にあるイタリアンレストラン〈アクアパッツァ〉で
フロアとして働きながら基礎を学んだ後、2003年に北海道の洞爺湖へ。
フランスに本店があるレストラン〈ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン〉で
シェフとして働きはじめた。
その後、本店での研修を経て2005年よりスーシェフ(副料理長)に就任。
2008年にはイギリスへ渡り、イギリスのレストラン情報誌によるランキング
〈世界のベストレストラン50〉のNo.2に入っていたレストラン
〈ザ・ファットダック〉で働きはじめ、この店でもスーシェフを務めた。

日本に帰国したのは2009年のこと。
その翌年、東京の表参道にレフェルヴェソンスを開き、
時季の野草や花、全国各地から集めた食材を使用し、
目にも舌にも新しい、現代的なフレンチを提供。
徐々に評判が広がり、昨年は〈ミシュランガイド東京2015〉の
二ツ星レストランにも選ばれた。

かつては大学で政治学を学んでいた生江さんが、
料理の道に進んだのは、なぜだったのだろう。

「昔からものをつくることは大好きだったのですが、
特別料理に興味がある子どもというわけでもありませんでした。
料理の道に入ったのは、アルバイトがきっかけです。
僕は大学入学と共に自活をはじめたので、当時は夜中にアルバイトをして学費を稼ぎ、
朝方ちょっと寝てから学校に行くという生活をしていたんです。
そうすると、働きながらおいしいものが食べられる仕事のほうがいいじゃないですか(笑)。
それでイタリアンレストランの厨房で働きはじめたんです。
その時に、自分のつくった料理にその場で反作用があるのがいいなと思ったんです。
すぐにお客さんから反応が返ってくる。
そのことに仕事をしている実感を感じたというか、生きている実感がわいてきたといいますか。
僕はわりと目に見えるもの、体で感じられるものじゃないと、
駄目な性格なのかもしれません。
ほかの仕事を批判するつもりはまったくないのですが、
自分がネクタイをして、流れてきた書類に判子を押してお給料をいただく——、
といったような仕事をするイメージはわかなかったですね」

生江さんは相当忙しくない限り、お客さんに言葉をかけることも忘れない。

「最後の料理を出した後に“今日はいかがでしたか?”と挨拶に行きます。
やっぱり、お客さんの反応は直に感じていたいですね。
また、通常のフランス料理店はクローズド・キッチンなんですけれど、
僕らのレストランでは地下のフロアへ行く階段を降りたところで、
シェフたちが手を動かしているところが見えるようになっています。
顔が見える関係でものをつくるのは、いいことだと思いますね」

ミシェル・ブラスに学んだ、自然を生かす料理法

レフェルヴェソンスの料理には各シーズン30種類あまりの野草や、
山菜採りの名人から取り寄せた山菜など、ふんだんに野の野菜を使う。
たとえば春ならカラスノエンドウやノカンゾウ、タネツケバナ、
かたくりの花、ヤブジラミなどといった野草が登場する。
少々意外な、高級店と野の草花の取り合わせ。
そういった感性は、どこで養われたのだろうか。

「自然のものを取り込む料理方法は、
北海道のミシェル・ブラス トーヤ ジャポンにいた時に身につきました。
その店の本店は、フランスのライヨールにある三ツ星レストランです。
ピレネー山脈の高地に近代建築の宇宙船のような建物がぽつんと建っているんですが、
そのような場所で、市場やスーパーに出回らないような、
周りの大地から採れたものをふんだんに使用した料理を提案しているんです。
当時としては、かなり革新的なレストランでした。
その店のことは、たまたまニューヨークの本屋さんで
ミシェル・ブラスの〈Bras〉という料理本を見つけて知ったのですが、
その料理の写真を見た時に“これだ!”と思ったんです。
それからミシェル・ブラスの二号店が北海道にあるということを知り、
日本に戻ってすぐに現地へ飛び、働きはじめました」

