前回は→その④
【前回までのお話】
戸隠神社ではそもそもタジカラオは信仰されていなかった。古代の信仰は山であり、その後も修験道を経て真言宗と天台宗という仏教の山であった。御神体の形式も山に有る岩窟そのものが色々な神々の名前の付いた聖地で有った。修験道と両仏教の使用していた岩窟は50前後とも言われるが、資料などではっきりは把握されているのは三十三窟となっています。
※昔は三十三間堂等の名前に有るように三十三というというのは聖なる数字とされており、また数が多いという意味を表す数字でありました。
【例】熊野の48滝という表現にも共通。単に数多くあることを慣用的数字の「四十八」で表したもの。「四十八」が付されているが実数は48とは限らず、単に「非常に多い」との意味合いで呼ばれたものであるという説
ウィキペディアの文章や写真を元に分かりやすくまとめています
【重要:真言宗と天台宗で共通している岩窟】
上西窟・下西窟:金剛蔵王菩薩
日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。
神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされたため、明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。
また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。
また、中世出雲大社の祭神スサノオが鰐淵寺の本尊蔵王権現と同体とされていた。
※インドに起源を持たない日本独自の仏でり究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王:仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括している
明治時代の神仏分離安閑天皇神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。
【つまり、簡単に言ってしまうと、修験道の神であったのですが明治時代に祀神の名前を同一視と言う言葉と共に前の祀神様の名前が変更されているという事です。】
下西窟:秋葉三尺坊千日護摩所
秋葉権現(あきはごんげん)は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。火防の霊験で広く知られ、近世期に全国に分社が勧請され秋葉講と呼ばれる講社が結成された。また、明治2年12月に相次いだ東京の大火の後に政府が建立した鎮火社(霊的な火災予防施設)においては、本来祀られていた神格を無視し民衆が秋葉権現を信仰した。その結果、周囲に置かれた延焼防止のための火除地が「秋葉ノ原」と呼ばれ、後に秋葉原という地名が誕生することになる。
「遠州秋葉山本地聖観世音三尺坊略縁起」(享保2年(1717)成立)では秋葉三尺坊大権現と称し秋葉権現は三尺坊であると説く。観音菩薩を本地仏とし、その姿は飯縄権現と同じく白狐に乗り剣と羂索を持った烏天狗の姿で表され、75の眷属を従えると伝えられる
※つまり元来は観音菩薩でしたが、火災が起きたタイミングや場所のせいで庶民から自然発生的に火伏の神という風に思われて何となく祀神が変遷したという事です。
長厳窟・天地神
天地の神様は古代からの神ですね
龍窟:九頭竜社
現在の九頭竜社の位置の岩窟に九頭竜様が居たという事です。
本窟:戸隠本社 聖観音菩薩
戸隠本社位置にある、岩窟
戸隠しで聖観音?って現代の方々は思うでしょうから、聖観音とは何か?について解説していきます。仏教の六観音の内の一つです。
像様の特徴は:全ての観音の中で一番人間に近い姿。腕は二本でお顔は一つのスタイル
衆生の救済のため人間に近い菩薩の姿で人間に認識されやすい姿。親しみを持たれるためか?という感じでしょうか。聖観音の凄いところは
【六観音】
①千手観音
②馬頭観音
③十一面観音
④准胝(じゅんでい)観音または不空羂索観音
⑤如意輪観音
⑥聖観音
~以上~
と言うように、六観音の一つでありながら、その他の五観音に変化し、さらに三十三観音などのさまざまな観音に身を変えて救いの手を差し伸べる存在なのです。全ての人に合わせて「何通りでも、どんな姿になってでも個別的に救済しますよ」ということを表わしている。
全ての観音様より人間の為に姿を変える技が誰よりも優れていて、民衆を救ってくれるオールマイティーな存在と言う事
聖観音を一文字で表わす梵字を「サ」
聖観音は、梵名アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ
その真言は「オン・アロリキヤ・ソワカ」。これを唱えるとあらゆる災難から逃れられ、運気を好転させるというご利益があります。さすが、全ての観音さまの基本形となる観音な故にオールマイティーな御利益が有ると言われている。
~以上~
今迄はどちらかと言うと、衆生を救うために特化されている御利益と言う事がここから分かります。そして九頭竜の御利益縁結び・・・というが縄文時代から考えると和合神ですから。
しかし、その仏や神様。今どうなっているかご存じでしょうか?
調べていくと以下の事が分かってきます。
『33岩窟の内、戸隠神社奥社の本窟と、九頭龍社の龍窟は建物に覆われて岩窟が見られない。残りの31の窟は山の中で見られる』
実際にどうなっているか?
ここをお読みの皆様は以下の二点が普通に考えて一番重要であると感じて頂けたと思います。本窟という位でありますから。
①本窟:この土地の信仰となる本来の岩窟はここに有る!
戸隠三十三窟「本窟」「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。
※皆様は社に目を奪われていると思いますが、後ろの岩窟が本当の神です
中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる杉並木になっている。神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は長野県千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺)を祀っていた。
~引用以上~
つまり岩窟の聖観音が祀ってあったという話がここでも出ているって事です。
②龍窟:九頭竜様はどこに?
奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
~以上~
つまりこの右手側の後ろから、奥社向かい盤石の上まで廊下が続いている
グーグルアースでは何故かちゃんと表記されているけど
グーグルアースより引用
磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」
本社に行くまでに進行方向左手にあるって事です。
つまり【九頭竜様の居場所はこの矢印の範囲内の岩窟という事】
実は十年前に私が行った時にこの場所って実は知らないのに気が付いていた事が有ったのでした。
次回『本能が教えてくれた大切な場所』~最終回~
なります。次回も興味ある方は引き続き宜しくお願いいたします。
続きは→その⑥
- 驚異の防臭袋 BOS (ボス) Mサイズ 90枚入り おむつ ・ うんち ・ 生ゴミ などの 処理 に最適 【袋カラー:ホワイト】Amazon(アマゾン)防災には絶対これ。犬の糞でさえ匂いません。生活機能停止の事を考えると私はいつもこれ。おむつにも最強のビニールです。