世界最大の洞窟で最後の悪あがき 未知の空間は存在するのか
ついに照明の点灯に成功した世界最大の洞窟、ミャオティン。
洞窟研究の第一人者の浦田博士や中国の張教授が、照らし出されたミャオティンの至る所でその誕生の謎に迫る、ある痕跡を見つけ出します。
それは「水」です。
ミャオティンの誕生には水が大きな役割を果たし、ミャオ族の伝説にある龍の正体は複数の地下水流だったのではないかという答えにたどり着きました。
さらに詳しい調査やレーザー測量を行ったところ、その水の流れには太古の昔の大陸移動や東アジア全体の気候が関わってくることが分かりました。
※前回までの記事はこちらです!
ミャオ族は知っていた
今回の探検で明らかになった、壮大なミャオティン誕生の物語。
しかしミャオ族はその壮大な地球の営みを昔から知っていて、感じ取っていたことがうかがえました。
はるか昔この地に母親の龍が住んでいた
あとを追ってきた父と子の龍は母を探して大地に数多くの穴をあけた
龍の家族は出会い巨大な洞窟に住むようになった
ミャオ族が語り継いできた伝説です。
地下水流が大地にいくつもの穴を開けてそれが合流して巨大洞窟を作り上げたという、私たちが最新科学や技術を駆使してやっと解き明かしたミャオティン誕生の謎。
伝説からは、ミャオ族がただ単に1つの地下水流を龍に例えただけではなく、複数の地下水流が合流したという成り立ちを、はるか昔にミャオティンの中に来て見抜いていたことがうかがえます。
ミャオ族から教えられた探検の原点
ではなぜはるか昔のミャオ族は、危険や困難を乗り越えてまでミャオティンに入ったのか。
ここからは私の想像です。それは決して単なる冒険心からではなかったと思います。龍の巣伝説を残したのも、単なる信仰心や恐怖心だけではないとも思っています。
この地域は世界でも有数のカルスト地形で、水不足の地域です。雨は多く降るのですが、カルスト地形に降った雨は、石灰岩の割れ目から全て地下に流れ込み、地下河川(洞窟)となります。地表には川がほとんどできず、昔から人々は水を確保するのにとても苦労していました。
実は私が学生時代に行った日中共同洞窟調査の大きな目的の一つが、洞窟に流れる地下河川の位置を特定し、カルスト地域に住む人々の水不足解消に貢献することでした。私が滞在していた山奥の村も、洞窟から湧き出るわずかな水を水源としていました。
ミャオティンの入り口は地下河川の出口になっています。その水源はミャオティンの奥深くです。当時の人たちにとって「水」を確保すること、水源を見つけることは生きるために最も大切なことでした。このあたりに住むミャオ族には、昔、戦いに敗れ、住みやすい平地や水のある場所から追われて山奥に住むようになったという話が伝わっています。
だからこそ水が生まれる場所を探ることは、単なる冒険心からではなく、どんな困難や危険があっても生き残るために調べなければならない、まさに「探検」だと思いました。
おそらく誰もができたことではないでしょう。命を落とした人もいたかもしれません。その「探検家たち」の勇気ある行動をたたえ、命の源である水や自然への感謝、崇敬の念を語り継いだことが、今日の「龍の巣」の伝説となったのではないでしょうか。
約700万年前に人類がアフリカで誕生してから、途方もない年月をかけて世界中に広がっていきました。生き残るために新たな地を求めたその壮大な旅のことを、ある考古学者は「グレートジャーニー」と名付けました。くしくも洞窟は、そんな偉大な祖先たちの化石が多く見つかる場所でもあります。
ミャオ族の命がけのグレートジャーニーの一端を、私はこのミャオティンで追体験することができたと感じました。生きるために巨大な闇にも向かっていくその思いや自然の真理を感じる力、そして未知へと立ち向かう人類の好奇心にこそ、人類が誕生以来脈々と行ってきた探検の原点があると感じました。それをミャオティンに挑んだ大先輩である、はるか昔のミャオ族の「探検家たち」から教えられたように思いました。
龍の巣はこれで終わり…と思ったら
世界最大の闇を追い払い、ミャオティン誕生の謎に迫り、ミャオ族の伝説に思いをはせた私たち。調査が導き出した結果とミャオ族の伝説が見事に重なりました。まさに科学を持って一歩一歩、謎や伝説を解き明かし、探検するような取材ができたと思います。
すでにロケ期間の大半を終え、誰もがこのまま大団円を迎えるのだろうと思っていました。
ある1人を除いて。
それはフランス人洞窟探検家のジャン・プタジでした。
彼の目的はミャオティンの中にあるかもしれない未知の空間の発見です。特に照明が点灯されてからは、その発見率は格段に上がります。