ミシェル・ブラス トーヤ ジャポンが入った
〈ウィンザーホテル〉の目の前は海、後ろは山に囲まれた湖だ。
当時は森に入って摘み草をしたり、
山菜やきのこを採ることが日常であったという。
そこで培われた5年間の経験が、いまの料理にも生きている。

ノーマのレネ・レゼピさんからのリクエスト

生江さんは、今年の1月9日~1月31日まで、
日本橋のマンダリンオリエンタル東京の37階にオープンしていた
レストラン〈ノーマ アット マンダリン オリエンタル ホテル 東京〉の
エグゼクティブシェフ、レネ・レゼピさんに日本の食材を紹介した人物でもある。

デンマークのコペンハーゲンに本店があるノーマは、
世界のベストレストラン50に4年連続でNo.1に選ばれた、
世界でもっとも予約が取りにくいといわれているレストランだ。
蟻を使用した料理など、北欧の自然を生かしたおどろきのある料理で知られている。
日本での営業は、彼らのかねてよりの希望だったという。
2013年末、ノーマのスタッフ一行は開店準備のために来日した。
ノーマ・ジャパンにふさわしい日本の食材を探すためだった。

「レネたちは、僕と会う以前にも一度、来日していたらしいんです。
ところが、その時に案内された大手市場や築地市場の素材からは、
彼らが求めるクオリティの素材や、農家さんの熱心さは見えてこなかった、と。
それで彼らが素材のソーシングを手伝う人を探していた時に
何人かの方が僕の名をあげて下さったらしく、僕のところに連絡がきたのです」

かくして、生江さんはノーマ一行の食材探しの旅を先導することになった。
レネ・レゼピさんが最初に生江さんに
伝えた希望は“山が見たい”ということと、
“熱心な農家さんを紹介してほしい”ということ。
そして、“お寺の食事を見たい”ということだった。
肉や魚を使わず、山のもの、海のものの命をいただくという
概念が基本にある精進料理は、彼らにとって興味深いものだったに違いない。

レネ・レゼピさんは4年間かけてデンマーク、スウェーデン、
フィンランド、ノルウェーをくまなく歩いて食材を探し、
その土地土地にある素晴らしい素材を取り込んだ
北欧料理と呼ばれるスタイルを築いた。
彼は日本でも、そういうことがしたかったのだという。

自然を味わう、ノーマ流・食材探し

レフェルヴェソンスと付き合いのある農家〈エコファーム アサノ〉(千葉県八街市)を訪れた際のワンショット。エコファーム アサノの浅野悦男さん、ノーマのエグゼクティブシェフ、レネ・レゼピさん(右から2番目)、Larsさん、Danさんと。

食材探しは、青森県の白神山地に住むマタギを訪ねる旅から始まり、
四国や九州、沖縄の石垣島まで訪れた。
ノーマのシェフたちが特に興味を持った場所は、長野と沖縄。
長野県では古くから受け継がれてきた昆虫食の文化にシンパシーを感じ、
沖縄県の石垣島では、亜熱帯の植物や風土におどろいた。

石垣島を訪れた時、気になる素材を見つけると
その場で味をたしかめる彼らは、
農家で見つけた肉桂の根っこを掘りおこし、口に入れてみた。
肉桂は、クスノキ科の常緑高木だ。根っこの皮は、強い香りと辛みを発する。
彼らはその味を気に入り、ほぼそのままの姿の肉桂が
チョコレートをかけた醗酵きのこと共に
ノーマ・ジャパンの食卓に上った。
彼らの料理は、自然の中にいる時からはじまっていたのだ。

肉桂と発酵きのこ(Petit four: chocolate and cep mushroom and cinnamon branches)Photo: Satoshi Nagare

Page 2

日本の麹菌の力

ノーマ・ジャパンでは、日本の作家が今回のために手がけた食器を使用。漆師の赤木明登さんや陶芸家の内田鋼一さんなど、クリエイティブディレクターのソニア・パークさんが選んだ現代作家の食器が揃った。Photo: Satoshi Nagare

