人狼に学んだ人生のこと
昔、チャットで人狼をやっていた時期がある。
あれは人格を蝕むゲームで、真剣にやるゲームではおそらくないけど、もしかしたら人生を学んだかもしれないということを話します。
皆様は人狼、やったことあるだろうか。
あのゲームには様々なセオリーがあるんだけど、一つあるのは初心者吊り。
初心者は議論出来ないので、発覚次第投票で殺すというもの。
(投票で殺すことを「吊る」という)
同じ理屈で、発言しない奴を吊るという寡黙吊りもあった。
当時やっていた人狼は、一日の終わりに必ず誰かを吊らないといけないルールがあった。
根拠がない場合でも吊らないといけないから、そういう時には初心者か寡黙を吊りに行くことになる。
人狼をやりたい初心者がまず最初にやることは、初心者吊りされないような発言をすることだ。
初日に発言したいことなんてないんだけど、当たり障りのない発言をすることをまず学ばなくてはいけない。
もちろん目立ちすぎるとそれはそれで吊られるから、如何に周囲に合わせるかが大事になる。
人狼は議論するゲームだから、普通の発言をするというハードルすら越えられないやつは役職が何であろうが、プレイする資格は与えられない。
こんなゲームは多分人狼と社会ぐらいだろう。
「初心者だから吊ろうぜ!」は、もう構図がほぼイジメだと思う。
ただ、これを経験していたおかげで、何とか現在社会を生き抜けている感もある。
初心者吊りも寡黙吊りもされない為の立ち回りは、社会というゲームをプレイする上で大事なことではある。
人狼のおかげでタイピング速度は早くなった。
とにかくチャット人狼してるとチャットが早くなる。
発言文字数が情報量に直結するから、たくさん発言できるとその分有利。
タイピングごときで躓いているようでは戦いにならない。
タイピング自体がおそらく一生使えるスキルなので、これについては素直に感謝している。
ただ、人狼はやりすぎると人格が歪む。
人狼はもちろん推理ゲームとしての側面もあるけど、心理ゲームとしての一面も存在するから、役割とはいえ相手のことを嘘つき呼ばわりしたり、公然と批判することになる。
これをゲームだと割り切れればいいんだけど、やりすぎると人狼をやっているのか現実を生きているのかが分からなくなってきて、人格が蝕まれていく。
最終的に人のプレイングを公然と批判したりするようになると、もう闇に呑まれている。
そもそもゲーム内での他人の思考を批判すること自体、全く間違っている。
人生もそうかも。
こうやって振り返ると、人狼は友達同士で楽しくプレイするように出来てるゲームだったんだなあと思います。
でも、人生の大事なところが詰まっているゲームでもあって、人生を学んだのは事実なんだよなあ。悔しいけど。
ここで一曲。
YOASOBI - 怪物
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