いやになること
いやになること。生きていると、たくさんある。
何日も残業が続いたら、朝に支度している最中、フッと全部がいやになる瞬間ない?
きっかけは多分「仕事」なんだけど、いやになるのはなんというか、もっとボヤッとした「全部」というか。
きっとそういう話なんだけど、自分でもうまく掴めていないから、触れるように話をするね。
いやになること。
たとえば、人間関係がいやになるって、よく聞く話だと思う。
自分の場合は「人間関係(→グループや環境の意)」じゃなくて「個人」がいやになってしまうことが多い。
なんとなく苦手だなと思っていて、なにかのタイミングでフッといやになってしまう。
これがリアルなら距離取るのってシンプルで、自分から遊びに誘わなきゃ良い。声をかけなきゃいい。
前に、職場に苦手な人がいて、でも「仲良くいなきゃ…」ていう自分の中のルールを守るために「しっかり挨拶する」「近くを通りがかったら一言、二言世間話する」を、しなきゃ!と思っていた時期がある。
だから変に緊張して逆に挨拶できなかったり、自分から世間話を振ってどぎまぎしてしまったり、自分から〝変な人〟になってた。
そこで、自分の中の「仲良くいる」の条件を変えた。
「仲良くいる→話しやすい距離感になる。嫌いにならないし、同じように相手に嫌われないようにする」だったのを、もっとざっくり「敵対しない」に切り替えた。
まず、挨拶を「してもしなくてもいい」にした。同時に「自分からは声をかけない」にもした。
ネタバレすると、今はそれでかなり落ち着いた。
試しに…のつもりでやってみた対策だったんだけど、自分にあっていたんだと思う。
まず、挨拶を「してもしなくてもいい」にしたから、朝イチや帰りがけにすれ違う瞬間、ヘンに緊張しなくなった。自然に挨拶できなかったとき、無限に自分を責めなくなった。「まあいっか」と思えるようになって、そのうち「まあいっか」すら思わなくなった。
「自分からは声をかけない」はすこし難しかった。そもそもお喋りがスキなので、油断すると口が開いてしまう性質とぶつかった。だからこそ、ああ自分ってなんにも考えずに話しかけてるなあと気付きがあった。
意識的に自分からは話しかけないようになると、あきらかに会話が自然になった。話しかけられたときにだけ応対するから、「自分で話しかけたんだからいい雰囲気にしなきゃ」みたいな、意識すらしていなかった責任感みたいなものが無くなったんだと思う。
素直に返答して、なんというか、おかしな雰囲気になったときも(でも、話振ってきたのはあなただし)とも思えるようになった。
苦手な人が視界に入るたびピリピリしていた自分のメンタルはそれですっかり落ち着いた。なんとも思わないわけではないんたけど、最初の、同じ空間にいるのが耐えられないくらい辛いって状況からは脱した。
相手はなんにも変わってない。ちょっとした事で地雷踏んだみたいな空気にしてくるし、住居やら営業成績やらでマウントばっか取ってくるしで、ムカつく奴のまんま笑
でも、自分の向き合い方が変わっただけで「苦手だから耐えられない人」から「苦手な人」に落ち着いた。
全部がいやになる前に、そうやって対策を考えて、実行して、落ち着け自分、落ち着いてって繰り返して生きてると思うんだよ。誰しもさ、少なからず…意識的、無意識、関わらず。
私はこの、対策を取って…というのが比較的得意な方なんだけど、ことインターネットだと何度か明確に失敗してる。
(この〝得意〟って必ずしも前向きな理由じゃないんだけど、これだけで記事ひとつ書けるからまた別の機会に詳しく話すね)
インターネット人間関係の失敗。
いちばん古い記憶だと、自分がまだ高校生か…ギリ大学生だったかな? 面白い小説を書く人がいて、私はその人の作品が大好きだったんだけど、その人自身には対して興味がなかったのね。
でも、作品大好きです!読んでます!てTL垂れ流しでめちゃめちゃアピっていたと思う。構ってもらいたいわけじゃなくて、読者います!ここにいます!なので続きをください!!という意思表示をする意味で。
そしたら、更新するたびに「更新しました」って連絡をくれるようになって、その時点でなんというかその…ちょっと、重かったんだけど……それを上手に伝えられなくて、いつも通りの「やったー!」のテンションでありがとうございますって受け取ってた。
それだけならまだ良かったんだけど、昨日聞いた「更新しました」を今日も言われるとか、TLに感想をめちゃめちゃ流してるのに、「更新しました」って言われるとか、いや、読んでるじゃん、読んでるの見ればわかるじゃんってことが続くようになって、(あ、この人〝私〟には興味ないな)て思うようになって、このタイミングでミュートしたと思う。
ミュート後、「更新しました」の連絡も気付かず、後になって見てあー…と思って、スルーすることも増えた。ミュートしてる手前、作品の感想も垂れ流すのを控えるようになった。
そしたら、「どうでした?」と感想を直接聞かれるようになった。
そら驚いたよね。
自分は距離を取ってるつもりだったのに、なんか、最初より近付いてるというか。
小説の内容もギリR18かな?際どい展開もあって、感想と言っても自分から垂れ流す分には構わないけど、人に聞かれて答えるにはちょっと恥ずかしい内容でさ。
まあそのうち、やり取りの内容もなんか…好きな体位がどうとか、駅弁って知らない?とか、義務教育やっててコレ(古典かなにかの知識だったと思う)知らないとかほんとに学生?とか、気持ち悪いなー…とうっすら思うことが増えてきて、波風立てずに対応してたけど、ある日いつもの「更新しました」がきて、フッと全部いやになっちゃった瞬間、なんにも考えずにブロックした。