北欧の醗酵食品に慣れ親しんできたノーマのシェフたちは
日本の種麹に深い興味を示した。
種麹は、みそや醤油、清酒、焼酎、みりんなどの
醗酵食品をつくるために必要な麹の素である。
蒸したお米に種麹を加えて培養させると、2日ほどで麹ができ上がる。
彼らはこの種麹を大麦やグリーンピース、
レンズ豆など、さまざまなものにふりかけ、ソースをつくったという。

生江さんも種麹を日常的に使用しており、日々研究を重ねている。
「いまは、肉醤(ししびしお)をつくっています。
肉に塩と種麹をふりかけてから暖かいところに置いて醗酵させ、
そこからソースをとります。
それから、かつおぶしの鳥版の“鳥ぶし”。
まず、鳥肉に塩をして軽く火を入れ、3、4日かけて薫製します。
そこへ種麹をかけて菌を居着かせると、菌から根が生えて水分を抜き出し、
同時にタンパク質、すなわち旨味成分を分解します。
そうやって醗酵が進むにつれて、旨味や香りが出てくるんです。
レネたちは“熊ぶし”や“鹿ぶし”をつくったといっていましたよ(笑)」

ノーマ アット マンダリン オリエンタル ホテル 東京のスタッフたち。 Photo: Satoshi Nagare

かくして2014年末、ノーマのスタッフは
ノーマ・ジャパンをオープンさせるために
コペンハーゲンの本店を閉め、スタッフ全員で来日した。
レストラン全体が引越し、訪れた先でその土地のものを使った料理を提供する、
というのが彼らの意図するところだったからだ。

約1か月の営業期間中に用意できる席数、2000席に集まった
予約希望者は、世界中から数万人。
食卓には石垣島のピパーチや、長野県の蟻、
高知県の人参芋にギシギシ、北海道のヨーロッパトウヒなどなど、
日本人も知らないような素材を使用した料理が登場し、
運良く席につけた人たちからは、おどろきと賞賛の声が上がった。

まだ見ぬおいしいものを探して

ゆっくりと時間が流れる、レフェルヴェソンスのダイニングルーム(1階)。このほかに個室やウェイティングルームもある。

生江さんの食材探しの旅は現在も続いている。

「僕は基本的に食いしん坊なので、おいしいものを探しに行く感覚で出かけます。
仕事とプライベートの境目はあんまりないですね。
一番西では、地元で野草を研究している方を訪ねて、沖縄の竹富島に行きました。
沖縄には砂浜で育つハマダイコンなど、
本州では見られない植物がたくさんありますからね。おもしろかったです。
日本には、まだまだ隠された味や香りがあります。
これからもどんどんそういったものが隠されているところを訪ねていって、
新しい味や香りを知る旅を続けていきたいですね」

定休日ともなれば大抵は東京を離れ、生産者や工場、料理人を訪ねる。

「今週末は秋田の酒蔵さんや、しょっつるの工場をまわる予定です。
しょっつるというのは魚に塩をして樽の中で熟成させた、
いわゆる魚醤のことなのですが、味噌や醤油といった穀物の調味料よりも歴史が古いんです。
日本にお米が入ってくる以前からつくられていた調味料ですから。
料理人として、そういった原始的な調味料は気になりますよね」

思い立ったらすぐ行動する、“これだ”と思ったものに夢中になる。
そういった直観に導かれた行動力と探究心が、
生江さんの料理を磨き上げてきたのかもしれない。
レフェルヴェソンスはこれから、どんな店になっていくのだろう。

「僕は料理というものは、色々なこととつながりうるものだと思っているんですね。
たとえば、医療とつながるかもしれないし、アートや住環境とつながるかもしれない。
僕らの店では、そういった可能性にも門を開いていきたいと思っているんです。
ただおいしいものを食べて帰ってもらうだけではなく、
お客さんが何か新しいものを見つけたり、
あるいはそこで新しい感覚を覚えたり……。
レフェルヴェソンスは、何かそういった未知の感覚と出会えるような
集合場所でありたいと思っています」