洞窟は何度となく調査された場所でも、ふとしたことから新空間が見つかることがよくあります。
ただの岩の隙間だと思っていたところが実は奥に続いていたり、ちょっと岩をどかしてみたら新空間が見つかったり、地下水の水位が下がったら新たな道が発見されたりなどなど。洞窟の長さや深さ、大きさのランキングが頻繁に変わるのもこのためです。
これだけの巨大空間なのだから、まだ発見されていない場所が必ずあるはずだ。ミャオティンはまだまだ大きくなる可能性がある。調査前からプタジと私は、なんとしてもその新空間を見つけようと話をしていました。
照明や調査、撮影の多くが成功した今、唯一達成されていないのが新空間の発見でした。ロケ前にミャオ族の老人から言われた「あの龍の巣を全て明るくできるわけがない」という意味深な言葉も胸に引っかかっていました。
迫るタイムリミット
ただミャオティンの取材には様々な制約があります。そのひとつが時間の制約です。まず、中国政府から許された取材ビザや調査の期限があります。それは2か月間。これは越えることが法的に許されない、いわばデッドラインです。
さらに気象条件による制限もあります。大雨が降れば地下河川が増水するので、洞窟に入ることができません。実は今回、雨期の終わりがずれ込んだため、最初の一週間あまりは増水でミャオティンに入れませんでした。
もう一つが体力的な時間制限です。ロケ期間が長引けば長引くほど疲労が蓄積し、体力を消耗します。パフォーマンスが低下するだけでなく、危険も増大します。
時間の制約が多い今回の取材は効率をあげるため、複数のチームがそれぞれの目的に応じて同時進行で動きました。
調査チーム、撮影チーム、照明チーム、探検チーム、ルート工作チーム、測量チーム、生物調査チーム。状況によって場所や人数、役割を変え、一人二役も三役もこなすことで、限られた時間や条件の中でミャオティンに挑みました。
プタジ、最後の悪あがき!
調査の期限が迫り、プタジに残された時間はあと3日。彼は調査チームや撮影チームから離れて、時間が許すギリギリまで新空間の発見を目指すと言いました。
彼単独の方が圧倒的に速く動け、多くの場所を探ることができます。同じ探検家として、プタジの気持ちは痛いほどわかりました。
このミャオティンは本当に今見えている場所だけなのか、私も信じきれてはいませんでした。
撮影チームとしてはまだ撮り残したものもあり、ビザの期限も迫り、機材の撤収もしなければならず、余裕はない状況でした。
でも私は残りの期間をほかの撮影から離れて、プタジを追いかけたいと思い、坂本ディレクターに伝えました。
「そうしてくれ」
二つ返事で答えが返ってきました。
この洞窟にはまだ何かあるのではないか。彼も同じことを感じていたのでしょう。私たちはプタジの最後の悪あがきにかけることにしました。
しかしそれは簡単なことではありませんでした。彼はかなり動きが速い上に、これまでの撮影でも待ってくれと言っても全然待ってくれなかったのです。
まさに本能で動く生っ粋の探検家でした。そのため、私もスピードを上げられるよう極限まで機材と人数を絞り込みました。
機材は小型の4Kカメラと三脚、そして撮影用のLEDライト1灯と手に持てる小さなライト数本のみ。水も食料も最小限。メンバーは、プタジと私のほかに体力と経験のある2人を加えた4名のみ。坂本ディレクターは期限が迫る中、ほかにどうしてもはずせない撮影があり、来ることができませんでした。
もしプタジが新空間を発見したらもっとたくさんライトを使いたいし、もっと人員も欲しかったのですが、これ以上機材や人を増やしては、本気モードになったプタジに「撮影をしながら」というハンディーを背負いながら追いつくことなど、まずできません。
撮影しながら彼について行けなければ、もし彼が新空間を発見したとしてもその大事な瞬間を撮り逃してしまいます。背に腹は代えられない。
こうしてプタジと私の新空間発見を目指す、超ハードな最後の3日間が始まりました。
彼の本気は想像を超えた
覚悟はしてはいましたが、世界トップクラスの洞窟探検家であるプタジの本気モードは想像以上のスピードでした。岩の上や急斜面を飛ぶように進んでいきます。
これまでのロケでは、それなりに撮影チームに合わせてゆっくり進んでいてくれたことが、身にしみてわかりました。
右手にカメラを持ち、左手しか使えない状態の私にとって、それはそれは厳しいものでした。
しかし私としても洞窟でカメラを持たせれば誰にも負けないという自負がありました。
なんとしてもプタジを撮る!