(当時は本当に〝うっすら気持ち悪い〟ぐらいの感覚だったんだけど、今になって思い返すと、学生にそういう絡みをする成人した人間えぐくないか?というカンストした気持ち悪さがある)
そしたらね、ブロックして数日も経たないうちにアカウントが消えた。
SNSだけじゃない、小説を更新していたサイトからも、作品も、とにかく全てが消えてた。真っ青になったよ。取り返しのつかないことをしちゃった!て本気で焦った。
今思えば全然自分には非がないじゃん?とも思うんだけど、同じぐらい、あのときなんでもないフリなんてしていなければとか、自分の「平気じゃないのに平気なフリした対応」が、結果的に「突然裏切った状況」にしてしまった、とも思う。
相手がどうとか以前に、自分の対応が本当に不誠実だと思ったし、今も忘れられずに杭になって刺さってる。
今は、インターネットで無理かも!となったら自分から関わらないを強めに意識するようになった。
?と思うようなリプライには返事をしなくなったし、傍目にも「仲が良い」と思われるような「平気なフリ」は行き過ぎた対応だって言い聞かせるようにして、早いうちからミュートしたり、なんかいやだなと感じる空リプには反応しないようにしたり。
それでも向こうから距離を詰めてくるなあと感じたらブロックしたりね。
でも、ここ数年それだけじゃどうにもならないってことが続いた。
自分をどうにかしても、どうにもならないことにぶつかるというか、あるいは自分自身がもう…どうにもならないというか……。
自分自身がどうにもならないとき、大抵、抑えなきゃいけないところに価値観が絡んでる。
私にとっていちばん価値のあるものは、「自分自身」を除くと、友人含む〝身内〟で、次点に〝大好きなもの(音楽や本等の個別のアーティスト/楽曲/作品)すべて〟なのね。
(そして、自分にとって何よりも許せないことは「不誠実であること」なんだけど…こっちは深堀りすると、自分が苦手としてきた特定の個人たちを攻撃する内容になってしまうので、省略する)
価値ありと感じているものがそういう、目に見えないもの、かつ身内と敵とで関係性にハッキリと線引きをするものだからか、「友人含む〝身内〟に敵対する人間は自分にとっても敵である」そして「自分含み、誰かの〝好きなもの〟を軽率に否定する/あるいは明確に否定の理由がある場合でも、否定的であるという態度を露悪的に晒す人間は潜在的敵である」という考えは自分の中ですっかり固定化されてる。
身内が大事だからこそ、そこに害を及ぼす存在、そして害を及ぼす可能性のある存在に対して、強めの線引きをしているように思う。
問題は、この考えが強すぎるあまり、自分が「敵」と認定した人間に対して、「身内」が友好的な態度を取っているとザワついてしまうこと。
「あなたの敵は私の敵なんだから、私の敵もあなたの敵ではないのか」っていう、物凄く身勝手な価値観からくるザワつきというのは頭ではわかってる。そもそも〝身内〟というくくりも、〝一方的に自分が好きな人間〟に過ぎないし、身内も敵も自分から見た色眼鏡越しの世界の振り分けであって、どちらも同様に〝他人〟であることに変わりはないんだよね。
自分としては、「一緒になって嫌ってくれ」が本音なんだと思う。ハッキリ、いやそれは違うでしょ!と理性が言うから、そうだよねえと呑み込めるだけで。(中学生の頃は今より自他の境界に対して頓着がなく、これができなかった。少しずつでも大人になっていると信じたい)
それはそれとして、「敵」に対する警戒、防衛、被った心の被害を話すことでしか消化できない自分もいる。その上で、自分にとっては敵だけど、相手にとってそうでないなら…ただ聞きたくもない愚痴を聞かされることになるわけで……。
そういうとき、誰の反応もなくていいから垂れ流す、というのにSNSは向いてる。でもね、結局そういう汚泥を流しているという自覚も自分の中にあるから、それもしんどい。
よく、こうして八方塞がりになる。
まあ垂れ流すことをやめると本当におしまいになってしまうから、完全な我慢自体はできていなくて、誰かに聞いてもらったり、こうして書き起こしてみたりしてるわけなんだけど。
何が言いたいかというと、自分は結局、インターネット人間関係において〝敵〟が自分の世界の中に発生したとき、それをそのままにして共生していくということができないらしい。
しばらくは耐える。半年か、1年か、それ以上か。
でも耐えている間は常にメンタルにデバフがかかっている状態になるから、仕事が忙しいとか、シンプルに体調崩すとか、バランスの崩れるようなことがあるとガタガタ!と一気に砕ける。耐えられていたものが一切合切耐えられなくなる。
そうなったときに自分が忌避していた、考えなしのブロックをしてしまいがち。
まあでも、もとより距離をおきたいと思っているわけなんだから、後はただタイミングの問題で、仕方なかったと言えば仕方なかったんだろうと思うんだけど。
自分が詰めたくない距離を詰められる、あるいは意図的に〝線引き〟をされているなと感じる、そうして苦手だな…と思っている人間が、自分の好きな人たちに絡んでいるのをみることが物凄くストレスらしい自分にとって、SNSは向いていないんだろうけど。
でも割合にすると、楽しいが9でしんどいが1だ。1のしんどいで100辛いになっているだけで…。
難しいなあ。
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