生江さんによると、最近海外では
まるでオブジェのような、先鋭的な料理が流行っているという。
最後にレフェルヴェソンスでもそういった料理を
つくっていくのですか?と尋ねると、次のように答えてくれた。

「僕らはそこまで料理をつくりこむことは考えていません。
基本的には“おいしい”という感覚を中心に考えたいところがあるので、
あまり料理を擬似化したくはないんです。
心から入り込み、魅了されるのは、やっぱりおいしい料理だと思っているので。
あまり色々なことに気を散らせてしまうよりも、
僕らのレストランは“おいしいものを食べてもらう”
そういうコンセプトでやっています」

profile

NAMAE SHINOBU 
生江史伸

1973年、横浜生まれ。慶応大学法学部政治学科卒業。東京のイタリア料理店〈アクアパッツァ〉で基礎を学んだ後、2003年より北海道の〈ミッシェル・ブラス トーヤ ジャポン〉にて研鑽を積む。2005年、フランス・ライヨール本店での研修を経て、スーシェフに就任。2008年より、イギリス・ロンドン近郊の〈ザ・ファットダック〉にてスーシェフを務める。2010年、東京・表参道に〈レフェルヴェソンス〉オープン。同店のエグゼクティブシェフを務める。

information

L’Effervescence 
レフェルヴェソンス

住所:東京都港区西麻布2-26-4

TEL:03-5766-9500

営業時間:Lunch 12:00〜16:00(LO13:30)Dinner 18:00〜23:30(LO 20:30)

定休日:不定休

http://www.leffervescence.jp/

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連載

長島町副町長 井上貴至さん

PEOPLE
vol.028

posted:2015.9.9   from:鹿児島県出水郡長島町  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

editor profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画やカルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではとにかくおいしいものを食べることに余念がない。

credit

撮影:水野昭子(ポートレート)

地域の成功事例を積み上げていく

鹿児島県の北西部に位置する長島町。
長島本島ほか大小の島々からなる長島町で副町長を務める井上貴至さんは、
実は総務省から2015年4月に出向してきた官僚だ。
井上さんは長島町を「長島大陸」と呼ぶ。
「長島は海があって山があって大地がある。
そのなかで独自の文化や歴史が育まれていて、九州本土とも全然違うんです。
自然エネルギーも食糧自給率も100%を超えていて、出生率が2.0。
魚が日本一おいしくて、いいところですからぜひ来てください」
と、会うなり長島町の魅力をPRしてくれた。

長島町の針尾公園からの眺め。美しい島々の風景が広がる。

井上さんは大阪府出身の29歳。
緑が少ない土地で育ち、多くの企業が東京に進出していくのを見て、
地方行政にはもっと可能性があるのではないかと考えていた。
東京大学在学中、地方に行ってさまざまな現場を見て回る楽しさを知った。
大学を卒業して総務省に入り、1年目に愛知県の市町村課に派遣される。
そこでおもしろい地域の人たちに出会い、
「地域には隠れたヒーローがたくさんいるんだな」と感じ、
ますます地域の現場に入ることが好きになったという。
その後、東京に戻るが、週末にはあちこちの地域の現場を訪ねて回った。
「地域で活躍する人はホームグラウンドで最も輝くと思っています。
東京で総務省の官僚という立場で会うこともできますが、
それより現場に行くと深い話ができます。そこは大事だと思っています」

好きな場所には何度も何度も足を運ぶ。
徳島県の神山町や長野県の小布施町は何度訪ねたかわからない。
各地で得たことを、自分なりに考え、まとめてブログで発信してきた。
「地域のいい事例を自分だけのものにしないで、
広げて伝えていくことも大事だなと思ってブログを始めました。
いまの日本は本当にこれでいいのかなともやもやしたものがあったんですが、
震災があってはっきりしました。若手官僚で唯一、実名で書いているので、
いつお叱りを受けるかわかりませんが(笑)」

政府が地方創生を掲げるなか、井上さんは〈地方創生人材支援制度〉を提案。
地方創生に積極的に取り組む市町村に対し、意欲ある国家公務員や研究者などの人材を、
市町村長の補佐役として派遣するというもの。
そこで手を挙げた長島町に赴任してきたというわけだ。

