モヤ垢という存在について

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ここ最近、アンチ対抗ブログ様たちは

いわゆる「モヤ垢」の対応に
疲弊していたように思います。
 
対抗ブログのやり方に、
なぜ「モヤ垢」は疑問を投げかけるのか。
 
通報活動を邪魔するため?
 
たしかにそういう人もいたと思います。

しかし、そんな人ばかりではないと思っていました。


対抗ブログの激しい口調や論調は、
楽しい推し活をしているだけの人の目に入れば
心をよどませる原因になる。
ファンダム全体の印象も下がる。
 
こんな理由で「モヤ垢」を
運営している人もいたと思います。

かつて、私自身がそう思っていました。
 
施錠推進を立ち上げる前、
対抗ブログと害悪ブログの攻防を
傍観していたとき
しだいに、
対抗ブログのしていることは
逆効果なのではないか
と、思うようになりました
 
そこでテテとover the rainbowで
こんな記事にしたことがあります。
 

 

害悪ブログを話題にあげることは、
結果的に、害悪ブログに注目を集め
ランキングを上げ、それが相手の収益に
なってしまっている。
攻撃の応酬は、まるで泥試合のようだ。
そしてその泥が一番かかっているのは、
ジミンのように思える。
まずは、あのブログを我々が見ないようにしてはどうか。
対抗ブログを書いている人もしばらくそれをやめてみてはどうか。ランキングが下がるかもしれない。

 

 
これはあくまでも、提案でした。
 
しかし、そう受け取らなかった人もいて
お怒りのDMをいただきました。
 
ある対抗ブログ様の「サポーター」からでした。
 
私の記事のせいで傷つき、記事が書けなくなった人がいる。記事を撤回し、謝罪してほしいという要求でした。

私は自分の意見は決して強制ではないことを説明し、公開記事の方でも、改めて提案だと強調しました。
 
そして、この争いが続いていることで、実はジミンが一番ヘイトを集めていること、ジミンを守りたいのだということを記事にしました。

しかし、その追記した記事は、今さらだと言われました。後づけの言い訳だと。ジミンのことを持ち出しているのもわざとらしい。あなたのせいで、実際にブログを書けなくなった人がいるのだから謝罪してほしいと。
 
本人でもないのに、なぜ、こうまで謝罪を要求してくるのか…非常に不可解で困惑しました。
 
本当に私のせいで深く傷ついているのだとしたら、その方とお話した上で謝罪するかどうか考えたいとお伝えしました。

その後も、対話は上手くいかず、何度も同じことをDMで要求され、結局、私は対応に疲れました。
 
「その方から直接伺うまでは、ご対応はできない。謝罪が必要ならその方からご連絡が欲しい。第三者のあなたとは、これ以上のDMはできない。対話をご希望なら、以降は公開コメントでお願いしたい」
 
と申し上げました。
 
「あなたは他人の褌で相撲をとってるように見える。なぜ、ご本人でもないあなたからそこまで言われるのか」
 
私はこのようなかなりきついことも言いました。意見の交換はその辺りで終わりました。
 
正体不明の第三者からの謝罪要求にお応えしなかったことは、今でも当然だと思います。
 
ただ、
やってもいない「アンチへの対抗」を
あまり意味がない泥試合だと
言ったことに対しては
確かに浅薄だったかもしれないと
思い直すようになりました。

思い立つままに、
施錠推進というブログを始めました。
対抗ブログの気持ちを
理解できると思ったからです。

やってみて初めて
その苦労が分かりました。
対抗ブログさんが必死に戦っていることを、
やってもいない人間が泥試合だと言えば、
疲弊した心には
深く突き刺さるに違いありません。
 
ここで初めて反省し、
件の”書けなくなった”
ご本人様と思われる方に、謝罪のDMを送りました。(ご本人様だというのは私の勝手な想像です)
 
その上で、図々しくも、
通報について相談させてもらえないかと
お願いしました。
 
その方はとても心の広い方でした。
対アンチアカウント様たちへの無礼があった私のDMにも、きちんと返信をくださり、通報活動にも嫌な顔をせずにご協力くださいました。
とても感謝しています。

自分の立場によって見え方は変わりますが、
対抗ブログ様の苦労も
モヤ垢さんと呼ばれる方の考えも
私には分かります。
どちらの立場にも立ったことがあるからです。
 
だから、この双方のやりとりに関して、
私は立場を決められませんでした。
その曖昧さを「庇ってくれた人に対して感謝がない」
そう言われてしまったと思います。
 
本音は、相容れない関係性だから
お互いに好きにやっていくしかない・・・
そんな気持ちでしたが、他人に説明するには
あまりに複雑な事情がありました。

施錠ブログを書きながら、モヤ垢は、本当は時々見ていました。
自分が該当する「批判ポイント」を見つければ、納得のいく指摘に関しては、自分の記事の書き方を修正したりもしました。
 
モヤ垢さんの記事は
私にとってはある意味ひとつの視点で
全員いなくなればいいとは思ってませんでした。

 
私のターゲットは、いつもただ一つでした。
照準は、常にそこに向けていました。

今も、あの害悪ブログを
放置することはできないと思っています。
でも、どのような形で対応していけばいいのか。
その形を、まだ考えています。

今回の大きなぶつかり合いを活かさなければ。
どうすれば人を傷つけずに正しいことだけが行えるのか
まだ、自分なりの答えが見えていません。
 
 
 
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