慣れもあって、岩にぶつかっても、多少転んでも、カメラさえ守ればなんとかなると思えるようになり、必死にプタジに食らいついて行きました。
風だ!
そして、ついにその時がきます。それは一番奥の壁際の落盤地帯を登っていたときのことでした。大きな落盤があちこちにあって、足元はガラガラ崩れる、いわゆるガレ場の急斜面を登っていた私は、どんどんプタジから離されていきます。
すると、プタジの動きが急に止まります。その隙に、私が距離を縮めます。
「Can you feel?(感じるか?)」
そのときの私は息もあがって汗がダクダク、足はパンパン、周囲に気を配る余裕もありません。
(こいつ何言ってるんだ?)
すると彼は強い口調で言います。
「Wind!(風だ)」
その瞬間、私はハッとしました。汗だくの頬にわずかにヒヤッとする空気の流れを感じたのです。
ここは行き止まりの壁際のはず。しかし、空気の流れがあるということは、近くに別の空間がある可能性を意味します。
「ハァー」
プタジが息を吐きます。
これは白息を出すことで風の流れを見る方法です。
カメラマンならここで逆光気味にライトを当てて、白息をカメラでも見えるようにするべきなのですが、すみません、全くそんな余裕が無くて、白息をはっきりとカメラで撮ることができませんでした。しかし肉眼では、白息が流れていくのがわかりました。
風は壁の方からきています。プタジの目つきが変わりました。
私の目つきも変わったと思います。
プタジが落盤の隙間を探ると、そこには岩盤の割れ目が口を開けていました。幅は1mほどですが長く続いています。
プタジが何も言わずその割れ目に吸い込まれていきます。
私も続きます。
先行したプタジが突然大声を上げました。普段、物静かなプタジが興奮して話しかけてくるので、私は何が起きたかを察しました。
そして彼の方にカメラを向けると、岩盤の割れ目に立つ彼の後ろには、漆黒の闇が広がっていました。
照明がついている空間とは明らかに違う空間です。かなりの大きさであることもすぐにわかりました。
「New Chamber! This is a new chamber!(新空間だ!これが新空間だ!)」
プタジが興奮気味に言います。自分では全く覚えていないのですが、あとで映像を見ると、私も興奮して叫んだり大声を出したりしていました。
さらに近づくと、その先は垂直の崖となって落ち込んでいてそれ以上進めません。持っていたライトで新空間を照らすと、光が届かず闇に吸い込まれていきます。
新空間の奥行きは少なくとも50m以上はあると思われますが、行ってみないことにはわかりません。
足元の崖に石を落として、落下した音からおよその高さを推測すると30mはあることもわかりました。
夢にまでみた新空間の発見、しかも相当な大きさの空間です。私はここが番組のラストを飾る場所だと確信しました。
これがミャオティンか!