「世の中をよくしていくときに、国は国で役割があると思っています。
いまのシステムや制度には理由があるし、そのしがらみを変えていくのは難しい。
それより地域で新しいものをつくって、小さな成功事例を積み重ねていって、
その輪を広げていくほうがうまくいくんじゃないかと思うんです。
地域には課題もたくさんありますが、それが見えやすいし、プレーヤーも見えやすい。
だから逆に解決しやすいとも言えます。
それと地域の問題は地域の人だけでは解決しにくい。
いろいろな役割の人が必要で、サッカーに例えると、
隣の人にパスしたりドリブルするだけでなく、ロングパスや鋭いパスも必要。
広い視野で俯瞰して、最適なところにパスできる人が、地域にはなかなかいないんです。
僕はより広い範囲にパスが出せるのが強みだと思っています」

食材が豊富な長島町で、井上さんが一番感動した食材のひとつというのがタコ。タコ漁も体験。

次のページ
名産のブリにちなんだ新制度を発案

Page 2

人も地域も光を当てて輝く

こうして自ら提案した制度で、地域の現場の最前線にやってきた井上さん。
わずか4か月あまりだが、長島町ではもう新しいことが動き始めている。
長島町には高校がなく、若者が進学のために島を離れていき、
そのまま人口が流出してしまうのが最大の課題。
そこで、長島町が養殖産地日本一を誇り、
回遊魚で出世魚であるブリにちなんで考案されたのが〈ぶり奨学プログラム〉。
高校・大学卒業後、地元にUターンして在住しているあいだは、
返済を不要とする奨学金を構築するというものだ。
具体的な制度はこれから設計していくが、
寒ブリが特産品として知られる富山県氷見市とも提携し、
慶應義塾大学SFC研究所社会イノベーション・ラボと共同で研究、推進していく。
「回遊人材を受け止めるまちになりましょうと提言しています。
長島に戻ってくるだけでなく、逆に長島町で修業した人が
地元に戻って地域のリーダーとして活躍してほしい」

富山県氷見市とともに〈ぶり奨学プログラム〉を推進していく。

また、9月12、13日に開催されるのが〈獅子島の子落とし塾〉。
長島本島の北東、天草諸島に浮かぶ小さな島、獅子島も長島町の一部だが、
ほかの多くの離島と同じように高齢化が進み、学校は次々と廃校になり、
島にはインターネットもない。
ここに全国から高校生を募集し、1泊2日の塾合宿を行うというのだ。
「こんなに静かな場所はない。インターネットがないので逃げ場もない。
まさに勉強するにはうってつけの環境です(笑)。
おまけに若い人が来れば、孫のようにかわいがってくれる
おじいちゃんやおばあちゃんがたくさんいます。
すべてを逆手にとった試みですが、都会の若者にとってはきっと特別な体験になるはず」

予備校のような塾ではなく、井上さんの後輩も含め、
大学生たちが高校生たちに勉強のやり方を教える。
勉強だけでなく、島の食を味わってもらったり、ホームステイも体験してもらい、
島のよさを知ってもらおうというのだ。
「人も地域もダイヤモンドだと思っています。光の当て方で輝きが変わってくる。
どうすればもっと光が当たるかなと考えます」

獅子島は人口700人余りの離島。閉校になった小学校の校舎で〈獅子島の子落とし塾〉が開催される。

次のページ
“長島町応援団”を増やしていく

Page 3

いろいろな人に出会い、巻き込んでいく

ユニークな発想と、それを実行に移す行動力。そのスピードにも驚きだ。
「スピード感は大事だと思っています。
行政は時間をかけすぎるきらいがありますが、
そんなことしているうちに時代は変わってしまいます。
アイデアは泉のように湧いてくるんですよ(笑)。
それも全国を訪ね歩いた経験がいいインプットになっているのだと思います。
中央も自治体職員も、みんな1、2年旅に出たらいいのにと思いますね」

現場が好き、つまり人に会うのが好き。
いまも島のあちこちに出かけ、インスピレーションを得るという。
そんな井上さんの人柄のせいか、これまで行く先々で出会った人が、
今度は長島町を訪ねてきてくれる。
「各地の仲間たちが、長島がおもしろそうだと来てくれるのはとてもうれしいし、
パワーになります。僕は出会った人や来てくれた人の名刺を、
役場の壁に貼りだして“長島町応援団”と言っているんですが、
町役場の人にもこういう人脈を生かしてほしい。
こんなに遠いところまで、僕に会いにこれだけたくさんの人が
来てくれるのはどうしてか。それは官僚だからじゃないですよ」
行政のなかでも地域のなかでも、巻き込む人を増やしていく。
そうやって、いろいろなところにパスが出せるようになるのだ。

「いつでも誰でもウェルカム」の長島町役場。副町長室ではアイスクリームやお菓子を用意して訪れやすい雰囲気をつくり、多くの人たちと意見交換する。

井上さんは、地域おこしには短期的な視点、中期的な視点、
長期的な視点のどれもが必要だと考える。
「中長期的な視点は特に大事だと思っています。
花を咲かせるよりも根をつけるほうが難しい。
でも根がつけば、自然と花も咲きます。
単年度予算の問題は、工夫することでほぼ解決できます。
過疎の市町村が補助金を得ると大きなハコものをつくってしまうのは、
全体・最適を考えていないんですね。もっと大きな視野が欠けている。
建物は維持管理するほうがはるかに難しいですから、
もっと長い目で見て、トータルのコストを考えるのが重要です」

サラリーマンだろうと公務員だろうと、自立することが大事だという。
「国が“地方創生、地方創生”と叫んでいるからではなく、
自分たちで何をしたいのか、何をやるべきか考えていくと、
おのずから見えてくるのではないでしょうか。
組織のなかにしかマーケットがないと思っている人は、組織に埋もれてしまいます。
組織のなかだけで価値を追い求めては、社会に出たらまったく価値がなくなってしまう。
そうではなくて自分なりのポジションを確立すればいい。
公務員こそ、地域のことに没頭すればいいんです。
米Google社で仕事時間の20%は好きなことをやるという“20%ルール”がありますが、
たった20%かと思いました。僕は100%ですよ(笑)。
こんなに楽しい仕事はない。天職だと思っています」

profile

井上貴至 
TAKASHI INOUE

1985年大阪府生まれ。東京大学法学部卒業後、総務省に入省。内閣府地方分権改革推進室主査などを経て、地方創生人材支援制度で2015年4月、鹿児島県長島町副町長に就任。趣味で続ける柔道は二段。
ブログ「地域づくりは楽しい~地域のミツバチ 井上貴至の元気が出るブログ~」

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連載

和倉温泉「多田屋」6代目 
多田健太郎さん

PEOPLE
vol.027

posted:2015.2.18   from:石川県七尾市  genre:旅行 / 活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

editor profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画やカルチャーを中心に編集・執筆。コロカルではアート関連の記事や、コロカル商店を担当。出張や旅行ではとにかくおいしいものを食べることに余念がない。

credit

撮影:川瀬一絵(ゆかい)

さまざまな経験を経て、自分の道へ。

豊かな自然と独自の文化が残り、北陸新幹線の開通で、
いまさらなる注目を集める能登半島。
その能登半島の中心部にある和倉温泉の、
七尾湾を一望する高台に建つ旅館が、多田屋だ。
それほど大きな宿ではないが、明治18年から続く歴史ある旅館で、
落ち着いたあたたかい雰囲気が漂う。
「長旅でお疲れではないですか」と気さくな笑顔で迎えてくれたのは、
多田屋6代目の若旦那、多田健太郎さん。