ロープや装備をそろえて、新空間の入り口にある崖に挑みます。
プタジが手際よくロープを張り、降下を開始します。そして私が続きます。
30mほど下ったところで、新空間の地面に到着しました。人類が初めて足を踏み入れる未知の空間です。久々にフロンティアを実感します。
そして最初にミャオティンに入った時と同じ感覚を覚えます。光や声は闇に吸い込まれ、奥から暗い塊の圧力を感じるのです。まるで全てを照らし出したと思い込んでいた私たちを、ミャオティンがあざ笑っているかのような、深く静かな闇でした。
「これがミャオティンか!」
思わず声に出してしまいました。
プタジは周辺を一通り見て回ったら、それ以上奥には進まず、測量や記録を始めました。本当は、少しでも奥に進んで、新空間の先に何があるのか見たかったはずです。
しかし実はこの日が私たちの探検の最終日だったのです。
私たちに許されたビザの期限を考えると、これ以上日程を延ばすことはできません。さらに、時間や装備、人員が不十分な中で、無線も届かない未知の空間をこれ以上進むことには大きなリスクが伴います。
それよりも、今、到達できた新空間の一部だけでもきちんと測量して記録に残し、報告することが「未知から既知へ」変えることであり、次の探検につながることだとプタジは判断したのです。彼もまた真の「探検家」でした。
最後の最後で姿を現した新たな闇。ミャオティンの大どんでん返しでした。
結局、ちっぽけな人類どもは世界最大の闇を追い払うことはできませんでした。しかし心はとてもすがすがしく、正直、ちょっと安心もしていました。世界最大の闇を追い払いたい、ミャオティンの謎を解き明かしたいと思いつつも、心のどこかでは本当はそうなって欲しくない、未知は未知であり続けて欲しいとも思っていたのかもしれません。
これだから探検はやめられないのですが。
プタジのキラキラした目を見て、彼も絶対同じことを思っているなと思いました。ミャオ族の大先輩たちに笑われてしまいますね。
「日常」でも探検する心を忘れずに
こうして、「NHKスペシャル 巨大地下空間 龍の巣に挑む」のロケは、さまざまなエピソードと大きな謎を残して終わりを迎えました。
ミャオティンやミャオ族、一緒に闇と戦った仲間たちからさまざまなことを感じ、学びました。それらは日常生活では決して得ることができない、貴重な経験でした。
出会った仲間たちはそれぞれの分野のプロであり「探検家」でした。アウトドア的な調査だけが探検ではないと思います。多くの人たちがさまざまな場所や集団の中で、ある者は洞窟で、ある者は研究室や職場で、ある者は家族や仲間たちで、大小多くの未知に挑んで探検してきたからこそ、人類の今があるのだと思いました。
立命館大学探検部に伝わる部則に書かれてある「地域・方法・分野において先駆者たる活動を行う」という言葉を思い出し、それを体現しているような仲間たちと出会えて本当に幸せでした。
彼らと挑んだ世界最大の闇「龍の巣 ミャオティン」は、私の20年間の洞窟探検の中で、最も忘れられない洞窟になりました。
私たちが帰国してまもなく、中国の武漢で謎の肺炎が見つかりました。今日まで世界中に多大な影響を及ぼしている新型コロナウイルスです。
その後私は、東京の映像センターからインドネシアのジャカルタ支局に転勤となり、現在に至ります。
海外支局の特派員は飛び回って世界の今を伝えるのが仕事ですが、今は海外に行くことも、集団で取材することも難しい状況です。
しかしなかなか自由にならないこんな世の中だからこそ、仕事でもプライベートでも「探検」する心を忘れないように日々過ごしたいなと思っています。
このインドネシアは日本よりもはるかに洞窟が多い国で、最近も洞窟から古い壁画や化石が多く見つかっています。
もう少し新型コロナウイルスが落ち着いたら、また人と洞窟が関わるような取材をしていきたいと考えています。
ここまで長らく洞窟の話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
門田真司 ジャカルタ支局カメラマン
2006年入局。高知・沖縄・福島・いわき・東京を経て、ジャカルタ支局所属。これまで多くの洞窟、山岳、海外取材を行う。沖縄では離島や自然を、福島では原発事故の避難区域を中心に取材。日本洞窟学会に所属し、数々の洞窟を調査してきたが、実は暗くて狭いところはあまり好きではない。現在はインドネシアのジャングルに眠る古い洞窟壁画を取材中。
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