能登で生まれ育った多田さんは、
いずれ多田屋を継ぐということは漠然と頭にありながらも、
自分のやりたいことを見つけたいという思いもあり、東京の大学に進学。
卒業後はアメリカに留学し、短大でインテリアなどを学んだ。
帰国後もすぐには地元に戻らず、東京のIT会社に就職。
1年勤めたあと多田屋に入社するが、いきなり大阪に転勤。
旅館案内所で営業を担当するためだ。少し遠回りをしているようにも思えるが、
それもいろいろな経験ができてよかったと多田さんは笑う。

「アメリカでは最初、言葉が通じなくて挫折を味わったり、
東京の会社で働いていたときは毎日終電で帰るような生活で、落ち込んだりもしました。
自分の核となるものがわからないまま転がっていった感じでしたね」
それでもいつか能登に戻るということは心に決めていた。
そのタイミングだと思った29歳のとき――それは結婚のタイミングとも重なったそうだが、
能登に戻ったのだという。
「いつか僕が継ぐのであれば、旅館を僕流にしていかないといけない。
これ以上、父のやり方でいくと、軌道修正が大変だと思ったんです」

七尾湾に面した抜群のロケーション。このオーシャンビューが多田屋の自慢。

どんな業界でもそうだが、特に伝統ある家業の場合、世代交代は一筋縄ではない。
守っていくことや受け継いでいくことだけでなく、
時代の移り変わりやニーズを的確に読み取り、新しいことにもチャレンジしていく。
そうでなければ、廃れてしまうことにもなりかねない。
「もちろん息子として父のことは好きですし尊敬していますが、
一緒に仕事をできるかというとなかなか難しい。
父親だけど社長という関係も、その距離感をつかむまでが大変でした」
社長である父の世代の価値観と、自分の世代の価値観ではズレがある。
これから若い世代の人たちにも多く来てもらうためには、
多田さんは自分のやり方を少しずつとり入れていかなくてはいけないと感じたのだ。

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能登に戻る少し前、新しく露天風呂つきの客室をつくる改装工事をすることになり、
そのときに、自分にもやらせてほしいと掛け合い、8室のうち、
半分の4室を社長が、あとの4室を多田さんが手がけることになった。
「一緒につくるのではなくて、ライバルみたいな感じですよね(笑)。
ひと部屋ひと部屋コンセプトを考えて、
こういう内装にしたいと業者の人たちに相談しましたが、
なかなかわかってもらえなくて大変でした」

ただゴージャスなのではなく、シンプルで洗練されたしつらえの部屋。
できあがってみると、多田さんが手がけた部屋は30~40代のお客さんに好評で、
結果として多田屋の客層を広げることにつながった。
「お客さんに喜んでもらえるものができたという、ちょっとした自信になりました。
父も、それで少し認めてくれたのではないかと思います」

多田さんが改装を手がけた客室。竹をモチーフにし、随所に意匠が凝らされている。

床材にも竹を使用。自然の素材に触れることで気持ちがやわらぐ。

部屋についている露天風呂から七尾湾が見渡せる。このほかにも和洋さまざまなテイストのお部屋が。

さらに、旅館を本格的に多田さんが牽引していくことになった
大きなきっかけのひとつが、料理長の交代。
旅館のおもてなしの大きな要素である料理は、多田さんが特に重要視していた点。
これからの時代を考えたときに、料理長の交代は必然だったという。
当然、父である社長は助けてくれない。
自分で新しい料理長を探してくると言ったものの、
まだ人脈がそれほどあるわけでもなかった多田さんは、
必死で自分の考えや感覚を共有できる料理人を探し回り、
ついに金沢の料亭で腕を振るっていた、自分と同い年の料理人を招聘することができた。

新料理長の就任後はみごとに売り上げが上がり、
その頃から社長も多田さんに仕事を任せてくれるようになっていったそうだ。
「父に反対されても、自分の考えはきちんと言うし、
ちゃんと結果を出して初めて認めてもらえる。
ある程度社長をたてながら、自分のやり方を実践していく。
いまは無事、世代交代は終わっています」

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まず、能登のいいところを伝えたい。

多田さんの大きな功績のひとつに、インターネットでの発信がある。
社長は手のつけられなかった分野だが、IT企業勤務の経験もある多田さんは、
旅館のイメージを伝え、多くの人に興味を持ってもらうのに、
インターネットの重要性は充分すぎるほどわかっていた。
その多田さんが多田屋のホームページを制作するにあたって心がけたのは、
能登のよさをきちんと伝えるということ。
「東京や大阪、さらにアメリカと、各地を転々として帰ってきて感じたのは、
能登は本当にいいところだということ。
だから、能登ってこんなにいいところなんだよ、ということをまず伝えて、
その能登にある多田屋、ということをきちんと表現したいと思いました」

その多田さんの強い思いをウェブサイト上に表現したのが、
東京のデザインチーム「spfdesign」。
アートディレクターの鎌田貴史さんをはじめ、
カメラマン、ライター、イラストレーターのチームが
何度も能登を訪れてホームページを制作。
彼らもすっかり能登に魅了され、仕事というよりもプロジェクトとして
楽しんでつくってくれているのが伝わってきたという。
その後、1度リニューアルを経て現在のホームページとなっているが、
それも彼らの手によるもの。完成後も、個人的に能登に遊びに来てくれたりする
メンバーもいるのがうれしいと多田さん。

さらに、そのspfdesignのメンバーたちと制作したのが
「のとつづり」というウェブサイト。
能登の美しい風景や能登に暮らす人などを紹介し、
四季折々の能登の魅力を発信している。
多田さんがこんなところはどうかと提案し、
最終的には制作チームが取材する場所を決め、1年間かけて取材した。
「住んでいる人から見ていいなと思うところと、
お客さんとして来る人が訪れてみたいと思うポイントは違うと思っていたので、
押しつけずに紹介だけして、取材ポイントを選んでもらいました。
自分も一緒に取材に同行しましたが、新しい発見があったり、
人との対談はすごく刺激になったり、とても勉強になりました」

ガイドブックには載らないような視点で能登の“いま”を伝える「のとつづり」。多田さんも各地を取材。

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たとえば、ブリの定置網漁の取材では、
漁師たちの仕事を初めて目の当たりにして感動したという。
「朝早く寒いなか、みんな無口なんですが呼吸を合わせて、
自分の持ち場についてテキパキと作業していく。その連携がすごい。
こういう思いをしてブリをとってくれているんだということがわかると、
旅館で料理して出すときに思いが違ってきます。
ただ話を聞くのと体験するのとでは全然違うと思いました。
同級生がその船に乗っていたんですが、友だちを見る目が変わりましたね(笑)。
こいつすごいやつだと、かっこいいと思いました」

自ら感じた能登の魅力を伝えていきたいと話す多田さん。
「能登発信基地、というのが旅館のひとつの役目だと思っています。
旅館で出すお料理は、こんなにおいしいものがあるよと
地域の食を発信することができる。将来的には、器やコーヒーカップなども、
地元の作家さんのものを使うことができないかと考えています。
いま能登には都市部から移住してこられたアーティストの方も増えていますが、
そういう人たちの発表の場ともなっていけたら」

これからも多田屋と多田さんの挑戦は続く。
「田舎の人たちは自分たちがいいものを持っているとなかなか言わない。
はたから“これはいいものだ”と言われて初めて、“そうか、いいものなんだ”と気づく。
そういうものを大切にしていきたいです。
大事なものがなくなってしまう前に、これはいいものだと伝えて広めていきたい。
そして、いいものがたくさんある能登で旅館をやっている多田屋です、
と言いたいですね」

多田屋をともに切り盛りする女将(奥様)とフロントにて。

profile

KENTARO TADA
多田健太郎

1976年石川県生まれ。多田屋6代目。立教大学経済学部経営学科卒業後、アメリカ留学、東京での就職を経て、2006年に能登に戻り、能登の魅力を伝える活動をしながら代々続く旅館「多田屋」を運営。趣味はカメラと自転車。

information


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多田屋

住所:石川県七尾市和倉温泉

TEL:0767-62-3434

http://tadaya.net/

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